諸外国の「保存」と「活用」と「法制度」

|070|2023.07–09|特集:建築の再生活用学

大橋竜太
建築討論
Jul 31, 2023

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はじめに

わが国の歴史的建造物の保存において、活用に重きが置かれるようになった。それにともない、これまでさほど問題にならなかったことも、新たな課題として表面化してきた。活用の手法が見つからないため経済的不安が拭えず取り壊しを余儀なくされたり、技術的問題が解決できないため保存を諦めざるを得なかったり、活用のために改修が優先されすぎて文化財的価値が大きく損なわれたりして、残念な気持ちになることもしばしばある。けれども、数年前と比較して歴史的建造物を積極的に活用しながら残していこうとする考えをもつ人びとが増えたことは、たいへん喜ばしいことである。このような考えが普及するようになってからまだ日が浅く、問題なく歴史的建造物を活用しながら保存していけるようになるには、もう少し時間がかかるのはしかたがないことであろう。

そもそも歴史的建造物の保存(保護)と活用に関する問題は、簡単に結論が出るものではなく、常に議論の的となってきたテーマである。記録に残るだけでも、その最初は少なくとも1904年の「マドリッド宣言」まで遡ることができる。それ以前は、活用のためには必須となる「修理」すら否定する意見もあったが、この国際会議において、「死せる記念物」と「生ける記念物」に分けて、「生ける記念物」の場合には、活用のための修理を施すことも認められ、活用しながらの保存も一手法という共通認識が確認された。

筆者が歴史的建造物の保存にかかわるようになった1980年代後半を振り返ると、わが国でも「凍結保存」と「動態保存」という用語を使いながら、保存の先進国である欧米諸国のように、活用しながら保存する方向に転換していくべきだという意見が交わされていた。すなわち、世界では100年以上前から、わが国でも30~40年前にはすでに、本テーマは議論されていたことになる。ただし近年になり、この動きが急速に進んできたことに間違いないだろう。とはいっても、この問題が放置されてきたわけでなく、建築基準法や消防法等では現実的に歴史的建造物を保存できるように、保存しながら活用する上で矛盾が生ずる規制では、代替案が認められるなど、緩和規定が設けられるようになってきている。歴史的建造物の保存・活用がさらに一般化し、事例が増えていけば、さらに進展していくものと思われる。

それでもなお、わが国の歴史的建造物を保存し、活用していく動きは、西欧諸国と比較して、遅れをとっているのは事実であろう。これにはさまざまな要因が影響していると考えられるが、私に与えられたテーマは、諸外国の法制度と保存・活用の関係について紹介することなので、本稿では、歴史的建造物の保存に関する法規制をその成立まで遡り、保存のために考案されてきたさまざまな法制度やシステムに着目しながら、保存と活用の関係について考えてみたい。

諸外国の法制度の成り立ちと活用の関係について

諸外国の建築保存に関する法制度には、2つの体系がある。ひとつはわが国の「文化財保護法」にあたる文化遺産・歴史遺産を後世に伝えていこうとするための法制度(以下「文化財保護関連法」とする)であり、もうひとつは都市計画にかかわる法制度(以下「都市計画関連法」とする)のなかで定められたもので、歴史を活かし、地域特性に合わせたまちづくりを推進しようとするものである。前者を中心に歴史的建造物の保存をはかっている代表国がフランスで、後者が英国である。昨今では両者の長所を取り入れたハイブリッド方式を採用している国も生じているが、概ねこのどちらかが主流と考えてもよい。

まずはフランスの法制度をみながら文化財保護関連法の成立とその後の展開をみていこう。フランスで法律によって歴史的建造物(モニュメント:古記念物)を保護するようになったのは1887年であり、他の国々に先んじていたわけではなかったものの、その元となる動きは半世紀前にすでにあった。フランス革命時からヴァンダリズムによって文化・歴史遺産が廃れている現実を目の当たりにするなか、1830年の7月革命後、内務大臣ギゾー(1787–1874)によってフランス史の編纂が開始され、現存する歴史的モニュメントの目録が作成されるようになった。1834年5月に歴史的記念物総監に任命されたプロスペル・メリメ(1803–70, 総監在位:1834–60)に引き継がれ、メリメのもと修復建築家としてヴィオレ・ル・デュク(1814–79)が活躍したことはよく知られていることだろう。これは、国家が主導した歴史的建造物の保護・保存であり、その対象の主なものは国家の歴史を代表する王宮やシャトーや教会堂であった。現行のフランスの文化財建造物の保存の制度は、基本的にこの延長上にあるとみなしてよい。登録建造物制度で知られる都市計画関連法による保存が中心の英国でも、同様の法制度による歴史的建造物の保護は行われている。その最初の法律が、1882年古記念物保護法であり、保存のための最初期の法律とみなされている。これは産業革命の弊害として破壊されることが多かった考古学遺構の保護が目的であり、スケジュールド・モニュメンツ(登録記念物:scheduled monuments)を定め、国家予算を用いて保護するもので、現行の「1979年古記念物および考古学地区法」に引き継がれている。とはいっても、対象はモニュメントとされ、遺跡の保護が中心であり、建築物はわずかしか対象となっていなかったため、活用といった観点から問題が生ずることはなかった。フランスにしろ英国にしろ、文化財保護関連法のもとで保護・保存がはかられている歴史的建造物の場合、保護のための手法は議論になったものの、活用に関してはさほど問題視されてこなかった。これは、わが国でも同様であり、国宝・重要文化財建造物という枠組みのみで歴史的建造物を保護・保存をしていた頃は、活用するうえでの他の法制度との齟齬は生じず、安全性能に関しては建築基準法の適用除外とすることで十分対処できていたと考えてもよいだろう。

一方で、都市計画関連法によって保存が定められている場合には、歴史的建造物であっても、建造物として安全でかつ機能的であるべきという考えがベースにあり、保存と活用のはざまでさまざまな問題が生じてきた。最初に歴史的建造物の保存が都市計画関連法のなかで定められたのは英国である。これは古記念物の保護と同様の理由、すなわち、産業革命による急速な開発によって、ここでは歴史都市や歴史的建造物が破壊されることを防ごうとして制定された。その最初の制度は1932年の「都市・農村計画法」で導入された「保存命令(preservation order)」であった。この制度では、取り壊しの可否が話題になった後に対象の建造物の価値を評価して、保存命令を出すか否かを議論するため、決定までに時間がかかりすぎ、場合によっては、このことが開発の障害となることもあった。そこで、あらかじめ保存命令を出す、すなわち保存すべき建造物を定めておくようになったのが、英国の登録建造物(listed buildings)制度のはじまりであった。1944年の都市・農村計画法で保存すべき建造物のリストの作成が正式に開始され、1968年の法改正によって現行の制度となった。その結果、登録建造物は勝手に壊すことができず、保存が前提となった。そのため、他の関連法制度との間に齟齬が生ずることもしばしばあったが、英国ではそういった際、専門家の意見を聞くという義務を課し、個別に対応(開発行為を許可する「登録建造物に対する同意(listed building consent)」を与える際の手続きのなかで定められた)していった。こういった制度が可能であったのは、行政側に専門家が十分に存在していたという背景があったことを無視できない。近年では、行政改革によって専門家の採用が減り、このシステムの維持が困難になりつつある。また、個々の対応にバラつきがないように、担当者の経験で実施されていた手法を、ガイドライン等を作成することによって明文化しつつある。

英国の場合、登録建造物制度による保存において、もうひとつの大きな課題があった。それは維持・管理の問題である。登録建造物の維持・管理は、グレイドⅠ、Ⅱ*の場合には、国庫補助があるものの、もっとも数が多いグレイドⅡの登録建造物に関しては、原則、所有者の責任とされている。そのため、歴史的建造物も経済的な独立が求められ、そのためには活用し、利益を得てようとすることも当然のこととして行われてきた。そうなると、他の法制度との矛盾を解決するだけでなく、社会全体の支援も必須となり、さまざまなアイディアが集結された。

保存・活用を支援する諸制度

国家が主導する歴史的建造物の保護(保存)ではあまり問題にならないかもしれないが、個人所有の歴史的建造物の場合、修理工事費や維持費といった費用の問題を無視することはできない。もちろん、重要文化財等の修理工事現場でも無尽蔵に修理費が使えるわけではないが、個人所有の歴史的建造物で、所有者がみずから維持・管理をしていくのは、経済的にもたいへんなことに違いない。そのため、建築保存の先進国では、所有者を助けるさまざまな制度等を用意し、後押しをしている。

第一にあげられるのは、税制上の優遇である。これはわが国でも導入されている。登録有形文化財(建造物)には、相続税や固定資産税の減免措置等があるが、これがその例である。おそらく、その世界初の例は1907年に制定された英国のナショナル・トラスト法によるものであろう。これは貴族への税制優遇がなくなり、所有者である貴族がみずからのカントリー・ハウスを維持していくことができなくなっている現実に対応するため、基金(トラスト)を設立し、資金面で援助するとともに、法律を制定して税を優遇しようとした試みであった。その後、ナショナル・トラスト法は改正され、貴族はカントリー・ハウスに住みながら、一般に公開するという活用の方法も導入している。類似の手法は各国で行われており、固定資産税、地価税、相続税、贈与税、といった税制優遇以外にも、各国で諸制度に合わせて、さまざまなかたちで導入されている。

税制上の優遇以外にも、修理工事に対して援助することも重要であろう。これは、所有者の経済的負担を軽減するばかりでなく、歴史的建造物の価値を保つためにも有効に働く。わが国では、歴史的建造物の修理工事では、主として国や地方自治体の補助事業で実施し、そのスキームのなかで修理費が補填されるのが一般的であるが、諸外国ではそれぞれの事情に合わせた手法で修理費が捻出されている。もちろん、わが国のように、国や地方自治体の文化財保護や都市計画の担当部局が、歴史的建造物の維持管理のために予算を確保し、直接的に修理工事に資金援助を行うのが一般的であるが、それに加え、独自の手法が考案されているところも少なくない。たとえば、英国では歴史遺産の保護のための資金を確保するためにヘリテージ・ロッタリー・ファンド(Heritage Lottery Fund)という宝くじの収益による基金を創設し、修理費をまかなっている。また、寄付文化が根づいている欧米諸国では、寄付金を集めて、修理を行っている例も多数ある。

修理資金を集めることはなんとかできても、文化財を保存し活用し続けるためには、適正な修理工事が不可欠となる。歴史的建造物の価値を守りながら、活用につなげていくためには、適正な修理ができる技術者の養成が必要となる。これは世界中で共通認識になっており、各国で技術者の養成に取り組んでいる。わが国では、すでにこの問題に取り組んでおり、国宝・重要文化財を取り扱う主任技術者以外にも、各地に存在する地域の歴史的建造物を守り、活用するために、日本建築士会連合会のヘリテージマネージャーや日本建築家協会の修復塾修了生等が育成されている。

保存・活用のための政策

法制度によって保存が義務づけられたとしても、歴史的建造物の所有者は、みずからの資産を活用し、利益を生もうとするのは当然のことであろう。建築保存の先進諸国では、歴史的建造物の価値は保ちつつも、経済的にも有効な活用の方法を探ってきた。さまざま手法が試され、次々と新しいアイディアも提案されている。これについては他のところで議論されるものと思われるので、ここではこういった試みを支援してきた政策、政府の方針等について紹介していきたい。

歴史的建造物のなかには、建設当初の用途を必要としなくなったものも少なくない。そのような場合、そのままにしておけば歴史的建造物は不良資産となってしまう。そこで、用途を変えて用いたり(コンヴァージョン)、新しい機能を付加させたりして、建造物を蘇らせようとすることは昔から行われてきた。その際に、単に用途変更をしてストックとして活用するのではなく、歴史的建造物の価値を積極的に利用し、それをアドバンテージとして利用していくことで、新築の建造物と差別化しようとする考えがある。昨今では、その考えが広がりつつあるように感じられる。その方法には各種あるが、特に、観光、商業といった分野で、建造物の歴史性をアドバンテージとして利用しようとしている例が多い。わが国でも歴史的建造物を改造した「古民家カフェ」が人気を博したり、歴史的まちなみのなかに町家等を宿泊施設に改造して注目をあびたり、経済的にも成功している例も増えてきた。

港湾施設の集合住宅へのコンヴァージョン(撮影:筆者)

英国の場合、この手法にいち早く目を付け、政策に織り込んだ。ただし、これは最初から行政が主導して行ってきたものではなかった。これは開発業者や建設業者が、登録建造物は壊すことができないから、壊せないのであれば、その長所を最大限に利用するしかないという逆転の発想によって考案された手法で、民間主導で洗練されていった。英国政府は、この用途変更による建造物の再生を都市計画の基本方針にひとつとして位置づけ、歴史的建造物の積極的な活用を魅力的なまちづくりにつなげていこうとした。このことが最初に公に表明されたのは1987年のことで、政府(環境省)が発行した『歴史的建造物と保存地区:方針と手続き』(通達8/87)において明文化され、『PPG15:都市計画と歴史的環境』(1994年9月発行)に引き継がれた。当時の英国は、長く続くレセッションによって経済的に低迷し、現在のロンドン近郊のドックランズも荒れ果てていた。このあたりは大英帝国の繁栄の拠点であり、海運業を支えた港湾施設の造船所、倉庫、事務所といった歴史的建造物が多数あった。しかし、これらの建造物のほとんどは本来の用途を失い、用いられていなかった。多数あったオフィス建築でも、そのまま用いるには天井が低く、また新しい設備の導入が困難であるなどの理由で避けられ、そのままの状態で放置されていた。しかし、サッチャー政権は、1980年代に都市改革政策のひとつとして、ドッグランズをエンタープライズ・ゾーンに設定し、特区として再開発を実施した。その結果、この地区は高層建築が建ち並ぶようになり、少しずつではあったが経済の活性化を生み、地区全体が蘇るとともに、住宅の需要が増加した。その際、エンタープライズ・ゾーン内には新しい住宅も建てられたが、周辺部では既存の制度にしたがう必要があっため、歴史的なオフィス建築を住宅に用途変更することで対応した。後者の物件は、最初は立地条件の良さから好まれ、次第に建物の歴史性が魅力と評価されるようになり、人気となった。英国政府は、この成功を他の地区にも応用しようと政策に取り入れた。

同様の現象は、宗教建築(教会堂)でも応用された。信者の礼拝への出席率が下がり、用いられなくなった教会堂が増え、それが社会問題となった。教会堂建築は、都市・農村計画法の登録建造物(「教会堂の例外(ecclesiastical exception)」)に含まれなかったため、他の歴史的建造物とは異なったスキームが必要となった。英国の教会を管轄する英国国教会は、政府と協力しながら、用いられなくなった教会堂の活用の方法を模索し、さまざまな検討の結果、劇場、集会場、パブ等に用途変更をし、建造物を保存しながら、新たな用途で活用することを推進することにした。そして、その運用のために、教会堂保存トラスト(Churches Conservation Trust)を設置し、保存・修復の技術・資金的面などのハード面での援助に加え、最近では活用がソフト面でもうまく機能するように、運営手法等を指導する事業も実施している。

このように、英国では歴史的建造物の保存を義務づける一方で、さまざまな方面から積極的な活用を推進する政策で支援している。政策の首尾一貫性が感じられるとともに、経験に基づいたシステムには学ぶところが多い。

民間の支援システム

国や教会組織といった公的機関による歴史的建造物の保存・活用への支援以外にも、民間主導の支援システムのようなものもある。そのもっとも興味深い例が、英国の火災保険制度であろう。英国には登録建造物に特化した「ヘリテージ保険(Heritage Insurance)」の制度があり、これが保存・活用に少なからず、縁の下の力持ち的な役割を果たしている。英国では、個人の権利を保障する代わりに個人の責任を重視するため、己の財産はみずから守るのが当然という考えが主流であり、そのため火災保険が一般化している。一方で、登録建造物には、歴史性・文化性という付加価値があるとみなされるようになり、それは不動産価格にも反映されるようになった。そのため、この付加価値をも評価に加えた登録建造物に特化した保険が求められるようになった。そこで、英国国教会の教会堂建築のための互助会的役割を果たしていた教会保険会社(Ecclesiastical Insurance Office plc.)は、教会堂のために設定していた火災保険の対象を教会堂以外の登録建造物にも拡げ、ヘリテージ保険として商品化した。火災保険では、建造物の価値をあらかじめ試算し、それに見合った保険料を徴収し、もしも不慮の事故等で現状が損なわれたら補償をするのが原則である。登録建造物の価値は数量化することが難しいため、保険会社は具体的な金額をあらかじめ設定しておくのではなく、災害にあった場合、直前の状態に戻す工事の費用を補填することにしている。保険契約を結ぶ際、保険会社は対象建造物の価値を査定するために「サーヴェイヤー」を雇用するが、ヘリテージ保険の場合、その査定には歴史的建造物に関する専門的知識が必要となるため、専門のサーヴェイヤーがいる。ヘリテージ保険のサーヴェイヤーには、査定以外にも重要な業務がある。登録建造物が火災にあうと、文化財的価値は消滅するか、少なくとも低下することになるので、所有者にとって大きな損失になり、保険会社にとっても保険金を支払うことになるので、大きな支出になる。しかも、歴史的建造物の価値は、一度失われたら、もとに戻すことは困難である。そのため、サーヴェイヤーは他の物件に増して、登録建造物が損害を被ることを未然に防ぐための努力をする。サーヴェイヤーは、通例、担当の物件を定期的に検査し、さまざまな項目をチェックし、活用にあたっての危険度を判定する(リスク・アセスメント)。そこで、危険度が大きいと判断すると、所有者に警告し、所有者が警告に応じない場合には、保険料を増額させるなどの処置をとる。歴史的建造物の場合、日頃の用い方やメンテナンスの良否が災害の危険性や災害時の損失の大きさと密接に関係するという。たとえば、室内で火を用いると、火災の危険度は高くなるが、反対に、火災の危険度が高くなるということを所有者が意識していれば、万全の注意を払うようになり、結果的に火災は少なくなる。つまり、適切な維持・管理が、建造物が損傷を受けるリスクを軽減させ、保険金の支払が少なくなるといった結果につながる。そのため、サーヴェイヤーは常に、所有者に維持・管理上の指導を行い、損傷を未然に防ぐよう努力している。こうした専門技術者のアドバイスは、歴史的建造物を保存・活用するうえで、有効であるとみなされ、手間はかかるがこの手法は現在でも続けられている。

火災保険会社のサーヴェイヤーの指導の対象となる茅・煙突・電線の納まり(撮影:筆者)

他の法制度等との関係

歴史的建造物を保存し、活用していこうとすると、保存に関わる法制度以外にも、活用に関わる法制度にも従う必要がある。それぞれの法制度は、異なる目的、背景で制定されているため、それぞれの法制度の相互間で齟齬が生じる場合もある。特に、歴史的建造物といっても、活用をしようとすると建築としての安全性が求められる。しかし、安全の確保のための基準をクリアするのが困難なことも少なくない。歴史的建造物は過去の技術で建てられているため、現在の技術を前提とした安全性に関する法規制に則った手法をとることができず、それが歴史的建造物の保存・活用の障害になることさえある。これは、歴史的建造物の活用の際に避けては通れない問題であり、しかも、わが国ばかりの問題でもない。そこで歴史的建造物を保存・活用する際に解決しなければならない諸制度との関係を考察していく。

わが国の場合、第一に建築基準法との関係を検討する必要があるだろう。建築基準法では、国宝・重要文化財に指定された建造物には除外規定があるが、それ以外の建造物は、たとえ登録有形文化財であっても、伝統的建造物群保存地区内の伝統的建造物であっても、原則として建築基準法の規制を受ける。建築行為を行わない限り、既存不適格として、訴求して現行法規の規制を受けるわけではないため、そのままの状態を保っているうえでは、法的制約も受けない。しかし、歴史的建造物を積極的に活用しようとすると、建築基準法の規定が問題になる。かつては、この問題が解決できないことを理由に、取り壊しを主張する開発業者も存在したほどである。しかし、いわゆる「その他条例」(建築基準法第3条第1項:国土交通省「歴史的建築物の活用に向けた条例整備ガイドライン」参照のこと)の制度が導入されてからは、建築基準法上の規定に適合しなくても、別の方法で安全性を確保することが認められたため、大きく前進した。もちろん、条例を策定するには、行政の理解が不可欠であり、また、時間もかかるし、技術的困難もともなうことがあるので、すべてが一瞬で解決できるわけでないが、この問題を解決するひとつの道ができてきたことは確かである。また、消防法の規制も問題になることがあるが、消防庁は、さまざまなタイプの文化財や歴史的建造物を想定して、消防設備等の基準を定めるなど、歴史的建造物に特化した対応を検討しており、保存・活用に関して協力的である。

諸外国でも、この問題は生じている。英国の場合は、前述の「登録建造物に対する同意」の制度によって、個々のケースで、この問題を解決している。アメリカでは、日本の建築基準法にあたる規制等は、州が作成する建築コードで定められている。一般に、文化財建造物を既存建築のひとつとして扱い、州の歴史的建造物の特性に合わせた緩和規定が設けられているところが多い。なかにはカリフォルニア州のように歴史的建造物に特化した建築コードを策定しているところもある。また、ドイツでも建築検査官が強い権限をもち、歴史的建造物の安全対策に目を光らせる。この問題は、諸外国でも議論の的となっており、共通した解決策はないが、各国でそれぞれの事情に合わせた対応がなされている。

まとめ

本稿では、建築保存の先進国における保存を取り巻く法制度や諸システムの一部を紹介しながら、歴史的建造物の保存・活用と法制度の関係を考察してきた。歴史的建造物を活用しながら保存していくためには解決しなければならないことが多数存在するのは事実である。しかも、これらの問題は、個々の建造物の特有かつ特殊なものが多い。法制度は特殊なケースを想定していない場合が多く、これらの問題はひとつひとつの事例で解決していくことが求められる。一方で、社会全体が、歴史的建造物の保存・活用を重要とみなし、そうするのが当然となれば、法制度のみに限らず、さまざまな仕組みが形成されていくと思われる。実例が増えることで、保存・活用が推進できる法制度、社会背景がさらに整えられていくことを願いたい。■

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大橋竜太
建築討論

おおはし・りゅうた/1964年生まれ/博士(工学)/東京家政学院大学・教授/専門:建築史・建築保存/主な著書『リスボン 災害からの都市再生』(彰国社)・『ロンドン大火』(原書房)・『英国の建築保存と都市再生』(鹿島出版会)・『イングランド住宅史』(中央公論美術出版)