豊川斎赫編『丹下健三建築論集』『丹下健三都市論集』

時代に姿形を与えた言葉たち(評者:岸佑)

岸佑
建築討論
Dec 12, 2021

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丹下健三は、時代に形を与えた人物である。丹下にそれが可能だった理由は彼が建築について誰よりも深く広く考えてきたからであり、その深く広い思考は自らの内に留まることなく、言語化されてきた★1。丹下の言葉には、彼自身の思考だけでなく、彼が生きた時代を読み解く重要な手がかりが含まれている。その言葉たちの一端が、2冊の論集というかたちで、文庫として読めるようになった。そのことを喜びたい。1000円以下という価格は、学生でも手が届く。美味しいランチを食べたと思えば、敷居はぐっと下がる。

なんといっても表紙の写真が印象的だ。『建築論集』の表紙には窓際に立つ丹下の写真が使われている。斜め上を向く顔は光に照らされて、まるで自らの進む道が天から示されているかのようだ。建築の進むべき方向を見据えて、その高みを目指すがごとき姿は、「建築の化身と呼ばれた不世出の建築家」にふさわしい。『都市論集』の表紙には、都市を背負って真横を向いた丹下の写真が使われている。都市デザイナーとしての丹下は俯瞰でも仰視でもなく、文明の未来を見据えて「都市のグランドデザインを描く」が如く、水平の先をまなざしている。

採録された文章は、『建築論集』が戦中から1960年代までを、『都市論集』が終戦後から1980年代までをカバーする。2冊の論集には、よく知られた文章が収められた。「美しきもののみ機能的である」という有名なフレーズや、「東京計画1960」については、どこかで見聞きしているはずだ。多くの文章は1940年代後半から1960年前後に発表されたものである。この時期、丹下は広島ピースセンター(1949)から香川県庁舎(1958)、国立代々木競技場(1964)にいたる建築を手がけて、その世界的評価を確たるものにした。同時に丹下は、自らの関心が「1960年前後を境に(中略)建築から都市へ」移行した、と述べている★2。この2冊を通して私たちは、丹下が都市と建築を語る言葉から世界のタンゲになる過程を知ることができる。

改めて文章を読み返してみて、丹下弁証法と呼ばれる文章の展開に引き込まれた。例えば「現在日本において近代建築をいかに理解するか」(『建築論集』所収)では、次のように文章が展開する。日本における近代主義と社会主義の対立を示しそれを建築が統合する。建築は内部と外部に分かれ、それを空間が統合する。空間は機能と対立し、それを創造が統合する。創造の手段は機械と手に分かれ、それを表現が統合する。そして、創造と表現を美が統合する。このように議論は展開することで、美は機能より高次に位置付けられる。それゆえ「美しきもののみ機能的である」というフレーズが成立する。「技術と人間」(『都市論集』所収)でも、この弁証法は思考の型として言及されている★3。

弁証法の議論は、あれかこれかではなく、あれでもこれでもないと吟味しながら検討していく。そのため、別の考え方はないか、十分な吟味はなされたかをじっくり検討していくのに向いているとされる★4。アメリカ式のロジカル・シンキングが一般的となった現在からすると、丹下の文章は若干の読みにくさを伴うかもしれない。しかし、決定へのスピードや説得力が重視される現在において、最善の解を求めて熟慮する弁証法的な丹下の思考が言語化された一連の文章は、じっくり精読する価値がある。

1960年代までに世界的評価を確立し、日本の建築を世界的なレベルに引き上げた建築家の丹下健三。今回の2冊の論集の出版も、この評価を踏襲する。時代に形を与えた建築家という評価は、戦後日本という視点抜きには与えられない。1970年代以降の丹下は、世界中でプロジェクトを多く手がけ、日本国内のメインストリームからは外れていった★5。日本から離れた時期をどう評価して、歴史に位置付けていくのかは、いまなお課題のままだ。そう考えると、実は最も重要なピースがこの論集に含まれていないことに気づく。建築と都市をつなぐ存在感を持ち、近年の丹下健三ルネッサンスの中心となっている、国立代々木競技場に関する文章である。代々木競技場は今年(2021年)、重要文化財指定を受けた。世界文化遺産への登録を目指す動きもある。もし含まれたならば、『建築論集』と『都市論集』のどちらに入っていたのだろうか。

研究的な関心からすれば、『建築論集』には、伝統論争の頃の初出時の文章が納められており、その原文が手軽に参照できることも意義深い。彰国社から出た2冊の論集(『人間と建築』『建築と都市』)では丹下自身による編集が行われており、文章の比較も容易になった。とはいえ、半世紀以上前の文章である。使われている語彙なども含め、わかりやすい文章ではない。『都市論集』は、丹下研究室での議論や検討が盛り込まれているからか、比較的理解しやすいが、『建築論集』の文章群とりわけ前半部分は、抽象度の高い内容で、丹下の主張を一読で理解するのは難しい。それを補完するのが「編者解説」である。編者の豊川斎赫氏は、藤森照信氏による評伝とは異なる角度から新たな丹下像を切り拓いてきた研究者である。「群像」というキーワードで、後続世代が丹下健三から引き継いだものを論ずることで、丹下健三その人をいわば逆照射し、その影響の大きさを浮かび上がらせてきた。それぞれの文章のどの部分をどう解釈するとこの解説が導かれるのかが気になる読者は、編者の論文や著作に当たるのが良いだろう。

今回の岩波文庫化によって、丹下の言葉は歴史的価値をもつことになる。過去の思想をいまに伝える言葉と捉えるか、内に普遍的価値を抱えた言葉と捉えるかは読者しだいだが、編者の意図が後者であることは言を俟たない。丹下が残した言葉たちから、いま私たちが学ぶべきものとは何か、それを見出すのは私たちの役割でもある。

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★1:藤森照信「知られざる丹下健三」『新建築』2005年5月号

★2: 丹下健三「序」『人間と建築』彰国社、1970年。

★3:都市論集、94頁。

★4:「論理的思考」の落とし穴――フランスからみえる「論理」の多様性 https://synodos.jp/opinion/society/27360/ (2021年12月10日アクセス)

★5:「知られざる丹下健三――海外プロジェクト・都市計画を中心に」https://www.10plus1.jp/monthly/2013/09/issue1.php (2021年12月10日アクセス)

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岸佑
建築討論

きし・ゆう/1980年宮城県生まれ。近現代日本史・日本近現代建築思想。国際基督教大学アジア文化研究所研究員。共著として『建築家ヴォーリズの「夢」』(勉誠出版、2019年)などがある