〈都市への権利〉から〈土地の正義〉へ──土地所有権をめぐる潮流

木村浩之
建築討論
Published in
64 min readMay 3, 2021

連載【都市論の潮流はどこへ】/Series : Where the urban theory goes? / From Right to the City towards Justice of the Land: Recent Discourses on Property Right

Photo ©KIMURA Hiroyuki

目次

I 〈市場原理主義の景観〉

II〈住居への権利、都市への権利〉

III 〈 都市と土地の所有権〉

IV 〈コモンズの都市〉

V 〈人新世と土地の正義〉

VI 〈土地は義務を伴う〉?

I 〈市場原理主義の景観〉

公立の大学が大半を占めるヨーロッパでの建築教育界において、オランダにあるベルラーヘ学院はロンドンのAAスクールとならび、私立での建築教育でもっとも知名度の高いスクールだった (1)。両者ともに、名だたる教授陣をそろえ、リサーチや理論に重きを置きつつ、同時にデザイン力のある人材を排出していることで知られる。そのベルラーヘでは時の建築家らによるレクチャーの蓄積がオンラインアーカイブとして公開されている。そんななかで、2020年度におけるオンラインレクチャーシリーズのテーマは Architectures of Speculation (2) [投機的建築]という、デザインからは距離をおく異彩を放つものだった。西洋世界でもアングロサクソンほど市場原理主義が進んでいないと思われていた大陸ヨーロッパにおいて、それもデザイン中心主義の牙城のような場所においても、いよいよ新自由主義や資本主義という社会の枠組みにチャレンジする風潮が波及したのだなと思わせるものであった。
アメリカでは、ジェイン・ジェイコブズが1960年代のNYでデベロッパー企業に単身立ち向かう活動を取り上げた映画『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』Citizen Jane: Battle for the Cityが2016年に公開されるほか(日本では2018年公開)、オペラ A Marvelous Order [不思議な秩序](2016年初演)の題材として取り上げられたり、ジェイコブスを再評価する動きが突如として起こったりしていた。ロンドンでもロシア系やアラブ系の資本による超高層ビルの建設ラッシュ (3)を背景にDoes London Need a City Architect? [ロンドンにはマスターアーキテクトが必要なのではないか?] というイベントが開催されたりなど (4)、アングロサクソン圏では新自由主義が都市景観を変貌させていることへの異議申し立てが一足先に起こり始めていた印象がある (5)。上記ベルラーヘのレクチャーシリーズに感化され、あらためて建築界のなかで不動産や経済の仕組み、社会の枠組みをめぐる議論を追いかけてみたところ、2010年代前半から多少の活動が見受けられるものの、2018年以降に爆発的に増えているという印象を受けた。それも土地所有権などという、より突っ込んだ議論が多数起こっていることが特徴的に思えた。この記事では、大陸ヨーロッパ、主にドイツ語圏の建築界で起こっているその辺りの議論を2015頃まで遡って紹介していくことにする。

〈土地〉という根源的な問い

国内でも、2021年3月27日に国会で成立した「土地基本法等の一部を改正する法律」が、この記事の執筆中の2021年4月1日に施行されたことで、〈土地〉というキーワードが盛んに議論されはじめている。それ以前からも所有者不明土地問題が政府レベルの抽象的課題としてだけでなく、一般市民の実生活にても実感されている現実問題として、メディアで多く取り上げられており、土地という単語を目にする頻度は高まっていたといえる。一方、土地基本方針は「土地政策の総合的な推進を図るための具体的施策」と目的を大きく掲げる上位概念でありながらも、実質は目下の問題の早急な回避目的という性質が強く、土地所有権という人類の文明社会における根源的な価値問題に関して真っ向から議論することを避けているきらいがある(6)。
国内の建築界でも不動産業という実質的に都市を造ってきたプレイヤーへの関心が近年急激に高まっており、多くの事例集や論考が出されている (7)。公園、ストリート、水辺、公開空地、マーケット、仮設、公共建築、などでの国内外の様々な画期的な取り組みの紹介も豊富に行われており、露出度の高いこれらの書籍は、広い対象読者に啓蒙的な役割を果たしているといえる。一方で、激励的な、マニュアル本的なつくりとなっており、参画に必要なツールの指南はあるものの、やはりその背景にある根本的な問題系へは触れようとしない傾向がある。
しかしながらそれらで取り上げられているタクティカル・アーバニズム、フード・トラック、仮設マーケット(表参道COMMUNE等)、パブリックハック、これらの都市に活気をもたらしている様々な新しい事象のすべてに共通するのが、土地との絡みだ。視点を変えてみてみれば、実はこれらはすべて共通して土地の所有権と利用権の仕組みにチャレンジし、ゆさぶりをかけ、あるいは侵犯することで共感の伴うある種の利益や価値を引き出すことに成功しているのだろう、というのが本稿での僕の見解だ。
本稿で取り上げる国外での潮流は、都市・建築の観点から、土地の所有や権利という難解そうな抽象概念に対して、何かしらの議論を挑もうとしていると感じられるものばかりである。これらは広くは資本主義と民主主義に対しての挑戦でもあるため、そうそう簡単には決着がつくものではない。それを前提に、その潮流を追ってみたいと思う。

「財産権は、義務をともなう」

ドイツの議論に入るまえに、1949年制定の現行のドイツの憲法(「ドイツ基本法」という)の所有権と住居権の概念について少し触れておかねばならない。
まずは所有権に関しては、Eigentum verpflichtet.というたった2語で構成された憲法中最短の文である第14条2項の冒頭で触れられている。「財産権は、義務をともなう」という意味だが (8)、目的語を伴わない奇妙な構文で (9)、”Noblesse oblige”〈高貴なるものは義務を負う〉という社会的責任を表現したフランス語起源の有名文句に通じるものがある。そして第14条2項は「その行使は、同時に公共の福祉に役立つものでなければならない」と続く (10)。ここでの決定的な意味合いは、財産権は、公共の福祉という義務と一体で成り立っており、それも「同時に」という恒常的な条件として強い形で明文化されているということである (11)。
そしてRecht auf Wohnen [住居権]という日本ではなじみのない権利がドイツにはある。そもそもは戦前の1919年制定のワイマール憲法に[…すべてのドイツ人は健康な住居を…補償される] (12)と制定されていたものだった。戦後になり1948年に出された世界人権宣言も住居(Housing)を権利として位置づけていたにも関わらず、1949年制定の現行ドイツ基本法にてはその規定は割愛されてしまい、その代わりに州レベルでの憲法において引き継がれることとなった 。実際に採択したのは一部の州でしかなかったが(13)、1950年のヨーロッパ人権条約のRight to home「住居の尊重を受ける権利」(第8条1項)として、加えて2000年公布の欧州連合基本権憲章にても同様にRight to social and housing assistance [社会扶助および住居扶助を受ける権利] (第34条3項)として規定されていることもあり、住居権は現在のドイツにおいて広く一般的に認識されている権利だといえよう (14)。

II〈住居への権利、都市への権利〉

2015年 展覧会+書籍: Wohnungsfrage [住宅問題プロジェクト] 、ベルリン

ベルリンの壁が崩壊した1989年に、旧西ベルリン圏の既存建築物を再利用してHaus der Kulturen der Welt (HKW) [世界文明センター] が設立された。レクチャー、展覧会、コンサート、パフォーマンス、研究、教育プログラム、出版物などを融合させた、多角的なアプローチを前提とした活動を行っている施設である。題材も現代美術から現代思想まで横断的なジャンルをカバーし、企画は単純な展覧会等ではなく、ミクストメディアの「プロジェクト」と位置づけている。
ここで2015年に開催されたのがWohnungsfrage [住宅問題] プロジェクトである。展覧会を中心に、7つのトークイベントと12冊のシリーズ書籍出版という大きな企画であった(15)。
タイトルになっているWohnungsfrageとは、1872年から1873年にかけてフリードリヒ・エンゲルスが発表したZur Wohnungsfrage(邦訳『住宅問題』、英訳 The Housing Question) (16)を直接的に連想させるものだ (17)。エンゲルスは、産業革命以降起こっている都市化と粗悪な住環境を、フランスのオスマン計画 (18)を引き合いに出しつつ、空間や公衆衛生の問題ではなく、社会構造の問題として捉えることを訴えた (19)。一方、エンゲルスから約150年後のHKWでのイベントが開催された2015年は、シリア等からのドイツへの大量難民流入が起こっていた頃だった (20)。それは、トマ・ピケティの『21世紀の資本論』(原著Le Capital au XXIe siècle , 2013)が出版され、新自由主義が助長し顕在化させた格差が、資本主義システムによる構造的な帰結であると証明された決定的な転換期と重なっていた。ドイツは、日本同様に少子高齢化が進行しつつも、EU圏等からの人口流入が多くあり (21)、緩やかな人口増を維持できているがゆえに日本ほどの空き家問題は存在しない (22)。しかしながら、ドイツでは21世紀に入ってから急激に広まったジェントリフィケーション及びその結果としての賃料上昇が、急激に進んでいた。ドイツはEU内で最低の持ち家率となっていることも影響を大きく受けやすい構造を生み出していた (23)。そこに追い打ちのように起こった人口流入と格差拡大は住宅難問題を浮き彫りにした。それは明らかに社会構造的な問題として認識され、エンゲルスが指摘した問題構成とまったく同じ状況の再発とも捉えられるものだった。それゆえ、150年前のエンゲルスを再読する意義が現在あるという意識が広がったのではないか。つまり住宅問題をその技術的問題に閉じ込めるのではなく、社会システムの問題として捉えなくてはいけないという認識だ。HKWでのプロジェクトは、そういった背景による企画であった。

Friedrich Engels, Zur Wohnungsfrage, mit Kommentaren von Reinhold Martin und Neil Smith, Spector Books, Leipzig, 2015. Photo ©KIMURA Hiroyuki

その表明とでもいわんばかりに、12冊の関連出版物のシリーズ第1巻は、エンゲルスの『住宅問題』の再版にあてられている(2015)。これはエンゲルスのドイツ語原文に加え、米コロンビア大学建築・都市・保存学科教授ラインホールド・マーティン(Reinhold Martin)と地理学者ニール・スミス(Neil Smith)による「住宅問題」関連レクチャーを解題として掲載している (24)。ジャック・デリダによるフッサール『幾何学の起源』への序説のような、序説が本論を量的に上回るほどものではないが、版権が切れ、インターネットでも無料で読める150年以上前の論考にいまあらためて解題を付し、さらにシリーズの第1巻として世に出すという態度には、強い意志が感じられる。なお、マーティンの解題は、監獄論を書いたミシェル・フーコーを引き合いに出しつつ、住宅論を監獄のような専門的な建築分野のひとつとすることに警笛を鳴らすものだ。集合住宅建築が建築タイポロジーの中でも特殊な位置にあるという認識でエンゲルスとつながっている。

Stefan Aue, Jesko Fezer, Martin Hager, Christian Hiller, Anne Kockelkorn, Reinhold Martin (eds), Housing after the Neoliberal Turn: International Case Studies, Spector Books, Leipzig, 2015. Photo ©KIMURA Hiroyuki

そのラインホールド・マーティンは、不動産関連の本の著者でもあるアメリカ人だが (25)、ドイツのHKWでのこのプロジェクトには深く関わっていたようで、同シリーズのHousing after the Neoliberal Turn: International Case Studies (2015)[新自由主義的後の住宅:国際的ケーススタディ]も共同編集している (26)。ここには「ATLAS: 新自由主義的住宅供給システム」という資料的なメインコンテンツのほか、アメリカ、ブラジル、インドネシア、パレスチナ、インドなどの状況を論じる7本の論考が所収されており、ドイツやEUとは異なる政治経済圏での状況を、いつくかの具体的事例を通して、その多様性の在り方を描き出している。上記の「ATLAS」では、時期を1968–81 / 1981–89 / 1989–2004 / 2002–15の4つに分け、33の集合住宅プロジェクトを取り上げている。一般によく知られたものから、建築界ではまったくなじみないものまで、また巨大開発から緊急仮設シェルターまで、さらに北米、ヨーロッパだけでなく、旧ソ連、アジア、南米、中東、アフリカなど地球上のほぼ全大陸をカバーする、多種多様なプロジェクト群となっている。通常同じ土俵で比較されることのないこれら事例が、オーナー、コスト、プロジェクト・ファイナンス、所有形態など、建築界では通常外的要因とされる事項を中心にした記述で再評価され並置されることで、新しい「地図帳=ATLAS」を提示しようと試みられている。
HKWでの住宅問題プロジェクトの展覧会は、オンラインで見られる写真以外に知りようがないが、等寸大でアパート風内装に見立てた体感的な展示手法は、観者に〈その場にいる〉という臨場感をかもし出し、問題の内側に引き込む意味があったのだろうと考えられる (27)。その内容は、現在進行中で喫緊の課題ある住宅難に関してだが、それに対し即効性のあるとりあえずの解法を示すのではなく、問題をあくまで問いとして捉えるという姿勢のものだ。150年前のエンゲルスも書いたのは〈問題Problem〉ではなく、〈問い Question=独Frage〉であった。マニュアルではなく、クレームでもなく、問いの提示としてのこの展覧会は、エンゲルスと住宅を通して、より根源的な問題を扱っているといえるだろう。
住宅難とは、すなわち住宅権が脅かされているということである。持ち家率が低いというドイツ的状況は、他人の土地の所有権が自分の住宅権に直接的に関与する。このプロジェクトは、住宅難の原因を短絡的に住宅政策などに帰するのではなく、多角的に深堀りしていく。住居権の再検証、すなわち各人が持つ都市への権利という問題を、福祉、法律、投資、社会、空間などの観点の複合問題として捉えようとしている。

James Graham, Alissa Anderson, Caitlin Blanchfield, Jordan Carver, Jacob Moore, and Isabelle Kirkham-Lewitt (eds), And now: Architecture Against a Developer Presidency (Essays on the Occasion of Trump’s Inauguration), Columbia University Press, New York, 2017. 本文では紹介していないが、ラインホールド・マーティンも在籍するコロンビア大学の出版界から出された建築界からの不動産に関する書籍。註25参照。Photo ©KIMURA Hiroyuki

III 〈 都市と土地の所有権〉

2018年 展覧会: The Architecture of the Common Ground [コモン・グラウンドの建築展]、ヴェネチア

The Architecture of the Common Ground / Luxembourg Pavilion at the 16th International Architecture
Exhibition of La Biennale di Venezia.
© LUCA Luxembourg Center for Architecture / Alberto Sinigaglia — OpFot
The Architecture of the Common Ground / Luxembourg Pavilion at the 16th International Architecture
Exhibition of La Biennale di Venezia.
© LUCA Luxembourg Center for Architecture / Alberto Sinigaglia — OpFot

2018年の第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展でのルクセンブルク館は、The Architecture of the Common Ground [コモン・グラウンドの建築]と題されていた (28)。この展示は、ヨーロッパの小国であるルクセンブルクの公共 (29)の土地が売却により減少し続け、建設可能地のなかにおける公共所有地の割合が8%まで下がってしまった惨状を訴えるものだった。ルクセンブルクといえば、世界一高い一人当たりGDPを誇る国で、王室の政策により農工中心の産業体制をファイナンス中心の体制へと強引なまでに移行させてきた過去がある。住宅価格、賃料の上昇も激しく、賃料の全国平均は、平米単価で23ユーロにもなるという。これは、日本では首都圏のマンション賃料平均単価にほぼ等しく、千葉県や埼玉県平均の倍以上に相当する価格だ。それがルクセンブルク全国平均となっているということになる (30)。一方で、ルクセンブルクのたった1%の住民が国土の4分の1の土地を占有するほど富の集中が起こっており、また土地ポートフォリオに乏しい政府にも期待できないとなると、安価な賃貸物件を望む一般市民にとってもはや絶望的な状況だ。低所得者用集合住宅としてヨーロッパでは広く採用されているコーポラティブ方式の集合住宅はもはや入り込む余地は一切ない。したがって新規提供される住宅は、ほぼすべてがディベロッパーによる分譲住宅・マンションであるという厳しい現状が、ルクセンブルク館の展示コンセプトのベースとなっている。
建築家でルクセンブルク大学教授 のフロリアン・ヘルトヴェック(Florian Hertweck)とルクセンブルク建築センターのアンドレア・ルムフ(Andrea Rumpf)が共同キュレーションした展示空間は、1:33スケールの大きな建築模型が、展示空間面積の92%を埋め尽くし、通路部分は8%のみという高密感あふれる展示で、ルクセンブルクの現状を象徴的に、また体感的に示したものであった。一方の建築物模型は、ピロティなどにより地面レベルが市民に供されている近代建築史上著名な高層高密プロジェクトで、ルクセンブルクとは関連はない。ただそれらによって、世界中から建築的な知見を集結したとしても、建築的解決だけでは都市空間総体としては限界があることを示すものだった。タイトルのCommon Groundとは共通項といった意味合いの表現だが、ここでは、ルクセンブルクにおける問題の核心である〈共有の土地〉という文字通りの意味合いと、それが失われつつあるのは世界にはびこる新自由主義の結末であり、それはルクセンブルクだけの問題ではなく世界的な共通項だ、というメッセージが込められたものであろう。

2020(2018) 年 ARCH+誌: The Property Issue [土地所有権の論点特集]

ARCH+誌231号(2018年春)のThe Property Issue- Von der Bodenfrage und neuen Gemeingütern特集は、236号(2019年秋)のPosthuman Architecture特集と合併され英語版としてThe Property Issue — Politics of Space and Dataとして2000年に再版された(写真)。両号ともにArno Brandlhuer とOlaf Grawertがゲストエディターとなっている。表紙は土地論とは関係なく、もうひとつの特集であるデータやAIに関連するアルゴリズムで自動生成されたモンタージュ画像からとられている。Photo ©KIMURA Hiroyuki

ヘルトヴェックは、ビエンナーレ以前から同様のテーマに取り組んでいた。あるレクチャーによると、彼が土地所有の問題について考え始めたのは、The Dialogic City: Berlin wird Berlin [対話都市:ベルリンがベルリンになるために] (31)のためにリサーチを始めた2013年以来とのことだが、2015年になって出版されたその書籍の最終章は直接的に”Boden / Eigentum” [土地/所有]と題されるものだった。その共編著者のアルノ・ブランドルフーバー(Arno Brandlhuber)も、2017年のChicago Architecture Biennal [シカゴ建築バイエンナル]にてThe Property Drama [所有権ドラマ]という映像作品 (32)を、そしてルクセンブルク館での展示と同年の2018年には、ドイツの建築雑誌ARCH+の231号(2018年4月号)のゲストエディターとして”The Property Issue — Von der Bodenfrage und neuen Gemeingütern[土地所有権の論点-土地問題と新しいコモンズから]”という土地所有権を正面から扱った特集号を共同編集している (33)。短いインタビューではあるが、ドイツの元建設大臣、元法務大臣ハンス=ヨッヘン・フォーゲル(Hans-Jochen Vogel)へのブランドルフーバーによるインタビューが掲載されているのは貴重である。インタビュー時には高齢で病床にあったフォーゲル は(34)、1970年代から継続して土地問題を法制度側から訴え続けてきた、ドイツにおける土地問題の先駆者であった (35)。そこではフォーゲル が提案していた、非労働による地価上昇があった場合にその付加価値の一部は政府が受け取れるという、「財産権は、義務をともなう」という憲法原則を解釈した法案(不採択)などに至る経緯などが話されており興味深い。
ブランドルフーバーはEl Croquis誌からモノグラフィーを出すほどに設計実務もこなす。そのかたわら、ETHスイス連邦工科大学でのリサーチ結果として建築を取り巻く法体系に関しての書籍 (36)も数冊出版するなど、広範な活動を行っている。彼の最新イベントは2020年のベルリンでの21世紀の都市の在り方を問う展覧会 (37)であるが、そこで彼が取り上げた主題は〈建築家という職能〉に関してであった。法体系、所有権、職能などと推移しているブランドルフーバーの切り口を俯瞰してみると、彼が継続して取り組んでいる大きなテーマは、都市と建築を規定する内的・外的要素の検証なのだと見えてくる。土地所有形式はおそらくそのなか一側面というドライな扱いだが、一貫して根源的問題系の洗いざらしのリサーチに努めており、安易に提案や提言などには向かわないストイックさがある。

2020年 書籍: The Question of Land [土地問題]

Florian Hertweck (ed.), Architecture on Common Ground: The Question of Land: Positions and Models, Lars Müller Publishers, Baden, 2020. Photo ©KIMURA Hiroyuki

一方のヘルトヴェックは、2018年のビエンナーレ後も継続して土地の資本的所有と公共性のはざまにある問題系を探求し続け、ビエンナーレの報告を含む同テーマの発展版のような形で出版したのがArchitecture on Common Ground: The Question of Land: Positions and Models(2020)である。
この書籍では、経済学者らによる理論的論考に加え、ドイツ、オランダ、スイス、イギリスなどにおける土地利用に関しての問題回避的な解釈のできるプロジェクト事例を多く取り上げている。所有権という法の定めに対する正面衝突を理論的には試みる一方で (=Positions)、現状の西洋的法体系の下でも、異なった考え方 (=Model) を導入することで一定の問題回避、状況改善が可能となっている事例をしっかり認識しようとするのがこの書籍の狙いである。
編著者は問題回避という表現は用いていないが、Modelとして挙げられたものは革命的な変革を要するようなものではなく、現状社会制度の枠組みの変更がなくても実行できるような(実際できている)方法が中心であり、実践的という意味で、ブランドルフーバーの活動と補完関係にあるといえよう。

IV 〈コモンズの都市〉

2019年 書籍 : Boden behalten — Stadt gestalten [ 土地を保持し、都市をデザインしよう]

Brigitta Gerber, Ulrich Kriese (eds), Boden behalten — Stadt gestalten, rüffer & rub, Basel, 2019. Photo ©KIMURA Hiroyuki

2016年2月28日に投票となったスイス・バーゼルでの市民投票では、ある市民立法法案が過半数可決となった。バーゼル市(バーゼル都市州)(38)が所有している土地の、民間への払下げを禁止する法案で、この法的効力のある市民投票の可決を受けて、バーゼル市は売却の代わりにすべての土地をランドリース(借地)する方向へと舵を切ることとなった。これらの背景にはヘルトヴェックらがルクセンブルクにて提起した問題、ブランドルフーバーらがベルリンにて提起した問題と同じく、新自由主義が顕著化させた格差の拡大や、都市の姿が資本の論理にて急激に変貌しつつあるという危機感がある。Boden behalten — Stadt Gestalten [土地を保持し、都市をデザインしよう](2019)は、この法案がバーゼルにおいて2度の市民投票(2012年不採択、2016年採択)にかけられたいきさつや、その展開などの一連の動きのドキュメンテーション (39)に加え、法案可決を契機にさらに深まり広まった諸論点にあわせて、さらに主にドイツ語圏での関連の動きをまとめ、2019に出版された書籍だ。書籍のタイトルはこの市民イニシアティブ(市民発議立法)の名称から取られている。スイスでの持ち家率は、ドイツとほぼ同等(やや下回る)の低いレベルにあるが、一方で非常に広まっているのが、コーポラティヴ方式の集合住宅だ。コーポラティヴの詳しい説明は本稿では避けるが、区分所有ではない総有方式の合同所有権などにより成り立っているもので、ある広告では「賃貸と持ち家の中間の第三の道」と謳っている (40)。ゲルマン的概念のゲノッセンシャフト(共同体)形式と呼ばれ、入居の際には敷金の代わりに「持ち分」を支払うことになる。建設時のメンバーでなくても、メンバーには出入りがあり後からの参加も可能となっている。スイス中でも最も盛んといわれるチューリヒ市では、総住宅戸数のうち27%がゲノッセンシャフト集合住宅であると言われる (41)。ここまで盛んな背景には、連邦憲法にて、連邦政府は非営利の住宅非営利の住宅団体及び組織の活動を促進するという項目が定められおり (42)、ゲノッセンシャフト集合住宅は公的支援を受けることができることがある。その支援は建設費支援などの一時金などの他、ランドリースで行政が土地を提供しているケースも多い (43)。さらにランドリースに特化した慈善財団がスイスには複数存在し、財団が各々のゲノッセンシャフト団体に土地を低価格でリースすることで総事業費を下げる方法も多くとられている (44)。このように、スイスでは土地の所有権が居住形式と賃料に直結するという意識が強くあり、行政の土地の払い下ろしに対して敏感になったと言える。なお、日本での住宅供給公社も価格面だけでなく空間性、快適性で近年健闘しているように見受けられるが、スイスではゲノッセンシャフト集合住宅は多くの場合、建築デザインは設計コンペにかけられている。若手建築家の登竜門的なビルディングタイポロジーとなっており、建築的、内部空間的のみならず、コミュニティデザイン等の観点からも好事例が多く存在する。自分たちがマネジメントするということもあり、公共住宅のような紋切り型のものではなく、個性のあるものが多くつくられやすい状況となっている。市民が小さな共同体となることで都市をつくる担い手になっている、とも捉えられる現象である。
この書籍に論考を寄せている多数の著者のうち本業で建築に携わる者は一部でしかないため、本稿での紹介には適さないかもしれないが、次に紹介するArchitekturzentrum Wien [ウィーン建築センター] (45)での展覧会の視点と重なる部分も多く、こうした論調の広がりを示すという意味で加えた。

2020年 展覧会: Boden für Alle [みんなの土地展]、ウイーン

Angelika Fitz, Karoline Mayer, Katharina Ritter, Architekturzentrum Wien (eds), Boden für Alle, Park Books, Zurich, 2020. Photo ©KIMURA Hiroyuki

Boden für Alle [みんなの土地](2020)は、2020年11月から2021年5月までウィーン建築センターで開催されている展覧会である (46)。オーストリアの状況を中心に、ドイツやスイスでの事例を加えたドイツ語圏にスポットを充てた内容となっている。ウィーンは、1930年代の「赤いウィーン」時代に大量に供給された集合住宅がいまだに多く残り、愛され、都市の景観にアイデンティティを与えている。Karl-Marx-Hof(設計カール・エーン、竣工1930年)などはその代表例だ。展覧会構成は、手元にある展覧会カタログ(47)による情報に限られるが、視認性の高いインフォグラフィックを全面的に採用し、多くの非専門家にも訴えるプレゼンテーション方法を探っている。共同キュレーターのひとりであるカロリーン・マイヤー(Karoline Mayer)による論考も, ”Die Ware Boden … oder warum Boden kein Joghurt ist” [商品としての土地、あるいはなぜ土地はヨーグルトではないのか]など、敷居を下げ間口を広げたものが多い (48)。続く論考はサスキア・サッセンによる”The City: A Collective Good? [都市 — 共有物?]”というタイトルのもので (49)、これは初出2017年の学術誌に掲載された論文であるにも関わらずタイトルに強いステートメント性があるものだ。それを再録して掲載するほど、この展覧会にとって「共有物」という概念が根幹にかかわるものであったことを示している。
この展覧会は、土地という切り口を通して、本来 都市環境をつくっていくべきなのは、ディベロッパーではなく、建築家でもなく、市民総意こそがその主体であり、同時に市民総体こそがその価値を享受する主体でもあるはずなのに、現状は必ずしもそうなっていない、と訴えている。そしてその訴える先は、ディベロッパーではなく、建築家でもなく、市民だ。なお、 ウィーン建築センターは、ウィーン市で美術館や博物館が戦略的に集められた文化発信エリアであるミュージアムクォーター内にあり、一般市民にも訪れやすい恵まれた立地となっている。

2015年 dérive誌: Henri Lefebvre und das Recht auf Stadt [アンリ・ルフェーブルと都市への権利特集]
2019 年 dérive誌: Wohnungsfrage [住宅問題特集]

“Henri Lefebvre und das Recht auf Stadt”, dérive No.60, Jul-Sep 2015. 15周年記念号という位置づけである。Photo ©KIMURA Hiroyuki
“Wohnungsfrage”, dérive №77, Oct-Dec 2019. 表紙の写真に掲げられているスローガンは「再公有化せよ!不動産投機に異議を唱える賃借人運動。抗議は有意義だ。」Photo ©KIMURA Hiroyuki

オーストリアが出たついでに、同国発行の都市社会学系の雑誌dériveにも触れておく。毎号ひとつのテーマだけでまとめた60ページ程度の薄くモノクロ印刷の季刊の雑誌だ。2000年の刊行以来、紙媒体で発行を現在も継続し続けており、最新号は82号まで至っている。雑誌タイトルにはZeitschrift für Stadtforschung [都市研究誌] と説明的な副題が付されているが、その名の通り、都市で発生し、都市をとりまく諸事象をテーマとして取り上げており、計画者やデザイナー視点の雑誌ではない。民主主義の特集など、都市建築系雑誌ではなかなか取り上げないテーマに果敢に取り組んでおり興味深い。また、地元コミュニティFMラジオ局に月1回(毎月第1火曜日)に30分間の番組枠「都市研究ラジオ」を持っていたり、さらにはurbanize!というイベントを年1回ペースでウィーンにて開催したりしている。urbanize!第10回目となる2019年のテーマは、Alle Tage Wohnungsfrage [終日住宅問題を問う]で、10月中旬の5日間で開催された (50)。雑誌の方も連動して2019年10-12月号が同タイトルの特集号となり、さらにいままで出版された関連記事を1冊に再編集した特別号Beiträge zur Wohnungsfrage [住宅問題記事集]も同時に出された。

本稿の主題と関連する本雑誌の過去の特集号としては、2015年7–9月号の15周年記念号にて「アンリ・ルフェーブルと〈都市への権利〉Henri Lefebvre und das Recht auf Stadt 」という特集を組んでいる。 アンリ・ルフェーブルのLe Droit à la ville(英訳The Right to the City、独訳Das Recht auf Stadt、邦訳『都市への権利』、原著1968年)は周知のごとく、戦後都市論の最重要書のひとつである。デヴィッド・ハーヴェイのRebel Cities: From the Right to the City to the Urban Revolution(2012)(邦訳『反乱する都市 資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』2013年)でも〈都市への権利〉Right to the City という表現が(批評的に)副題に引用されていたが、邦訳タイトルはルフェーブルの参照をあえて避けるような意訳的なものであったので、意識されなかった方も多かったかもしれない。このdérive誌でも「[発行時の2015年の]数年前からルフェーブル解釈の第三波が起きている」 (51)という状況があったとしており、ハーヴェイの著書を意識したものと思われる。まさにハーヴェイは、エンゲルスが『住宅問題』で引き合いに出したオスマン計画をやはり引き合いに出すなど、本稿で取り上げている論点に重なる部分が多い。実際、上掲2020年HKWでの『住宅問題』プロジェクト関連でもハーヴェイへの言及は数多くある(52)。

Mary Dellenbaugh, et al (eds), Urban Commons: Moving Beyond State and Market, Birkhäuser, Basel, 2018(2015) [アーバン・コモンズ:国家とマーケットを超えて] *本文では触れていないが近いテーマの書籍として参考まであげておく。
Massimo De Angelis, On the Commons and the Trasformation to Postcapitalism, 2017. Guido Ruivenkamp, Andy Hilton (eds), Perspectives on Commoning: Autonomist Principles and Practices, 2017. Stavros Stavriades, The City as Commons, 2020. コモンズ関連の書籍は多く出ているが、これらはロンドンのZED BOOKSから出ているIn Commonと題されたシリーズ。シリーズエディターはThe Commonerというオンラインジャーナル創立者であるイーストロンドン大学教授のMassimo De Angelis。右の『コモンズとしての都市』の著者Stavros Stavriadesは建築家である。本文では触れていないが、近しいテーマの書籍としてあげておく。Photo ©KIMURA Hiroyuki

V 〈人新世と土地の正義〉

2020年 展覧会: Die Bodenfrage [土地問題展]、ベルリン

Stefan Rettich, Sabine Tastel (eds), Die Bodenfrage: Klima, Ökonomie, Gemeinwohl, Jovis Verlag, Berlin, 2020. Photo ©KIMURA Hiroyuki

エンゲルスのWohnungsfrage (53)とよく似た語法のタイトルBodenfrageとはThe Question of Land [土地問題]の意である。そういうタイトルの展覧会がベルリンで開催された (54)。同年2020年に出されたヘルトヴェックの書籍(既出)の副題The Question of Landとまったく同じだ(独語版の副題ではやはりBodenfrage)。
本稿ですでに紹介した論考や展覧会とこの展覧会との最大の違いは、その副題Klima, Ökonomie, Gemeinwohl [気候、経済、公共の利益]に示されているように、気候の論点が展開されていることにある。展覧会同様カタログである書籍も、副題になっている3つのチャプター及び論考で構成されている。「気候」セクションでは、酸素を生産し、食料を生産するのも土地であるという当然のことを地球全体で再検証する視点などの12の項目に分けてポイントの提示を行っている。土地という概念が、人間の権利と関わる都市空間における領域にて検証されてきたのが、いままでの議論であるとするなら、この展覧会では、その領域を地球全体の土地へと広げたとも言えよう。
「経済」セクションは10の項目にて、不動産投機などの論点などに関してまとめ、「公共の利益」セクションでは、土地所有とその利用など、すでに本稿で論じてきた論点で全体をまとめるような視点を提示している。元来は展覧会ということもあって、カタログ書籍はグラフやイラストを用いた視覚的に訴える手法をとっているが、展示方法はシンプルだったウイーンのものに比べさらに簡素なものとなっており、より「気候変動」を強く意識したつくりとなっているといえよう。なお制作はカッセル大学都市計画学科が行っている。
ここで提示された論点は、これまでの人権と商品性の葛藤としての土地問題を、あらためて気候正義的観点から再検証すると、これだけ違ったパースペクティヴが見えてくるということを示している。

2020 年展覧会: Countryside [カントリーサイド展]、ニューヨーク)

AMO/Rem Koolhaas, ed, Countryside, A Report, Taschen, Köln, 2020 Photo ©KIMURA Hiroyuki

人間の社会的活動の外にある領域に関しては、建築も都市もないがしろにしてきた歴史がある。我々建築や都市に関わる者は、土地という概念を考えたときに、開発地、敷地と直ちに翻訳してしまうように刷り込まれてしまっている。しかしながら増え続ける都市人口を支えている建材や衣料の原材料、農産物や畜産物は、建築や都市計画とほぼ関わりのないエリアで、しばしば国境を超えて生産されている現実がある。そこでは化学肥料による環境汚染や地下水の過剰なくみ上げ等に起因する砂漠化が多発し生物多様性危機を生み出していることが様々なメディアでレポートされているが (55)、これもすべて土地に関わる問題だということは忘れがちだ。これらを都市部の土地と並列で議論しようとするのが、土地問題展での気候正義的な立場だと言える。息をするだけで、服をまとっているだけで、食事するだけで、地球上の誰かが所有しているどこかの土地の経済活動の享受を受け、そして結果として場合によってはプラネタリーヘルスを害しているかもしれないのだ。
都市、建築的なパースペクティブで、あらためて都市的領域以外の領域に注目したのがCountryside, the Future [カントリーサイド、未来]展だ。グッゲンハイム美術館での開催に合わせて出版されたAMO/Rem Koolhaas, Countryside, A Report, 2020 [カントリーサイド、現状報告]は、展覧会カタログというよりは補足的なリーダーとしての性格が強い。都市領域以外の土地に未来の可能性を見出そうという未来志向があった展覧会に比べ、書籍の方は、現状の郊外での諸問題の列記という性質になっている。フォーマットは小型だが351ページの分厚い存在感のある本に、フクシマの人間不在の都市、ゴリラの保護地域、ハイテク農業など様々な地域、用途、目的の17のトピックが所収されている。土地問題展が、データを駆使した一般論だとすると、こちらは具体的ケーススタディといったアプローチだ。そこではコールハースらしく、ショッキングなまでに想像を超える広がりと奥行きがあり、簡潔にまとめてしまうことへの難しさがあるが、本稿の文脈に引き寄せて言うならば、すべては土地と深く関連している、ということだ。Countrysideという領域をテーマにしているため、すべてが土地に関わりがあるというのは当たり前過ぎる評であるが、翻って考えると気候変動や土地というとっつきにくいテーマを、〈田舎〉という親しみ伴うイメージにすり替えてアプローチするというコールハースならではの華麗なプレゼンテーションであると言えよう (56)。

VI 〈土地は義務を伴う〉?

Heribert Prantl, Eigentum Verpfchlitet, Süddeutsche Zeitung Edition, München, 2019. 本文中では紹介していないが、「財産権は、義務をともなう」という憲法条文自体をめぐって複数の著書が出版されている。これはこの条文をそのまま引用した直接的なタイトルに加え[満たされてない基本法]という副題が付されている通り、所有権をめぐってさらなる可能性を切り開くべきであるという立場を示している。著者はドイツの名門新聞紙「南ドイツ新聞」の元編集長。Photo ©KIMURA Hiroyuki

以上、主にドイツ語圏を中心に、いくつかの事例を俯瞰して見てきた。これらは、たまたま手に取った書籍でもあり、そもそも網羅的なリストを意図したものではまったくない。ただ、本稿で取り上げた展覧会のうち、2020年に開催されたものが4件もあったことは偶然ではないと思う。他の書籍等も2019年や2020年に集中している。土地に関する議論が近年確実に高まってきていることが実感できる。
土地は、個人の生涯所得と比較して極めて高価なものであり、(ヨーグルトとの比較にもあったように)商品としても特異なものである。さらには、土地本来の機能を離れ、投資目的のみでの売買が多くなされているなど複雑な対象物だ。それゆえに、土地と論じる際には、税金や法律などそのフレームワークや手法の議論に終始しがちなきらいがある。一方で、都市や農地や森林といった場が、人間にとって、そして地球にとって、どのような場であるべきなのか、という議論があまりにも少なくはないだろうか。つまり、ある場所を、どういった人が(あるいは非人類が)、どのように使いたいのか、使えるのか、といった本来の目的論が欠けているように思えてならないのだ。だからこそ、公権私権の複雑な集合体としての都市空間をどうガバナンスするのか、と技術論が目的論としてすり替わってしまったのだと思う。そういった状況下では「不動産が実効支配する」(ラインホールド・マーティン)都市になるというのは当然の論理的帰結だ。そうであるなら、現代の都市問題に関してデヴェロッパーに矛先を向けるのではなく、都市・建築的問題、つまり我々の問題としてより真摯に受け止めなくてはいけないだろう。
本稿で見てきた試みは、空間を公・共・私・生物多様性の利益の集合体としてみようとするものだ。ピケティの「r>g」的な一方向的な経済成長主義ではなく、バランスのとれた循環的な持続社会との親和性が高いように思える。そういった社会への変革には、都市建築ヴィジョンだけでなく、やはり公権私権もいままでと異なった形に変化をしていかなくてはならないだろうとも思う。
「財産権は、義務をともなう」というドイツ基本法の法文を冒頭にて紹介した。その義務とは何なのだろうか。これから全体最適の空間を作っていくためには所有物を〈意のままにできる〉という強い権利にどのような調停が必要となっていくのだろうか (57)。さらに転じて、自由権を制限できる公共の福祉とは、どういったものを指し、どういう基準と方法で制限を課すことができるのであろうか(58)。タクティカル・アーバニズムのように、法律のループホールに可能性を見出して活動するようなクリエイティブ層にとっては、制度のお膳立ては反生産的かもしれない。しかしながら長期的な視点で全体最適の社会とその空間をめざすためには、制度設計のための幅広い層での熟議とコンセンサスが必要になるだろう。
いずれにしてもまず現在の我々に求められているのは、制度設計に先立って、どういった空間が望ましいのか、都市、建築側からそのヴィジョンをしっかりと示すことだ。さもないと、再び制度が目的論化するルートを反復してしまうことになるだろう。

表記法に関する注釈

非英語の引用やなじみのうすいと思われる固有名詞が多いため若干変則的な表記法を採った。
地名や組織名などの固有名詞で、日本国内にてあまり浸透していないと判断したものには原語に並べて筆者訳を[ ] で示した。
書籍名、映画タイトル等に関しては、翻訳が出ている場合は、原語に続き流通している邦訳を『』にて併記とした。翻訳が出ていない場合(確認できなかった場合を含む)、および展覧会等基本的に国内流通のないものに関しては、原語表記の後ろに[ ] にて筆者訳を記した。敢えてこのような方法を取ったのは、タイトルには重層的意味合いのものが多く、翻訳の出ていないものに関しては安易に訳を固定できないし、また翻訳が出ていても原語タイトルのニュアンスを即座に参照できるようにすべきと考えたからである。文脈上の強調等のため、原語と訳語の順番が上記と異なる場合がある。
法令の用語や条文に関しては、定訳が見つかったものに関しては訳を「」にて原語の後ろに併記し、それ以外のものは筆者試訳を[ ] で原文の後ろに付した。
[ ] のものは、2度目の言及時には [ ] は外して表記した。

[1] ベルラーヘ学院は2012年以降デルフト大学建築学科に吸収合併され、公立化している。

[2] すべてアーカイブで無料閲覧できる。https://theberlage.nl/archive/tag:Sessions

[3] 建築物の高さで欧州トップとなったロンドンのザ・シャード(310m、2012年竣工)の所収者はカタール国のコンソーシアムだ。レンゾ・ピアノ設計の特徴的な形状で、ロンドンのスカイラインを大きく変化させた。特徴的な意匠の高層ビルの建設が続いていたなかで、ザ・シャードがその中東系オーナーという情報ともに市民に与えたインパクトは大きい。

[4] https://www.architecturefoundation.org.uk/events/does-london-need-a-city-architect ロンドンのアーキテクチャー・ファウンデーション にて開催された2016年6月6日のシンポジウム。紹介文にて「世界の多くの主要都市と異なり、ロンドンにはマスターアーキテクトが不在だ」としている通り、都市の在り方をリードしていく立場のポジションが設定されていないことが、市場原理主義のみでロンドンの街並みが変貌している理由なのではないかを問おうとするものだ。なお、確認等の受動的業務のみを行う日本の建築主事とはまったくスコープが異なる役職である。

[5] 1979年にイギリス首相に就いたマーガレット・サッチャーによるサッチャリズムと、1981年アメリカ大統領に就任したレーガンによるレーガノミックスが新自由主義を牽引したこともあり、イギリス、アメリカが大陸ヨーロッパ諸国よりも顕著な傾向があった。

[6] 五十嵐敬喜らの現代総有論をはじめ、一部ではもちろん深い議論を重ね、様々な提言が行われている。http://www.soyuken.jpn.org/index.html

[7] 類書が毎月のように多数出版されている印象があるが、Open A、公共R不動産などの枠組みで実験的な活動を活発に行っている馬場正尊ら編著の『CREATIVE LOCAL エリアリノベーション海外編』(2017)が、本論に重なる示唆的な事例を数多く載せている例として紹介しておく。

[8] http://www.fitweb.or.jp/%7Enkgw/dgg/ および文化庁 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/kokusai/h26_03/pdf/shiryo3_2.pdf

[9] 用語としても現代的な用法ではないニュアンスが伴っている。Eigentumは日常的には財産、所有物の意味が強く、訳文のように〈財産権〉と権利の意味を全面に出すときは通常であればEigentumsrechtと表現する。したがってこの文章は「財産は、義務を伴う」というような、物体が人称格を得て義務を負っているような奇妙な意味合いを彷彿とさせる。さらにはドイツ語母国語者いわく、verpflichten(英oblige)も現代ではこのような目的語を伴わない使い方はしないという。なお英語ではProperty entails obligations. と目的語を伴った3語文に訳されている。

[10] Sein Gebrauch soll zugleich dem Wohle der Allgemeinheit dienen. 訳は上記註8より。

[11] 日本国憲法では、第3章に財産権の定めがある。
第二十九条 / 1.財産権は、これを侵してはならない。/ 2.財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。/ 3.私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
このように日本では「公共のために用ひることができる」としつつも、それは義務ではなく補償を前提としたものであり、「侵してはならない」という大前提に対して公共性はあくまでも条件付きでしか介入するものでしかない。

[12] 訳は筆者による。文章の全体は以下の通り。Art. 155. Die Verteilung und Nutzung des Bodens wird von Staats wegen in einer Weise überwacht, die Mißbrauch verhütet und dem Ziele zustrebt, jedem Deutschen eine gesunde Wohnung und allen deutschen Familien, besonders den kinderreichen, eine ihren Bedürfnissen entsprechende Wohn- und Wirtschaftsheimstätte zu sichern.

[13] 連邦国家のドイツでは、州にも憲法がある。ミュンヘンのあるバイエルン州では州憲法Art. 106(1) にJeder Bewohner Bayerns hat Anspruch auf eine angemessene Wohnung. [バイエルンのすべての住人は適切な住居を得る資格がある](筆者訳)という条文があり、またそのほか複数の州で住居権とされている類似の条文がある。以下のリンクにまとめられている。https://www.bundestag.de/resource/blob/651544/50f6cb8ef28a8b472f0fa00add53d78a/WD-3-120-19-pdf-data.pdf

なお、戦後の憲法から住居権が割愛される一方で、財産権に義務を課すとした背景には、第二次世界大戦時に多くの不動産がナチスにより不当に略奪され、結果として戦後には大量の所有者不在不動産が出ていたため、健全化のためには相当の調整必要性が想定されていたことによる、とする説もあるようだ。

[14] 日本では〈日照権〉という、明文化されていないながらも一般に流布した概念がある。

[15] 展覧会は2015年10月から12月の会期で、ベルリンにあるHKWで開催された。キュレーションはJesko Fezer, Nikolaus Hirsch, Wilfried Kuehn, Hila Pelegの4名。
https://www.hkw.de/de/programm/projekte/2015/wohnungsfrage/ausstellung_wohnungsfrage/wohnungsfrage_ausstellung.php

[16] 岩波文庫等で邦訳がある。原著の初出は、マルクス、エンゲルスが編集にも関与していたというDer Volksstaat [人民国家]というドイツ社会民主労働党の機関紙である。1872年から1873年の7回に分けての連載であった。

[17] ただ、Wohnungsfrageという表現は、1840年代以降、都市高密化により発生していたドイツ国内の住宅難を指す意味合いで一般的に用いられている用語であり、必ずしもエンゲルスの独自のものではない。Clemens Zimmermann, Von der Wohnungsfrage zur Wohnungspolitik:Die Reformbewegung in Deutschland 1845 -1914, Göttingen, 1991 [クレメンス・ツィマーマン『住宅問題から住宅政策へ:ドイツにおける変革運動1845–1914』]に詳しい。

[18] オスマンは1853年から1870年のセーヌ県知事だった期間に、大規模なパリ都市改造を行った。劣悪だった衛生向上のため、相当な数の解体、立ち退きを含み、結果として住宅難を引き起こした。一方で新たに建設された「オスマン風」高級住宅は、パリの不動産業を発展させた。エンゲルスの文章はこの直後にあたる。既出のベルラーヘ学院の不動産レクチャーシリーズにて”Selling Paris”というレクチャーがあり、また同タイトルで本も出ている。Alexia M. Yates, Selling Paris: Property and Commercial Culture in the Fin-de-siècle Capital, Harvard University Press, 2015 [アレクシア・イエイツ『パリの売却:世紀末の首都における土地と商文化』]

[19] エンゲルスがこれを書いた1872年は、前年にビスマルク憲法が制定されたばかりの時だ。日本の明治憲法が参考にしたというその帝国憲法にはまだ住居権や所有権という概念はなかったものの、エンゲルスの文章には権利や所有権という単語が頻出している。

[20] 難民は2010年度頃から急激に増え始め、2015年は単年度で47万人と前年度の倍以上に越え、さらに翌年には75万人となる、爆発的なピークを向かえてる時だった。 https://www.bamf.de/DE/Startseite/startseite_node.html ドイツ連邦移民難民庁の統計より。

[21] 自由移動を認めるシェンゲン協定を締結しているため。ブレグジットが起きた理由のひとつはイギリスへのEUからの人口流入と難民流入だった。

[22] ドイツでの空き家率は、1998年に7.5%だったものが20年後の2018年でも8.2%と0.7ポイントの確かな増加はあるものの大きな数字には至っていない。ドイツ統計局 https://www.destatis.de/DE/Themen/Gesellschaft-Umwelt/Wohnen/Tabellen/unbewohnte-wohnungen-nach-bundeslaendern.html?nn=211992
なお、日本では1998年にすでに11.5%、2018年に13.6%と同一期間で2.1ポイント増えている。総務省統計局。

[23] ドイツでの持ち家率は、42%である。https://www.tagesschau.de/wirtschaft/verbraucher/ immobilien-wohneigentumsquote-eigenheim-101.html なお、日本は持ち家率約80%とドイツより大幅に高いが、スペイン、イタリアなども同等の高さで、日本が先進国の中でとびぬけて単独で高いわけではない。イギリス、フランスは6割台と日本とドイツの中間である。

[24] ニール・スミスはデイヴィッド・ハーヴェイの指導の元で博士号を取得したジェントリフィケーションの専門家。2012年2月、Association of American Geograohersの年次会議の折にニューヨークにて開催されたThe Housing Question Revisited というシンポジウムでの講演を再録したものだ。まさにこのシンポジウムもエンゲルスを再読するという趣旨のもので、本稿で紹介しているドイツでの展覧会に数年先立っての開催となっている。なおスミスは同年9月に若くして急逝している。https://vimeo.com/38981359

[25] 2015年に The Art of Inequality: Architecture, Housing, and Real Estate: A Provisional Report, The Temple Hoyne Buell Center for the Study of American Architecture, 2015という書籍がコロンビア大学の都市建築・都市・保存学科教授のラインホールド・マーティン(Reinhold Martin) らを中心に編纂されている。タイトルにあるように、都市や住環境に格差が広がっていることが主題だが、「要は、不動産が実効支配しているということだ。(Simply put, real estate governs.)」というマーティンの強烈な一文が全体の論調を言い表しているように思える。なお、この本は不動産学と不動産学科の歴史年表など貴重な資料性もある。コロンビア大学不動産学科では2016年にPublic-Private Partnerships in NYC: A Real Estate Symposiumを開催している。PPPやPFIは日本でも頻繁に聞く用語で決して珍しくはない。PPPの文脈では、プロジェクトスキームやオペレーション的側面に焦点が充てられるが、そもそもPPPの根底には、土地の提供が公共側によってなされることが通常となっていることを、この文脈では強調しなくてはならない。シンポジウムの第一部は、2016年時点で最新の注目プロジェクトだったハイラインに充てられている。

[26] スイス連邦工科大学のリサーチャーAnne Kockelkorn と共同編集。

[27] https://www.hkw.de/de/app/mediathek/gallery/wohnungsfrage

[28] 総合ディレクターはアイルランドのグラフトン・アーキテクツで、総合テーマはFreespace [フリースペース]だった。なお、デイヴィッド・チッパーフィールドが総合ディレクターを努めた2012年(第13回)の総合テーマがCommon Ground [コモン・グラウンド]だった。

[29] ルクセンブルク大公国は君主制のため、公共土地には王室所有土地も含まれる

[30] https://www.mlit.go.jp/common/001011169.pdf

[31] Arno Brandlhuber, Florian Hertweck, Thomas Mayfried (eds.) ,Walther König, 2015

[32] ブランドルフーバーのスタジオの教員メンバーにも名を連ねているクリストファー・ロート(Christopher Roth)との合同制作。http://www.christopherroth.org/the-property-drama/ なお、Biennal「バイエンナル」はイタリア語のBiennaleビエンナーレと同義の英語である。世界中の同様の芸術祭でBiennaleというイタリア語が流用されているなかで、シカゴでは意識的にeのつかない英語版Biennalを採用しているということである。したがって筆者訳でも、日本語にても通称となっている「ビエンナーレ」ではなく英語読みをベースにした「バイエンナル」とした。https://carocommunications.com/chicago-architecture-biennial-not-biennale/

[33] 建築ライターであるオラフ・グラヴェルト(Olaf Grawert) と共同編集。同号はすでに絶版となっているようだが、ARCH+ 236 Posthuman Architecture特集号と合冊となった英語版として2020年に再版されている。

[34] 2020年7月没。インタビュー後まもなくして亡くなっていたということになる。2015年以降パーキンソン病を負っていた。https://www.faz.net/aktuell/politik/inland/frueherer-spd-chef-hans-jochen-vogel-ist-tot-16876954.html

[35] インタビューでは、ハイネマン政権下でのフォーゲルによる土地権改正案をまとめた記事などが紹介されている。Hans-Jochen Vogel, “Bodenrechtsreform. Ein Modellfall für gesellschaftliche Reformprozesse”, in Heinrich Böll, et al. (eds.), Anstoss und Ermutigung. Gustav W. Heinemann Bundespräsident 1969–1974 (Frankfurt: Suhrkamp, 1974), 21. [ハンス=ヨッヘン・フォーゲル、「社会改革プロセスのモデルケースとしての土地権改正」、ハインリッヒ・ボル他(編)『衝動と激励:連邦大統領グスタフ・ハイネマン1969-1974』所収、1974年]

[36] 2016年、ARCH+225号(2016年9月号)のゲストエディターとして出版したLegislating Architecture [法制定を建築する]という特集号では、東京を含む世界中の数多くのケーススタディとともに、いくつかの論考や対談などを通して、「法的規制を、建築家が外部からの障害と捉えるのではなく、積極的な手段、本質的なデザインツールとして活用できるようにするにはどうすればよいか」を問うた。そして同年出版したLegislating Architecture Schweiz [スイス版法制定を建築する]では、一部の論考、対談を再録しつつ、話をスイスに限り、スイスでの直接民主制で市民発議によってできた建築関連法案を、歴史を遡ってビジュアルにプレゼンテーションした、365ページの資料集となっている。また同タイトルで映像作品も制作している(Christopher Roth と合同制作、2018年)。Roth との合同制作では、2016年にやはり同様のタイトルを冠したシリーズでLegislating Architecture Venezia [ヴェネチア版法制定を建築する]という映像作品を第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展にて発表していた。

[37] Akademie der Künste [ベルリン芸術アカデミー] における展覧会urbainable — stadthaltig. Positionen zur europäischen Stadt für das 21. Jahrhundert [持続的都市:21世紀ヨーロッパ都市の在り方] 。会期は2020年9月から11月だったが、COVID-19の影響で2か月半だった会期を5週間縮めて閉会したという。なお、ドイツ語正書法に反して小文字で始められたタイトルurbainable — stadthaltigは”Urban”と”Sustainable”, および”Stadt”(都市の意のドイツ語)と”Nachhaltig”(Sustainableの意のドイツ語)をかけ合わせた造語で、両単語は、英、独で同じ意味をさすものと思われる。持続的な都市への変革は、既存のボキャブラリーでは到達できないだろう、という意味が込められているのだろうか。同タイトルのカタログも出版されている(2020年)。https://www.adk.de/en/programme/?we_objectID=61799

[38] バーゼルは、州に相当するバーゼル都市カントン(Kanton Basel-Stadt)内にバーゼル市を含む市町村が3しか含まれておらず、人口でもバーゼル市が州の人口の9割を占めるため、市と州の行政を同一公共団体が担っている特区のような体制となっている。したがって実質的にバーゼル市=バーゼル都市州と考えて良い。

[39] バーゼルでは2005年に土地の大規模な払下げが行われたことをきっかけに、その是非をめぐって議論が巻き起こった。その展開として2011年に市民イニシアティブが行われ、2012年に投票にかけられた。それは否決に終わったが、2016年の2度目の投票において67%の賛成という圧勝可決に至っている。

[40] Schweizerische Verband der Immobilienwirtschaft (SVIT)[スイス不動産業協会] https://www.svit.ch/sites/default/files/2018-09/2018-09-03_SVIT%20def_01.pdf

[41] 同上

[42] スイスもドイツ同様連邦国であり、国レベルでの連邦憲法と、州レベル(カントン)のカントン憲法が共存する。ここで引いた条項は連邦憲法の第108条1項である。Der Bund fördert den Wohnungsbau, den Erwerb von Wohnungs- und Haus­eigentum, das dem Eigenbedarf Privater dient, sowie die Tätigkeit von Trägern und Organisationen des gemeinnützigen Wohnungsbaus. [連邦政府は、住宅の建設、個人の私的使用のための住宅の取得及び住宅の所有、並びに非営利の住宅団体及び組織の活動を促進する。]。また、[低価格住宅を推進する連邦法(住宅推進法)]も定められている。 https://www.fedlex.admin.ch/eli/cc/2003/423/de

[43] バーゼル市のErlenmatt[エルレンマット]地区では、土地所有者である行政の指揮の元でディベロッパーがエリア開発し、建築用地を複数のゲノッセンシャフトにランドリースする形式で行われた。エネルギー観点でも実験的な取り組みを行っている。https://www.planungsamt.bs.ch/arealentwicklung/erlenmatt.html

[44] バーゼル市のクリストフ・メリアン財団(Christoph Merian Stiftung)など。https://www.cms-basel.ch/

[45] 実態は展示イベントが中心で、「ウイーン建築博物館」と意訳される場合もある。

[46] 会期は2020年12月から2021年7月まで。https://www.azw.at/de/termin/boden-fuer-alle/

[47] Angelika Fitz, Karoline Mayer, Katharina Ritter , Architekturzentrum Wien (eds.), Boden für Alle, 2020. Park Booksというスイスの出版社から出されている。

[48] 上記カタログ所収。土地とヨーグルトの比較は、元はスイスの国会議員のJacquline Badranのインタビューからだという。https://tageswoche.ch

[49] 上記カタログにはドイツ語訳が所収されている。初出はBrown Journal of World Affairs 23, №2, 2017 pp.119–126(カタログより)。著者のコロンビア大学教授のサスキア・サッセンは、グローバリゼーション関連の複数の著書が邦訳されている社会学者。

[50] https://2019.urbanize.at/ 平日5日間のイベントに、累計2700人の参加があり、ワークショップや展示、パフォーマンス、ツアー、フィルム上映などの他、レクチャーや座談会類は43本も開催されたと報告されている。

[51] 同号所収のChristian Schmid, “Die Theorie der Produktion des Raumes und ihre Anwendung” [空間生産理論とその応用]. スイス連邦工科大学教授の社会学者であるクリスチャン・シュミッドは、スイス連邦工科大学でジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンらが主宰していたInstitut Stadt der Gegenwart[現代都市研究所、通称Studio Basel](1999年創立-2018年解散)のリサーチャーも努めていた。なお、ルフェーブルの1970年の著書La révolution urbaine(邦訳『都市革命』)の再読を行ったUrban Revolution Now: Henri Lefebvre in Social Research and Architecture (共著、2014)を著していたり、シュミッドはルフェーブル関連の論考が多い。著作リストがETHのサイトに掲載されている。https://www.soziologie.arch.ethz.ch/wp-content/uploads/2019/09/christian_schmid_publications_lang_05-19-1.pdf

[52] 既出のラインホールド・マーティンの論考等。

[53] "Wohnungsfrage”を日本では『住宅問題』と訳してきた経緯がある。最初の邦訳がいつなのか調べられていないが、少なくとも1949年出版の大内兵衛訳の岩波文庫版は『住宅問題』とされており、その他の学術論文もこれに従っているようだ。この訳語に倣ってBodenfrageという展覧会のタイトルも「土地問題」という訳語を充てた。

[54] http://www.daz.de/de/die-bodenfrage/ 2020年9月から10月にかけてベルリンにあるDeutsche Architektur Zentrum (DAZ) [ドイツ建築センター]にて開催された展覧会。

[55] 日本の食料自給率(カロリーベース)は、38%と低い(農林水産省)。その中に含まれている飼料だけの自給率を採ってみると25%とさらに低い。家畜飼料に関する農薬規制は食料より低いとされており、環境汚染リスクが高い。なお、日本では綿衣料に用いられている綿は製品化・半製品化されているものも含めて100%輸入となるが、綿花栽培に用いられる農薬はさらに規制が低く、環境リスクが膨大だという。

[56] 国内でも「生産緑地2022年問題」が議論されているが、比較して考えると興味深い。

[57] 近年の所有権という概念をめぐる論考に鷲田清一「所有権について」(『群像』2020年4月号から2021年1月号まで連載)がある。

[58] コロナ禍で自由が国家により制限される事態が生じたことで、根源的な価値とめざすべき社会像について議論できる機運になってきているのではないだろうか。

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木村浩之
建築討論

1971年北海道生まれ Diener & Diener Architekten勤務の後、2017年より まちむらスタジオ ディレクター / 京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab 特任教授