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都市社会学者はアーバニストたりうるか?

連載【都市論の潮流はどこへ:「都市からまちへ」小特集01】/五十嵐泰正/Series : Where the urban theory goes? “From Metropolis to City” sub-feature 01 / Yasumasa Igarashi / Can a Sociologist be an Urbanist?

五十嵐泰正
Published in
Dec 5, 2021

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まちづくりの現場に都市社会学者の居場所はあるか

過去を振り返れば、1960年代後半にはコミュニティ政策を主導的に設計していた都市社会学者ではあるが、現在のまちづくりの現場ではきわめて影が薄い。無理もない。都市社会学者はあくまで観察者であり、都市の問題を解決する、あるいは都市の魅力を高める専門的な技術を、何も持っていないと自他ともに任じてきたのだから。

その結果、もともとは社会学分野が得意としていたはずのコミュニティに関わる領域でも、もっぱら都市計画や建築などの工学系の専門家が活躍し、理論的にも実践的にも知見を蓄積してきた。そういう年月を過ごしてきた都市社会学者は、観察対象たる都市を資本の力学や何やらで生成されたどこか所与のもののように捉えて、その力学を批判的に読み込むことに注力する一方で、それが自らを含む人の介入によって主体的に変えていけるものであることを得てして忘れがちだ。

そうした中で筆者は現在、東京の上野でまちづくりアドバイザーや台東区のまちづくり系の委員を務めている。その場に呼ばれるようになったのも、大学院生時代からかれこれ20年間上野を観察してきたという、ただそれだけの理由だろう。パース図一つ書けず、防災時の人流シミュレーションもできない自分がその場にいることに、いささか居心地が悪い思いを覚えながらのコミットメントである。ただ、その場で関わることが多い都市計画の専門家たちの目線に、一緒に仕事をすることが稀な社会学者に対しての、なにがしかの興味や期待を感じることもある。

五十嵐泰正『上野新論』せりか書房

それが何なのか言語化できず、長らく考えてきたが、一つのヒントになりそうな新書がつい先日出版された。上野でも話す機会の多い中島直人を中心に、一般社団法人アーバニストのメンバーたちが執筆した『アーバニスト――魅力ある都市の創生者たち』である。都市計画と都市社会学の双方に起源をもつアーバニズムおよびアーバニストという言葉が、近年バズワード化していることは多くの読者には周知のことであろうが、本書では、アーバニズムという言葉には、事実概念と規範概念の二側面があると明瞭かつシンプルに整理されている。すなわち、ルイス・ワース以来の都市社会学が「観察」の結果見出してきた、都市的生活様式という実態を表す側面と、クロード・フィッシャーの下位文化論を経てポジティブなものへと再評価された都市なるものを探求し、よりよい生活を実現するためのビジョンとして掲げる規範の側面である。

そのうえで中島は、アーバニストという言葉は都市計画の専門家のみならず、都市の生活を楽しんでいる人も意味することに注目し、この言葉が喚起する構想力に可能性を見出す。すなわち、都市を設計する専門知を持った人々と、都市で生活する人々が交じり合う「汽水域」で、それぞれのスキルを駆使しながら、個人として楽しみつつ自由に都市を形作っていくことが、都市を魅力的なものにしていく道筋であり、その「汽水域」で活躍する多様な人々を包摂的に指し示せる言葉、それこそがアーバニストだからだ。

アーバニストとしての都市社会学者の立ち位置

なるほど。こう転回してもらえれば、都市における実践の現場に、都市社会学者の居場所はあるのかもしれないと思えてくる。中島も整理するように、都市社会学は事実概念としてのアーバニズムのあり方を、観察・記述してきた伝統がある。その手法は計量的手法と質的手法に大別でき、後者は構造化されたインタビュー調査から参与観察までの幅はあるものの、いずれにせよ「聴く」ことをその基盤としている。

都市を楽しみながら主体的にコミットする多様な主体を、アーバニストとして位置づけ得ることがこの言葉を用いる意義だが、都市への言語化された志向性を持たぬまま、自らの生業や暮らしがいつの間にか都市の魅力の創出に資している、「自覚的でない」アーバニストも数多いることだろう。そして、都市に暮らす誰しもが元来それぞれの暮らしにかけては専門家であり、その営みには広く共有すべき都市への知が潜在しているかもしれない。

多様な都市の担い手それぞれのリアリティを理解しようと経験を積んできた社会学者は、おそらくそこに出番がある。さまざまな立場で都市に関わる言語化されていない人々の営みや思いを、それぞれの社会的文脈を把握しながら引き出して記述する。ここまでの作業は都市社会学における質的研究に相当するわけだが、そこからもう一歩、抽出した多様な思いや暗黙知をすりあわせて折り合える点を見つけ、その先にあるビジョンの提示にまで踏み込んでみる。そうなればもはや、都市の外在的な観察者として、「超越的な資本が暴力的に都市を形作る」なんてことを嘆いてみせる「敗北主義」に、微睡んではいられなくなる。

が、それは同時に、それぞれのやり方で都市の魅力を創出する人々と定義されるアーバニストの一員として、社会学者が「翻訳者」あるいは「媒介者」の役割で名を連ねることになるのではないか。ある領域で課題解決に実質的に寄与する貢献型専門知と、さまざまな専門家とのやり取りの中で会得される対話型専門知という風に、現代社会における知のあり方を整理したハリー・コリンズらの議論(Collins and Evans 2007=2020)を下敷きにすれば、社会学者は調査経験で培われたその対話能力をもって、街のさまざまな人の潜在的な思いや暗黙的な知を言語化・調整し、都市をデザインする貢献型専門知を持つ工学系の専門家に投げ返す役回りを担う、ということになるだろう。

H・コリンズ+R・エヴァンズ『専門知を再考する』名古屋大学出版会

それは平たく言えば、都市社会学者には最低限「この街をよく知っている」ことが要求されるということであり、田中大介が本特集で注目する若手・中堅都市社会学者の一連の「まち論」も、中島が都市計画領域のアーバニスト的転回と呼ぶ動向に対する、社会学サイドの必然的な反応だと言えそうだ。しかしこれは同時に、暗黙のローカルナレッジに片足を置く都市社会学者の対話型専門知は、フィールドごとにスペシフィックなものとなるがゆえに、かなり長期間特定の都市に関わることが必須だということでもある。普遍的な職能としてその貢献型専門知が確立され得る都市計画家のように、コンサルタントとして各地の現場を渡り歩いて生計を立てることは都市社会学者には非常に難しく、そうした意味でも社会学のバックグラウンドを持つ者の立ち位置は、生活者と計画者の「汽水域」に叢生するアーバニストの生態系の中でも、より生活者寄りとなることだろう。

都市への理想を掲げないアーバニスト

一方、規範概念としてのアーバニズムが称揚される現在だからこそ、観察者としての本質を持つ都市社会学者には、また違った角度からの役回りもあるのかもしれない。

公共空間や道路の利活用などの手法で都市を人々の手に取り戻し、居場所を創出していったアーバニズムを掲げる実践の蓄積は、国内でも年を追うごとに厚みを増し、中島らの前掲書をはじめ、『タクティカル・アーバニズム』(2021)、『PUBLIC HACK』(2019)、『プレイスメイキング』(2019)、『ストリートデザイン・マネジメント』(2019)など、それらの実践例を紹介する出版の盛り上がりも著しい。

行政の側も、たとえば国土交通省は、まちなかウォーカブル推進事業(2020~)、『ストリートデザインガイドライン』の策定(2021)など、道路を専ら通行にのみ供するものとしてして利活用を規制してきた明治期以来の方針を、一部転換することになる姿勢を打ち出し、こうした動向をバックアップする方向に舵を切りだした。さらに、コロナ禍で3密が警戒された2020年6月には、沿道飲食店による道路占用の特例緩和が打ち出され、「ほこみち」と名付けられた歩行者利便増進道路制度が、特例終了後の道路利活用の受け皿となる形で開始されている。

『ストリートデザインガイドライン』国土交通省

こうした実践の蓄積や政策的な転回を、個人的にはもちろん肯定的に捉えているが、まちづくりの現場を「観察」していると、いくつかの懸念を感じなくもない。まず、本来ボトムアップの創造的な動きであるはずのアーバニズムを掲げる実践が、公的な政策メニューの中で制度化された地位を与えられることで、ドグマ化していくことの功罪には敏感であるべきだろう。たとえば笹尾和宏(2019)は、公共空間の利活用が進むことでかえって窮屈で画一的な空間ができる逆説を指摘しているが、何らかの施策が政策的に採用された際には、地域特性を軽視したどこかの成功事例の安易な「横展開」が繰り返されるのが、この国の常であったのだから。

また、一連のバズワード化の中でも最も注目される連字符アーバニズムであるタクティカル・アーバニズムは、複雑な利害当事者の調整と合意形成にはあまりに時間がかかるので、機動的に変化に対応できるLQC(Lighter, Quicker, Cheaper)な試みから実績を作っていくことを目指すが、それは地域内に深刻な軋轢を生むリスクと裏腹なものでもある。特に、行政的・資本的裏付けを持った主体が、「タクティカル」を大義名分に合意形成を軽視したプロジェクトを行ってしまえば、外形的にはむしろ、住民主体のまちづくりを掲げる以前の、内発的とは程遠いトップダウン型の都市開発に近しいものに堕しかねない。

こうした潮流のただ中では、元来は観察者である都市社会学者にとっては、あくまでアーバニズムを事実概念と捉えてそのありようを分析し、規範概念としてアーバニズムを掲げることからは一定の距離を取る姿勢を堅持することもまた、一つの重要なポイントになってくるのではないだろうか。

都市社会学者がフィールドで出会う人々は、決して潜在的なアーバニストばかりではなく、反都市的な志向性を持つ人々も少なからず含まれることは言うまでもない。本稿で子細に論じることはしないが、集積性・流動性・多様性という都市を都市たらしめてきた要素をこそ直撃したCOVID-19パンデミックを経て、反都市的な志向性が中長期的にさらなる広がりを持つことも、蓋然性の高い未来であるだろうと推測される。

アーバニズムが制度化された形で導入されていくとき、それぞれの歴史と特性を備えた個別の都市と、そこで暮らす人々に何をもたらすのか。それは、どういった住民層に歓迎され、あるいは反発ないし黙殺されているのか。後者の人々は、どのようなそれぞれのリアリティから、アーバニズムの理念に否定的・無関心なスタンスを取っているのか。それならば、いかなる形で言語化されていない(反都市的なものも含めた)人々の思いや暗黙知と接続し、どのような言葉で参加を促していけば、外部からもたらされた成功事例の「横展開」を、より内発的・民主的なものに近づけていけるのか。

都市の理想を掲げることからあえていったん距離を取り、こうした観察と分析をいささか天邪鬼的な慎重さで継続していくことで、アーバニズムの実現を目指す横断的なプロジェクトに貢献することもまた、(都市社会学者もアーバニストたりうるのならば)「翻訳者」「媒介者」の役回りを担う者の仕事であり続けるように、筆者には思えてならない。

[文献]

Collins, Harry and Evans, Robert 2007 Rethinking Expertise. The University of Chicago Press. =2020 奥田太郎(監訳)和田滋・清水右郷(訳)『専門知を再考する』名古屋大学出版会。

出口敦・三浦詩乃・中野卓(編著) 2019『ストリートデザイン・マネジメント――公共空間を活用する制度・組織・プロセス』学芸出版社。

泉山塁威・田村康一郎・矢野拓洋・西田司・山崎嵩拓(編著) 2021『タクティカル・アーバニズム』学芸出版社。

中島直人・一般社団法人アーバニスト 2021『アーバニスト──魅力ある都市の創生者たち』筑摩書房。

笹尾和宏 2019『PUBLIC HACK――私的に自由にまちを使う』学芸出版社。

園田聡 2019『プレイスメイキング――アクティビティ・ファーストの都市デザイン』学芸出版社。

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五十嵐泰正

筑波大学人文社会系教授。都市社会学/地域社会学。学生時代からフィールドワークを進めてきた上野でまちづくりアドバイザーなど、地元の柏ではまちづくり団体や文化活動団体の代表を務めるほか、原発事故後の福島県の農水産業をめぐるコミ ュニケーションにも関わる。著書『上野新論』せりか書房、『原発事故と「食」 』中公新書など。