金澤周作著『チャリティの帝国──もうひとつのイギリス近現代史』、丸山登著『寄附文化とスピリチュアリティ 渋沢栄一と大原孫三郎の場合』

エコノミーの線分を引く(評者:長谷川新)

長谷川新
建築討論
Jan 10, 2022

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2021年に読んだ本のなかでも、小島庸平の『サラ金の歴史』(中公新書、2021年)は特に強く印象に残っている。じゃあそれを書評しろよということになるのだがしばしお付き合いいただきたい。サラ金各社の行なった非人道的な不法行為の数々は徹底的に批判されなければならないが、一方で、「サラ金が貧困者の「セイフティネット」になるという、実に荒涼とした光景」(p.313)がある、と著者は喝破する。サラ金は日本経済にとってなくてはならないものであったし、サラ金を求め、実際に利用した市井の人々がいるという事実から目を背けてはならない。本書は、サラ金と私たちの間の結び目を見据えるための、優れた基礎的研究資料の共有である。

他方で、気になっているニュースがある。NHKのクローズアップ現代でも報道されていたが、2020年の「投げ銭」市場の推計は500億円にのぼるという。たとえば、「スパチャ」と呼ばれる、YouTubeでライブ配信がなされる際にコメント欄の「自身のメッセージを目立たせる権利」を購入する行為がそれである。英語では「ギフティング」という。贈与である。しかし無論、これは純粋な贈与ではない。

ここで考えたいのは、ポスト資本主義的な話でも加速主義的な話でもない。リアリスティックな現実があり、それに対して慎ましくも理想的な対抗経済を提唱する、という相補的な対立の外側に足場を築くための手立てである。贈与をめぐる理想と現実の間の襞には、何重にもマスキングされ、何度も交雑が繰り返された、奇妙な「エコノミー」が蠢いている。

金澤周作『チャリティの帝国──もうひとつのイギリス近現代史』はタイトルの通りチャリティをめぐる議論に向けて、良き平面を与えてくれる。何よりもまず、本書はイギリス史についての一冊である。だが著者はそこで「チャリティ抜きのイギリス史はあり得ない。」(p.221)と大胆に提言をする。「本書は、チャリティという現象を軸にしてイギリス近現代史を描いてみることによって、新しいイギリス像を提供するとともに、日本に生きる私たちがチャリティ的なるものとの向き合い方を考え直すきっかけ」(p.vi)を創出しようと試みたものだ。世界史における他者救済の事例から、順に古代、中世、近代、現代へと移行しつつ、著者は次の3つの「チャリティ」の精神性を繰り返し検証する。すなわち、「困っている人に対して何かしたい」「困っているときに何かをしてもらえたら嬉しい」「自分の事ではなくとも困っている人が助けられている光景には心が和む」。

これらの感情の揺れは、それぞれの時代ごとに少しずつ変容しながら社会に定着していく。あくまでも神の愛の証の行為であった──つまりは聖なるものが独占していた──中世社会のチャリティは、「貧困を根絶する意図も力も社会的要請もなかった」が、「近世になると、統治権力の責任において、貧困は根絶とはいかぬまでも一定程度に管理されならなくな」る(p.22)。かくしてチャリティは、「聖」の要素を残存させつつも、行政による公的救済と、それを補う私的な慈善とに分離していく。「困っている人に対して何かしたい」「困っているときに何かをしてもらえたら嬉しい」「自分の事ではなくとも困っている人が助けられている光景には心が和む」──ただし、自分と同じ共同体の構成員に限る。──ただし、善良で、有用な弱者に限る。こうした排除と包括の運動の萌芽がチャリティをめぐって生じている。画期となる「チャリティ用役法」(1601年)からは、弱者の救済だけでなく「共同体のさらなる福利増進」のための公共的なインフラの整備も含意されていることがうかがえる(pp.30–31)。近代においては、自助(セルフ・ヘルプ)が繰り返し強調されていったが、そこでも、集団的な自助の仕組みたる互助組織が編成され、さらにそこからもあぶれてしまう人々のためにチャリティが機能した。こうしたなかで、エンターテイメント性を備えたチャリティも誕生している。

社会や共同体そのものを規定するような「福祉複合体」は現在に至るまでイギリスに深く根を這わせており、そうした土壌が、日本とイギリスの間に、寄付金額においても埋めがたい差を生んでいる。著者は「少なくとも明治以降、日本におけるチャリティ的なるものの役割が小さかったために、これが重要な社会制度であると認識できなかった」(p.vii)と述べている。

ここでもう一冊触れておきたい。丸山登『寄附文化とスピリチュアリティ 渋沢栄一と大原孫三郎の場合』である。本書は博士論文をベースとしたもので、書籍化に際しても論文の構成をほとんどそのままにしているためいささか特殊な形態ではあるが、「近代日本における寄附文化を渋沢栄一と大原孫三郎を対比させながら、欧米とは異なる独自性を探求する」(p.3)ことが目指されている。寄付行為への関心が著しく低い日本において、ふたりは例外的に寄付活動を積極的に展開してきた先駆的人物であるが、著者はここに、「徳川時代の生育過程で村落共同体の相互扶助の精神や倫理を学」(p.19)んだこと、とりわけ「モラル・エコノミー」と名指されるような「名主見習や庄屋という徳川時代における村落指導者としての役割」(p.262)の影響を見出している。両者の生い立ちを丹念に辿りながら、明治期の近代化の過程で単純に「欧米化」「キリスト教化」したとは言い難い両者の「フィランソロピー」の精神性を掘り下げようと試みているが、折しものコロナ禍によって調査が十分に遂行できなかったところもあるようだ。著者は上智大学の実践宗教学研究科においてこの博士論文を提出しており、タイトルにもある「スピリチュアリティ」への踏み込みは興味が尽きない。

日本国内においても寄付行為の税制変革が進んでいるが、そうした事態を云々することは本稿の目的ではない。考えたいのは、現状のシステムの中にある奇形化した手渡されと受け渡しであり、理想と現実の襞で蠢いているチャリティの崇高と猥雑であり、村の名主がフィランソロピストとなるに際しての翻訳の履歴である。そしてもうひとつ。『チャリティの帝国』の著者があとがきで書いているように、「チャリティ史研究で最も接近困難なのは、与え手ではなく受け手の経験の理解である。」(p.229)どこまでも具体的な話をするために、本書はいずれも得難い力を貸してくれる。

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書誌
著者:金澤周作
書名:チャリティの帝国──もうひとつのイギリス近現代史
出版社:岩波書店
出版年月:2021年5月

著者:丸山登
書名:寄附文化とスピリチュアリティ──渋沢栄一と大原孫三郎の場合──
出版社:東洋館出版社
出版年月:2021年9月

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長谷川新
建築討論

インディペンデントキュレーター。主な企画に「クロニクル、クロニクル!」(2016–2017年)、「不純物と免疫」(2017–2018年)、「STAYTUNE/D」(2019年)、「グランリバース」(2019年-)、「約束の凝集」(2020–2021年)など。国立民族学博物館共同研究員。robarting.com