雨宮処凛『祝祭の陰で 2020–2021:コロナ禍のと五輪の列島を歩く』

政治的経験としての東京2020(評者:葛沁芸)

葛沁芸
建築討論
Aug 5, 2023

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2021年に開催された東京五輪から既に2年が経ち、2025年に開催を控えた大阪万博まであと2年を切っている。

2020年代がこの2つの近代と進歩を象徴するイベントー五輪と万博が日本に再来した時代として今後描かれることになるのだとしたら、それはどのように捉えられ、再評価されることとなるのであろうか?

東京五輪を振り返るならば、ザハ・ハディドによる国立競技場コンペ案以来の一連の騒動がまず思い起こされ、それから五輪前とコロナ禍には建設費の高騰と建設資材の不足があったこと、パンデミックによる開催延期の決定、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体による新国立競技場の設計とその後の建設、未だ全容が解明されていない東京五輪にまつわる談合の問題…などが次々と脳裏に浮かんでくるかも知れない。

しかし、雨宮処凛氏による本書において描かれているのは、必ずしも新聞を賑わせたトピックだけではない。

本書は取材を元に構成されたルポタージュ集であるが、ここで描かれているのは日本の周縁部であり、五輪の舞台裏であり、あるいは東京五輪から阻害された場所に居る人々の姿であり、開催国にいても開催の実感を持つことが難しかったコロナ禍の東京五輪の姿を、インタビューを通じて間接的に浮かび上がらせている。

雨宮氏の丁寧な取材に基づき記述される「五輪の列島」としての日本の姿は、東京五輪に否応なく影響され、またこれをそれぞれに受け止める人々の姿の集合であるが、同時にテレビ中継やニュースからは見えてこなかった視点への気づきの連続でもある。

書籍の構成としては、新型コロナウイルスの流行によって日本が足を止めていた2020年の記事を第I部、その後五輪が敢行された2021年の記事を第II部として、合計31の章を時系列で2部に分けており、それにプロローグや座談会の記録が加えられている。通読すると2部がはっきりと分かれているというよりは、コロナ禍と東京五輪とが在り続けた2年間を連続して描き続けたという印象の方が強い。全ての章に触れることはできないが、建築・都市の視点からも興味深いトピックを扱っているものをいくつか紹介したい。

1943年に明治神宮外苑競技場において行われた「出陣学徒壮行会」に参加した松本茂雄氏へのインタビューに基づく3章は、現在の国立競技場が建つ場所が、戦後接収が解除されるまでは戦争と密接に関連した場所であったという歴史を思い出させてくれる以上に、戦時下の競技場におけるイベント/空間を体験した人が1964年の東京五輪をどのように体験し、また再びの東京五輪を迎えようとしているのか、その貴重な証言を伝えるものである★1。

また、首都近郊の会場として、サーフィン競技に使用された千葉県いすみ市の釣ヶ先海岸を取り上げた21章では、パンデミック下での五輪がいかに地域社会から切り離された状況で行われていたのか、「バブル方式」を実現するために設置されたビーチ沿いの二重のフェンスによる物理的隔離にも言及している。このようなフェンスによる封鎖が採用された会場は他にもあり、筆者も臨海埋立地にある海の森水上競技場周辺の歩道が一切侵入できないよう白く高いフェンスで封じられていた光景を覚えている。

都市の中の公共空間を扱ったものとしては、1章が五輪の開催のために明治公園を追い出された野宿者に、9章が公園の清掃や都有地の草刈りに従事する「輪番」を行うことで生計を立てていたホームレスの仕事がコロナと熱中症対策を理由として奪われ、更には住民登録がなければ特別定額給付金もまた受け取ることができないという、二重の困難な状況に置かれたホームレスに取材をしており、都下の公園にて起こっていることを報告している。

身体や障害について取り上げている10章、16章、30章、31章も興味深い。10章ではソーシャル・ディスタンスが全盲のランナーに大きな困難を齎したことに触れ、16章では遠隔操作ロボットOriHimeによるヴァーチャルな身体の拡張、30章ではフィジカルな身体の拡張として義肢装具を制作する会社に取材し、31章では大量殺傷事件の現場ともなったやまゆり園の関係者への取材を通じて、結果として障害者の祭典であるパラリンピックから排除されている知的障害者について取り上げている。

「オリンピックは、単にインターナショナルなスポーツ・イベントというだけではなく、さまざまな時代と社会において、その社会的編成のなかに組み込まれてきた」のであり、「各時代、各社会における重大な歴史的出来事として、様々な権力関係の網の目のなかでそれぞれ別個の意味作用を担ってきた」と身体文化論、スポーツ社会学を専門とする清水諭氏は述べているが★2、そうだとすればここでインタビューを通じて描き出されている彼/彼女らの経験もまた東京五輪の経験の一部であり、それらの経験が存在する空間にもオリンピックの「政治」が映し出されていると、考えることができるかもしれない。

そしてこの2020-21年の東京五輪とそれををめぐる政治においては、五輪延期の主因となったことからも明らかなように、パンデミックが五輪を超えて、より大きなファクターとして影響していたのであり、パンデミックと東京五輪とが重なり合いながら日本列島を覆っていた状況を描いた同書は、単にジャーナリズムを通じた同時代的記録として価値があるだけでなく、日本の周縁にまで及んだパンデミック下での東京五輪の政治的空間を捉えようとしている、とも言えるのではないか。

冒頭に記した問いに答えるものであると断言できなくとも、少なくとも2020年代と東京五輪を考える上で重要な一史料として、同書を位置付けることは可能であろう。

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★1 「出陣学徒壮行の地」と書かれた石碑は競技場建て替えに際してラグビー場に一時移設されていたが、2020年4月国立競技場内へと移設された。『祝祭の陰で 2020–2021』、12頁。

★2 清水諭「オリンピックと『政治的なるもの』」『オリンピック・スタディーズ』清水諭編、せりか書房、2004年、7頁。

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書誌
著者:雨宮処凛
書名:祝祭の陰で 2020–2021:コロナ禍のと五輪の列島を歩く
出版社:岩波書店
出版年月日:2022年3月

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葛沁芸
建築討論

かつ・しんげい/中国・蘇州出身。早稲田大学大学院修士課程修了。修士(建築学)。東京藝術大学教育研究助手。2.5 architects共同主宰。