建築討論
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「非常時」の都市収容とまちづくり

非常時に着目した都市収容

“防災マップとお地蔵さんの祠、いったいどういう関係があるのでしょうか?”

これは筆者が現在、防災まちづくりの取り組みをお手伝いしているある地域でワークショップを行った際、参加者の地域住民から寄せられた素朴な疑問の声である。本特集のテーマであるAccomodating(収容)という観点から都市を見るときに平時だけではなく非常時にも注視する必要がある。一方で、非常時のことを考える際にもまた、平時の都市の状況について想像力を働かせる必要がある。このような、平時と非常時を往還する視点が災害に真に強いまちをつくる上で欠かせない。しかし、自分にとって当たり前だと思っていた平時と非常時の結び付きが、他者にとってはそうではないということが往々にしてある。冒頭で紹介したのは、このことを筆者に気付かせてくれた住民の一言であった。このエピソードを紹介した真意についてはまた後で触れるとして、まずは本稿で筆者に与えられたテーマである「非常時に着目した都市収容」について見ていきたい。

非常時の収容施設にはまず、短期間の生活に供されるShelter(避難所)がある。現代の日本ではShelterが一から建設されることは少なく、学校や体育館などの公共建築がShelterとして利用される。また、中長期の居住に供されるTemporary Housing(仮設住宅)がある。日本で最初のTemporary Housingは関東大震災の際、同潤会によって供給された「仮住宅」であると言われる。仮設住宅については同潤会以降、応急仮設住宅(建設型のプレハブ建築)として制度化され、災害のたびに改善が重ねられてきた。特に近年、居住性が格段に良くなり、また、木造仮設や借上げ仮設、トレーラーハウスを活用した仮設住宅等、選択肢も増えてきている。一方で、避難所はどうかと言うと、残念ながら量・質ともにまだまだ改善の余地が大きい。そこで、避難所の問題を中心として、仮設住宅への移行の問題にも触れつつ、非常時の収容要求にどのように応えていくべきか考えていく。

「避難所」をめぐる問題

まず、量の問題について、行政が指定する避難所(指定避難所)の収容能力は大規模災害時には不足する可能性がかなり高いことが以前から指摘されている。東日本に大きな被害をもたらした、先の2019年台風19号でも避難所が満員となり住民が入れないという事態が起きた★1。また、指定避難所の建物が被害を受けて使えなくなるという事態も考えなければならない。阪神・淡路大震災の被災地では指定避難所以外の多くの建物やオープンスペースが予期せぬ形で避難所として活用された。さらに、公園等を外国人等が占有する「テント村」が現れるなど、行政が関与しないところでのインフォーマルな動きも見られた。このように、「避難所」とは、行政が予め準備した指定避難所ばかりではない。大規模災害時には都市の至るところが避難所となるのである。

つぎに、質の問題について、日本では避難所は「体育館の床の上に雑魚寝」という風景がいまだに一般的である。国際的な議論の場では、難民キャンプや災害時避難所などの極限的な状況であっても最低限の生活環境を求めるのは避難者の基本的な権利であるという考え方がある★2。日本でも自治体が避難所運営マニュアルの作成指針にこの考え方を取り入れたり、簡易式の間仕切りベッド等によって避難所の環境を改善する取り組みが拡がっているが、根本的な解決には至っていない。

とは言え、災害はいつ起きるか分からない。根本的な改善を待つよりも現状をベースとして対処していくことも考える必要がある。その時、重要なのは避難所の運営体制である。災害直後は行政による対応に限界があり、避難所のあり様は被災地住民の主体性に委ねられる。近年の大規模災害における好事例として、熊本学園大避難所★3や南三陸町志津川小避難所★4等が知られている。いずれも住民が避難所を主体的に運営することによって避難者の多様なニーズに応え、二次的な被害(避難所での心身の健康状態の悪化)を抑止している。また、避難所で被災者や支援者が協力しあう関係が醸成できれば、被災者はその後の生活再建においてもポジティブな気持ちで進むことができる。

避難所は誰のためのものか?

避難所とはもちろん、被災した人たちのためのものであるが、最近、特に気になっているのは避難所に来ない/来られない被災者の存在である。阪神・淡路大震災からの復興では「避難所→仮設住宅→復興住宅」という「単線型」の住宅再建プロセスに孤立のリスクが高い社会的弱者を集中させたことが批判を浴びた。しかし、当時から、壊れかけた自宅に残ったり、親戚・知人宅に身を寄せるなどして上述のプロセスに乗らない避難者は一定数いた。私が実際に見た事例では、東日本大震災の被災地で自宅の1階は津波で浸水したが、残った2階で電気も水も不通のまま避難生活を送る人たちがいた。ちなみに、その地域では在宅避難者に対しても避難所に入った人々と同様に救援物資の支給や炊き出しの提供等をボランティアが中心となって行っていた。

避難所に来ない/来られない理由は、避難所の過酷な生活環境に耐えられない、自営業で仕事の再開のため自宅を離れられない、ペットと離れたくない、身体に障害があり集団生活が難しい・・・等、様々である。近年の災害では、避難所を経由しない人たち(車中泊や借上げ仮設、在宅避難等)が増え、彼らは支援者側から見えづらく、孤立しやすいことが新たな問題となっている。今後ますます増加する単独世帯、高齢世帯にとって、避難所に来ない/来られないという状況(在宅避難)にはやむを得ない側面もある。

また、現状では平時の生活水準と非常時(避難所)の居住水準のギャップは大きい。この状態が今後も変わらなければ、避難所は被災者からますます敬遠されるであろう。その場合、避難所に入らざるを得ない人々は、無事に「収容」されたと言えるだろうか。むしろ、災後の社会から放逐(expulsion)された人々、ということにはならないだろうか★5。

このように、災害時に支援を必要とするのは、避難所に来る人たちだけではない。この当たり前の事実が災害後の極限的な状況下では意外と忘れられがちであり、被災者どうしの不幸な分断を生むことがある。このことを踏まえると、避難所の環境改善は急がれるし、物資や人材が集まる避難所には、避難して来た人や支援者が、避難所に来ない/来られない人々のことを気にかけ、支えるという拠点機能があって然るべきである。

京都における防災まちづくりの実践

ここ4年ほど、京都市内の街なかのある地域(下京区有隣学区)で、防災まちづくりの活動をお手伝いしている。京都市の密集市街地対策のスキームをベースに、3年がかりで「地域防災まちづくり計画」を策定するという取り組みである。学区の住民を構成員とする有隣学区まちづくり委員会が、行政や大学研究室(京都大学→京都府立大学前田研究室)、専門家と連携しながら防災まちあるきやワークショップを何度も重ねてきた。コーディネーターは密集市街地の再生やまちづくりに取り組む神戸の建築家・松原永季さん(スタヂオ・カタリスト)である。住民や関係者の努力の甲斐もあって、地域の特性を踏まえた骨太な計画が完成したと自負している。現在は計画の実行段階であり、住民の関心が特に高い、避難所運営のあり方について検討している。被災地支援の専門家(兵庫県立大学減災復興政策研究科・宮本匠さん、被災地NGO協働センター・頼政良太さん)を講師として招き、勉強会や避難所運営を疑似体験できるカードゲーム(避難所運営ゲームHUG)などを実施し、「有隣学区防災まちづくり計画」の理念を避難所運営の仕組みづくりに落とし込んでいる最中である。

このような取り組みの中で、まちづくり委員会を中心とするメンバーが大切にしていることは、計画や地図(図1)、マニュアル等の成果物と同等か、あるいはそれ以上に、計画の「プロセス」を重視するということである。計画の過程において行った様々な調査やまちあるき、ワークショップは、住民の参加と協力を常に得るという形で進め、そこで得られた知見は、その都度、地域にフィードバックしてきた。地域内の住民をなるべく多く巻き込むことで、防災に対する住民の当事者意識を育み、住民と地域の関わりを再構築することを意図したのであった。

図1 有隣学区防災まちづくりマップ:活動の成果の一つであり、避難集合場所や防災に必要な設備(消火器・消火栓・AED等)に加え、町家・路地・祠など、この地域の特徴を表す資源を記載している。マップは京都でオリジナル地図のオンラインプラットフォームの開発を手掛ける企業Strolyと連携することで、紙に印刷しものだけでなく、WEB上でも位置情報付きで閲覧できる。https://stroly.com/viewer/1526792598/

「不可視化」する人々とその不安、リスク

近年の災害においては被災者が見えづらく、孤立しやすいということを先に述べた。このことは実は、平時の地域においても同様であり、地域コミュニティの存続にとってもいまや見過ごせないリスクとなっている。これについて京都市を例に見ていく。

京都市の中心部(上京・中京・下京・東山の4区)の人口統計を見ると、1995年を転換点として人口は増加に転じ、推計によると今後も2030年代までは微増が続く。少子化、高齢化の進行も他の地域に比べるとまだ緩やかであり、一見すると地域にはまだ余力がありそうである。しかし、ここには大きな落とし穴がある。1995年以降に増加した人口の多くは実はマンション世帯である。マンション世帯(特に共働き世帯)は地域との関わりが総じて薄く、町内会への加入率も低い。また、近年の観光・宿泊施設の需要の急激な高まりを受け、街なかの多くの空き家・空き地は次々とホテルや民泊・ゲストハウスへと姿を変えていった。

京都の街なかの住人からは、「町内に子供はいるけれど誰が運営を担うかで揉めて地蔵盆ができなくなった」、「町内のゲストハウスの事業者は挨拶に来ないどころか連絡さえとれない」という声を耳にする。こういった、非定住者を含め、地域に「いる」はずの人々が見えづらい、すなわち「不可視化」することに伴う住民の不安は思った以上に大きい。そして、不可視化の先には、それまで当たり前のようにできていた行事や住民間のコミュニケーションができなくなるという事態がある。さらに、そのような事態はある日突然、顕在化する。京都の街なかでは室町時代・応仁の乱以後に成立した両側町を原型とする「町内」が今も地域自治の基礎単位である。街なかの「町内」の規模は30〜50世帯程度と小さい。そのため、マンション等の開発の規模や形式によっては従来の戸建て・長屋で暮らす住民とのバランスは容易に崩れてしまう。このように、不可視化のリスクは一様にではなく、開発事業などを契機として、局所的かつ不確実な形で地域に顕在化するのである。

非常時の都市収容から見たまちづくりの課題

非常時の都市収容の課題について、特に避難所を中心に見てきた。現状では、避難所の質は活用される建物の仕様や設備水準、そして地域の人々による避難所の運営体制に依るところが大きい。非常時に備え、行政が指定する避難所以外にも避難所として利用できそうな施設と地域が協定を結んでおく、建物のバリアフリー化や備蓄の点検・補充を行う、避難所運営の仕組みについて話し合っておくなど、平時からできる取り組みは沢山ある。一方で、平時からの備えはもちろん重要だが、非常時には必ずしもそれに囚われることなく、必ず起きる不測の事態にも臨機応変に対処することが必要である。

対処すべき課題の予測に限界がある以上、地域の「対応力」の醸成はとりわけ重要である。京都の場合、先述した「不可視化」のリスクの性質(局所的かつ不確実)を考えると、対応力の醸成は非常時に限らない、平時のまちづくりの課題でもある(このことはおそらく日本の他の多くの都市にも当てはまる)。このような課題は、近代の計画論の特徴である、どこかでうまくいった解決策を別の場所にも普遍的に適用する、というやり方では到底解決できない。その場その場で対処していくしかないのだ。この、「その場その場の対処」と「計画という行為」には現状では大きな隔たりがある。本稿は避難所の話題から出発したが、当事者とともに進める知見の収集と地域へのフィードバックの技法を計画のプロセスに含めるという発想は今後の都市や地域に係る計画論を切り拓く上でも議論を深めていきたい研究テーマである。

本稿の冒頭で触れた、京都の街なかでよく見かける小さな祠。目立たないが、祠は地域の人々にとってはシンボルであり、実は防災の上でも重要な拠点になっていることがある。非常時の町内の避難集合場所になっていたり、祠の脇の倉庫には掃除の道具と一緒に、防災グッズが保管されていたりする。このような、平時と非常時を紡ぐ場所は、形を変えながらどのような都市にでも本来あるはずである。しかし、地域にどっぷり浸かっている住民は、その存在の意義にはなかなか気がつきにくい。また、外から新しく来た人にとってはわかりにくい。「どういう関係があるんでしょうか?」と聞かれた時に言葉で説明するのは簡単である。しかし、言葉だけでは実は、伝わるようで伝わらない。当事者(住民)と一緒にまちを歩きながら確かめてみる(図2)。そのような、当事者との体験の積み重ねが価値の共有を生み、さらには、近代のパラダイムを乗り越えて計画論の未来を拓いていくと信じている。

図2 通りの活性化イベント「松原通(みち)の駅」における防災スケッチラリー:学区内を東西に通る松原通(かつての五条大路)の路上に一日限定で出店するイベントにおいて2018年から継続して実施している。親子連れが防災マップをヒントにラリーのスポットとなる消火器を愉しみながら探す様子が見られた。上:防災スケッチラリーのブースと参加した子どものスケッチ。下:スケッチを描く参加者

★1 東京23区と氾濫した多摩川沿いの市、あわせて37の自治体のうち35%にあたる13の自治体では、避難所が満員になったり駐車場が満車になったりして、住民を別の避難所に移動させる対応をとった(NHK “避難所 満員で入れず” 東京13自治体で,2019年10月29日)

★2 たび重なる災害や紛争の被災者、難民を支援する国際NGOや赤十字・赤新月が1998年に人道憲章と人道的対応に関する最低基準(Humanitarian Charter and Minimum Standards in Humanitarian Response)、通称スフィア基準(sphere standard)を定めて冊子にまとめた。日本でも2016年4月、内閣府が避難所運営ガイドラインの中で参考にすべき国際基準としてスフィア基準を紹介し、徳島県等の一部の自治体では実際にスフィア基準を盛り込んだ形で避難所運営マニュアル作成指針を改定している。

★3 熊本地震直後、大学内の施設を自主的に開放し、障害者やペット連れを含む最大750名以上の避難者を受け入れ、教職員や学生が協力しながら避難所を運営したことで全国的に注目を集めた(熊本学園大学「平成28年熊本地震 大学避難所45日 障がい者を受け入れた熊本学園大学震災避難所運営の記録」熊本日日新聞社,2017)

★4 東日本大震災において壊滅的な津波被害を受けた南三陸町・志津川地区で1000人以上が避難し、被災者自ら避難所の自治会を立ち上げ、避難所を自主運営した(志津川小学校避難所自治会記録保存プロジェクト実行委員会「南三陸発! 志津川小学校避難所 ―59日間の物語 未来へのメッセージ」明石書店,2017)

★5 都市社会学者サスキア・サッセンは、現代の資本主義の一つの特徴として国家の領土内におけるシステムの末端(edge)の増殖であるとしている。この末端においては、経済、社会や生物圏など様々なシステムからの放逐(expulsion)が生じており、末端の外側にあるものは概念的にも分析的にも不可視化し把握できなくなるとしている(サスキア・サッセン 著,伊藤茂 訳「グローバル資本主義と〈放逐〉の論理 ―不可視化されゆく人々と空間」明石書店,2017)。

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前田昌弘

前田昌弘

まえだまさひろ/1980年奈良県生まれ。京都府立大学生命環境科学研究科・准教授。建築計画、住まい・まちづくり、防災・減災学。博士(工学)。著書に『津波被災と再定住―コミュニティのレジリエンスを支える』(単著,京都大学学術出版会,2016年)、『建築フィールドワークの系譜』(共著,昭和堂,2018年)など。

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