09「批判的プラグマティズム」──当代中国建筑家的処世術,但是…
[201907 特集:これからの建築と社会の関係性を考えるためのキーワード11 |Key Terms and Further Readings for Reexamining the Architects’ Identities Today]
近年、中国の社会変化が目まぐるしい。特に都市はその勢いを体現して大量の建築が作られている。建築家にとって絶好の機会であると同時に多くの課題も抱えている。この時代において中国の建築家は何を考え、何を実践してきたのか。
1949年以降、中国の多くの建築は国家機関である国家設計院によって作られてきた。それが1980年以降、次第に民間の設計事務所が登場し、1990年代に入ると徐々に彼らの実践が注目され始められた。当初、国家機関に属さない建築家たちの作風は、実験的なものが多かったが、改革開放による急激な経済成長・都市開発によって、大量の建築を実現する機会に恵まれ、作風も実験的な建築から社会の現実を反映した多様な手法に富んだ建築へと広がっていった。
実験的であったのは、当時80年代に張永和や馬清運といった中国の建築家たちが依拠してきた潮流として、西洋近代建築理論の正統派や主流派に対するアヴァンギャルドの意識を持っていたからである。この意識によって、建築は社会を先導していく先進的な文化的活動であると捉えられていた。それらが90年代に入り、社会が急激に変化するようになると、彼らの活動の根拠であった建築に特化した実験的意識だけではなく、むしろ社会的現実の中で建築的理想を実現させるために、個別的な戦略性を帯びはじめる。同時に建築家の意識も、現代中国社会に対して建築的自律性、国際性に対して地域性、政治に対して形態といった、両面的な立場を揺れ動くものになっていく。ちょうど、王澍や馬岩松といった現代の有名中国建築家が活動を始める時期である。
建築理論家の李翔寧は、「「実験建築」から「批判的プラグラティズム」へ:中国の現代建築」(『a+u 2016年3月号 百家争鳴』)において、このような90年代以降の中国建築家の活動の方向性を、現実的な戦略性を持ちつつも、同時に社会に対して批判的立場を取る「批判的プラグマティズム」と呼称している。80年代当時の理想主義的な方向性から、一見すると現実的に妥協したとも取れるような方向性の変化には、中国建築のどのような社会的背景があったのか。
90年代から実際に建設される建築が増えるようになると、国家や市場が建築に関与するようになる。公共建築はいずれも中央政府や地方政府の政治的意向によって決定され、また民間建築も市場の経済原理によって制約される。外部の現実的な要因が大きい。こうした社会において、建築家が建築を実現する上では、一貫した立場よりも多少の妥協やその都度の策略を身につける必要がある。また、改革開放によって1990年代から、思想も実践も含めた多くの近代建築の潮流が一気に流入してきた。そこでは、いわゆるモダニズムもポストモダニズムも等価に、数多くある建築のスタイルの選択肢の一つとして相対化されている。相対化された複数のスタイルの中から、新たなスタイルを組み合わせている。
その中で、建築的実践をようやく獲得して多様な建築設計を通しても、なお批判的立場を取る中国建築家の態度に、現代中国社会の本質とそれに適応する現代中国建築界の独自性が見いだせる。ここで、李が「批判的プラグマティズム」を唱える経緯から、中国の社会的思想背景へ遡り、再びその意味について考えてみたい。
李は「批判的プラグマティズム」を用いる前に、中国の建築雑誌で「権宜建築――青年建築師与中国策略(Expedient Architecture: Young Architects and Chinese Tactics)」(『時代建築』2005年第6期)の論考の中で、「権宜建築(Expedient Architecture)」という言葉を用いていた。直訳すれば「便宜的建築」「功利的建築」となるだろうか。「批判的プラグマティズム」と意味は似ているが、加えて、西洋近代建築の価値基準を無理矢理中国建築へ当てはめないこと、高度な技術を用いる代わりに現実的に適応度の高い技術を用いること、最良ではないかも知れないが中国の実情に合っていること、といったニュアンスがある。ここからは、中国にとっての価値基準、社会状況に対する言及が読み取れる。しかし李は同時に、中国的なものを考えるのに歴史主義や伝統回帰に対しては消極的である。概してそういったものは外在的な視点を通してみた中国像であり、西洋的な価値基準に組み込まれることから逃れられず、あくまでも、中国社会の現状から革新を打ち出す必要があると考えている。例えば、李はビッグネス、不確かさ、安っぽさといった課題を現状から見出している。
このような複雑さは何も建築に限ったことではなく、中国に普遍的にみられるものである。中国思想史学者の汪暉(ワン・フイ)の主著『思想空間としての現代中国』(村田雄二郎・小野寺史郎・砂山幸雄訳, 岩波書店, 2006)によると、中国の政治や経済、社会の近代化において、西洋の近代社会のもたらした病弊から、近代性に対する懐疑と批判そのものが中国の近代性をめぐる思想の特徴であった。また、若手哲学研究者の許煜(ホイ・ユク)の論考「中国における技術への問い──宇宙技芸試論序論(2)」(『ゲンロン8 ゲームの時代』, 仲山ひふみ訳, 株式会社ゲンロン, 2018)によると、中国の技術においては、中国近代史の戦争における危機感から、近代的技術の吸収を切望したが、同時に中国思想的な信念によって西洋とは異なる仕方で受容が行われた。
「批判的プラグマティズム」の建築家たちは、社会に対して策略的に参画しながら同時に社会批判もする、しかもそれを創造の種にして自らの独自性を打ち立てる。なかなかのしたたかさである。その立ち回り方に、建築家の歪んだ自意識や、退行的な諦念を感じ取る人もいるかもしれない。逆にそれが強力な建築設計の思考的枠組みとしても有効であるもしれない。あくまでも建築家の力量次第といったところか。「批判的プラグマティズム」は、中国建築家の処世術に限らず、建築家という職能一般の無力感と全能感の板挟み、さえも映し出している。
ところで、ここまで本稿で述べてきた中で気になる点が一点あった。それは、「批判的プラグマティズム」の中に地域性はあっても歴史性が見えず、李が、批判的革新を持ち出すあまり、歴史をいつの間にか切り捨ててしまっている点である。そして、歴史を持ち出すことなく現代のオルタナティブを主張し、批判的革新という隠れ蓑をまとって、権力に付け入ることを厭わない。批判的に現代を捉えることは、実は同時に現代と同調していることでもあり、歴史性を暗に封殺している。そこに歴史的な断絶が生じてしまっている。むしろあえて歴史の不在を生じさせているのかもしれない。それは立場上からなのか、李の主張は歴史的な継続を嫌う歴代の中国の権力者の思想と重なってみえる。真の意味で批判が成立しえない現在の中国社会において、果たして「批判的プラグマティズム」は本質的な批判が可能なのだろうか。蓋し思想的な誘導が巧妙に隠されているのだろうか。それとも歴史なくしても革新はあり得るというのだろうか。