ネオリベラリズムの「危機」以後の都市と政治

丸山 真央/City and Politics after the “crisis” of Neoliberalism / Masao Maruyama

丸山真央
建築討論
19 min readAug 31, 2019

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ウォール街のオキュパイ運動。2011年10月1日のデモの様子。(出典:日本語版Wikipedia「ウォール街を占拠せよ」より

はじめに

ニューヨークのオキュパイ運動、アラブの春、欧州各地の反緊縮運動──2010年代の「都市と政治」を特徴づける現象は、争点こそ多様にみえるものの、世界各地の都市空間で大規模に展開する広範な抗議行動であろう。こうした「都市と政治」の現在を、「ネオリベラリズムの危機」あるいは「後期(late)ネオリベラリズム」という観点から捉えようとする研究が、都市研究の世界で活発になっている。

2011年エジプト革命。大統領退陣を求める2011年1月25日のデモ(出典:日本語版Wikipedia「2011年エジプト革命」より

それらの研究は、上述のような運動だけに照準するものというよりは、20世紀末以降、グローバルに展開してきたネオリベラリズムの政治経済がひとつの危機を迎えたことを、都市のありようと関連づけて捉えようとするところに特徴がある。都市研究の文脈でみれば、世界都市/グローバルシティ、ネオリベラルシティといったキーワードで論じられてきた、グローバル化の時代の都市の政治経済学をアップデートしようとするねらいをもつものと位置づけられる。

本稿に与えられた課題は、グローバル化やネオリベラリズムの現在地を踏まえて、「都市と政治」、あるいは「壁」と「広場」の現在形を素描するというものである。まずは、この20年間に「ネオリベラリズムと都市」というテーマで展開されてきた研究潮流をふりかえって、課題にアプローチしていくことにしたい。

ネオリベラルシティ論をふりかえって

今世紀に入ったあたりから、ネオリベラリズムを、政治的なキャッチフレーズにとどまらず、人文・社会科学の分析用具に鍛えようとする研究がいくつかの分野で登場してきた。「批判的政治経済学からカルチュラル・スタディーズ、人類学、科学技術研究、批判的公衆衛生学まで」といわれるように、その幅は非常に広いが(Cahill 2018: xxv)、近年ではこうした「ネオリベラリズム研究」を包括する論文選集が刊行されるまでになっている。

そうした中で、都市研究は主要分野のひとつといえるが、それはなぜか。またそこでは何がどのように問われているのか。そのことをみる前に、こうした研究群におけるネオリベラリズムの理解を確認しておこう。

Brenner, Neil, “New State Spaces: Urban Governance and the Rescaling of Statehood”,Oxford: Oxford University Press, 2004

都市研究者のN・ブレナーや地理学者のJ・ペックらは、政治哲学としてのネオリベラリズムと、現実の政治経済的あるいは社会文化的な実践としての「現存(actually existing)ネオリベラリズム」を弁別するところから出発している。ネオリベラリズムは、ハイエクやフリードマン、シカゴ学派による経済的自由主義を中核とする政治・経済思想であるが、実際にその思想が社会で政治経済的あるいは社会・文化的に実践されて影響をもつとき、その姿は非常に多様であり、思想的教義からはみ出ることも少なくない。ブレナーの言葉を借りれば、現存ネオリベラリズムは固定的で単一のものでなく、「多様な地理・様式・経路」をもつものである。つまり、それぞれの国や地域でネオリベラリズムの実践が進められる際、ネオリベラリズムは、純粋な思想としてではなく、様々な夾雑物を伴いながら、それぞれの社会で経路依存的に様々な形で姿を現すものだというわけである。それゆえ彼らは、静態的な「ネオリベラリズム」よりも動態的な「ネオリベラル化(neoliberalization)」という表現のほうが適切であるとも主張してきた(Brenner and Theodore 2002; Brenner et al. 2010a; Brenner et al. 2010b;Peck et al. 2018)。

Rossi, Ugo, “Cities in Global Capitalism”,Cambridge: Polity, 2017

では、こうした現存ネオリベラリズムを捉えるうえで、なぜ都市は重要なのか。いくつかの説明があって、ネオマルクス主義の系譜をひく政治経済学やフーコー派の統治性研究が代表的なものであるが(Rossi 2017a, 2017b; Mayor 2018)、ここでは前者の説明をみてみよう。

ボブ・ジェソップ著, 中谷義和監訳『資本主義国家の未来』(御茶の水書房, 2005)

現存ネオリベラリズムは、先進資本主義諸国においては、第二次大戦後の経済成長を支えてきたケインズ主義と福祉国家の政治経済体制が、1970年代に入って構造危機に直面し、そこで危機回避策として登場してきた政治的プロジェクトであった。国家論研究者のB・ジェソップによれば、このケインズ主義と福祉国家の組み合わせ体制は、「国(ナショナル)」という地理的スケールを軸にしたものであった。国境で区切られた内側の政治と経済を管理することが第一であり、それより上位のスケール(リージョンやグローバル)や下位のスケール(国内の地方)は、いずれも「ナショナル」に従属するものであった。しかし、1970年代の構造危機を克服するにあたって、つまりネオリベラリズムの原理を導入して既存の体制を変えていくにあたって、それまで「国(中央政府)」が持っていた権能の一部を、別のスケール、たとえば、「国」より上位スケールの「リージョン」に移譲したり(EC/EUはその一例)、下位スケールの「地域」に移譲したりすることがおこなわれた(Jessop 2002)。その際、「都市」は最有力の地理的スケールのひとつであった。たとえば都市(やその一部)を「特区」にして、福祉国家の時代になしえなかった規制緩和を進め、新たな資本投下の場、経済成長のエンジンにするという手法は各地で試みられた。こうした「都市の再浮上」という事態を、ブレナーは「空間ケインズ主義から都市型立地政策へ」の変化というキーワードで整理している(Brenner 2004)。

Kunkel, Jenny, and Margit Mayor eds., “Neoliberal Urbanism and Its Contestations: Crossing Theoretical Boundaries”,New York: Palgrave Macmillan, 2012,

このような「ネオリベラリズムの空間」としての都市、「ネオリベラル化する都市(Neoliberalizing city)」は、ネオリベラリズムの実験場として、またそれによる様々な矛盾が顕在化して政治的・社会的な課題や紛争があらわれる空間として、多くの研究者の注目を集めた(Brenner and Theodore eds. 2002)。取り上げられたテーマも、都市のガバナンスやリスケーリング、再開発やジェントリフィケーション、場所マーケティング戦略やメガイベント、住宅政策や都市労働市場の再編成、社会的排除や犯罪統制など、多岐にわたった。また、先述のように、「ネオリベラル化」は、どの都市でも同じように現象するものではなく、それまでの都市のありようにネオリベラリズムが「接ぎ木」されてそれぞれの姿を現す、歴史的経路依存性を強く帯びたものであるとの見立てから、各地の都市における「ネオリベラル化」の比較研究が活発におこなわれた(e.g. Kunkel Mayor eds. 2012;Park et al. eds. 2012)★1。

後期ネオリベラリズムの都市と政治

こうした「ネオリベラル化する都市」研究は、2010年代に入ったあたりから、議論の方向性が変わり始めた。いうまでもなく、2007~08年にかけてアメリカのサブプライム住宅ローンバブルの崩壊やリーマンブラザースの破綻によって発生した世界金融恐慌とその後の欧州経済危機の影響からである。

デヴィッド・ハーヴェイ著, 森田成也(翻訳), 大屋定晴(翻訳), 中村好孝(翻訳), 新井田智幸(翻訳)『資本の〈謎〉──世界金融恐慌と21世紀資本主義』(作品社, 2012)

地理学者のD・ハーヴェイは、世界金融危機が「1970年代と80年代初頭における資本主義の大規模な危機以来、何十年にもわたって繰り返されてきた一連の金融危機の頂点とみなさなければならない」と指摘している(Harvey 2011=2012:22)。彼は、1970年代の構造危機以後の資本主義が、金融技術の高度な発展によって存続・発展してきた面が大きいとみてきたが、そうして存続・延命してきた資本主義を危機に陥れたものとして世界金融危機を重要視している。また、この金融危機の発端のひとつが住宅バブルにあったことからも、ハーヴェイも含めて都市研究者たちの大きな関心を集めた。ハーヴェイは、住宅ローンバブルの崩壊が、建造環境への投機と金融化の破綻であったとして、「危機の都市的ルーツ」という表現を用いている(Harvey 2011)。都市社会学者のK・フジタも「この危機において都市は重要な役割を果たした」として、金融危機と各国の都市政策への影響の比較研究を試みている(Fujita 2013)。

こうした中で、都市研究者のU・ロッシらは、世界金融危機を、1970年代の構造危機以降展開してきたネオリベラリズムの「危機」とみて、危機のあと、「後期ネオリベラリズム」の時代に入ったと指摘している(Rossi 2017a, 2017b)。

「後期ネオリベラリズムを、金融危機から続く決定的な時代と定義しよう。そこでは後期資本主義の政治経済の下部構造が激変する。この時代、金融資本の制度構造と緊縮財政・支出抑制の強化された諸形態の深化がきわめて顕著な特徴をなす。後期ネオリベラリズムの状態とは、対抗的な非市場アジェンダや政策を追求する対抗運動と権力闘争を随伴するものでもある」(Enright and Rossi 2017: 7)

ロッシらは、「危機」以降の後期ネオリベラリズムにおいて、やはり都市が「二重の役割を演じる」重要なものとみている。ひとつは、「国際的な金融機関が指示して各国政府が受け入れた緊縮財政の諸指標と関連政策の実行者」として、もうひとつは「資本主義的な改革と実験のプロセスに寄与する政治経済の実行体」として、である(ibid.)。また、上述の引用にも明らかなように、ロッシらは、後期ネオリベラリズムの時代の「対抗運動」や「権力闘争」の政治に焦点をあてている。周知のように、世界金融危機以後、EU諸国では、ユーロ圏全体やユーロ体制そのものに危機が及ぶのを防ぐべく、財政悪化の各国政府や自治体に厳しい財政緊縮を課した。この緊縮に対して、様々な抗議行動が各国、各都市で展開してきているが、都市空間は、「後期ネオリベラリズム」の政治の空間として、また「別の」社会像や都市像が構想される場として重要性を持っているというのがロッシらの見立てである。

結びに代えて

日本における「後期ネオリベラリズムの都市と政治」を具体的に論じる用意は、筆者にはないが、そうした議論に向けて一言して稿を閉じることにしたい。

ゼロ年代に日本の都市研究で「ネオリベラル化する都市」について議論がなされた際、いつも議論になったのが、日本のネオリベラリズムの「特殊性」あるいは経路依存性であった。中曽根民活にせよ小泉構造改革にせよ、また都市政策に限っても、都市再開発の民活政策にせよ、「都市再生」政策にせよ、規制緩和や市場重視の政策が展開されたという点では、たしかに日本で経験されたことも「ネオリベラル化する都市」という事態であった。しかし、地理学者のパク・ベギュンらが鋭く指摘しているように、日本や韓国におけるネオリベラリズムの「創造的破壊」の対象物が、ヨーロッパのような福祉国家と違って、いわゆる開発主義国家と呼ばれるものであったことには注意が必要である。パクらは、「[開発主義とネオリベラリズムという]このふたつの政治的プロジェクトは、完全に対立するものではなく、相互に排他的なわけでもない」と指摘している。「開発主義もネオリベラリズムも、経済的なパフォーマンスと資本蓄積をどの価値よりも重んじる。また、開発主義国家もネオリベラル国家も、市場の誘因に基づく国家介入の方法に重きを置いている」からである(Park et al. 2012: 4)。

アイファ・オング著, 加藤敦典(翻訳), 新ヶ江章友(翻訳), 高原幸子(翻訳)『《アジア》、例外としての新自由主義』(作品社, 2013)

英米のようなリベラリズム国家とは異なり、また北欧の福祉国家とも異なって、東アジアの開発主義国家は、経済成長を最大目標として、国家が市場や市民社会に積極的に介入してきた歴史的経路をもつ。だからこそ、ネオリベラリズムの原理が政策に導入される際、市場原理を徹底させるという企てが、国家が積極的に主導する形でおこなわれてきた。人類学者のA・オングは、主権を「例外」化した空間を生みだす(たとえば「特区」)というネオリベラリズムの統治技術に着目して、アジア圏ではそうした「例外」空間が、国家主導で積極的に設定されるという逆説を強調している(Ong 2006)。

こうしてつくりだされた「開発主義型ネオリベラリズムの空間」としての日本都市にあるのは、人びとを分断する「壁」にせよ、対峙し打ち壊す対象たる「壁」にせよ、欧州や北米の「壁」とは自ずと異なるものであるだろう。そして、抗議の声をあげもうひとつの都市や社会の姿を垣間見せる「広場」も、やはり異なるものであるだろう。日本における「後期ネオリベラリズム」とそこでの「都市と政治」の現実を、比較の視点を持ちながら捉えること。そうした研究が、今日の日本の都市研究に求められている★2。

参考文献

Brenner, Neil, 2004, New State Spaces: Urban Governance and the Rescaling of Statehood,Oxford: Oxford University Press.

Brenner, Neil, Jamie Peck, and Nik Theodore, 2010a, “Variegated Neoliberalization: Geographies, Modalities, Pathways,” Global Networks,10(2): 182–222.

Brenner, Neil, Jamie Peck, and Nik Theodore, 2010b, “After Neoliberalization?,” Globalization,7(3): 327–45.

Brenner, Neil, and Nik Theodore, 2002, “Cities and the Geographies of ‘Actually Existing Neoliberalism’,” Neil Brenner and Nik Theodore eds., Spaces of Neoliberalism: Urban Restructuring in North America and Western Europe,Oxford: Blackwell: 2–32.

Brenner, Neil, and Nik Theodore, eds., 2002, Spaces of Neoliberalism: Urban Restructuring in North America and Western Europe,Oxford: Blackwell.

Cahill, Damien, Melinda Cooper, Martijn Konings, and David Primrose, 2018, “Introduction: Approaches to Neoliberalism,” Damien Cahill, Melinda Cooper, Martijn Konings, and David Primrose eds., The Sage Handbook of Neoliberalism,London: Sage: xxv-xxxiii.

Enright, Theresa, and Ugo Rossi eds., 2018, The Urban Political: Ambivalent Spaces of Late Neoliberalism,Cham: Palgrave Macmillan.

Fujita, Kuniko ed., 2013, Cities and Crisis: New Critical Urban Theory,London: Sage.

Harvey, David, 2011, The Enigma of Capital and the Crises of Capitalism,London: Profile Books.(=2012,森田成也ほか訳『資本の〈謎〉──世界金融恐慌と21世紀資本主義』作品社.)

Jessop, Bob, 2002, The Future of Capitalist State,Cambridge: Polity.(=2005,中谷義和監訳『資本主義国家の未来』御茶の水書房.)

Mayor, Margit, 2018, “Neoliberalism and the Urban.” Damien Cahill, Melinda Cooper, Martijn Konings, and David Primrose eds., The Sage Handbook of Neoliberalism,London: Sage: 483–95.

町村敬志・佐藤圭一編,2016,『脱原発をめざす市民活動──3.11社会運動の社会学』新曜社.

丸山真央,2010,「ネオリベラリズムの時代における東京の都市リストラクチュアリング研究に向けて」『日本都市社会学会年報』28:219–35.

Kunkel, Jenny, and Margit Mayor eds., 2012, Neoliberal Urbanism and Its Contestations: Crossing Theoretical Boundaries,New York: Palgrave Macmillan.

Ong, Aihwa, 2006, Neoliberalism as Exception,Duke University Press.(=2013,加藤敦典ほか訳『《アジア》、例外としての新自由主義──経済成長は、いかに統治と人々に突然変異をもたらすのか?』作品社.)

Park, Bae-Gyoon, Richard Child Hill, and Asato Saito eds., 2012, Locating Neoliberalism in East Asia: Neoliberalizing Spaces in Developmental States,Wiley-Blackwell.

Peck, Jamie, and Adam Tickell, 2002, “Neoliberalizing Space,” Neil Brenner and Nik Theodore eds., Spaces of Neoliberalism: Urban Restructuring in North America and Western Europe,Oxford: Blackwell: 33–57.

Peck, Jamie, Neil Brenner, and Nik Theodore, 2018, “Actually Existing Neoliberalism,” Damien Cahill, Melinda Cooper, Martijn Konings, and David Primrose eds., The Sage Handbook of Neoliberalism,London: Sage: 3–15.

Pinson, Gilles, and Christelle Morel Journel eds., 2017, Debating the Neoliberal City,London: Routledge.

Rossi, Ugo, 2017a, “Neoliberalism,” Mark Jayne and Kevin Ward eds., Urban Theory: New Critical Perspective,New York: Routledge: 205–17

Rossi, Ugo, 2017b, Cities in Global Capitalism,Cambridge: Polity.

佐藤圭一・原田峻・永吉希久子・松谷満・樋口直人・大畑裕嗣,2018,「3.11後の運動参加──反・脱原発運動と反安保法制運動への参加を中心に」『社会科学研究』32:1–77.

★1 詳しくは丸山(2010)も参照。また「ネオリベラル化する都市」論の近年の批判的検討は、Pinson and Journel eds. (2017)を参照。

★2 世界金融危機とは異なる文脈の「危機」であるものの、2011年の東日本大震災・東電福島第一原発事故以後に活性化した東京都心の抗議行動は、こうした都市研究の重要な研究対象のひとつに位置づけられるだろう。たとえば、町村・佐藤編(2016)、佐藤ほか(2018)など。

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丸山真央
建築討論

まるやま・まさお/1976年神奈川県生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。政治社会学、都市研究。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(社会学)。近著に『さまよえる大都市・大阪――「都心回帰」とコミュニティ』(東信堂、共編著)。