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明日、すべての広場で

港千尋
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11 min readAug 31, 2019
港千尋『明日、広場で―ヨーロッパ1989‐1994』(新潮社、1995)

タイトルにある『明日、広場で』は1995年に刊行した写真集で、主にベルリンの壁崩壊から東欧で起きた一連の革命、さらに旧ユーゴスラビアの内戦にいたる1990年代前半のヨーロッパの「広場」を扱ったものだった。当時は歴史を動かす群衆の動態を追うことに没頭しており、ベルリン、プラハ、ザグレブ、ベオグラードと移動を重ねながら、わたしはどの都市でも、いちばん多くの時間を広場で過ごしていたのではないかと思う。それは世界中の広場が群衆で溢れた時代だった。

思えば今年はベルリンの壁崩壊から30周年である。天安門事件もそうである。冷戦の終わりからそれなりの時間が経過したことになるが、グローバル化が進む時代に「新冷戦」という言葉が使われるようになるとは誰が予想しただろうか。ポツダム広場も天安門広場もまだそこにあるが、群衆のほうには変化が見えてきたようである。ここ数年の経験をもとに、広場と群衆の関係を考えてみたい。

はかりの空間

欧米をはじめ、アジアの大都市には必ずと言っていいほど、街の中心になる広場がある。多くはその国や都市の歴史に由来する名前で呼ばれており、人物や記念の日付などが多い。革命を経ている国では、共和国広場という名もある。こうした広場の例を取り上げると、日本の都市との違いは明らかである。「共和国広場」がないのは当然だが、政治家をはじめ歴史上の日付が名前となっている広場も見当たらない。東京で広場といえば、まずは皇居前広場である。全国的には駅前広場が一般的だろう。

英語ではプラザやスクエア、フランス語ではプラスなどが一般的だが、世界各地の広場には、そもそも「広い場所」という意味は含まれていない。面積とは関係のない名称であり、むしろそこでは機能のほうが重要である。広場とは、たまたまそこに「広い場所」があったわけではなく、計画と設計をとおして「作られた場所」であることを示している。その意味でプラザやスクエアは建築の一部である。

その機能をひとことで表すならば、「はかる」ための空間と言えるのではないか。都市の中心には、「はかるための場所」がある。たとえばヨーロッパのどこかの街に深夜到着し、人気のない広場に面したホテルに泊まったとする。翌朝、窓から聞こえてくる喧騒で目を覚ましてみると、空っぽだった広場が朝市の賑わいに満たされている。その賑わいが、はかる人々の賑わいである。いっぽうに目方を計る人がいて、他方に大きさや重さを確かめる人がいる。新鮮な野菜が並び、その土地独特の色彩があふれる。ヨーロッパでも、まだ昔ながらの天秤を使っている光景を見かけることがある。交換を成り立たせるため、計り、測り、推し量る。広場とは、秤の空間、バランスの空間である。

経済のバランスが取れているときは市場にも活気がある。だが不均衡が続くようになると景気は悪くなり、広場には別の「はかり」が現れる。不満を募らせた人々は広場に向かい、集会を開くようになる。市民はそこで、物事が正当に行われることを求める。分配の責任者に「均衡」を要求するようになる。その数が多くなればなるほど、最大の人数を収容できるキャパシティが必要になる。市民に対して「諮ろう」とする空間は、しばしば歴史が動く場となるかもしれない。つまり日常的なバランスの空間が、市民による判断と要求のための空間になる。広場に人物の名前や、独立や革命といった歴史的な日付がつけられているのは、そこが「判断の空間」であることを確認するためである。それは市民が、そこで正当な分配が行われているかどうかを秤にかけるだけでなく、均衡を取る能力があるかどうかを諮る場所でもあるという意味である。

ひまわりと雨傘

21世紀の抗議や抵抗の場は、こうして20世紀を受け継ぐかたちで、世界各地の都市で繰り広げられてきた。タクシム広場(イスタンブール)、プエルタ・デル・ソル広場(マドリード)、タハリール広場(カイロ)、シンタグマ広場(アテネ)、共和国広場(パリ)と、どの広場にも、注視と推量と判断と抵抗の歴史がある。広場がなくならない限り、こうした市民の行動もなくならないだろう。

タクシム広場(イスタンブール)、2013年。写真:港千尋

だが2010年代になると、以上のような広場の歴史とはやや異なる行動が見えてきた。発端はマンハッタンのズコッティ公園である。2011年に起きた「ウォール街占拠」の拠点になったことから、抗議運動の象徴となり世界中に知られるようになった。2014年に台北と香港で相次いで起きた学生と市民による抗議運動も、国会や官公庁が集中する路上を長期間にわたって占拠するという点で、本来広場で行われる抗議行動とは異なる展開である。また台北と香港では、都市の条件も異なっている。

台北立法院前の「ひまわり学生運動」、2014年。写真:港千尋

台北では日本の国会議事堂にあたる立法院が占拠されたが、同じようなことが他の都市で起こるとはすぐには想像できない。台北駅にほど近い場所にあり、繁華街からも近くコンビニをはじめとした日常生活が目の前にある。立法院前に学生を支援する市民らが、昼夜を問わず座り込みを続けることが出来たのは、生活の場としての路上があったことも大きな要因だったように思う。いっぽう香港でも、政府系の建物が大型のショッピングモールと近い位置にあり、すでに「オキュパイ・セントラル」と呼ばれる占拠活動もあった。私見ではあるが、香港で興味深いのはフィリピンやベトナム、マレーシアなど東南アジアからの移民労働者が週末に、こうしたショッピングモールや公園や通りに集まり、ピクニックを繰り広げることが習慣になっていることである。つまり群衆が路上に座り込むことが日常行動となっていることも、大型のオキュパイを発生させる環境ではないかと思うのである。それは都市の「力」と言ってよいだろう。

香港政府本部前、2019年。写真:港千尋

「力」には二種類の異なる性質がある。ひとつはパワーの通常の意味としての強度である。日常的に使われるのはパワーだが、これを積極的な力の使用とすれば、受動的な力の使用もある。それがいわゆるキャパシティで、ある空間が潜在的にどれだけ「許容」できるかによって、はかられる。たとえば「お祭り広場」をはじめ、イベントの会場に使われるスタジアムやホールの力がそうである。それ自体はパワーを持たないが、その許容の限度が、潜在的な力として考えられる。広場の本質は、このキャパシティにある。スタジアムやホールと違うところは、そこに座席数がないという点である。群衆とって重要なのは、数ではかられるキャパシティの限度ではなく、「どんどん増える」ことのほうにある。増加しながら、空間を緊密にしてゆくことが、その場を盛り上げてゆく。その先に待っているのが一体感だ。ひとたび空間に一体感が生まれると、キャパシティはパワーに転化する。文化を問わず、人々が「祭りのパワー」と表現するのは、緊密な状態におけるこの一体感にほかならない。写真集『明日、広場で』はそれを扱ったものだが、2014年には台北と香港で、その一体感が、都市の中心部を巨大な広場へと変えてしまうパワーを見せつけられて、わたしは圧倒されたのだった。

ロータリーの群衆

それから5年後の現在、香港の情勢は予断を許さない。100万人を超える超大型のデモが繰り返し起きているにもかかわらず、香港政府は現時点で態度を変えておらず、抗議運動も激化の一途を辿っている。5年前との違いは明らかである。主体となっている学生の多くは、雨傘運動には直接参加していない、当時まだ高校生や中学生だった若者である。彼らが長期間にわたる占拠ではなく、場所を変えながら散発的に繰り返されるデモへと戦略を変えたのには、理由があるだろう。特定の場所を占拠することが自己目的化し、それが撤去されたとたんに運動も終結してしまう。戦略を変えなければならなかった最大の理由は、言うまでもなく民主化の要求をいっさい受け入れない政府を前に、抵抗を持続させるにはどうしたらよいかという課題があるためだ。そのための広範な議論と、議論を可能にするコミュニケーションツールの進化もある。

港千尋『インフラグラム 映像文明の新世紀』(講談社、2019)

人間が集まるところが、「一時的な広場」となる。わたしは2019年香港の現場を歩きながら、大群衆の上をドローンが飛び交い、無数のスマホがリアルタイムで実況中継し、それらをあらゆる種類の監視カメラが記録している光景に、映像がインフラとなった時代の、新たな広場の出現をまざまざと感じた。わたしはデジタルイメージが社会インフラとなった時代の映像を「インフラグラム」と名付けて、新たな映像文明論を考えているが、まさに今の香港がその空間ではないか。

その様子と遠く呼応するのは、フランスで2018年11月に起きた「ジレ・ジョーヌ」、いわゆる黄色いベスト運動である。参加者が身につけるのが、フランスですべてのドライバーが常備することを義務付けられている、蛍光イエローのベストであることから、そう呼ばれるようになったが、その現象も香港と同様に、すべての空間が「一時的な広場」となることを示している。というのも、彼らが最初に座り込みを行ったのは、バスチーユ広場でも共和国広場でもなく、都市郊外のロータリーだったからである。この運動が起きるまで、ほとんどのフランス人にとって、ロータリーは郊外の象徴のように思われていた。

パリ・パストゥール通りにおける黄色いベスト運動、2019年。写真:港千尋
ウジェーヌ・エナールによるオペラ広場の回転交差点(ロン・ポワン)への改変計画詳細(1909)(出典:フランス語版Wikipédia ”Eugène Hénard” より

フランス語で通称「ロン・ポワン」と呼ばれるロータリーは、もともと20世紀初頭のフランスの都市計画家ウジェーヌ・エナールの考案と言われる。自動車を一方向へ(右側通行の国では反時計回り)効率よく誘導できるロン・ポワンは、1980年代のモータリゼーションと人口の郊外への流出とともに、爆発的に増加した。フランス全体で5万とも6万とも言われ、正確な数が分からないほど多いロン・ポワンは、生活をクルマに依存している圧倒的な数の人口を反映している。ガソリン税の値上げに怒った郊外の市民が、ロン・ポワンを占拠したことは、たとえ彼らがその歴史を意識していなかったとしても、正当な理由があることになる。

発生から10ヶ月経ってまだ継続しているジレ・ジョーヌ運動も、この先どうなるのかは不明である。ひとつだけ確かなことは、黄色のベストを身につけた人々によって、全国にあるすべてのロータリーが「潜在的な広場」だと認知されたことだろう。群衆の行動が予測不能であるように、抵抗の広場がどこに出現するのかは、前もってわからない。今日の群衆のロジックでは、与えられた空間がキャパシティをもつのではなく、キャパシティのほうが空間をつくりだすからであろう。

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Written by 港千尋

みなと・ちひろ/写真家 著述家 多摩美術大学情報デザイン学科教授。群衆・記憶・洞窟などをテーマに制作と研究をつづける。写真集に『文字の母たち』『レヴィ=ストロースの庭』、近著に『風景論』『インフラグラム』など。

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