Abidin Kusno “Jakarta: The City of a Thousand Dimensions”

ジャカルタからのグローバルサウス都市論(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
Dec 28, 2023

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本書の著者であるアビディン・クスノ(Abidin Kusno、1966-)は、まさにグローバルサウスから出現した建築史家だ。もちろん、それは単に、彼がインドネシア生まれの建築史家だからでも、インドネシアを研究対象にしてきたから言うのでもない。クスノは、ここ20年ほどのうちに、本書のタイトルにもなっているジャカルタを中心に、インドネシアの近現代都市・建築史の重要な書籍を数々出版してきたが、従来のステレオタイプの認識を覆すそれらの論点は、グローバルサウスの政治や社会の経験なしには生まれなかったと評者には思えるからだ。

東南アジア近現代建築史の、いまや古典ともいえる彼の最初の著作『ポストコロニアルの裏側(Behind the Postcolonial: Architecture, Urban Space and Political Cultures in Indonesia)』(Routledge、2000年)は、一般的に植民地主義からの脱却と認識される独立以後の国家建設にみられる為政者たちの振るまいが、しばしば植民地時代の反復だったことを指摘する。例えば、第二代大統領スハルトは、1975年に、インドネシア各州の民族建築のレプリカを一堂に集めたテーマパーク「タマン・ミニ」を開設したが、建築や都市デザインで民族や伝統を表象して国民統合を図るこの手法は、植民地時代にもみられた。近代主義と伝統との融合は、マクレーン・ポントをはじめとする1920、30年代に植民地で活躍したオランダ人建築家たちに端を発しているという。この書籍でクスノは、建築や都市デザインが、為政者の正当性や権力の安定のためのアイデンティティ・ポリティクスの道具であるだけでなく、その利用のされ方にコロニアルとポストコロニアルの連続性を見たのである。

このように、建築の政治性やコロニアルからの連続性という視点をクスノが持ち得たのは、やはりスハルト体制(1967–98)という強烈な独裁体制を彼が生きたからではないだろうか。いわゆるグローバルサウスに位置づけられるアジア・アフリカ諸国の大半は、植民地を経験し、独立後には独裁体制を経験した。強い権力者による一方的な政治的支配は、植民地以後もそこを生きる人々にとって日常だったのである。そのような世界からすれば、建築から政治性を剥ぎ取った語りや、コロニアルとポストコロニアルをわかりやすく二分するような語りは、実感に乏しかったのではないだろうか。彼のインドネシア建築論が、グローバルサウスの建築論としての強度を持っているのには、そうした彼の経験が生きているのではないかと評者は思う。

そんなクスノの最新刊である今回の書籍も、扱う対象は徹頭徹尾ジャカルタだが、著者自身も明言しているように、やはりこれはグローバルサウスの都市論として読める。例えば、本書では「インフォーマル」あるいはその対語である「フォーマル」という言葉がたびたび登場するが、これらはグローバルサウス研究に欠かせないキーワードである。とりわけグローバルサウスの都市論といえば、インフォーマル居住地に注目が集まるのだが、本書もまたそのテーマから始まる。

序章に続く本論で最初に出てくるテーマが、カンプン(kampung)である。インドネシア語で「村落」を意味するこの言葉は、都市内の住宅地を指す言葉でもある。明確に定義されていないが、法規制や行政的手続き、市場原理など、いわゆるフォーマルな住宅地が従う原則に必ずしも従わず、地縁や血縁を頼りにした相互扶助や、慣習や慣例に基づき形成された住宅地を指す。ジャカルタを歩いていると、都心の大通りの裏側に、路地が入り組み、住宅が不規則に建ち並ぶ下町のような場所を発見するが、そこがカンプンである。クスノ自身はカンプンをインフォーマル居住地と呼ぶことを避けているが、土地の権利が現行法に適合していないケースが多いことなどを考慮して、インフォーマル居住地と研究上はしばしば認識される。

とはいえ、カンプンは例外的というにはあまりにも数が多い。都心から郊外までそこかしこに存在し、むしろカンプンこそが一般的な住宅地だといえる。実際、評者の研究では、ジャカルタの住宅地の50%強がカンプンと推定されている★1。クスノもまた、カンプンがジャカルタの都市発展と切っても切れない関係にあることを強調している。インドネシアは、独立後の人口増加に対してフォーマルな住宅供給が不足していたのだが、カンプンはそのような国家の住宅供給の能力不足を補う存在であり、国家にとっても都合がよかったという。言い換えれば、取り締まるべき対象ではなく、国家や都市を支えるために、市場や法規制の外側として温存されたと考えるべきなのだ。このような状況をクスノは「半端なアーバニズム(middling urbanism)」と呼び、グローバルサウスの都市に通底するものだという。

ただし、本書の大事な主張は、フォーマルな領域がインフォーマルな領域から切り離されているわけでないという点だ。フォーマルな領域もどこかでインフォーマルな領域とシームレスにつながり、その恩恵を受けている。例えば、日系企業が進める建設プロジェクトとて、カンプンで生活する労働者に支えられている。また、本書には、コロナ禍のジャカルタの様子を映した写真がいくつか登場するが、なかでも評者にとって印象深かったのは、グローバル企業のピザハットが、テンペ(発酵大豆食品)を売るローカルな屋台と並んで、路上で営業している光景だった。店舗と路上で普段は棲み分けている両者が、コロナ禍という危機に際して、路上というインフォーマルな商空間を互いにシェアしているのである。フォーマルとインフォーマルの境目を自在に調整できるこの柔軟さが、ジャカルタひいてはグローバルサウスの強みに思えてならない。

だが、利点ばかりではないことも本書は教える。興味深いのは「エリートによるインフォーマリティ」という言葉だ。インフォーマルの活用は、低所得者層だけが用いる手段ではないのである。エリートだって用いる。その代表格が賄賂である。しかし、こうした行為は私的な利益や政治的影響力の拡大に利用され、カンプンがフォーマルな住宅を手にできない人々を支えたのとは異なり、社会のセーフティネットに必ずしもなるわけではない。本書でクスノは、ジャカルタには都市計画がないように見えるが、計画がないのではなく、実行に移されないだけだと言う。その背景に、エリートのインフォーマリティをあげる。計画とは異なる論理で形成される住宅地はカンプンだけではない。実は新興住宅地も同じである。開発の許認可の裏には賄賂がつきものだったからだ(いまでもか?)。計画も実行のフェーズで変更されてしまう。だから都市はどんどん場当たり的に変化する。

政治もそれに追い打ちをかける。クスノが常々指摘してきたことは、都市政策は為政者の政治的アイデンティティを打ち出す場所でもあることだ。都市で発生している問題をそれ以前の為政者のポリシーを原因とし、それと対立するポリシーを打ち出して求心力を生み、問題改善に取り組む。だから為政者の交代とともに都市政策は揺れ動く。スハルト体制以降、権威主義から、ポピュリズム、そしてイスラーム主義と、大統領や州知事の交代とともに揺れ動きながら、ジャカルタが上書きされてきた様子を本書の後半は描く。

いまジャカルタの人々が頭を抱えている問題は洪水や渋滞である。本書が最も紙面を割いているのは洪水の章(Where Will the Water Go?)だが、それを読んでいると、問題が深刻化する背景には、こうしたさまざまな次元の事情が、場当たり的に現れては複雑に重なりあって生じていることが感じられる。だから、副題は千の次元の都市なのだ。

しかし、あまりにも都市が混乱すると、一度リセットしたくなるのかもしれない。首都移転である。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領は、2019年に東カリマンタンへ首都を移転する政策を掲げ、2022年1月には首都移転の法案が可決された。本書も指摘するとおり、首都移転はスカルノのアイデアに始まり、これまで何度も浮かんでは消えた。そのため、どこまで持続するかは不明だが、それでも今回は実現に向けて突き進んでいるようにみえる。完成すれば、かつてスカルノが夢見たように、デザインは別としてもブラジリアのような計画都市にはなるだろう。では、この新首都は、フォーマルでもあり、インフォーマルでもあり、コロニアルでもあり、ポストコロニアルでもあり、権威主義でもあり、ポピュリズムでもあり、イスラーム主義でもあり、多文化主義でもあるような、本書が描いた複雑で割り切れない都市ジャカルタといかに対峙するのだろうか。本書にはまだ描かれていないこの新首都の成否は、ジャカルタ、つまりはグローバルサウスの都市の強みと弱みを映す鏡になるだろう。



★1 HAYASHI, K., MIMURA, Y., and ABE, R. (2021) Diversity and Historical Continuity of the Residential Landscape of a Megacity: A Case Study on the Jakarta Metropolitan Area. In MURAMATSU, S., McGee, T. G., and MORI, K. (eds.) Living in the Megacity: Towards Sustainable Urban Environments. Springer, pp. 45–65

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書誌
著者:Abidin Kusno
書名:Jakarta: The City of a Thousand Dimensions
出版社:NUS Press
出版年月:2023年

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか