概念から「パラメータ」へ

吉本憲生/From Concept to “Parameter” / Norio Yoshimoto

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都市に内在する欲望/都市はなぜ都市であるか

都市論とは何か。吉見俊哉が整理する通り、都市に関する言説は、都市社会学、人類学、都市史、地理学、都市工学など多様な学問領域からから提示されてきた(1)。ただし「都市論」という言葉で想起される言説は、上記の中でも、とくに人文社会学的な見地からの言説に偏っているのではないだろうか。その背景には、1970・80年代に日本で勃興した「都市論」ブームがあるのではないかと推察される。この時期には、磯田光一『思想としての東京』(1978)、前田愛『都市空間のなかの文学』(1982)をはじめとして文学作品等のテキスト解釈をベースとした東京論・都市論が数多く示された。また、よりグローバルにみれば、哲学・思想における「空間論的転回」の中で、社会的な構造・論理を、空間をめぐる問題として捉え直そうとする潮流があった(2)。その潮流における中心的な論者であるアンリ・ルフェーヴルは、都市の歴史的な変化を、政治都市-商業都市-工業都市-都市社会の段階的な過程で捉え、これらの変化を生み出す力学を、集中と分散、統合と隔離を繰り返す運動に見出している。そしてその運動の核となる性質こそが、〈都市的なるもの〉としての「中枢性」であると論じるのである(3)。ここでルフェーブルは、この〈都市的なるもの〉について以下のように述べている。

出会いの場所となり、流通や情報の集中点となると同時に、都市的なるものは、それが常にそうであったところのもの、すなわち、欲望の場所、永続的な不均衡、正常性とか束縛性とかの解体の本拠、遊戯的なるものとか予見不可能なるものの契機となる(アンリ・ルフェーヴル「危機的な点の周辺において」)

この言及はまさに、「都市論とは何か」の核心をつくものだ。すなわち、都市の形成・再編の原理である「中枢性」に潜在する「欲望」をいかに捉えるか。これが「都市論」に潜む暗黙のテーマではないか。このような都市論に潜在する主題について、若林幹夫は、吉本隆明の言説を引用しながら、「都市はなぜ都市であるのか」という問いが、「すべての都市論に根底に存在する、最も原初的な問いであるはずだ」と述べている(4)。もちろん、この問いについて迫るための視座のあり方は論者により多様であるはずだ。しかし、「都市論」においては、都市の実態の記述・分析ではなく、都市に潜む原理や論理を問う姿勢が暗黙に共有されているとは考えてもよいだろう。

いかに都市の「欲望」を捉えるか?

では、このような都市の「欲望」や原理とは、いかに抽出・評価できるのだろうか。前述のように、1970・80年代の都市論ブームにおいては、テキスト解釈という手法のもと、多様な言説作品から、都市の意味を救い上げる試みがいくつもなされた。例えば、前田愛による『都市空間の文学』では、森鴎外の『舞姫』や樋口一葉の『たけくらべ』などの文学作品を主要な分析対象とし、様々な地図・史資料を補完的に用いながら、都市空間における意味の構造を描き出していく。その際、前田は、内部/外部、オモテ/ウラ、日常/非日常、我々/彼ら、などの対立概念を切り口として、テキストをひもとく(5)。このような概念的な分析フレームにより、テキスト解釈は成立するのだが、言い換えれば、その「概念」をいかに設定し、テキストの中に見出していくかが、論者に課せられることになる。

しかし、こうしたテキスト解釈的なアプローチは、現代において限界につきあたっていると筆者は考えている。その理由としては、以下の二つが挙げられる。一つ目は、メディアの変容である。現代においては、PCやスマートフォンが普及し、誰もがリアルタイムでWEBメディアにアクセスできる状況にある。そのような流れと連動し、新聞やテレビなどのマスメディアは相対的にメディアとして地位が低下し、個々人が情報の発信・受信の主体となるSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)等のソーシャルメディアが台頭する。あるいは、ソーシャルメディアとマスメディアが共振した形で情報やイメージが伝達される(6)。こうした状況では、特定のテキストに、都市のイメージや認識が表象=代表されている、という位置づけのもと議論を行うことが困難になる。むしろ、常時SNSに投稿され続ける無数の小さな記述を収集し、それらの様相に目を向ける必要がある。

二つ目は、データ社会の台頭である。上述したように、現在では、SNSにより生活者個々人の感情・思考・関心が記された無数のテキストデータがWEB上に公開・蓄積され続けている。これらは緯度・経度情報を付帯することもあり、そのようなジオタグ(位置情報)付きビッグデータを活用することで、人々の都市に対する認識について、より即地的に、あるいはより即時的な把握が可能になる。さらには、数理的なアプローチは再現性が高く、知見の蓄積・普及・再活用においてもより効果的な手法になりえる。

このような状況の変化に伴い、現代の「都市論」においては、これまでの概念的なアプローチだけではなく、大量のデータをもとに都市に潜む「欲望」ないし原理を分析・評価するための数理的なアプローチが求められる。

数理的な「文化論」

こうした数理的な「都市論」のあり方について議論する前に、まず、関連する動向について目を向けてみたい。その際、「文化進化学」という学問領域に注目することができる。文化進化学とは、「文化の継承や変容を考えるために、生物進化の概念や手法を文化現象に応用する」ものであり、生物進化研究で培われてきた様々な数理的手法を使って文化現象を分析することに特徴を有する(7)。

田村光平によれば、文化進化研究は1970年代から開始され、文化現象の数理モデリングや実証研究を積み重ね、2010年代においては、ビッグデータをもとに地球規模の比較研究も行われはじめている。このアプローチが従来的な文化研究と異なるのは、文化人類学や社会人類学等によるこれまでの社会進化研究が「何らかの意味で『複雑化』・『高度化』していく過程の理論」をもとに、「単純なものから複雑なものへという移行が想定されている」のに対し、数理的な手法に基づく文化進化研究は、そのような一方向的な進化の経路を想定しない点にある(7)。このことは、出来事・資料の解釈の仕方が事前に想定されるストーリーに依拠することを意味し、これまでの都市論が「概念的なフレーム」を措定し、それらに基づきテキスト解釈を行ってきた点とも共通する。都市や文化的な現象は、きわめて複雑であり、定性的・概念的な理論だけではその全体像を捉えることは難しい。このような問題意識が、さまざまな学問領域において数理手法が要請される理由であろう。

では、このような数理的な研究では、具体的にどのような方法が用いられるのであろうか。田村は、文化進化研究のフローを以下のように整理する(7)。

1.現象や資料からデータを抽出する

2.データからパターンを認識する

3.パターンからプロセスを推定する

1は、研究対象となる出来事・現象に関連する資料・記録から数理的解析が可能となるデータを抽出・作成する過程である。もともとデジタルデータが存在している場合もあるが、紙の資料・記録から解析可能なデータを作成する必要もある。2は、整備したデータをもとに、パラメータ(変数)間の関係など、データにみられる何らかの構造や規則性を見出す過程である。3は、パターンを生み出すためのメカニズムを検討する過程である。パターン(現象)を説明するための要因(説明変数)を、データをもとに抽出し、目的変数(パターン・現象)を説明変数で説明・予測するための、モデリング(数式化)を行う。このモデリングができれば、説明変数の値を変えることで、未知の条件下におけるシミュレーションが可能になる。

都市空間・行動に潜む意味を数理的に捉える

さて、このような数理研究における、「都市論」としての試みについて見ていきたい。「都市」に関する数理研究は、空間経済学・交通工学・都市計画・地理学等で様々な研究がみられるが、「都市論」という観点から見たとき、空間や都市活動の実態・分析のみならず、社会的・文化的な意味の側面にアプローチしているものに注目してみたい。そのようなアプローチの初期の事例としては、ビル・ヒリアーらによるスペース・シンタックス理論がある。ヒリアーらはその方法論を示した『The Social Logic of Space』(初版1984)の中で、建築空間を単なる象徴的なものではなく、移動・出会い・退避等の生活行動の前提条件として社会生活と密接に関係があるものとして捉え直すことを提案している。具体的には、空間(道路・通路や部屋・建物など)のつながり・関係性(ネットワーク上の中心性)や視覚的な認識(見通しのよさ)を数学的に評価する手法が構築され、都市空間や建築空間に適用されている。この手法そのものは、空間形態の評価を行うものだが、その背景に、移動しやすさ・経路の選択しやすさという行動論的な視点や見通しのよさという人の空間認知の視点を包含している点が特徴である。結果として、都市空間における「中心性」が可視化される点は、数理的な「都市論」の萌芽として捉えることができる。

また、これまで主に都市史分野において史資料の精査・読解・整理をもとに行われてきた都市形成・変遷の原理に関する研究についても、数理的なアプローチを用いたものがみられはじめている。小林理瑳・ 羽藤英二は、交通行動の経路選択問題で用いられるCross-Nested Logit モデルを応用しながら、複数の土地に対する所有行動を、複数のリンクの束からなる経路選択と同質的なものと見立てながら、旧土地台帳のデータ化をもとに、明治中期から昭和中期 に至る道後温泉周辺地区における土地所有形態(複数の土地所有のあ り方)の変遷の数理モデル化を行っている(8)。ここで興味深いのは、小林・羽藤が既往研究をもとに得た、土地所有者ごとに所有パターンが異なるという理論的な知見を、数理モデルにおける潜在クラス(集団)としてパラメータ(変数)化している点である。これにより、土地所有者を統計的にいくつかのグループに分割・推定することができ、グループごとの土地所有特性を定量的に評価することに成功している。このような“隠れた(見えにくい)”パラメータを発見していくことは、数理的な都市論としての一つのモデルケースとして考えることができる。

さらに、このような潜在的なパラメータとして都市の魅力度を評価している例もみられる。岩崎邦彦は、東京の中心的な商業地域(新宿、渋谷、吉祥地等の10箇所)を対象とし、消費者データ(買物行動の起終点データ)をもとに小売引力モデル(消費者が目的地を選択する際の確率を示すモデル)を適用し目的地選択の際の地域の魅力度の推定を行い、さらに、別途実施された地域別のイメージ調査の結果をもとに、地域の魅力度に寄与するイメージ因子の抽出を行なっている(9)。ここでは、地域の魅力度に寄与する地域イメージをアンケートベースで整理しているが、これらをビッグデータ等で抽出することができれば、まさに都市に対する人々の欲望を見出す新しい手法を構築することができる。

概念から「パラメータ」へ/都市の「感情」を定量化する

これまで見てきたように、数理的な「都市論」には、空間構造の意味の評価、空間形成の原理(土地所有の変遷パターン)、空間の質(魅力度)の評価などを行うものがみられる。その中でも、本稿の冒頭に掲げた「都市論」としての核心を担う、都市への「欲望」や意味に関係の深い、空間の質や魅力度に関する方法論について考えてみたい。

従前の「都市論」は、小説などの文学作品、ないしは映画や雑誌・テレビなどの作品・メディアを通して都市の表象=イメージの中に見出だすアプローチが採用されてきた。それらは、テキストや映像・写真に埋め込まれた「記号」やシンボルを抽出する試みであったと言い換えることができる。ただし、メディアや社会環境の変化に伴い、そうした記号の力は相対的に弱まり、代わって、「感覚」や「体験」が重視される状況へと移行している。例えば、「コト消費」と呼ばれる体験ベースの消費体験が叫ばれるようになって久しいし、小売りの分野においては製品やサービスの技術ではなく顧客が購買に至るまでの「感情」「体験」を重視する考え方へと変化している(10)。このような流れに伴い、都市評価の手法としては、島原万丈による「官能都市(センシュアス・シティ)」の指標等が登場している。

筆者は、こうした「感情」「体験」をいかに定量的に抽出するかが、新しい「都市論」のテーマになるのではないかと考えている。例えば、筆者は早稲田大学の山村崇、日建設計総合研究所の鶴見隆太とともに、Twitterのテキストデータをもとに都市に対する形容表現を抽出し、それらを「感覚語スコア」として指標化する研究を進めている(図1)(11)。このような都市に関する「感覚」をスコア化することができれば、それらをパラメータとした、新しい都市空間・行動解析手法の構築も可能になるだろう。これからの「都市論」においては、このような新しいパラメータを発見し、いかに新しい地図を描けるかといった点に創造性が宿るのではないかと考えている。

図1 「感覚語スコア」(「きれいな」カテゴリ)の分布(筆者作成)

このような「パラメータ」の発見と連動して、これからの都市はどのように変わっていくのだろうかについても最後に付言しておきたい。様々な都市活動において感情・体験が重視されるとき、人々が集い、活動する場所にも変容が起こるのではないかと考えている。すなわち、これまでのように施設・機能が先立ち、そこに人々が集まるのではなく、魅力的な場所の質が核となり、魅力を有する場所の周辺に人や施設が(小さな単位で)集積するような地域のあり方の可能性である。筆者は、そのためには、場所の魅力(ポテンシャル)の抽出と、それらの場所へのアクセシビリティの向上(地域の回遊が可能なマイクロモビリティ等の導入等)が必要になると考え、そのための地域拠点像を「まちえき」と呼んだ(図2)(12)。「15分都市」のような新しい地域像が模索される中で、ますますミクロな場所の質の確保・評価が必要になってくるのは間違いない。これからの「都市論」の一つの方向性として、そうした場所の質をいかに見出し、言語化し、「パラメータ」化していくことが要請されるのではないだろうか。ただし、そこから飛躍し、まったく新しい都市の批評概念を見出すこともまた「都市論」の重要な役割ではあるだろう。

図2:まちの魅力をベースにした「まちえき」の発想(筆者作成)

(1)吉見俊哉「都市論と都市社会学」、『日本都市社会学会年報』第1993巻第11号、日本都市社会学会、1993、 pp.40–41

(2)若林幹夫「空間と「場を占めぬもの」」、『10+1』 №10、INAX出版、1997、pp.246–25(https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/356/

(3)アンリ・ルフェーヴル(森本和夫訳)「危機的な点の周辺において」、『都市への権利』、筑摩書房、2011、pp.109–127

(4)若林幹夫「序章 都市はなぜ都市であるのか」、『都市の比較社会学』、岩波書店、2000、pp.1–27

(5)前田愛「空間のテクスト テクストの空間」、『都市空間のなかの文学』、筑摩書房、1992、pp.11–80

(6)飯田豊「SNSをめぐるメディア論的思考―常時接続社会におけるマスメディアとの共振作用」、『通信ソサイエティマガジン』№52、電子情報通信学会、2020、pp.276–281

(7)田村光平『文化進化の数理』、森北出版、2020

(8)小林理瑳・羽藤英二「EMアルゴリズムを用いた土地所有形態選択問題のモデル化」、『都市計画論文集』54巻3号、日本都市計画学会、2019、pp.1245–1252

(9)岩崎邦彦『都市とリージョナル・マーケティング』、中央経済社、1999

(10)フィリップ・コトラー『コトラーのリテール4.0』、朝日新聞出版、2020、pp.86–88

(11)吉本憲生・山村崇・鶴見隆太「ジオタグ付きSNSデータに含まれる「感覚語」に基づく都市空間構造の把握と指標抽出に関する研究」、『日本建築学会学術講演梗概集』、2021年9月発表予定

(12)吉本憲生「移動のモチベーションを喚起するニューノーマル時代の地域拠点」、https://note.com/nikken/n/n7a7059d4e9e2

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吉本憲生 / Norio Yoshimoto
建築討論

よしもと・のりお/1985年大阪府生まれ。専門は、近代都市史、都市イメージ、都市空間解析研究、モビリティデザイン。2014年東京工業大学博士課程修了。同年博士(工学)取得。横浜国立大学大学院Y-GSA産学連携研究員(2014–2018年)を経て、現在、日建設計総合研究所勤務。2018年日本建築学会奨励賞受賞。