Ben Green “The Smart Enough City: Putting Technology in Its Place to Reclaim Our Urban Future”

スマートシティ批判の始まり──「解決主義」を超えて(評者:中村健太郎)

中村健太郎
Jun 30 · 6 min read

近代都市計画において「自動車」という技術の存在が決定的であることは論をまたない。しかしその帰結としての「車社会」は、本当に歴史的な必然だったのだろうか。

たとえばアメリカには、自動車関連産業が高速道路網の整備に向けて幾多のロビイングを行ってきた歴史がある。車社会は、企業と政府の結託によって「実現された」側面を持つのだ。お望みならば、ル・コルビジェをはじめとするモダニストたちを結託の輪に付け加えても良いだろう。都市の自動車依存が加速度的に進み、歩行可能(walkable)な街路が急速に失われていったこの時代には、「モーター・エイジ(自動車の時代)」なる聞こえの良いキャッチコピーが添えられていた。

Ben Green “The Smart Enough City: Putting Technology in Its Place to Reclaim Our Urban Future”

さて、今回取り上げる書籍のタイトルは「Smart Enough City」。その主題である「スマートシティ」もまた、残念ながら自動車産業と同じ道のりを辿っている。自動車がかつて「都市変革」において果たした役割を、現代において担いつつある情報技術。その都市計画への応用の背後には、大手ITベンダーによるマーケティングと、これに相乗りする行政の姿がある。20世紀の過ちを、21世紀で繰り返さないためには? スマートシティに編み込まれた「都市の政治学」を明らかにする本書は、当事者である行政職員はもちろん、現代都市を生きる私たち全員に読まれるべき一冊だ。

著者のベン・グリーンは、ボストン市のデータサイエンティストを務めた経歴を持つ人物。ゆえに本書は、行政の現場をかいま見せる稀有な資料でもある。たとえば本書に前書きを寄せた前ボストン市CIOジャシャ・フランクリン -ホッジによれば、彼のもとにはITベンダーによるスマートシティ化の売り込みが数多く持ち込まれていたという。営業マンたちは、テクノロジーによる都市のIoT化、最適化、プラットフォーム化、等々を自信満々に語ったというが、このタイプの人間は日本にも多い ──ところで、彼らにみなぎる自信は一体どこから湧いてくるのだろうか?

都市計画家のホルスト・リッテルとマーヴィン・ウェーバーは、都市において発生する社会課題を「意地悪な問題(wicked problem)」と名付け、それらがあまりに複雑かつ不断に変化するために価値中立的な介入を許さない、いわば「解決できないという問題」であると位置づけた。こうした問題系に対し、テクノロジーがあたかも解決策を示し得ると考える立場を、批評家のエフゲニー・モロゾフは「解決主義(solutionism)」と名指して批判する。解決主義の立場を裏付けるのは、「テクノロジーは社会問題に対して価値中立的であり、最適な解決策を提供できる」という誤った信念、また「テクノロジーこそが社会を変革する第一原理である」という強固な技術決定史観だ。あの営業マンたちを支えているのも、この種の解決主義なのだろう。

筆者はこれらを「テクノロジーの色眼鏡(tech goggles)」と呼び、すぐさま「取り外そう」と繰り返し読者に問いかける。解決主義は、スマートシティに内在する政治的選択を見えなくさせてしまうのだ、と。こうしたメッセージを例証すべく、本書はテクノロジーの色眼鏡を通して構想されたスマートシティが「どのように都市の状況を悪化させるか」を、反面教師的に明らかにしてゆく。取り上げられる事例は、自動運転のための交通計画から、警察のパトロールを効率化する犯罪予報技術、行政が企業と組んで提供する無料の公衆Wi-Fiまで幅広い。それらは社会の車依存を加速し、巡回地域を人種バイアスの下で選択させ、市民のプライバシーを行政が企業に進んで引き渡す結果をもたらす。

ただし注意したいのは、本書が反テクノロジーの書物ではないということだ。本書は批判に終始せず、社会課題の改善に奮闘する情報技術活用の事例も合わせて紹介してゆく。交通手段への不平等なアクセスを是正するための自動運転バスや、行政サービスから遠ざかっている市民を犯罪を犯す前に検出・保護する仕組み、また「できる限り少ないデータ」を取得する透明性の高い都市センシング事業など、こちらもまた幅広い。ただしこれらに共通するのは、いずれも社会課題の現場に立ち、都市にとって必要十分な情報処理システムを、その政治的選択を自覚した上で構築している点である。

これこそが、筆者がタイトルに掲げる「Smart Enough City」のあり方、すなわち行政や市民がテクノロジーの色眼鏡なしに「自分の都市に、本当に必要なスマート化の形」を見極め、これを主体的に実現してゆく実践である。言葉にするのは簡単だが、筆者自身が認めるように、それは単に「スマートシティ」を追い求めることよりも数段難しい。直接的に言えば、それは都市生活を政治的闘争の場として(再)設定することを意味するのであり、その困難さに比べれば犯罪予報やWi-Fiの配備などは瑣末な技術的問題にすぎない。

しかし悲観する必要はない。私たちは既に、そのやり方を知っている。本稿の冒頭で車社会を取り上げたが、ニュー・アーバニズムを筆頭に、車社会への批判は着実に成果を上げてきた。近頃よく耳にする「タクティカル・アーバニズム」のような都市実践を伴うアクティビズムは、その最新系と言えるだろう。同様にスマートシティへの批判は、本書を含め世界各地で高まりつつある。建築家や都市計画家、そしてプログラマといった専門家は、来たるべきスマートシティ批判のための都市実践において中心的な役割を担いうるはずだ。

さあ、急いで準備を始めよう。新しい仕事が 、既に私たちを待っている。

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書誌
著者:Ben Green
書名:The Smart Enough City: Putting Technology in Its Place to Reclaim Our Urban Future
出版社:The MIT Press
出版年月:2019年4月

建築討論

建築をめぐる幅広い批評的議論のプラットフォームを提供する日本建築学会のウェブマガジンです。

中村健太郎

Written by

なかむら・けんたろう/建築家、プログラマ。1993年大阪府生まれ。2016年慶應義塾大学SFC卒。専門はアルゴリズミック・デザイン。学生時代より批評とメディアのプロジェクトRhetoricaに携わる。現在はNPO法人モクチン企画にて建築設計・システム開発に従事。

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