Bruce and Donald Appleyard著, “ Livable Streets 2.0”

ノーテーションとアノテーションの差異を紡ぐ「Annotative Cognitive Mapping(注釈的認知地図)」の現在形(評者:橋本圭央)

橋本圭央
建築討論
Jul 31, 2021

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Bruce and Donald Appleyar著, “ Livable Streets 2.0”

本書は、1981年に出版されたドナルド・アップルヤードによる『Livable Street』(Donald Appleyard, Livable Street, Berkeley: University of California Press, 1981)の改訂版であり、息子であるサンディエゴ州立大学で教鞭をとる都市計画家ブルース・アップルヤードとの共著というかたちでの、建築・都市空間における「Livability(居住性)」に対する概念の1970年代以降から現在までの網羅的な考察と検証を集積した発展版である。

ドナルド・アップルヤードによる『Livable Street』は、特に「NEIGHBORING AND VISITING(隣接し訪れる)」と題した下図で代表される「Annotative Cognitive Mapping(注釈的認知地図)」による建築・都市空間の社会的側面を端的に視覚化した試みで広く知られている。例えば下図に関しては、アメリカ・サンフランシスコでの交通量の異なる三つの道路をHEAVY(1日の平均通過車両15,750台)、MEDIUM(8,700台)、LIGHT TRAFFIC(2,000台)とし、そこで描かれた点情報は住民が「集まる」場所、線情報は住民同士における「友人または知り合い」の相関であり、住民と周辺コミュニティに強いられる一方で見出しづらい交通による影響を鮮明に示した初めての事例であるとされている。

Neighboring and VIsiting by Donald Appleyard[出典:Bruce and Donald Appleyard, “ Livable Streets 2.0”]

心理学において1940年代から用いられていた「Cognitive or Image Mapping(認知地図)」を建築・都市空間を捉える際の戦術として初めて適用したケヴィン・リンチは『都市のイメージ』(丹下健三・富田玲子訳、東京、岩波書店、1979年(Kevin Lynch, The Image of the City, Boston: MIT Press, 1964))において、5年にも及ぶインタビュー調査をもとにボストン、ロサンゼルス、ジャージーシティ(アメリカ合衆国)における身体的に知覚しうる建築・都市空間の諸オブジェクトを「Paths(道筋)」、「Edges(周縁・境界)」、「District(領域)」、「Node(結節)」、そして「Landmark(目印)」の五要素によって分類することで、捉えることの困難な様相・印象・記憶といったものを掴み取ろうとしていた。こうした試みを探究するリンチが教鞭をとっていたマサチューセッツ工科大学において、その薫陶を受けたドナルド・アップルヤードは、同大学教員として同僚にもなるリンチとともに様々な考察をおこなったのちに、より空間的に様相・印象・記憶を捉える方法として「Annotative Cognitive Mapping(注釈的認知地図)」を確立する。白地の紙を参与者に渡して5つの要素を記入してもらっていたリンチに対し、写真・図面を用いて住民の反応を地図上に重ね合わせていく方法を採用することで、より集合的で空間的でありながらも一つの場の制約を表象する地図の視覚化に成功している。

こうした1981年に示されたドナルド・アップルヤードよる「Livability(居住性)」の考察・記述の有効性は広く知られているものの、息子のブルースがその後の影響、および展開を本書においてまとめようとした動機は、『Livable Street』が出版されたわずか一年後である1982年に、アテネ(ギリシア)においてスピード超過を犯した飲酒運転に巻き込まれドナルドが亡くなった事件にあるように思われる。本書において度々言及されているように、当時17歳であったブルースにとってこの痛ましい事件は、家族を失った悲しみのみならず、建築・都市空間における意匠的、計画的、工学的な関心の基準となり、特に路上での子供たちの幸福に着目する契機となった出来事であった。

本書は「Street conflict: Living with traffic(街路での対立:交通と共に住む)」「Power(権限)」「Realizing the promise of our streets: Toward ethical, empathetic, equitable, and just streets and communities (街路の気配に気付く:倫理的、共感的で公平な街路とコミュニティに向けて)」「The challenge and future of our streets(街路への挑戦と未来)」の四部から構成されており、特に第一部(街路での対立:交通と共に住む)においては、ドナルドの方法を発展させるかたちで、特に住宅と学校をむすぶ街路上での子供たちの空間認知と交通の影響に焦点を当てた考察がおこなわれている。

具体的には、カリフォルニア州コントラコスタ郡郊外での二つの地域、Parkmead(HEAVY-TRAFFIC)とGregory Gardens(LIGHT-TRAFFIC)における複数の小学校において長期間行われたリサーチをもとにしている。9歳と10歳の子供たちに「まるで誰かに伝えるかのように、学校と家のあいだの地域をひとつの地図として描く」ように尋ね、彼らが「好き」、「嫌い」、「危険である」と感じられる場所、友人たちと遊びにいくエリアを特定し解説してもらい、さらにそれらを重複させることで下図のような二つの「Composite Map(複合的地図)」を作成している。これら二つの地図は、子供たちの言及頻度に応じて大きさや厚みの異なる文字や線情報、色分けされた丸・三角・四角といった平易な記号から地と図が描かれることで、リンチによる五要素による分類、ドナルドによる点・線による相関と比較しても、子供たちの情動と建築・都市空間の実際的な関係がより一層顕在化されている。さらに特徴的な点は、Parkmead(HEAVY-TRAFFIC)における二つの歩道と一つの停止標識の設置によるfollow-up study(事後的研究)をも同じ手法と表記で継続的におこなうことで、それらの一見ささやかな変化が、交通量の違いと子供たちの街路に対する記憶、および空間認知能力の増減に関係していることを明るみにしている。

Parkmead and Gregory Gardens by Bruce Appleyard[出典:Bruce and Donald Appleyard, “ Livable Streets 2.0”]

その後の第二部(権限)では、ロンドン北部バーンズベリーでのRAT-RUNS(渋滞時の抜け道としての交通)対策としての「One Way(一方通行)」、「Cul-de-sac(クルドサック/袋小路)」による交通計画、カリフォルニア州バークレーでの「Diverted Traffic(交通フローの転換)」、スウェーデン港湾都市ヨーテボリなどの都市群での「Pie System(中心部での円環する放射状の交通を促すシステム)」、ストックホルムでの仮設コンクリートブロックの設置による「Østermalm(交差させない二つのゾーン形成)」、イギリス・シェフィールドにおける「Zone and Collar Plan(中心部から同心円状に拡張するゾーンに沿い円環/縦断する幹線道路による交通量の調整プラン)」、1970年代の日本国内の主要都市のなかで通勤における車利用が最も顕著であった名古屋(全通勤者の33.6%、東京は17.3%、大阪は7.7%)中心部に設置された90箇所以上での「Traffic Cell/ Unit Cell Control(トラフィックセル/歩行者専用道路・一方通行・右折禁止の組み合わせによる歩行者空間創出と都心部への車両流入コントロール)」、スペイン・バルセロナにおけるインデフォンス・セルダによるグリッドの九ユニットを組み合わせた「Superblocks(九ユニット内の道路での標識・信号による交通量の制限、およびその後の住民参加による道路上での美化・場所づくり)」、フランス・パリでの「Paris Respire(パリの呼吸/日曜祝日における車両交通の閉鎖、およびジョルジュ・オスマンによる19世紀のパリ改造計画の要であり<Places(場所)>と名付けられた七つの交差路における歩行空間の改善)」など多くの実践例が詳細に紹介されている。

本書は、ドナルド・アップルヤードが1981年に提唱した「Livability(居住性)」の発展的リファレンス、1970年代以降から現在までの様々な都市における近似の実践例を網羅的に指し示すガイドであると同時に、Notation/ノーテーション(表記法)とAnnotation/アノテーション(注釈)の差異を紡ぐマニュアルとしての役割を担うように思われる。「Cognitive or Image Mapping(認知地図)」のみならず、様々なマッピングの過程においてそこでの表記の方法論の確立は事前的に求められるものである一方で、特にその表記対象が物的要素のみならず掴みどころない様相・印象・記憶・情動に関わるもの、つまり建築・都市空間の質的側面に関与するものであればあるほど、そこでの表記の過程において顕在化される情報と不在となる情報は同義となる。

様相・印象・記憶・情動、および現象や状況は、水のなかに溶け込む絵具のようなものであり、物的要素との組み合わせのなかで建築・都市空間を形成する本質のひとつである。油絵の絵具は水に溶け込むふりをしつつ沈殿する。水彩の絵具は美しく混ざりあいながら水を灰色にしていく。本質を捉えようとする様々なノーテーションにおいて沈殿し灰色となった絵具のような存在を事前・事後的に掬い上げるアノテーションとの組み合わせが今後重要となってくると言えるだろう。

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書誌
著者:Bruce and Donald Appleyard
書名:Livable Streets 2.0
出版社:Elsevier
出版年月:2020年11月

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橋本圭央
建築討論

はしもと・たまお/高知県生まれ。専門は身体・建築・都市空間のノーテーション。日本福祉大学専任講師。東京藝術大学・法政大学非常勤講師。作品に「Seedling Garden」(SDレビュー2013)、「北小金のいえ」(住宅建築賞2020)ほか