喫茶ランドリー的超能動空間計画論

大西正紀
Oct 5 · 19 min read

大西正紀/Super Activated Space Planning in Kissa Laundry/Masaki Onishi

隅田川の東側、両国駅と森下駅の間にある「喫茶ランドリー」は、パートナーの田中元子が2016年に設立し、私も立ち上げに参画した会社グランドレベルとしてはじめての仕事だった。かつては1階が手袋の卸屋、2、3階はオーナー一家が住んでいた築55年の空きビルがリノベーションされようとしていた際に、「1階はどうあるべきか?」と、創造系不動産という会社から相談を受けたことがはじまりであった。

築55年ビルの改修前の姿。大通りからは入り込んだ住宅街の中に建つ。

偶然、これまで長く住んできたエリアに、その建物は建っていた。周辺のエリアを改めて観察してすぐに、少し前にコペンハーゲンで見かけたランドリーカフェを思い出していた。住宅街のマンションの1階にあったそのお店は、玄関を開けると赤を基調とした可愛いインテリアが印象的だった。しかし、ランドリーは見当たらない。ようやく奥のトイレの脇に数台あるのを見つけると、そこで地元の大学生たちが洗濯物を入れては、大きなテーブルへ移動し、宿題をやりはじめた。目を上げると、玩具で遊んでいる子ども、パソコン仕事をする男性、赤子をあやしているママ、コーヒーを飲む作業員風のおじさん……。ランドリーとカフェの組合せはどうでもいい。そのまちに暮らすあまねく人々がただ佇んでいる光景に感動した。そして、これこそが、今の日本に最も足りない状況だと考えていた。

コペンハーゲンで出会った「ランドロマットカフェ」。子どもをあやすお母さんと仕事をする旦那さん。

田中と共にmosakiというユニットとして十数年、建築と社会との架け橋になるべく、建築メディアづくりを行ってきた。その後、フィールドを紙面からまちへと移し、都市の遊休地をキャンプ地化する「アーバンキャンプ」や、個人がまちにでて無料でふるまう「パーソナル屋台」のワークショップなどから大きな気づきを得ていた。

ひとつは、 “補助線のデザイン”はいかようにも人々を能動的にさせるとうこと。もうひとつは、いかなる個人も年齢や属性に関わらずプレイヤーなのだ、という確信であった。その延長上に「1階づくりはまちづくり」というモットーを持つグランドレベルという会社が立ち上がり、その理念ごしに築55年の建物を見たとき、ひとつの答えが出ていた。それは、どんな建築も、あまねく人々が能動的に居続けられる場所であるべき、コミュニケーションが促進される場であるべき、ということだということだった。それも最高の状態で、だ。

左:神田のまちのど真ん中に出現させたキャンプ場「アーバンキャンプ」は、新しい観光のカタチ。その後、地方への展開も。右:ツバメアーキテクツに設計によるオリジナル屋台をまちのあちこちに出没させ無料でコーヒーを振る舞う「パーソナル屋台」はワークショップ化させ、全国へ展開している。最近では、まちづくりの手法として取り入れてくださる地域が現れはじめた。

だから、この1階につくるべきものは、まちに暮らすあまねく人々が、飲んだり、食べたり、つくったり、会話を楽しんだり、DIYをしたり、モノを売ったり、イベントを開催したり、誰しもが必ず持つ“小さなやりたいこと”を実現する場所となることが最大の目的となるべきだと考えた。コンセプトは「私設の公民館」。そして、紆余曲折を経て、洗濯機や乾燥機、ミシンやアイロンを備えた「まちの家事室」を持つ喫茶店を自社で企画・運営することになった。店の名前は「喫茶ランドリー」、コピーは「どんなひとにも自由なくつろぎ」となった。

「喫茶ランドリー」外観。2018年1月にグランドオープンした。(写真:阿野太一)

喫茶ランドリーのデザイン

「1階づくりはまちづくり」をうたう我々は、1階部分のインテリアからファサード、軒先、前面道路に触れるあたりまでを“エッジデザイン”と捉え、まずそこに大きな重点を置く。耐震補強により新しく通り側に大きな開口を実現させ、利用者や通りがかるひとたちの視線や意識、行動をいかに絡ませうるかということを考えて、段差や開口の割り付け、ドア等のデザインのジャッジしていった。

半地下のモグラ席から外部へのエッジデザイン。上半分はフィックス窓、下半分は引き違い窓、その境界に奥行き25センチのカウンターテーブルを設えた。グランドレベルが設計の総括を、実施設計はブルースタジオと石井大吾デザイン室一級建築士事務所が行った。 (写真:阿野太一)

入口を入ると内部には、床面の高低差を生かした4つのスペースがある。入口を入ったところに広がる約20席のフロア席、70センチ下がった半地下にある籠もり感たっぷりの「モグラ席」や、フロア席の向こうには30センチ上がったスペースに洗濯機などが並ぶ「まちの家事室」、左奥には事務所もかねた大き目のテーブルスペースがある。

どの世代のために何を提供するのかというターゲティングが、世の中のサービスづくりの基本とされているが、私たちが目指したのは、究極のノーターゲティング。0歳から100まで、あまねく人々に受け容れられるデザインとは、どうつくりえるのか。カフェではなく昔ながらの喫茶店のように親しまれるために、タイル、照明、マグカップひとつ、あらゆる要素の中に“どこかで見たことのある”記号性を取り入れた。さまざまな既視感の重なりは、誰しもが持てる普遍的な親しみやすさと安心感を与えるからだ。「まちの家事室」では、水場の清潔感を設え、喫茶スペースでは、男性やおひとりさま、お年寄り、また乳児連れにも使いやすいように、椅子やテーブルを小さなスケールの中古の喫茶店家具で揃えた。

「喫茶ランドリー」内観。入口を入るとフロア席と、その向こうに「まちの家事室」がある。「まちの家事室」は水勾配により、床のレベルが30センチ高くなっているが、それにより内外の見通しが良くなっている。 (写真:阿野太一)

レジも兼ねるキッチンのカウンターテーブルは、高さを低く抑え、壁が一切つくらず、店員とお客さんの関係がニュートラルになることを極限的に目指した。この考えは、スタッフにおけるコミュニケーションのデザインにもつなげている。スタッフは、お店の人としてではなく、○○さんというひとりの人間としてその場に立つことが求められる。また、約30席の客席に対してはありえないワンオペレーション。最小限の約7平米のキッチンの中で、最大限可能なメニュー数を提供し、またその内容はすべてスタッフが好きなものをつくり提供して良いということにした。開店以来、4名の地元のママスタッフがまわしてくれている。働く条件は、子連れOK、洗濯し放題、メニュー開発し放題。こうして、まさにハードとソフトからコミュニケーションまでを横断するホリスティックなデザインを行っていった。

「喫茶ランドリー」のレジカウンター周り。今さっきお客さんとスタッフははじめて会ったはずなのに、よくこのような光景が生まれている。

開店から、1カ月ほどが経ち、まちに暮らすさまざまな方々が足を運んでくださるようになった。地域に長く住む高齢の方々、周囲で働いているサラリーマンたち、最近暮らしはじめた子育て世代、そして単身者も。どこに偏るわけでもなく、あまねく人々が来店している。店内に注意書きは一文字もない。赤子は泣き喚くこともあれば、子どもが走り回って親に怒られたり、サラリーマンはPCに向い、おばさまたちは楽しそうに団らんを。コピーそのまま、人々は自由に過ごしている。

半地下のモグラ席に、地元の高齢の方が集まりはじめた。通りがかるお友だちを誘い込み、人数が増えていく。たまたまBGMをかけにきていたDJは、それに合わせて演歌をかけはじめる。向こうには子連れのママさんたち。
左:キッチン内から、「喫茶ランドリー」のフロア席を見渡す。通りを行き交う人々と視認し合うだけの価値も1階をつくる上では大切なものとなる。右:「まちの家事室」は、平日の幼稚園や小学校が終わったころから、子どもたちの遊び場となることも少なくない。この光景を目にした常連さんが先生となり、最近は週一回、学習塾も開催されている。

さらに、通常の喫茶利用や洗濯利用に合わせて、オープンから1年で、200以上のさまざまな活動に使っていただいた。ミシンや料理、バンドの発表会に工作ワークショップ、誕生会や建設会社の勉強会、現代アートの展示など、その用途の多彩さは、私たちの当初の予想をはるかに越えていた。“コミュニティはなくなった”と良く言われるが、どうやらそれは違う。小さなコミュニティは、まちのそこかしこに、建物の中にある。ただ、彼らが可視化されていなかっただけなのだ。

「喫茶ランドリー」は、一切の自主イベントをしない。自主イベントは、他者が介在する余地をつぶすものだ。常にお客さんの想い、持ち込まれることを全力でさせてあげることを第一に考える。それが街から見えれば、また“小さなやりたいこと”が持ち込まれてくる。そのサイクルをどうデザインで構築するのか。

何かが起こるきっかけはいつもスタッフからお客さんにかけられる「よかったら、何でも使ってみてくださいね」という言葉だ。地元の公民館でそれを言われても、反応しない人たちも、喫茶ランドリーの空間内で言われると、魔法にかかり、あれこれと妄想をしはじめる。そして、その人の小さな願望が言葉として溢れたとき、スタッフたちは「やりましょう!」とすぐに日時を決めてしまう。それを私たちは、「許可」ではない「全力の応援」と表現する。次の瞬間には、お客さんはいつの間にか不安を払拭し、一歩目を歩みはじめている。

この極限まで活き活きとした状態を生み出すために、私たちは、どのプロジェクトにおいても、次の3つのウェアのデザインを意識している。建物・インテリア・外構といった空間と、そこに常に加えられ続けていく雑貨や食器等、目に触れるものすべてを総体として捉える「ハードウェア」、何が提供され、何が許されるかという「ソフトウェア」、そして、心に寄り添い人を突き動かすコミュニケーションによって全体を秩序立てる「オルグウェア」。これらを一体でデザインすることで、あらゆる建築や施設、そこに暮らす人々やまち全体が、より超能動的でアクティブなものへと成長、成熟していくと考えている。

3つのウェア。しかし、どれもが器だという考えが大きなポイント。

いかにエラーを起こすか、いかに見立てさせるか

さらに3つのウェアをデザインしていく中でも、最も重点をおく2つの視点について、ここでは触れたい。

ひとつが「エラーが起きるか」ということ。たとえば、喫茶ランドリーの平面計画は、通常のカフェや喫茶店の定石からは、完全にずれている。入店しても店員さんが視界に入らなければ、ランドリースペースへもスムーズに入ることができない。田の字型につくったそれぞれのスペースは、レベル差と回遊性があり、多くの人を戸惑わせる。しかし、これらはあえてデザインしたエラーだ。

通常は逆である。無駄を省き、事故を避けるためにできるだけエラーをなくし、効率化を目指す。しかし一方で、エラーこそが知らない者同士が会話をするきかっけになる。そこに私たちはそこに最大の価値を見出す。入店して目の前に店員さんがいないので戸惑うお客さんには、「お席は自由です。注文はこちらでどうぞ」と声をかける。「まちの家事室」はどこから入るの?と戸惑お客さんには、「家事室は土足のままどうぞ」と。仕切りなく奥に設置された事務所用途の大テーブルに座ってしまったお客さんには、「ここは事務所スペースだけど、良いですよ」と言う。こういった自然と投げかける言葉から、人と人との関係がはじまる。一言交わすごとに、意識レベルでの居心地が変わっていく。

さらに誰もがそこに居て良いという人間らしい秩序が空間に充ち満ちていくと、エラーによるコミュニケーションはさらに確変しはじめる。内部が丸見えのキッチンに洗い物が溜まっていると、はじめて来たお客さんが思わず手伝いはじめたり、入口の階段前にベビーカーやお年寄りが近づくと、そっとお客さんが外へ出て駆け寄り入店をサポートする。子どもが玩具で遊び、おばあさんが好き勝手に編み物をし、学生がデッサンをする。一様ではない過ごし方が表出していると、「何をしているの?」と、お隣さん同士のコミュニケーションがはじまる。どのようにすれば、エラーが起こり、会話がどう生まれるのか。あらゆるデザインの判断の起点をそこに置く。

「まちの家事室」は、結果、洗濯をする人だけではなく、ミシンをしたり、子どもが遊んだり、また打合せやワークショプ等を行うレンタルスペースとしても人気となっている。子どもが絵本を読んでいるところに、洗濯物を取りに来た女性。初めて会うけど、自然と会話がはじまる。

もうひとつは、その空間が、自分たちの想像を超えるくらい、他者に「見立てさせられるか」ということだ。よく「○○に使われる」といった文言が書き込まれた図面を目にすることがある。でも、考えてみてほしい。そんな設計者の想像とクライアントの要望によって純粋につくられてしまった空間は、それ以上でもそれ以下でもなくなる。使用者の想像も思考も、そこでは止まってしまうものを創り出しているに他ならない。

空間全体をつかって、展示をしてみたいという人も増えてきた。ほとんどが、生まれてはじめて展示をするというひとばかり。しかし毎回、そんな空間の使い方があったかと感心させられる。

私たちは、明確な使われ方以前に、“補助線のデザイン”ということを意識する。小さな公園にブランコがあると、子どもはブランコでしか遊ばない。一方、そこに小高い山があったとすると、子どもたちはそれをいろんなものに見立てて遊びはじめる。その可能性はブランコの何十倍にもなる。建築もそうあるべきなのだ。

極論、今原稿を書いているスターバックスは、珈琲を飲み、PCを開く以外、見立てることができない。誕生日パーティーを開きたい、みんなで集まって編み物をしたい、とは思わせないように、人間的欲望が自然と抑制されるように3つのウェアのデザインがコントロールされている。喫茶ランドリーは、その対極を行く。ここをこんなふうに使ってみたい。4つのスペースを組み合わせて妄想を膨らます人もいれば、個別のスペースを借りて使い倒す人もすくなくない。「まちの家事室」を舞台にして、最新のバウムクーヘンが登場するイベントがあれば、店内にいくつものワークショップスペースができて小さなディズニーランドのようになったり、モグラ席が犬だらけの犬の誕生会が開かれる。カウンター席はいつのまにかチラシ置き場となり、その下は地元の方の中古レコード販売コーナーに。自然増殖的に増えていく常連さんたちの物販コーナーは、アクセサリーから秋田のいぶりがっこまで、常に変わり続けることで、外から人を引きつける。世に溢れるクリエイティブなんて言葉が空虚だと思うくらい、市井の人々が必ず持つ“小さなやりたい”は、超絶クリエイティブなのだ。

会社ではなく、ここで勉強会をしてみたい。でも他のスペースは通常営業でもかまいません。家事室では、普通にミシン利用の親子が。

“ウェア”を哲学する

「ハードウェア」「ソフトウェア」「オルグウェア」が一体としてまわりはじめると、建築は超能動空間となる。そこでは人は、自分とは異なる他者を受け容れつつ、自身も能動的になれるようになる。結果、日々、想定外のことが起き続ける、私たちの考える理想的な建築となる。

私たちは、この「喫茶ランドリー」をプロトタイプとしてつくった。喫茶ランドリーをベースに構築した超能動空間のつくり方を、マンションや市役所、美術館や図書館、学校やオフィスビル、デパートや公園、歩道、広場など、さまざまな1階に吹き込むべく、現在、日本全国でさまざまなプロジェクトが進行中だ。その規模も小さなお店づくりから、団地や役所の1階まわりなどへと大きく広くなってきている。

ここで示す空間設計論は、どのような建築タイプにもインストール可能だと考える。「喫茶ランドリー」以後、神奈川県のスポーツジムの一階、北海道帯広のまちの起業家カフェ、そして最近、座間市のホシノタニ団地の一階へと展開し続けている。

一連のプロジェクトを通して、「モノ」や「コト」、「ハードウェア」や「ソフトウェア」といった捉え方では、建築はそこに関わる人々をより人間らしく躍動させてあげることはできないということに気付いた。それはこれまでの建築の限界とも言えるのかもしれない。建築を超発酵させるためには、それらを媒介し、再組織化する「オルグウェア」が必要となるからだ。

そもそも「ウェア」というものの捉え方も間違えていた。「ウェア」の語源のひとつに「立ち上がり」という意味がある。その昔、器をつくる際に、土でつくった平らなプレートの縁を立ち上げた、そこを「ウェア」と言ったという。そうか、「ハード『ウェア』」という器の中に「ソフト『ウェア』」があるのではない。どちらも互いが器なのだ。ハードの中で、ソフトが躍動することもあれば、ソフトの中でハードが変化することもある。そして、3つのウェアでは、そのふたつを取り持つコミュニケーションとしてのオルグウェアもまた器となる。3つそれぞれが器となり、お互いを支え、互いの変化を受け容れ、変わり続けていく。それを前提に、あらゆる設計やデザインを考えていくと、数センチ、数ミリ、また言葉のたった一言が、何にどれだけ影響を及ぼすかが見えてくる。

“人間の幸福・健康”オリエンテッドからはじめよう

建築メディアづくりから、1階づくりへと移行したこの数年で、建築界と少し距離ができたことで、いろいろと見えてくることもある。建築・都市・まちをつくることに関わる人たちは皆、設計すること、デザインすることの拠り所を必死に探している。図面に線を一本引くことの理由が欲しいのは、至極当然のことだと思う。しかし、拠り所として主張されることや、その結果生み出されるものは、私たちから見ると府に落ちないものが少なくない。どうして、こんな何もエラーが起きない、会話が生まれない、それ以外には見立てられない、想像以上の光景は起こらないようなモノをつくるのだろうかと。そんな問い、そんな解答では、クライアントの要望を満たすだけで、これからの社会には何にも影響を及ぼさないものをどうしてつくるのか、とも。同じ条件下でも、もっとやれるヤツをつくれるのに、もったいない!と思うのだ。

どうしてそんなことになっているのか。結局は、建築・都市・まちに関わる人々は、幸福とは何か? 健康とは何か? という人間の根本的な問いに対する哲学が足りていない。そこに対する飽くなき探究心が少な過ぎる。それよりもやっぱりモノが好き過ぎるのだ。人ひとりの命を預かっていることを考えれば、この建築好きのおかしさに気づけるはずだが、それはなかなかに難しいらしい。もし、人間の営みの中で、今の社会の中で、建築や都市がどうあるべきかをもっと深く考えることができれば、その観察眼は変わっていく。究極モノには目が行かなくなる。建築物の中、あるいは建築物と建築物の間で、日々繰り広げられる人々の心の移ろいや行動に焦点が定まっていく。

もっともっと“人間のココロ”にフォーカスせよ! そこを突き詰めれば、そこにこそ設計や計画にフィードバックできる自身の論や手法の種が生まれる。社会がどんなに複雑になり捕らえどころがなくなってきているとしても、人間は普遍性を持ち続けているのだから。それがやや建築界の外野に居る、今の私たちだからこそ言えることのひとつだろう。次の時代の建築・都市・まちのつくり方、在り方の拠り所はそこにあると信じる。そこを突き詰めて、人間が超能動的な状態になれる空間のつくり方を、それぞれに発見していけるとしたら、これからの日本の建築や都市、まちの光景は、どれだけ豊かになるのだろう。

能動的な状態とは、実は、人間が本当の意味で健康的な状態であることの必須条件でもある。ここまで語ってきた論が、全く響かない人たちもいるかもしれない。でも最後に伝えたいのは、実はこのような理念を設計や計画のベースとすることは、今や世界的な潮流でもある。そのような視点で建築作品を評価するアワードに注目が集まっていたり、国際的な建設会社も「HEALTH」という文字を掲げる。それは日本のあらゆる計画に使われる「賑わい」という言葉のように“お飾り”としてではなく、徹底的に人間が真の健康的な状態になれる建築・都市をつくろうという本気のステートメントだ。日本の建築界が、どうかそのような方向へ向かっていく一助に、私たちのプロジェクトがなれればという想いは強い。そのためにも、1階の専門家として、ハードとソフト、コミュニケーションを行き来しながらデザインのアドバイスができる専門家として、設計者の方々と協働させていただくことが、次の夢だ。

ある日曜日の「喫茶ランドリー」の軒先。「私のこれもいいかしら?」と、地元の人たちが介在し続けるフリーマーケット。これを興させるための、デザインを追求し続けたい。

建築討論

建築をめぐる幅広い批評的議論のプラットフォームを提供する日本建築学会のウェブマガジンです。

大西正紀

Written by

おおにし・まさき/1977年生まれ。2003年日本大学大学院修士課程前期修了。ロンドンの設計事務所勤務を経て、2004年クリエイティブユニットmosaki設立。2016年ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、建築・まちをアクティブにする株式会社グランドレベル創業に参画。

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