Lawrence Chua “Bangkok Utopia: Modern Architecture and Buddhist Felicities, 1910–1973”

近代のニルヴァーナ(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
Jun 5, 2022

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私たちは信仰というものに、多かれ少なかれ居心地のよさや悪さを託している。たとえそれは科学が進んだ近代以降の社会であっても、である。卑近な例で恐縮だが、注連縄が巡った大樹を伐ることに、やはり私たちは躊躇いがちだし、小さな鳥居に向かって立ち小便をすることもまた憚られる男性諸氏は多いだろう(そもそも立ち小便をすることが現代では憚られるのかもしれないが)。であるならば、万人の安寧と繁栄を目指しているはずの都市づくりに、信仰が絡んでくるのは至極当然ではあるまいか。

タイの首都バンコクは、1782年にラーマ1世によってチャクリー朝の都として建都され、現代では多国籍企業が集積するグローバルシティとなっている。本書は、そんなバンコクにおける前近代と現代の結節点ともいえる1910年から1973年に着目し、そこで目指された理想の都市が、欧米に伍するための近代都市であったと同時に、上座部仏教を信仰する人々にとっての、ある種のニルヴァーナ(涅槃)であったことを明かにしている。そのことから、バンコクには西洋のユートピアとは異なる系譜のユートピアが投影されていることを明らかにするのである。

近代に提示された理想都市は、階級闘争や人口過密など、社会課題への対応としてしばしば読まれるが、バンコクの為政者たちがつくる実際の都市や建築に、本書は上座部仏教のコスモロジーを読む。冒頭の私の卑近な事例が、日本の文脈を離れれば、ややトンチンカンであるように、信仰はローカルや主観に深く根差している。したがって、本書から私たちは、たとえ近代以降であれ、安寧と繁栄を目指す都市建設には、抜きがたく信仰が投影されることを知るのだが、言い換えればそれは、ユートピアが常にローカリティを持って立ち現れる多元的存在であり、ひいては近代化のプロセスそのものに複数の系譜が存在することを理解するのである。

本書の骨子を評者なりにまとめれば、以上であるが、それを導くための本書の構成、とりわけ時代設定は巧みである。

この時期のタイは、絶対王政下の近代、1932年の立憲革命による立憲君主制への移行、1950年代末の軍事クーデターに始まる開発独裁、1973年の学生運動による政変と、政治体制の変化をさまざまに経験している。例えばこれが、前近代の体制を引き継いだ絶対王政の時代の都市や建築のみに、仏教のコスモロジーの反映を読み解くのであれば、古代よりヒンドゥーや仏教のコスモロジーが都市形態に反映されたことがよく知られる東南アジアにあって、さほど驚きはないだろう。上記の期間全体を通じて、その反映を読み解くからこそ、本書は魅力的なのだ。

他の東南アジア諸国と異なり、タイは植民地化を経験していない。しかし、主権国家の形成過程は、日本のそれとは大きく異なる。ラーマ5世(在位1868–1910)により近代化政策が開始されたものの、政治体制は1932年までは絶対王政。また、西洋列強との不平等条約は1940年まで解消されておらず半植民地状態と言ってよい。つまりタイ近代は、王権とコロニアリズムの狭間にはじまった。本書の3章、4章は、そうした絶対王政下の近代を扱う。3章では、経典に描かれたニルヴァーナの境地を参照した寺院建設マニュアルを通じた国民統合について、4章では、立憲君主制の予行演習場ともいえるラーマ6世による宮廷内のミニ理想都市について扱っている。

一方、1932年には立憲君主制に移行する。この移行期を主に扱ったのが5章、6章、7章である。個人的にはこの時期をおもしろく読んだ。 5章では、火葬儀礼を取り上げ、須弥山になぞらえた本来は王のための火葬施設が、モダニズムの意匠を纏いながら革命の英雄たちにも反復されるさまを描く。6章では、エアコンという先端技術を導入し、文明化された涼しい至福の空間が体感できた映画館が、ラーマーヤナを元にした民族叙事詩の伝達空間でもあることを描き、7章では、来るべき時代の素材としてコンクリートが国家プロジェクトで重視されるとともに、宗教的意味づけもまた重視されるさまを描く。近代技術の導入と宗教的モチーフの継承により、新時代の正当性が図られていく点が興味深い。

タイはいまでもクーデターが頻繁に繰り返されるように、軍部の権力が強く、1932年の立憲革命以降、たびたび軍事政権が誕生した。なかでも1950年代末から73年にかけての軍事政権は、独裁と同時に経済発展を達成する開発独裁の時代であった。政治的には自由を制限されながらも、経済的にはアメリカなど西側諸国からの援助もあって、消費社会を発展させ、海外からのツーリストを魅力する、猥雑さの相まった光と影の入り混じる私たちのよく知るバンコクに、この時期変容していく。第8章はこの時期を扱う。この章では、他の章と違い、都市に信仰が反映するさまを、必ずしもうまく示せているわけではないのだが、性やドラッグにアクセス可能なこの都市を、70年代の短編小説が「Floating Paradise」と表現したことに、サンスクリット文献に現れる「ヴィマナ」という空飛ぶ宮殿との無意識のつながりを発見している。

目指すべき理想郷が共有できると、集団の一体感は強化される。本書でも分析されているが、それは国民統合のツールにもなる。それゆえ、伝説や宗教的なモチーフは、近代以降の国民国家の時代にも重要な役割を果たしたのだろう。だが、一方でそれは、容易に信仰の差異を分断のラインにもしてしまう。あるいは逆に、植民地化がそうであったように、その文脈がわからない者にとっては無意味なものになる。そう考えれば、植民地を経験した国では、タイとは異なる状況が見られるのではないか。本書のアプローチを参照しながら、そうした都市を読み解くならば、例えば、ユートピアの衝突といった、また違った側面も見えてくるかもしれないなどと、想像をたくましくするのである。

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書誌
著者:Lawrence Chua
書名:Bangkok Utopia: Modern Architecture and Buddhist Felicities, 1910–1973
出版社:University of Hawaii Press
出版年月:2021年2月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか