Lukasz Stanek, “Architecture in Global Socialism: Eastern Europe, West Africa, and the Middle East in the Cold War”

まれびとの東欧(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
7 min readOct 9, 2020

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モダンムーブメントが世界を席巻したとか、建築のグローバル化が進んでいるとか、ぼくらはついつい物知り顔で言うけれど、近現代の建築について、ほとんど触れられていない世界の出来事はまだまだ多い。本書は、第二次大戦後のポーランドやハンガリー、ユーゴスラビアといった東欧の社会主義圏に目を向け、しかも、それらの国々が、ガーナやナイジェリア、イラクやUAEといった西アフリカや中東で建築や都市計画をばんばん手がけた、というきわめてダイナミックな建築の国際関係を扱っているが、東欧とアジア・アフリカのこのホットラインについて、ぼくも含めてほとんどの人が初耳だろう。一体なぜなのか。

Lukasz Stanek, “Architecture in Global Socialism: Eastern Europe, West Africa, and the Middle East in the Cold War”

それには、近現代建築史に対するいくつかの視角の偏りが関係している。まず、ひとつめは、欧米と自国中心史観。近代建築の中心を欧米にみて、それを鏡に日本をみる。それがこの見方だが、しかし、この見方は随分と改善されてもいる。アジアをはじめとする非西洋圏の近現代建築への関心は、いまや決して低くはない。

ただし、そこにもまだ偏りはある。それが、ふたつめの植民地/脱植民地史観である。非西洋圏では数多くの国が、19世紀から20世紀の半ばまでの間に、欧米列強の植民地となるか、間接統治をされたかの経験を持つ。この支配/被支配の国際関係は、その地域における建築文化の移入や混交、アイデンティティの確立に決定的な影響を与え、独立後はそれをいかに内面化または脱却したか、という軸で非西洋圏の近現代は語られがちである。だが、その視角に拘泥するあまり、20世紀後半の重要な国際関係が覆い隠されることがある。すなわち冷戦である。

とは言いつつ、冷戦と建築の関係は、近年、日本でも関心が高まりつつある。その意味ではふたつめの偏りも少しずつ是正されている。だが、この冷戦をみる視角にもやや偏りが生じている。それが、みっつめの西側中心史観である。1989年のベルリンの壁崩壊から冷戦終結、その後のグローバル経済の進展および都市建設ラッシュは、社会主義圏が持っていた影響力の大きさを、ぼくらの意識の後景に退けてしまう。そのため、国際援助や技術協力、企業進出をとおして、東側陣営が社会主義圏を飛び越えて建築を輸出していた事実を、西側陣営の国々はついつい忘却しがちである。

つまり本書は、以上の3つの史観いずれとも異なる立場にあるからこそ、新鮮なのだ。①西洋の周縁ともみられる東欧と、中東・西アフリカという非西洋圏を扱いながら、②それらの国々が旧支配者(本書ではイギリス)からの影響を脱するため、東側の国際協力を得てプロジェクトを実施する姿を描き、③ポーランドのMiastoprojektや、ユーゴスラビアのEnergoprojektなど、社会主義国の海外進出の担い手となった国営企業や、プロジェクトに関わった建築家や研究者を明らかにする。本書が成し遂げたこれら3つは、いずれも従来の近現代建築史を大きく前進させるものである。

こうした大枠での新規性はもちろんのこと、細部においても、本書はいくつも新しい発見を与える。とりわけ以下の二点について、評者は興味深く読んだ。

ひとつめは、東欧のセールスポイントは何だったかである。アジアやアフリカで、都市計画や建築プロジェクトの機会を得る際、東欧という位置づけや、自国での戦災復興の経験が、彼らの売りになったという。例えば、チームXのメンバーでもあったハンガリーの建築家Charles Polónyiは、西洋の周縁にあり、経済的にも遅れをとっていたこれまでのハンガリーを、ガーナやナイジェリアの後進性に重ね合わせ、むしろそれがゆえに、1950年代にハンガリーで実施された地域復興計画の経験が、西アフリカで生きると述べた。一方、イラクでは、1950年代末より首都バグダードの都市計画に、Miastoprojektなどポーランドの国営企業や建築家が関わったが、ここでのポーランドの優位性のひとつはワルシャワの復興だったという。戦争で破壊された歴史的建造物を徹底的に復元しながら、新たな都市改造をおこなったこの復興は、いわばポストモダンな都市計画の先駆けだった。そして、この先駆的な経験が、中東でも有数の悠久の歴史都市バグダードの計画者として、ポーランドの建築家を適任とみる効果を持ちえた。つまり、東欧の歴史とアジア・アフリカの歴史が交錯し、そこに共通性が立ち上がることで、両者の関係が強化されたのである。単なる技術の優劣で国際関係は決まらない。

ふたつめは、石油と建築の物々交換についてである。これは中東でのプロジェクトでしばしば用いられた手法という。東欧からは建材や技術を提供し、中東の産油国はその見返りに石油を渡す。さらにその石油は西側諸国に輸出され、東欧にお金が回る。まるでわらしべ長者のような交換が、建築を介して東西を横断してまさにグローバルで展開していたのは興味深い。そのようなことが起きるのは、やはり建築が技術を必要とする物体であり、等しく誰もが同じように建設できるわけではないからだろう。アジア・アフリカの国々は多くが独立したとはいえ、直ちに建築も自立できたとは限らない。外から人を招き入れる必要があったのだ。例えば、日本が戦後賠償やODAを使って、東南アジアでさまざまな建設に参入したのも、同一の文脈で理解できよう。現在、アジア・アフリカの大都市では、海外設計事務所による超高層ビルが乱立しているが、いわば“まれびと”が建築をつくるこの現象は、何も最近にはじまったことではなく、帝国主義の時代、冷戦の時代、そしてグローバル経済の時代と、アジア・アフリカの近現代に、むしろずっと横たわっていたのである。東欧を中東・西アフリカの“まれびと”として描いた本書は、その事実を鮮明にする。

だが、一方、書籍をめくりながら新たな疑問も沸く。「社会主義の建築とは何か」である。豊富な図版に登場する西アフリカや中東の1960年代から1980年代の建築は、ぼくたちが東南アジアで出会う同年代の建築とさして違いがない。1960年代から1970年代は、シェルや折板屋根が多用され、窓にはブリーズソレイユが付いた典型的な熱帯の近代建築であり、1970年半ば頃からは、そうしたスタイルに、例えばイスラムの装飾が付くなど、地域性を意識したポストモダン化が生じる。つまり建築レベルでは、社会主義国の建築というイデオロギーによる独自性は判別できず、ただ西側との共時性のみがある。言い換えれば、本書のタイトルにも現れる「グローバル・ソーシャリズム」とは、「誰が、どこで」建てるかを大きく規定するものであるけれど、「何を、どう」建てるかという建築知のレベルにおいては、ほとんど何の影響もないということなのだろうか。いやいや、それとも、その差異が、ぼくたちにはまだ見えていないだけかもしれない。本書のような研究が、東でも西でも出揃ってきた暁には、その答えも、おぼろげながら見えてくるであろう。

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書誌
著者:Lukasz Stanek
書名:Architecture in Global Socialism: Eastern Europe, West Africa, and the Middle East in the Cold War
出版社:Princeton University Press
出版年月:2020年1月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか