”Mud over concrete” — アフリカの建築家たちが、コンクリートではなく土を選ぶ理由

連載:「Afro-Urban-Futurism / 来るべきアフリカ諸都市のアーバニズムを読みとく」(序論+その1)

連載序論

総人口の70%が35歳以下と言われるアフリカ大陸。急速なアーバナイゼーションと経済成長に加え、「リープフロッグ現象」と呼ばれる急速なテクノロジーの発展が見込まれている。2100年には大都市のほとんどはアフリカに位置する、という予測がなされているのは有名な話だ。

そんなアフリカだが、諸都市の建築・都市計画に関する歴史や動向をアカデミズムの場で議論し、理論化や読解を試みる動きは、欧米諸国や先進国に比べ、まだ多くはない。そこで本連載では、2021年12月から2022年の8月にかけての9ヶ月間、アフリカ各地域の5つの都市をリサーチした筆者の観察を通して、アフリカから始まる新しい都市のパラダイムの可能性を読み解いてみたいと思う。

アフリカには、植民地の歴史やディアスポラの経験、人種差別といった重いテーマがつきまとっている。そのような高い障壁にかかわらず、彼らが大陸全体として、黒人として、新しいアフリカ的なアイデンティティや未来像を積極的に描いていることに私は興味がある。だからこそ、アフリカや黒人を中心とした独自の宇宙観・SF的な世界観を持つ思想を指す「アフロ・フューチャリズム(Afrofuturism)」という言葉にもじって、本連載を「アフロ・アーバン・フューチャリズム(Afro-Urban-Futurism)」と呼んでみることにしたい。

本企画「Afro-Urban-Futurism / 来るべきアフリカ諸都市のアーバニズムを読みとく」では、筆者が実際に訪れたトーゴ、カメルーン、ケニア、南アフリカ、モロッコ、エジプトの6都市をベースに、第6回の連載でお届けする。

本連載目次(タイトル仮)

  • 穴だらけのコンクリート: 近代的都市発展とバナキュラーな建築技術 / ヤウンデ、カメルーン
  • 経済発展の狭間で変化する”ゲットー”と犯罪学 / ヨハネスブルク、南アフリカ
  • LGBTQ+スペースの現在地 / ナイロビ、ケニア
  • エジプト、首都移転計画 / カイロ、エジプト
  • インフォーマルビジネスが生み出すシティスケープ / カサブランカ、モロッコ
  • プラスチックの山とエディブル・シティ / ロメ、トーゴ

カメルーンの街の”コンクリートっぽさ”

中央アフリカ、カメルーンの首都であるヤウンデという街を2022年1月に訪れた時、都市のテクスチャとしてまず最初に気になったのは、隙間だらけでいかにも雑に積まれた建設中のコンクリートブロックだった。

2022年現在、ヤウンデの人口は約2,654万人、人口密度は15,000人/k㎡ほど。アフリカの他都市と同様に年々人口増加の進むヤウンデでは、街中に常に何かしら建設中の建物がある。建設中なのか、はたまた放棄されて廃屋となっているのか、判断がつきかねるものも多いのだが、一般的な市民の住宅やオフィスビルの素材として、コンクリートが使われているものが多い。

街中で目にするこのコンクリートが、なんとも酷い。建築用の空洞コンクリートブロックをセメントで積み上げて建物の骨格を作っているのだが、積み上げられた壁には、わざと穴を開けたのかと思うほどボロボロと大きな隙間がある。その上から仕上げ材を被せられることもないまま放置されている謎の残置物も、街中にごろごろ転がっている。呆気に取られてあれはなんだと聞くと、地元の建築家が「ああコンクリートね」と眉をひそめた。

コンクリートへの依存

彼曰く、コンクリートは、今カメルーンで大人気のマテリアルだという。値段は土レンガや木材に比べると割高だ。年間4.5Mtのセメントを生産するカメルーンだが、国内消費に生産が追い付かず、セメント不足による価格高騰が起きている。価格高騰に対応するため、隣国のコンゴ民主共和国などから、セメントを輸入しているのが現状だ。なのに、いやだからこそ、主に中産階級の”近代的な家のステータスシンボル”として、好んで使われるというのだ。

Intermediate goods prices are higher on average in low-income countries in Africa.
GDPとセメントの値段を比較したダイアグラム。緑色で示されているのがアフリカ諸国であり、GDPが総じて低いにも関わらず、セメントの値段は先進国とそこまで大きく変わらないことがわかる。引用:
Leone, Macchiavello, and Reed (2021)
2022年のセメント需要を比較した地図。アフリカでは、今後も需要が高まることが予想されている。引用:World Cement

この傾向は、カメルーンだけではない。

地域によって技術や用途に違いはあれど、伝統的に土を使用した建築物が多いアフリカ。しかし、ナショナル・ジオグラフィックのレポートによると、昨今では近代化や豊かさのシンボルとして、コンクリートで家を再建する住民が増えてきている。

土の建築物のように雨季に崩れる心配もない、丈夫で”滑らか”なコンクリート。しかし、気候変動の影響で気温が上昇しつつあるアフリカで、蓄熱率の高いコンクリートを使用することによる弊害が報告されつつある。断熱がきちんとされていない密閉された空間で上昇した室温をなんとか処理しようと、エアコンなどの空調設備を導入するケースは増加傾向だ。エアコンの高い電気代と設備費を払う財力のない住民による健康被害も絶えない。

適切な技術で施工が行われていないことも多く、耐久性が問題になることも多い。実際カメルーンのストリートは、路面も穴が空いたりひび割れたコンクリート、アスファルトだらけで、歩行に不自由を感じるケースが多かった。

土への回帰

課題の多いコンクリートから、伝統的な素材や建築技法への回帰をすることは、アフリカ出身の建築家やデザイナーを中心に、少しずつ議論され始めている。

22年度のプリツカー賞を受賞したアフリカ・ブルキナファソ出身のディエベド・フランシス・ケレが、「土とコミュニティで建築を造る」ことを標榜していることは、記憶に新しい。

ケレが手がけた「Gando Primary School(ガンド小学校)」は、ケレの故郷であるブルキナファソで、現地の人びとによって計画から施工までが行われ、2001年に完成した。伝統的な工法で作られた土レンガを使用し、屋根に開けられた穴から室内にこもった熱い空気を外に放出するようにデザインされており、冷暖房の必要もない。

地元の素材を使用した土レンガは、製造が容易で安価だ。暑い気候に耐える熱対策にもなる。住民たちが定期的に自分達で適切なメンテナンスを行えるよう、レクチャーも行われているという。

ケレのこうしたバナキュラーデザインのアプローチは、アフリカ出身の若手の建築家に多大な影響を与えている。一方で、アプローチや費用よりも、施工主の理解を得ることが大きな障害となっているともいう。事実、トーゴ共和国で出会った建築家・Sename Koffi Agbodjinouや、南アフリカで出会ったMASS DESIGN GROUPの建築家・Inam Kula、そしてカメルーンで私が話を聞いた建築家は、「土という素材に回帰したくても、時代遅れだと馬鹿にされるケースが非常に多い」と話す。地域によっては土が既に不足しており、逆に高価になってしまうケースも多いのだそうだ。

ハッサン・ファティの目指した「貧者のための」家

土の使用を推進した、アフリカ出身の有名な建築家といえば他にもハッサン・ファティがいる。

エジプトの建築家・ハッサン・ファティ (Hassan Fathy, 1900-89)は、地球上で最も安価な建設材料としての「土」に着目し、高価な材料を使わずとも、安価で心地よい「貧者のための」家を作ることに生涯を捧げた。彼の著書 『貧者のための建築(Architecture for the poor)』では、古代エジプトの都テーベがあったルクソール(カイロよりも約660キロメートル南に位置)にある、ニュー・グルナという村で、鉄やコンクリートなどの近代的で高価な素材を使わずに建設物を作る計画について説明されている。

エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方であるヌビアで、手に持って作業ができるサイズの 「日乾しレンガ」という土を使用した伝統的な技術を学んだファティは、中庭や吹き抜けの屋根など、昔からエジプトで使われてきた建築やデザインの技術を応用し、お金をかけることなく村民のニーズに応えるための活動を行なった。彼らにレンガの扱い方や組み立て方を教え、土を使用したクロストラ(採光用の穴をあけた仕切り壁や間仕切り)といった伝統的な工芸で装飾することを奨励したという。

木の型枠に、ワラやスサなどの繊維質を混ぜ、水で柔らかくした粘土を天日干しにする「日乾しレンガ」は、地元にある素材をそのまま利用できる、地産地消の建築素材である。「貧者のため」と言えば聞こえは悪いかもしれないが、夏は涼しく冬は温かい土の建築は、万人にとって心地よい空間であるはずだ。

窓の開けられぬ夜に、土を想う

カメルーン滞在の終盤、第二の都市であるドゥアラで宿泊したホテルを、今でも忘れられない。人がごった返す中市街に建つ5階建ての薄汚れた宿だ。砂埃に汚れたファサードを見て、窓という窓の下にこれまた年季の入った室外機が取り付けられていることに気づいた。部屋に入ると、まだ外は明るいというのに、窓は締め切られ、カーテンがひかれている。個室にエアコンがついている贅沢な部屋だが、エアコンがどうも苦手な私は、すぐに窓を開けた。

網戸がない窓から、すぐさま蚊が入ってくる。ひしめき合うように取り付けられた隣家・隣室の室外機から、生ぬるい風と騒音が送られてくる。

鬱陶しいからまた閉めざるをえないのだが、そうするとまた息苦しい。日中は30度以上あっても、夜は空気がひんやりするから窓をあけて寝たいのだが、そうもいかない。日中の熱気を吸い込んだコンクリート造のホテルで、その日私は寝付けなかった。

この心地悪さが「モダニティ」だとしたら、近代を受け入れることは、必ずしもアフリカの都市を幸せにはしないのではないか。時代遅れとされて見過ごされている土という伝統的な素材、そしてそれぞれの地域にあったバナキュラーな建築技法やデザインに人々が振り向くためには、ケレやファティのような、アフリカの社会文化を深く理解する国際的な建築家の存在がもっと必要になる。

その先にあるのは、必ずしも過去への回帰ではなく、近代化する都市への現代的な応用を含めた、アフリカ的な「オルタナティブな都市の未来」であるはずだ。■

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杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論

An urbanist and city enthusiast based in Kyoto, Japan. Freelance Urbanism / Architecture editor, writer, researcher. https://linktr.ee/MarikoSugita