“Post apartheid landscape” ー 経済発展の進むヨハネスブルクで、元”凶悪ビル”の変化が物語るもの

連載:「Afro-Urban-Futurism / 来るべきアフリカ諸都市のアーバニズムを読みとく」(その2)

南アフリカ・ヨハネスブルクでの滞在中、どうしても訪れておきたかった場所がある。かつて「世界一高層のスラム」と呼ばれた、54階建て(173メートル)の超高層タワーマンション、ポンテ・タワー(Ponte Tower)だ。ドーナツのように中央が空洞になった円筒形が特徴的な建物で、1990年代にギャングたちに不法占拠され、「中に入って数分あればドラッグから売春婦までなんでも手に入る、犯罪者の巣窟」などと形容されてきた。周囲には、ヨハネスブルクで最も治安が悪いエリアの一つとされているHillbrow地区もある。

あまりに評判が悪すぎると、興味がわいてしまうのが人間の性だ。ポンテ・タワー内部と周辺のHillbrow地区を散策するツアーを、NGO団体「Dlala Nje」が行っているというので、早速予約をし、行ってみることにした。

本連載の第二回目では、このポンテ・タワーの変遷になぞらえて、経済発展と近代化の進むポスト・アパルトヘイト時代のヨハネスブルクの未来を考察してみたい。

1897年のヨハネスブルクの地図。人種カテゴリーごとの人口統計が記述されている。(参照: johannesburgmap360

アパルトヘイト法に則った、白人のためのユートピア

今でこそ悪名高いポンテ・タワーだが、ここは元々、アパルトヘイト下の1975年に、白人のための高級住宅として建てられた。41~46階の1~2ベッドルームの高級アパート、47~50階の3ベッドルームの高級アパート、51~54階の4ベッドルームの超高級トリプレックスフラットなどがあり、サウナ、2ベッドルームエンスイート、書斎、ラウンジ、高級ショッピングセンター、バーベキュー用の屋上庭園エリア、子供用の遊び場、照明付きのテニスコート2面、大人用と子供用のプールなどで構成された464室は90%の賃貸率だったという。当時としては最先端の施設が揃い、1500〜2000人を収容できるこの建物は、やがて「ポンテ・シティ」と呼ばれるようになった。

11~40階の間取り図(参照: “Ponte — The tallest residential building in Africa “
ペントハウスフラットのイメージ図(参照: “Ponte — The tallest residential building in Africa “

興味深いのは、アパルトヘイト法に準拠し、住み込みの使用人として働く黒人たちと白人の居住空間を完全に分けるレイアウトだ。南アフリカでは、 1950年に制定された「集団地域法」と「人口登録法」によって、人種グループごとの集住が義務付けられていた。アフリカ人系タウンシップ、カラード系タウンシップ、インド人系タウンシップ、白人住宅街が生まれ、これらの居住区の境界線上に、高速道路、緑地帯、工業地帯が配置された。

異なる人種同士が居住区を共にすることが許されていないなか、住み込みの使用人と白人富裕層の住民の生活動線を完全に分けることで、「ポンテ・シティ」はアパルトヘイト法に準拠することに成功した。まさに当時のヨハネスブルクの社会政治構造を、一つのビルのなかで体現していたといえる。

PONTE TOWER MODEL — 1975(参照: GLH

噂とはほど遠い現在の姿

NGO団体・Dlala Njeのツアーの当日。Uberでポンテ・タワーの入り口に乗り付けた私は、閑散とした緊張感のないエントランスに若干の物足りなさを感じてしまった。正直、怖いもの見たさがあったのかもしれない。私の思いとは裏腹に、入り口付近でこちらに笑顔で手を振っている男の子がいる。Dlala Njeのメンバー、ジャスティスだ。お洒落なジャスティスは天真爛漫といった様子で、とても犯罪の巣窟を案内してくれるガイドには見えない。

ジャスティスに連れられて、ポンテ・タワーの1階にあるDlala Njeのオフィスを訪れた。ポンテ・タワーに暮らす子供やティーンのためのコミュニティスペースにもなっているようで、明るい室内にはオモチャや子供の絵がぎっしりと並んでいる。Dlala Njeのツアーの売上を、このコミュニティスペースでの活動に還元しているという。

オフィスを出て、居住区域に繋がるエレベーターに乗りこむ。古びてはいるけれど、掃除が行き届いたエレベーターだ。その間、ポンテ・タワーが白人のユートピアからギャングの巣窟になった経緯を、ジャスティスが教えてくれた。

白人から黒人に住民が徐々に代わり始めたのは、ポンテ・タワーが完成して間もない80年代のこと。白人による都心から郊外への移住が加速し、逆に仕事を求めて都会にやってくる黒人が増加した。白人居住区に黒人たちが流れ込む現象は「灰色化」などと呼ばれたという。80年代半ば行政サービスが凍結された後、ギャングたちによる不法占拠が行われた。噂で聞く悪評は、この時代のものだろう。高層階に暮らす住民が中央の吹き抜けに向かって捨てる生活ゴミが、円筒状構造の真ん中に最大で17階相当の高さまで積み上がっていたという。飛び降り自殺を図った人間の遺体まで混ざりこんでいたという噂もある。

南アフリカのアパルトヘイト法の撤廃は、1994年。2000年代初頭に訪れた新しい不動産投資でギャングたちは排除され、数年かけて整理と整備が行われた。現在では、中産階級の黒人住民を中心に外国人も暮らす、人気の不動産となっている。

53階で、エレベーターを降りる。吹き抜けの中心部を恐る恐る覗き込みながら丸い廊下を進んで、Dlala Njeが手がける住民のためのコミュニティスペースに案内された。日当たりの良い半円形の空間で、窓からはヨハネスブルクを一望できる絶景だ。綺麗に整えられたカフェの横には、住民や、Dlala Njeに関わるデザイナーやクリエイターによるオリジナルのTシャツやアート作品が並んでいる。私が想像していたポンテ・タワーの’悪い”イメージが、ガラガラと崩れた。

コーヒーを淹れてくれながら、ほらね、噂とは違うでしょ、とジャスティスは笑った。

ポスト・アパルトヘイトの都市空間

ポンテ・タワー見学のあとは、ヨハネスブルクのなかでも最も治安の悪いエリアの一つとされるHillbrow地区を歩いた。実際に歩いてみると、Dlala Njeのメンバーと一緒にいるからか、正直そこまで治安の悪さを肌で感じない。

南アフリカの首都・ヨハネスブルクは総じて治安が悪いという噂はずっと聞いていた。しかし、意を決して来たものの、近年カフェやレストラン、ショップなどが次々にオープンしているMaboneng地区とダウンタウンに1ヶ月半滞在して思ったのは、”場所と状況による”ということに尽きる。「危険区域(No Go Zone)」と言われていたダウンタウンも、近年の経済発展と共に整備が進んでおり、日中であればそこまで危ない場所という印象を受けない。

ただ驚くのは、Rose Bank地区やPark Town地区のような、白人住民が中心の裕福なエリアが、街中にポケットのように存在していることである。ストリートを1本渡ると、全く違った形相のネイバーフッドがモザイクのように隣接しており、住民たちの肌の色も違う。

クワズール・ナタール大学の農業・地球・環境科学部の教授を務めるオルリ・バス(Orli Bass)は、「アフリカの都市性のパリンプセプト:ダーバンにおける、植民地以前とポストアパルトヘイト時代のナラティブを繋げる(Palimpset African Urbanity: Connecting pre-colinial and post-apartheid urban narratives in Durban)」という論考のなかで、南アフリカ共和国の港湾都市・ダーバンの都市と文化、アイデンティティを、複数の時代の重層性から読み解いている。パリンプセプトとは、パピルスや羊皮紙に書かれた文書で、以前に書かれたものが不完全に残ったまま再利用されているものを指す。つまり、パリンプセプト・スペースとは、過去がレイヤー状に刻み込まれた空間のことであり、植民地時代、アパルトヘイトの時代を重層的に織りなしたポスト・アパルトヘイトのランドスケープのことでもある。

アパルトヘイト時代のゾーニングを示した地図(参照:Maps on the web

ヨハネスブルクを歩き、全く性質の違うネイバーフッド間を行き来していると、アパルトヘイト時代の痕跡を、現在の都市構造のなかに鮮やかに見出すことができる。

Michael HammonとJacqueline Görgenが制作した1999年の映画「Hillbrow Kids」では、ポスト・アパルトヘイト時代のHillbrow地区におけるストリートチルドレンの姿が描かれている。アパルトヘイト撤廃後、法律は変わっても、社会構造の変化には時間がかかる。今なお残る差別や格差のなかで、変わりゆくネイバーフットのなかで生き抜く若者達の姿は、Dlala Njeのメンバー達も含め眩しい。

Leave the prejudice behind

ツアーの前日にDlala Njeから送られてきたメール内の、「Bring confortable shoes. Leave the prejudice behind」という文面が印象に残っている。当日の持ち物リストに加えて、家に置いてきてもらいたいもの — つまり、ポンテ・タワーや所謂”ゲットー”と呼ばれる場所への偏見 — を茶目っ気たっぷりに伝えるメッセージだ。

Born a Crime by Trevor Noah (トレバー・ノア著『生まれたことが犯罪!?』)

Netflixのリアリティシリーズ「Young, Famous & African」で描かれるように、経済発展の進むヨハネスブルクでは、従来の白人富裕層に加えて、黒人を中心とする有色人種による新しいブルジョワ層やアーバンカルチャーが生まれつつある。アメリカで活躍するコメディアン、トレヴァー・ノアのように、ポスト・アパルトヘイト時代に南アフリカにまだ残る差別構造への反対運動も力強い。

アパルトヘイト時代の分断から、カオスとスティグマ、そしてなかなか変わらない社会構造との闘争。変化には時間がかかるが、ポンテ・タワーの今の姿を見ていると、確かな希望を感じる。

”悪名高き”ポンテ・タワーの53階にある日当たりの良いなんとも気持ちの良いカフェで、南アフリカで生まれたハウスの派生ジャンル・アマピアノに合わせてジャスティスがカジュアルに踊る姿を見ながら、そんなことを考えた。ポスト・アパルトヘイト時代の都市の重層性と変化を考えさせられる、象徴的なシーンであった。■

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杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論

An urbanist and city enthusiast based in Kyoto, Japan. Freelance Urbanism / Architecture editor, writer, researcher. https://linktr.ee/MarikoSugita