建築展評│02│白井晟一入門

Review│建築の存在意義│細尾直久

細尾直久
建築討論
Feb 25, 2022

--

展覧会場の入口となるアーチ状の開口をくぐると、原爆堂とノアビルの二つの模型が、私たちを最初に出迎えてくれる。造形作家・岡崎乾二郎の監修によるこれらの模型は、単一の材料で均質に作成されたものではなく、コンクリートや鉄、木材、レンガや紙など相異なる質感を持つ部分部分が、組み合わされることによって作られたものだ。模型と実際に対面することで感じることのできる空間や物の存在感は、白井晟一の設計した建築が醸し出している触覚的な気配を彷彿とさせる。こうした情報はけっして、オンラインでの伝達には置き換えられないだろう。

展覧会場の入口に据えられた二つの模型:(左から)原爆堂とノアビル

会場には、様々な肉筆による資料が展示されており、それら一つひとつの物が、白井のことを各々に物語っていた。生の筆圧が醸し出す資料に宿された触覚性は、かつて生きていた人間の存在を実感させてくれる。たとえば、白井が京都高等工芸学校・図案科にて教わっていた武田五一・本野精吾両教授の講義「建築意匠」を記録した学生ノートが展示では広げられており、百年前の学生の筆遣いによる図解と説明が、白井が若かりし頃に受けた学びの雰囲気を物語る。また、白井の義兄である画家・近藤浩一路の手による絵日記は、白井の育ちや実家の匂いを蘇らせている。そのほか白井晟一が若かりし留学時代に記した日記、欧州旅行の折のメモ、スケッチやドローイング、書、白井のスタッフであった大村健策の手によるトレーシングペーパーに6Hから12Hの硬い鉛筆で克明に書き込まれた図面やパースを一つひとつ見ていると、じかに物を見つめるということは、直接物に触れて得られる感覚と限りなく近いと気づかされる。このような「部分」としての様々な資料が組み合わされることによって、白井晟一の「全体像」が来館者の頭のなかで、温もりをもって立ち上がっていく。

武田五一・本野精吾両教授の講義「建築意匠」を記録した学生ノート

白井の手掛ける建築の特徴として、建築「全体」を構成する一つひとつの「部分」である物が、均質ではなく相異なる触感を持っている点が挙げられる。さて、今回の会場となった松濤美術館もまた、いうまでもなく白井の手による建築である。美術館正面を飾る紅雲石のゴツゴツとした肌触り、玄関におけるイエローオニキス大理石の艶やかな天井、サロン・ミューゼにおけるふっくらとしたカーペットとひんやりとした石の滑面とのコントラスト、鈍い金色をした美術館エンブレムなど、個性の強い一つひとつの物=「部分」が組み合わされ、均衡することによって、触覚的な気配を孕んだ建築の「全体」が作り上げられていく。こうした気配は、実際に足を運ぶことではじめて経験されるものであるが、第1部/白井晟一クロニクルの展示構成が、松濤美術館を始めとする白井晟一の建築と、同じ特徴を宿していたことは特筆すべきことだろう。

(左) 美術館正面における、紅雲石によるゴツゴツとした肌触り、(右) 玄関における、イエローオニキス大理石の艶やかな天井

ところで、2020年にコロナ禍がはじまったことがきっかけとなって、オンライン上のサービスが急速に普及した。それにより、当たり前に接していた建築の存在意義が大きく揺さぶられている。たとえば、在宅勤務やオンライン授業、オンライン会議の普及によって、オフィスや大学といった建築の存在意義が問い直され、NetflixやU-NEXTなどの動画配信サービスによって映画館の存在意義が問い直され、Uber Eatsなどの宅配サービスによってレストランの存在意義が問い直され、オンラインショッピングの普及によって、リアル店舗の存在意義が問い直されている。いまだに私たちはマスクを手放すことができず、感染のリスクを抱えながら外出をせざるを得えない。オンラインでのサービスに置き換えられるものは、徹底的にオンラインへと置き換えられていく時代の只中で、これからの建築はどのような在り方によって、存在意義を見出していくべきなのだろうか。

私見によると、『白井晟一入門』の展覧会において、二つのヒントが潜在的に示されていたように思う。

一つ目は、人間の生活の行いを支える基盤となる物のデザインである。りんごを剥いたり、読書をしたり、花を活けたり、料理を作ったりといった、互いに独立した行いが、ひと連なりの時間のなかで組み立てられることによって、人間の生活は構成される。一つひとつの生活の行いには各々の趣や個性があり、こうした小さな感覚が連なりあうことで、生活の経験はつくり上げられていく。美しい食器でご飯をいただくと一層美味しく感じられるように、身近な物のデザインは人間を触発し、生活における一つひとつの場面を豊かにする具体的な力をもつ。白井晟一の手掛けた、様々な書籍装丁の仕事が展示されていたが、建築をただ単に「建物をつくる」という狭義の意味で捉えるだけではなく、もっと広く考えられないだろうか。つまり、人間の生活を豊かにつくり上げてくれる、身近な物のデザインもまた建築として捉えることで、新しい時代の突破口が開けるように思う。

二つ目は、オンラインでの伝達には置き換えられない触覚性の重視である。たとえば、今回の白井晟一展は感染のリスクを犯してでも、実際に足を運ばなくては経験することのできない情報が込められていた。そうした情報を根拠づけているのは、様々な肉筆による資料と、それらを内包する触覚的な気配を孕んだ建築空間である。私が学生だった00年代、(視覚に基づく)写真だけで魅力を十全に伝達することができそうな、触感の乏しい建築がもて囃されていた一方で、白井晟一は顧みられることのない存在だった。展覧会に足を運んで驚いたことは、沢山の学生や若者が来館し、熱心に白井の軌跡を辿っていた光景である。白井晟一の触覚的な建築が、ふたたび現代性を獲得しようとしていることに、私はこれからの兆しを感じる。

展覧会場となった白井晟一の建築
肉筆による図面とドローイングには触覚性が宿る

展覧会概要

白井晟一 入門

第1部/白井晟一クロニクル 2021年10月23日(土)~12月12日(日)
第2部/Back to 1981 建物公開 2022年1月4日(火)~1月30日(日)

主催│渋谷区立松濤美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会
協賛│ライオン、DNP 大日本印刷 、損保ジャパン、日本テレビ放送網
助成│公益財団法人ポーラ美術振興財団

会場│渋谷区立松濤美術館

〒150–0046 東京都渋谷区松濤2–14–14
https://shoto-museum.jp

--

--

細尾直久
建築討論

ほそお・なおひさ/1981年イタリア・ミラノ生まれ。「織物」としての建築をテーマとして、京都にて一級建築士事務所HOSOO architectureを主宰。