建築展評│11│往復書簡/Correspondence

Review│曖昧な彼此の境に立ちて│江本弘

江本弘
建築討論
Dec 1, 2023

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WHITEHOUSE

かねてより磯崎新の隠れた第一作と噂されていた「新宿ホワイトハウス」(1957)が、Smappa!Group代表の手塚マキ氏により借り受けられた。数年前、私がその報に接したのは歌舞伎町のバーでのことである。そうしてこの幻の小住宅は、Chim↑Pomのアトリエとして使用されたのち、2021年に「WHITEHOUSE」と名を変え半会員制のアートスペースとなった。2023年秋、ここからついに、建築展のために一般公開される機会が訪れた。

近いようで遠かった、初訪問の道のりを噛みしめる。しかし歌舞伎町から職安通りを渡ると、立てこんだ街区の奥の奥に立地していても、それは拍子抜けするほどすぐ目にとまる。通り沿いの建物は軒並み取り壊され広大な広場(駐車場)を形成し、遠くのおんぼろファサードを古典的な構図で輝かせる。
当の建築も、これだけの正面性を獲得することになろうとは予想していなかったのではないか――とはしかし、思わせない。そこにはたしかに、この距離に堪える立面構成がある。全体がツタに覆われ、棟がひしゃげて今にも崩れ落ちそうなそのあばら家は、遠目にもはっきりと磯崎のプロポーション感覚を伝える。
この小住宅に、ファサードや外構を中心として初めての建築的「手入れ」がなされたのはChim↑Pomアトリエ時代である(「手入れ/Repair」展、2021年11月)。建築家としてその任にあたったのはGROUP。「Jimushonoikkai」(現存せず)や「人間レストラン」などの特異なコンバージョンで知られる手塚の意向は、彼らに対し、大人しい復原を求めるものであるはずがなかった。遠目には旧状をとどめているように見せつつ、近づいてみるとアプローチでその予測は大きく裏切られる。しかしその「手入れ」の手つきはあくまで理知的であり、諸種の条件や要求に対して建築的配慮に溢れる。

「孫世代」の烙印

今回の「往復書簡/Correspondence」展は、ここからのさらなる「手入れ」のために、日米の建築家のペアがそれぞれ1つずつ、計4つのインスタレーションを制作、発表したものである。この人選は、日本側については最初の「手入れ」に携わったGROUPの井上岳が、アメリカ側についてはClovisbaronianが行ったという。井上とジョジーナ・バロニアンは石上純也建築事務所のもと同僚。ここを起点に、建築家の国際的ネットワークの構築を図っていった。「ホワイトハウス」でアメリカとコンタクトをとる、というのは駄洒落である。しかしその軽みの奥には、今や衰死のきわにある論壇を、蘇らせようとする血の覚悟がある。

作品解説のハンドアウト。略平面図は評者により加工(オリジナル

だから本展のタイトルに端的に表れているとおり、フリーエディターの服部真吏がまとめた各ペアのやりとりのログ(リンク)、すなわち国境をこえた情報移動の顕在化こそが、実は本展の核となる展示物なのである。このウェブ企画が副題に「孫世代から見た磯崎新」を冠している通り、参加した建築家は磯崎の「孫世代」とされる30代である。各ペアは磯崎に対するおのおのの知識と解釈を照合しすり合わせていき、そのコミュニケーションの果実ともいうべきインスタレーション群をWHITEHOUSEに射影する。
この通信の過程を精読した展評はすでにあるため(松畑強)、ここでは深くは触れないでおく。個人的な興味としては、それぞれの情報源のちがいが目を引いた。日本側は伝聞・風聞も含む、日本語メディアの情報から磯崎新像を形づくってきたはずだ。一方アメリカ側のそれは英語メディアに限られていた。「闇の空間」が英訳された1991年の『GA』磯崎号、『建築における「日本的なもの」』の2006 年英訳版、「小住宅ばんざい」の訳が掲載された2014年の『AA Files』などを参照している彼らはそうして、ANYのナイル・グリーンバーグの言葉にも示されている通り、この企画が持ち上がったからこそそれらをはじめて精読したのだろう。
しかし実は日本側だって、本展の機に乗じてこそ、明示された「孫世代」のレッテルを受け入れあるいは疎みながら、はじめて自らの創作にかかわる「自分ごととして」磯崎を読みはじめたのではなかったか。

静止から動きだすもの

タイトルに示される「往復書簡」の展示(略平面図中の5)は、情報の移動を顕在化させ、自他の認識のずれを来場者に突きつける。一方で注目したいのは「モノの移動」である。限られた予算のなかでアメリカから日本に運び込まれたささやかな建材は、そうした齟齬をこえた、感性の交歓を象徴しているかのようである。
駐車場越しのWHITEHOUSEのファサードには、一見ほとんど手が入っていない。田の字にならんだ4つの窓の左上が「cloche」(4:板坂留五+Clovisbaronian)であることにようやく気づくのは、ちいさな展示会場を巡り終わったその最後である。これは既存の窓を外側から透明ガラスで覆う大胆な「手入れ」だが、その透明性や線の細さは、旧状に敬意を払い、極力目立たないように選択されたようである。このうち、大判のガラス板は日本で手配。輪郭の細さを担うメタルの滑り出し窓枠は、アメリカ側が来日の際に手荷物として運んできた。デザインとしてあるべき効果は、彼岸からのこの「手土産」なしには達成できなかった。
この新設のガラス窓は、既存の窓の保護目的や、すきまだらけのWHITEHOUSEの遮熱性・防音性の向上といった機能的要件をこえた、結界としてのデザイン意図を来場者に気づかせる。展示の順路としては最後の、2階の突き当たりに位置するこの結界は、その存在を消したまま、開け放たれた既存の曇りガラスの窓越しに、外の景色を大きく導き入れる。
しかしそこには、風が吹かない、吹いてこない。軽やかなオーガンジーのカーテンは微動だにせず、WHITEHOUSE内部の空気は止まったままだ。この「静止」の異化作用が、見えないガラスの存在を意識させる。職安通り越しの歌舞伎町が大きな変化と生のただなかにあるからこそ、此岸の静止した室内では、俄かに死の気配が感知されはじめる。
ちいさな会場であっけなく終わる展示は、この終着地点でこの「静止」に気づかされるところから新たにはじまる。階下に望む吹抜けのホワイトキューブもまた、この「静止=死」の空気にみちていた。出しぬけに始まり一瞥の解釈を拒んできたインスタレーション群も、この死の空気を媒質として空間を震わせていた。
この、じつは張り詰めていた空気のなかで、土地固有の時間の推移をユーモアまじりに表現したのは「R・A・T―Shadow―」(3:コロガロウ/佐藤研吾)である。この会場には、夕暮れ時になると、個人的にも大いに思いあたるふしのある、この近辺の代名詞が次第に姿をあらわす。地方から本展に訪れた学生が、エクスカージョンのさなかに追い求めていたのがまさしく「ネコほどもある巨大ネズミ」であったという偶然。それは「歌舞伎町のイメージ」の現在を、佐藤がストレートにデザインに昇華しえたことをあらわす必然であったとも言えるだろう。2階吹抜けの向こうに見える、白い壁にへばりついたそのネズミの影は、縁どる光と、歌舞伎町から採集された音に囲まれ生気に満ちる。短い開場時間を逆手にとったこの展示もまた、本展が「終わるところからはじまる」ものであることを感じさせる。
しかし展示物として終日主張を続けているのは、1階の中央に無作法に置かれた、レトロなOHP投影機とDepartamento del Distritoによるその設置台(「My Robot」)である。はじめは寡黙な異物として通り過ぎたこの障害物の意味が、ここでふと了解されはじめる。手術台の上に置かれたミシンさながら、さらにその上にそっと置かれた切り絵。それがネズミの影を生じさせているのだ。階下に降りて再び投影機を覗きこむ。壁にじりじりと投影された巨大ネズミの生の印象とは対照的に、ぺちゃんこに横たわる黒い切り絵は、その町でよく見かける路上の死を連想させる。

ディスコミュニケーションからの脱出ゲーム

一方、WHITEHOUSEそのものが否応なく直面しているのは、動=倒壊=死の危機を食い止め、静止状態=構造的安定=生にとどめる外科手術である。この喫緊の課題に真摯に、かつ本展の企画趣旨にも知的に応答しているのが、このホワイトキューブを新たに貫く「One or Two Columns」(1:GROUP+ANY)である。
この「1本に見える2本」の棒は、機能的には、WHITEHOUSEの垂れた棟を支えるための補助的な柱である。この柱の上下には、(アメリカでしか手に入らないらしい黄色の)樹脂ブロックが一見無造作に差し挿まれている。存在感のある柱は浮遊しているように見え、構造的意味ははぐらかされる。しかし、板坂らのペアが大胆に剥がした2階床上の天井から懐を覗けば、束が新設されていることが確認できる。床をあければ基礎もある。視覚情報の嘘を、説明書きをヒントに暴く勘どころがためされている。
しかし特筆すべきは、この柱の断面である。先に述べたとおり、本展が「往復書簡」を銘打つのは、日本側とアメリカ側との、メールやSNSのやりとりそれ自体が主要テーマであることによる。相互理解のための敷居をまたぎ、他者との不可避的なディスコミュニケーションもまた(苦しみながら)楽しむこと。しかしこのプロセスがそもそも何のために存在していたかといえば、会話それ自体のためではなく、成果物のデザインのためにほかならない。
この点において、「One or Two Columns」のあやふやな8の字形状の断面は、日米の対とその協働、そして両者の齟齬の直接的表現として、美しい回答を提出している。設計過程では、アメリカ側は2本の柱、日本側は1本の柱を検討していた。しかし、この相互の思惑が往復書簡のなかではよく伝わらずに、土壇場のところで「2本にみえる1本」に収束したのだという。どうしても日本側の我が前面に出がちな本展のインスタレーションのなかにあって、いずれの我も勝たせずして他に抜きんでる、周到なデザイン・ストラテジーを見せている。
本展の趣旨を一手に背負ったこの美しい「ぶれ」はしかし、美しすぎる。話として出来すぎている。ネズミならぬ、タヌキに化かされている気がする。
ただ、この「騙されているかもしれない」感覚を宿すモニュメントが、このWHITEHOUSEの中央に屹立しているということこそが痛快なのだ。まるで磯崎の蠱惑的な言辞を「孫世代」がデザインで再演したかのようだ。ちなみにこの柱、仕上げはローズウッドに見える安価な木口テープだが、まったくの偽物というわけではない。その数ミリの皮膚自体はほんものの木ではあり――繰り返す通り、その柱の設置目的自体は真摯である。そうして虚実の曖昧な境に立つ。

血に染まるほど、より青く

磯崎のプラトン立体好みは、まさしく第一作から表れていた。それはWHITEHOUSEに入ってすぐに感知される驚きである。立方体の真っ白な部屋。その一画を青緑に塗りなおした「dip」(2:山田紗子+Chibbernoonie)は、そこへ折り目正しい、長方形のマゼンダの光を投射する。白い壁に青緑のペイント、それらに被さるマゼンダの光。これらの交錯によって4種類の色面が現れる。そのインスタレーションの意味は往復書簡にも作品解説にも明言されてはおらず、来場者は初手から当惑させられる。
しかし「終わりからはじまる」鑑賞の最後にふと気づくと、黄昏のきわに輝きを増す光彩が、白壁に乱反射し空間を侵食しはじめている。そうしてひとつの幻覚が去来する。手術着に飛び散る鮮血は、勢いのまま壁にもべっとり貼りついている。その矩形の返り血は、やがて手術室を浸しきるだろう。
この死の幻覚に、生への希望を見いだすのは筋ちがいだろうか。緑青の上に跳ねた血の染みは、それが光であるがゆえに、黒とはならずに青くなる。手術室が血の色に染まれば染まるほど、そこから望む天空は晴れやかにかがやくのだ。Chibbernoonieのテクストにはアンリ・マティスの言葉が引かれている。「この青い正方形を、もっと青くするにはどうすればいい?」そのひとつの答えが、ついに4グループのインスタレーションを飲みこむ。

磯崎本人が2022年末に没したのは、本展の企画とはまったくかかわりのない不幸である。この無視できない偶然、この事故によって我々は、期せず冥府の審判に同席することとなった。その場にいる「我々=孫世代」はしかし、私も含む日本側だけだ。アメリカ側は自分たちのことを「孫世代」などとは思うはずもない(板坂留五宛、サム・クローヴィスのメール)という当たり前の気づきからも、現在の日本の建築界に渦巻く、さまざまなねじれを自覚しはじめることができる。
そうしてこれもまた偶然だろうか。今回の日本側の意志と働きかけは、『建築の解体』(1975)時代の磯崎の挙動と驚くほど似ている。それはまさしく、磯崎が今回の出展者たちと異ならない、30代後半から取り組みはじめた仕事である。磯崎はその執筆の機に乗じて英・米・墺・伊にコネクションを開拓した。では我々自身は、自分たちの精神のサバイバルのために、いったい何ができ、何を実行に移しているだろう。磯崎が見ていた世界よりも、我々のそれはまだまだちっぽけだという恥に甘んじつつ、その恥を忍んで動きださなければならない時である。
現代建築史における世代間の断絶、国家間の断絶にメスを入れる、新たなダダイストたち。その切開の手ぶりは航空機の軌道へとスケールアップし、本展はニューヨークに巡回した(10月13日~11月5日@a83)。このちいさな展覧会自体が野望としてもつ大きな展開は、けっして幻覚などであってはならない。より青い青空を、みずから獲得していかなければならない。

歌舞伎町はここから活気づく。日暮れに振り返る会場はそのとき、内側からマゼンダの血に滾り、その発光によって立ち去るものを挑発する。踏みにじられたネズミのまま、のたれ死ぬわけにはいかない。

展覧会概要

往復書簡/Correspondence

会期│2023年9月8日~2023年10月8日
時間│水木金14:00~19:00, 土日祝13:00~19:00
出展者│ANY/Chibbernoonie/Departamento del Distrito/GROUP/Korogaro Association/Rui Itasaka/sam clovis + georgina baronian & associates/suzuko yamada architects
会場構成│ w/
主催│GROUP/sam clovis + georgina baronian & associates
制作│佐久間萌香
協力│公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成]/DISTANCE.media, lull, Inc.
キュレーション・編集│井上岳/寺田慎平/服部真吏/涌井智仁/渡邊育/sam clovis/georgina baronian
グラフィック│石塚俊
写真│村田啓

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江本弘
建築討論

えもと・ひろし/1984年東京都生まれ。東京大学工学部卒業。同大学院工学系研究科修了。博士(工学)。一級建築士。京都美術工芸大学講師。近代建築史。著書に『歴史の建設──アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』。受賞に第8回東京大学南原繁記念出版賞ほか