インタビュー|都市構造を引き継ぐ「事業」

055 | 202105 | 特集:建築批評《コンテナ町家》 / Interview : ”Project” to take over urban structure in Kyoto

--

《コンテナ町家》のオーナーである壽商事の石田能冨子氏、石田祥一氏へのオンラインインタビューを、設計者の魚谷繁礼氏を交えて行った。

石田能冨子(壽商事代表取締役)
1933年生まれ。1971年壽商事入社。1984年代表取締役に就任。
石田祥一(壽商事取締役)
1959年生まれ。地方公務員を経て、2020年より現職。

日時:2021年4月27日(火)@ZOOM
聞き手:伊藤孝仁(建築作品小委員会)
ゲスト:魚谷繁礼(魚谷繁礼建築研究所)

伊藤:壽商事の取り組み、「コンテナ町家」のプロジェクトがスタートする経緯についてお聞かせください。

石田能冨子さん

石田能冨子(以下 石田(能)):コンテナ町家のある式阿弥町は京都の田の字地区と呼ばれる中心的なエリアに位置しています。今回の3軒の長屋も含め、私たちは昔から京都市内に多くの長屋を所有しており、賃貸業をしていました。古い長屋の賃貸では収益性はあまりよくないので、昭和50年代の「学生マンションブーム」の頃から多くをマンションへと建て替えました。一方で、ここ5年ほどは競争も激化し、学生の数も減少しており、マンションへの建て替え以外に更新していく方法の必要性を感じていました。3軒の長屋は比較的状態がよかったこともあり、今回は思い切ってこれまでとは違うチャレンジをしようと、魚谷さんを含めた若い方々に企画や設計、そして出来上がってからの運営管理の依頼をすることになりました。

伊藤:長屋を残す、ということは設計の要件だったのでしょうか?

石田(能):敷地の奥、路地を入った先にお地蔵さんがあります。京都の地区ではお地蔵さんを中心としたコミュニティが隣組のように機能しており、町内や路地という単位で所有をしています。敷地内のお地蔵さんは式阿弥町町会の皆様が大切に守っておられます。

8月の「地蔵盆」を通じて地域や町内の交流が育まれており、それが今後も継承されることは条件としていました。

写真:路地の奥に残されたお地蔵さんの祠とその脇に確保された地蔵盆の数珠回しのためのスペース

魚谷:不動産が専門のメンバーなどと一緒にプロジェクトの検討をすすめました。メンバーには、不動産企画の川端寛之さん、ソフトのデザイン企画が専門の松倉早星さん、主にコンテナの内装デザインが担当の中川泰章さん、それから建築の構造の満田衛資さんなどがいます。それから、壽商事の担当の皆さんら比較的年配の方々が僕らの提案を優しく厳しく見守ってくれました。長屋を取り壊してマンションなどのビルを建てるのは簡単ですが、残しながら事業性を確保する選択肢を前提にしました。もちろん常識的な数字の収益性は求められました。インバウンドで鋼材などの高騰もあって、初期段階の計画ではなかなか数字を満たせず、貸テナントの床面積を増やしつつ、建築費を抑える工夫が不可欠でした。初期の設計案からコンテナの数を増やしたり、ソフトデザインの工夫でコンテナのテナント家賃の調整をしたり、建築費を極限まで落とす案を出し合うなど、プロジェクトメンバーで横断的に検討を進めることで収益性の見通しもたちました。

建築の外壁をなくすために建築の用途を事務所とし、そこに入居するテナントのターゲットなどについて、我々の方から提案し、それを理解してもらい、受け入れてもらえました。というか、むしろそのような提案を求めてもらえたプロジェクトでした。

石田祥一:コンテナは小規模ですので、いわゆる完成した状態のものが入居されるというより、スタートアップの場として機能しています。様々な業種の方が集まってお互いに交流をするような関係も生まれており、ただテナントに場所を貸すということ以上の広がりが生まれている風景をみると嬉しく思います。

伊藤:京都の中心地でコンテナを活用した建築をつくると提案された際、どのように感じられたでしょうか。

石田(能):変わったものをリクエストしていましたが、コンテナは全く思いもよりませんでした(笑)。始めはイメージができませんでしたが、進行するにつれ、魚谷さんは京都の伝統的なイメージだけではなく、ニューヨークのソーホーなどの別の都市の風景をもここに重ねて捉えているのではと推測していました。

竣工式の際に、町家の座敷で過ごすメンバーの方々を実際に見たときは本当に不思議な感覚であり、感激をしたことを覚えています。

魚谷:鉄骨のフレームが組みあがった上棟の際に、石田社長が誰よりも早く駆け上っていく様子も大変印象的でした(笑)。

石田(能):どこか船のデッキにあがる時のような体験でしたね。

伊藤:周囲の反応はいかがでしたでしょうか。

石田(能):竣工した直後は、インパクトの大きさもあって周りから訝しがるような意見もあったと聞きましたが、路地や地蔵盆のための設えを残したことや、前面の京都の伝統的な格子のモチーフ等もあって徐々に馴染んでいっていると感じています。

伊藤:長く京都にお住まいである視点から、京都という都市に対してどのような思いがあるでしょうか。

石田(能):私自身東京で生まれて、現在は左京におります。中京のような京都の中心のこれまでやこれからを内側から語るのは難しいと感じます。若い頃芦屋と京都を行き来する時期がありました。阪神間の明るい光と、京都の古い瓦屋根の灰色の、少し暗いイメージのコントラストが大変印象深かったです。京都の街並みもだいぶ変化しており、烏丸あたりでは現代的なビルも多くありますが、私としてはそれを否定する感覚はありません。ただ、少なくなっている町家や細い路地などの都市の魅力を残していくことは大事だと思います。

伊藤:京都の都市構造はグリッドサイズが大きく、「再建築不可」の敷地が街区内部に発生しやすいため、複数敷地をまとめたマンションやホテルの開発が収益の観点からも有効なタイポロジーであったと思います。一方で、街区内部のお地蔵さんやそれを核とするコミュニティ、路地の奥行きの魅力を引き継いでいくことはなかなか両立しにくいものです。コンテナ町家は、オーナーと企画者、設計者のチームによる新しいタイポロジーへの挑戦だったことがよくわかりました。今後の展望をお聞かせください。

石田(能):かつてたくさん所有していた長屋は残り1つ2つ程度になっています。また初期に建設した学生マンションも更新を検討する時期にきており、長屋とマンションが隣接している場所などもあります。コロナの情勢でなかなか思うようにことは進まないことが予想はされますが、新築や改修など様々な選択肢を想定し組み合わせながら、新しい挑戦をしていきたいと思います。

--

--

建築作品小委員会
建築討論

建築作品小委員会では、1980年生まれ以降の建築家・研究者によって、具体的な建築物を対象にして、現在における問題意識から多角的に建築「作品」の意義を問うことを試みる。