クレア・ビショップ著『ラディカル・ミュゼオロジー:つまり、現代美術館の「現代」ってなに?

美術館/作品/アーカイブズ:つまり、ラディカルさってなに?(評者:藤本貴子)

藤本貴子
建築討論
Feb 28, 2021

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クレア・ビショップ著『ラディカル・ミュゼオロジー:つまり、現代美術館の「現代」ってなに?』

現在、現代美術に特化した美術館や展覧会は非常に多く、その一部はレジャーやエンターテイメントとしての巨大ビジネスへと変化している。スター・アーキテクトを起用した華やかな建築と大規模な展示で観光客を呼び込む現代美術館・美術展に対して、コレクションを活用したラディカルでオルタナティブな現代美術館のあり方を提示しているのがこの本である。

著者のクレア・ビショップは、「現代(contemporary)」に対するアプローチは「停滞を意味する」とする立場と、「時間性との複数的で乖離的な関係性を主張する」立場の二つに分類されるとし、後者により生産的な意義を見出す。その背景にあるのは、グローバル化する世界において可視化されてきた多様な政治的状況である。同時多発的でありながら、文脈も背景も違う複数の時間性をどのように理解すべきなのか。ビショップの主張する「弁証法的同時代(dialectical contemporaneity)」は、現在主義(presentism)と相対主義的多元論を否定しながら、アナクロニックに芸術と歴史を結びつける方法を模索する。

ここで取り上げられた三つの美術館(オランダのファン・アッベミュージアム、スペインのソフィア王妃芸術センター、スロヴェニアのメテルコヴァ現代美術館)の取り組みは、個別の地域の政治的状況に裏付けられている。いずれにおいても、コレクションに対する新しいアプローチが試みられている。アーカイブズに関わる者として筆者が気になるのは、どの取り組みにおいても積極的にアーカイブズの活用が図られているという点である。特にソフィア王妃芸術センターは、展示に資料が使われるだけでなく、作品に関する資料を収集・公開する学習ドキュメンテーション・センターを設立したり、チリの機関がアーティストの資料を確実に保管できるように国境を超えて協力するなど、アーカイブズ運用にも深く関与している。

ソフィア王妃芸術センターが掲げるコンセプト「公共物のアーカイブ(Archive of the Commons)」については、少々注意が必要だ。「アーカイブ」はメタ概念なので、あらゆる博物館・美術館に収蔵されたものが、公共のアーカイブであるという言い方はできなくはない(拡張していけば世界中のあらゆるものは世界のアーカイブである)。しかし美術館という制度・機関(institution)を前提としている以上、この言葉は丁寧に理解する必要があるように感じられる。概念モデルとしてのアーカイブと、展示においてアーカイブズ資料を活用することと、資料を収集してアーカイブズとして運営することは、区別して考える必要があるだろう。

留意したいのは、ビショップが美術史家・批評家の立場(つまり研究し、キュレーションする立場)で論を組み立てているということである。ビショップは、特権的で自律的な価値を持つ作品の地位を解体し、位置づけなおしたいという意図を持っている。このようなビショップの立場に対して、アーカイブズは物理的に役立つだけでなく、概念的にも有用である。アーカイブ化するという行為は本質的にアナクロニックであるといえる。なぜなら、しばしば語られるようにアーカイブズにおいては、現在価値がないと思われる資料についても、いつかその価値が発見されるという瞬間のために、現在の判断を賭けるからである。そして、個々の資料の価値は、あらゆる時代の受け取り手に投げ出されている。このアーカイブズの概念が持つアナクロニズムが、コンセプトを重視する現代美術を惹きつけるのかもしれない。作品と資料を併置するようなキュレーションの手法としてだけでなく、アーカイブズを扱った作品も近年とみに増えているように感じられる。それは、アーカイブズ資料自体が持つ物理的な魅力(古びた一枚の紙切れから、収蔵庫に積まれた大量の保存容器に至るフォトジェニックな魅力)のせいもあるし、政治的正当性・公正性、あるいは歴史的な何かを担保するアリバイであるかのような見せかけのせいもあるし、一方でアーカイブズがその見せかけの正当性にもかかわらず、自らの限界を最初から抱えているものでもあるからかもしれない。

アーカイブズとは、あらゆるものを収集し、把握し、分析して布置しなおしたい、というキュレーションの欲望を満たしてくれそうな概念ではある。しかし当然ながら、アーカイブズには残されたものしか存在しない。求めているものが残ってないことは多々ある。資料のみで構成する展示に困難があるのは、一つはこのためである。アーカイブズは潜在的な宝の山だが、なんでも見つかる倉庫ではない。そして、そこに残されたものには、多かれ少なかれ何らかの意図や意志が介在している。

ソフィア王妃芸術センターでは、2021年2月現在、(Im)possible Counter-archivesと題したデジタル・プラットフォームを構築し、公開している。これは、同センターが所蔵する言わずと知れたパブロ・ピカソの『ゲルニカ』の再考をテーマにしたプロジェクトのひとつで、ベトナム戦争やイラク戦争を中心に様々な資料や出来事などの関係が可視化されたデータベースとして表示されている。ここではアーカイブズの不完全性が喚起され、サイトの閲覧者が能動的に批評行為に参加することが求められる。資料収集や関連付けの着眼点はキュレーション的と言えるが、最終的な読み解きは閲覧者に委ねられる。このプロジェクトでは、アウトプットとアーカイブズそのものの境界は溶解してしまっている。このような試みは確かに、ビショップの狙い通り、鑑賞対象を脱フェティッシュ化し、文化的反省と歴史的反省を押し進め、文化の経済価値への変換に抵抗する、ラディカルな実践の事例にみえる。

では一方で、全てを呑み込むことが可能な(かつ実際には充分に偏りのある)アーカイブ化の欲望に対して、作品はどのように抵抗できるのか。研究者やキュレーターにとってアーカイブズは創造力の源泉であるが、作品や資料にとって、アーカイブ化されるということは、制度に取り込まれるということでもある。そのような制度・機構(institution)からいかに逃れ、自由でアナクロニックな作品を創造することができるか。キュレーションの文脈化や収集の欲望に取り込まれたくないと感じる作家もいるであろうことは想像に難くない。デジタル技術の発展により、以前よりも記録の保存が容易に思われ、何でも残すことができるかのような幻想が蔓延っている現代において(もちろん、現実はそんなに甘くはないが)、いかに記録化・アーカイブ化から逃れるか。そんなことを考えた「ラディカルな」作品が見てみたいと思った。

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書誌
著者:クレア・ビショップ
訳者:村田大輔
書名:ラディカル・ミュゼオロジー:つまり、現代美術館の「現代」ってなに?
出版社:月曜社
出版年月:2020年4月

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藤本貴子
建築討論

ふじもと・たかこ/建築アーカイブズ。法政大学デザイン工学部建築学科教務助手。磯崎新アトリエ勤務後、2013–2014年、文化庁新進芸術家海外研修員として米国・欧州の建築アーカイブズで研修・調査。2014-2020年、文化庁国立近現代建築資料館勤務。