バラバラとみんな,表象と受容
[201903|特集:みんなはバラバラ ── 集団と造形]
近年、「バラバラ」が共感・同調を呼び、「みんな」は忌避・敬遠される風潮があるようだ。しかし、それほど単純ではなかろう。以下、両者の関係について事例をあげながら考えてみたい。
1.「社会」の発見
「バラバラ」は、社会学的認識としてのアトム化にかかわっているだろう。産業革命・市民革命が進行し、近代の国民国家と帝国が形成されていく19世紀以降、社会は伝統的紐帯がほどかれてバラバラなものとなった。というより、伝統的な宗教や地縁にもとづく共同体が壊れ、アトム化した人々がつくる、引き裂かれ流れ動くがそれなりの全体性をもつ集団=「みんな」がそこから不断に生まれうるようなものとして、《社会》は発見されたのである。
つまり、「バラバラ」と「みんな」は同時的な問いである。この問いは、まず19世紀中期から20世紀中期にかけて多数の造形を生み出した。
2.公共的宗教
集団の造形という問題には、社会を釣り支えていた伝統的な権威・宗教性への代替の模索という側面がある。それゆえ近代のモニュメントには、公共的な宗教性ともいうべき性質が求められた。公式的であるだけでなく、バラバラな人々に対して開かれ、共有され、身体的・心情的参画のプラットフォームになるような宗教性である。
伝統的な宗教が公共的にふるまうことも少なくなかった。
日本では神社が、公共的宗教へと変質させられた。
明治神宮における流造の選択が、多様な国民を受けとめられる中立性を根拠としていたのと同様の事情が、前出(Fig.02)の、エドウィン・ラティンズ(ラチェンズ)のザ・セノタフの設計にも見いだせる。特定の民族・地方・宗教・階級などを表現しない、という造形上の消極性が逆説的に強い価値を持ったのである。
そして、造形における世俗化は時代とともに特徴的な変遷を示している。人物の表象からはじまり、明治神宮やセノタフのような造形の脱色をへて、身体と連続的な、あるいは集合的な身体を包む「自然」「大地」「環境」を主題化することで造形という人為の契機さえ相対化していくパタンである。
3.集団の拡大(包摂)/縮小(分割)
国民の形成は、規模の観点からいえば造形が引き受けなければならない集団の拡大、つまりは多様な人々の包摂を意味した。20世紀前半のモダンムーブメントは標準的人間像をかかげて民族や国民などの集団という主題を解消してしまうかにみえたが、実際にはそうした理念を物差しとしながらすべての文化・表現領域にナショナリズムが強く働いた。
1970年万博以降はそうした国民国家の機制が力を失い、あるいは対抗芸術的な思潮が文化・表現領域を揺さぶることで、建築造形が引き受けるべき集団は小さくなる。地域、コミュニティ、アソシエーション、家族あるいは個人の個別性が前景化される。住宅は1960年代までは国民的問題だったが、1970年代以降は個別的でバラバラな家族や個人の問題となる。
つまり、建築が相手にする〈集団〉は、19世紀から20世紀半ばまではどんどん膨張して多様な人々を包摂し、1970年前後以降は多様な小規模セグメントへと括り出されたのだといえるかもしれない。前者の建築論がイデアリズム、後者がリアリズムであったとしても不思議ではない。
これを背景とした急速な造形戦略の豊富化は、経済ナショナリズムの高揚、そしてバブル経済のもとで消費社会的な修辞的差異の戯れへと回収されていったが、90年代半ば以降は70年代的な、社会的セグメントのリアリズムが回帰している。
ただし、70年代ならまだ粘りを見せていた伝統的共同体の紐帯はいよいよ解体されつくして、むしろ、地域や家族などの小さな社会セグメントにも、その内側に、あるいは横断的に「バラバラさ」があり、建築はそれを引き受けえていないのではないかという問いがフォーカスされるにいたったように見える。他方で、解体があからさまに露呈したからこそ「みんな」という再結合が希求され、災害の頻発やグローバリズムの危機がそれを後押ししているのだが、この「みんな」は造形的な強さではなくむしろ弱さを特徴としているように見える。
「バラバラ」と「みんな」の関係の機微は、近年、19世紀から20世紀中盤までとは異なるかたちで回帰しているようだ。造形上の消極性がバラバラさを棚上げする方法たりうるのはかつてのナショナル・モニュメントの場合と同様だが、今はもっと慣習的な親近性のようなものが望まれる。他方で、バラバラさをそのまま扱おうとする70年代のR・ヴェンチューリやC・ロウの遺産も、まちづくり・地域づくり、小さなアソシエーションやシェアの分散的な展開、そして時間的堆積、アクターネットワーク、ポストヒューマニティといった主題と絡みつくことでかつてとはいくぶん異なる広がりを持ち合わせるようになった。そして、(大規模開発をのぞけば)およそどのようなプロジェクトにおいても市民・住民・施主と専門家の関係はかつてとまるで異なり、誰もがプロジェクトにおけるエージェントとしての位置を与えられ、その動的な相互関係がプロセスの通路のなかから様々な「みんな」を描き出すような事態が普通になっている(本特集の饗庭伸論考も参照)。
4.表象と受容
ところで、「集団の造形」という問題には、じつはふたつの側面がある。造形による集団の表象・表現と、集団による造形の受容・経験である。これらの区別は案外あいまいにされている。
再びロンドンのザ・セノタフを例に引けば、まず、帝国の戦没者50万人の出自や宗教や階級を、特定の個性ある造形では「表象」できない。だから中立的な造形がよしとされた。しかし同時に、中立的なものでなければ、バラバラな背景をもつ遺族たちはその造形を受け入れられないと考えられたのでもあった。明治神宮の没個性な本殿や常緑の森は、明治天皇の表象というよりも、むしろ多様な出自をもつ参拝者の経験の環境として設計されたのである。
おそらくどんなモニュメントであっても、それが記念する対象(集団の価値源泉)を代理=表象できる形をどうつくり出せるかという問いの裏面に、形をどうつくればバラバラな集団に広く受けいられるかという問いが強く働いてきた。
逆もまた真だろう。今日の建築論は、受容論・経験論に傾いている。「みんな」を強調しようと「バラバラ」を前景化しようと、いずれもユーザがどう感じ、どう使い、どんな社会を育みうるかといった経験論的な議論が大半である。だが、そこにも表象的な機制が含まれているはずだ。一連の「みんなの家」の縁側や軒下などの慣習的な造形の諸変奏が、その最もわかりやすい例だろう。
表象論と経験論とはどのような関係にあるのだろうか。その関係の機微から、全建築史を読み直してみることもできるかもしれない。そのパースペクティブは「現在」の位置をどう指し示すだろうか ─── 。
本特集では、こうした問いに接近していくための糸口をいくつか見つけたい。この文章で述べてきたのは、「バラバラ/みんな」と「表象/受容」という2軸がつくる思考空間はどうやら架構できそうだ、ということである。■