人工知能は都市を変えるか?

[201807特集:AIと都市 ── 人工知能は都市をどう変えるのか?]

山形浩生
建築討論
9 min readJul 1, 2018

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人工知能という言葉がなぜかくも人の妄想力をかきたてるのか、というのはおもしろいテーマではある。世に広がる多くの人工知能談義は、できの悪いSFの焼き直しと、偏った仮定に仮定を重ねまくった代物ばかりで(たとえばニック・ボストロムの本など)、そういう話はその人工知能が物件のデューディリジェンスくらいこなせるようになってから考えればいいのでは、と思うことがあまりに多い。

とはいえ、深層学習を使って、これまで難しかった様々な成果が挙がるようになったのは事実だし、計算機自体の処理能力向上もあって、それが実に様々な場面で活用できるようになってきたのは事実だ。でも、それが都市をどう変えるか?

実はぼくはそんなに大きな影響があるとは思っていない。なぜかといえば、いま話題になっている人工知能/深層学習は、局所的な最適化の手段だからだ。そして多くの都市は問題を抱えつつも、そこそこ効率よく動いている。多少は改善する余地はあるだろう。エネルギー効率や、車両効率、インフラの利用やメンテナンス計画など。でもその改善の余地は、一、二割もあるだろうか?人間もバカではないので、既存の仕組みも決して無駄まみれの役立たずではないのだ。それを改良して得られる都市機能全体への影響がさほど大きいはずはないし、したがって都市が大きく変わるはずもないと思っている。

本稿の前半では、いまの話 — — つまり人工知能が都市に大した影響を与えるはずはないという主張 — — をもう少し詳しくしてみよう。そして後半では、もう少し現状の深層学習などでもできそうな範囲で、いい加減な妄想を展開してみよう。

まずさっき述べた通り、いま流行っている人工知能/深層学習は、基本は最適化多少なりとも深層学習で遊んでみると、それは実感できるようになる。本当にこれ以上はないお手軽な入門としては涌井他『Excelでわかるディープラーニング入門』がおすすめで、たかがExcelのファイルがいっちょまえに学習する様子は非常に感動的だ。それはかつて、初めてマイクロプロセッサをいじってみたときの感覚にも似ていて、「こんなことができちゃうのか!」と「こんなことしかできないのか!」の入り混じった非常に楽しい体験だ。

そしてたぶん、人工知能と呼ばれているものの多くは、まさにいまのマイクロプロセッサのような存在になるのだろう。マイクロプロセッサは、きわめて複雑な機器に組み込まれてかなり頑張って働くものもある。でも多くは、ちょっと高級なスイッチとして使われているだけだ。「人工知能」も、囲碁の名人を破ったり新薬を発見したりするすごいものは、ごく一部にとどまる。ほとんどは、ごくつまらないところで、きわめて限られた最適化を行うだけだ。マイコン制御炊飯器では、水加減や周辺温度などで、あらかじめ決められたパラメータにそって加熱制御が行われる。AI電子ジャーやAI炊飯器(必ず出てくる)だと、そのパラメータをその場で少しずつ最適化しつつ変えることになるわけだ。おそらく、たぶん最適条件が少しややこしくて常時変わるような状況で、制御のパラメータを入力データにあわせて最適化するようなところに使われるようになるだろう。

そして都市でそれをやろうとする場合、それがうまく使えそうなのは、各種スマートシティの試みだ。

さて、一部ではスマートシティはずいぶん期待されている。アメリカの不動産屋の寄り合いULI(アーバンランド研究所)や、ぼくの母校でもあるMITの不動産センターでも、スマートシティがこれからの不動産や都市を一変させる、といった旗をいろいろ振っている。

でもいま実際にある「スマートシティ」に何ができているのか、というとあまり大したことはないように見える。様々なものにセンサを入れ、そうしたデータを都市の管制室のようなところでまとめて見るのが通例だ。いちばんよくあるのは、各住居やビルにスマートメーターを導入し、さらにはもっと家電製品の電力使用を制御できるようにして、たとえば冷蔵庫の霜取りサイクルを電気料金の安い夜間にもってきて、ピークの平準化を図る、といった話になる。あるいは街灯にすべてセンサを仕込み、集中管理して切れた電球を即座に換え、明るさを細かく調整することで電力使用を抑えるといった事例もある。

でも実際にスマートメーターが導入されたところでは、必ずしもピーク平準化にはつながっていない。メーターだけでなく、各種電気製品も話し合うようにして、メーターのほうから電気製品をコントロールできるようにすれば、ある程度は改善されるのかもしれない。そうすれば人工知能による最適化の余地も増える。また電気自動車が普及して自家用大型蓄電装置として機能すれば、人工知能による最適化の余地ももっと大きくなる可能性はある。ただし一方で、それが普及すれば電力料金体系が変わり、結局最適化したところで大したメリットは得られなくなるだろう。

そしてそれが一つ、人工知能の活用で問題となる。基本そこでは、ある種の枠組みの中で最適化が行われる。交通データを集め、オンデマンドの交通機関と組み合わせることで最適な配車を行うにしても、既存の道と車両のインフラの中での最適化だ。すると、それが決定的に都市の在り方を変えたりすることはなさそうだ。いまある仕組みをどのように少し改良するか、というくらいだ。自動運転車が普及することで、その変化の度合いは大きくなるだろう。AIによる配車の最適化が行われ、自動運転車が公共交通インフラとして存在するようになったら、都市の姿は一変する可能性はある。でも自動運転も完全な実用化までにはもう一山ありそうだし、それはかなり時間がかかりそうだ。

結局、データを集めてAIに喰わせたところで、都市のフレームそのものはあまり変えられず、その中での最適化すべきパラメータも限られていることが、都市における人工知能の可能性を制限することになる。

これを避ける方法として、シンガポールのように都市の各種データをリアルタイムで公開し、いわばそのAPIを提供してそれにあわせた民間事業者のソフト構築を奨励するような方法はあるだろう。その中で、まったくちがうデータの組み合わせから新しいサービスが構築され、新しい都市サービスにつながることはある。ミクロな気象情報やイベント情報をタクシーなどの配車に活用する、という具合だ。それでも、決定的に都市の枠組みを変えるようなものになるとは考えにくいのではないか。

それでは、人工知能はまったく都市を変えないのか?必ずしもそうは思わない。都市を人工知能が変える可能性があるとすれば、それはその構成要素の中でいちばん非効率で不合理な存在に対する働きかけだろう。その構成要素とは、人間だ。

そして、人間は実はだんだん操りやすくなっている。ぼくたちは、いたるところでスマートフォンに操作されている人間たちを見る。電車の中でも街の中でも、多くの人々はスマートフォンからの情報ばかりを見ている。観光地にいっても、人々は観光地そのものを見ようとはせず、ひたすらスマホとタブレットを見てそこにたどりつく。人々の行動は、地図ソフトのルート検索やカーナビのルート案内で大きく左右される。

するとたぶんグーグルなら、そろそろ最適ルートの表示により人の流れを変えられるはずだ。それは自動運転の導入でさらに強化される。自動運転にどんな経路情報を与えるかで渋滞コントロールも可能になり、そして都市の発展パターンも大きく左右できるはずだ。いまの人工知能でもそうした都市発展の誘導はできるだろう。

たぶんその程度ではとどまらない。人の行動ももっと左右できるはずだ。いま、購買履歴やウェブの閲覧履歴から人の欲しそうなものは推測できる(アマゾンの「おすすめ」「ほかの人はこんなものも買っています」はそれを活用している)。人工知能を活用して、これを精緻化するくらいのことはすでに行われているはずだ。でも、いずれもっとそれを高度化できるかもしれない。人工知能のパターン分析で、もっと強い、人間のコントロールも可能になるはずだ。

たとえば人間は、ある金額の得をするより、同じ金額の損失を強く避けたがるという、心理学/行動経済学の知見がある。これにより、博打に出るより堅実に損をさける慎重な行動が生まれる。でもこれを突破する方法がある(男だけは)。事前にエロ写真を見せるのだ。いや、真面目な話。そうすると、思い切った決断をするようになる。

たぶん、ウェブの閲覧履歴と購買行動とのパターンを人工知能に分析させれば、男はエロサイトを見た後ではなんとなく高い買い物をする、といったパターンが出てくるはずだ。そうしたものを活用することで、都市における人の行動も大きく左右できる。それを立地や、インフラ効率改善などに活用することも不可能ではないはずなのだ。

そしていまや、人工知能の流行にともなって、もう一つおもしろい動きがある。バーチャルリアリティことVRが、何度目かの隆盛を迎えている。そしてかつてのカクカクした吐き気を催す代物とはまったくちがうレベルのものが、いまや消費者向け製品レベルで登場しつつある。人工知能を活用して、それぞれの人間に「最適化」した世界をつくり、VRで見せることは十分可能だ。多くの人はだんだん家にこもり、仮想の世界に暮らしている。VRの発達と、人工知能によるその最適化は、ヘタをするとそれをダメ押しする。もはや完全に孤立した自分の仮想世界の中で完結するようになったとき、いまあるような形での都市が衰退するようなシナリオすら描けるのかもしれない。人間は弱いものだし、聞きたいものだけ聞き、見たいものだけ見続けたい誘惑は強い。これまでは、映像や音響の粗さに比べ、現実の高い精細度がこの現実世界にとどまる理由になっていたが、仮想世界の改善がすすめば ── そのとき、外部世界を参照せずに作られる自分の世界というのがどんなものになるのか、というのはちょっとおもしろいテーマではある。そのとき、都市が人々にとってどんな意味を持つようになるのか ──

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山形浩生
建築討論

やまがた・ひろお/1964年、東京生まれ。東京大学都市工学科修士課程およびMIT不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務のかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動を行なう。著者に『新教養主義宣言』(河出文庫)など、訳書にピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)など多数。