分析:「ミロ展──日本を夢みて」

連載:会場を構成する──経験的思考のプラクティス(その3)

桂川大+山川陸
建築討論
Jun 9, 2022

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時間と空間の密接な関わりを前提に行われる会場構成を考えるため、第二回では建築家・西澤徹夫の会場構成による「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」(2009)を分析対象とした。「ヴィデオを~」は作品が求める鑑賞時間が明示されたヴィデオアートの展覧会であり、西澤の会場構成は、あらかじめ予測することの不可能な鑑賞者の鑑賞時間を除いた要素の検討に徹底していた。

どれだけシミュレーションしようと、現場検証と修正を繰り返そうとも、来たる鑑賞者が35分の映像作品をその場で35分見るかどうかは設計不能である。だが個々人に委ねられる一連の経験、特に作品を見るという時間が扱えなくとも、鑑賞者が経験の積みあげによりキュレーションを受け取り、展覧会という全体像を描くことは、会場構成によって支えることができる。むしろ、一連なりの経験の上に全体像を描くためにこそ、会場構成はあると言ってもよい。

──本連載第二回分析より抜粋

第二回の分析を経て、展覧会の空間を時間構造として考えることが、経験を先取りして思考する会場構成の重要な手がかりであると考えた。検討から鑑賞まで常につきまとう時間の問題を引き受けた「構成 construction」について、今回も考えていく。

第三回の分析は、会場構成における空間と時間の関係をより深く考えるため、建築家が関与せず、キュレーションから会場構成まで一貫して学芸員により行われた「ミロ展──日本を夢みて」(会期:2022年4月29日~7月3日)を対象とする。本展覧会は愛知県美術館学芸員・副田一穂が中心となって企画・キュレーションしたものであり、Bunkamura ザ・ミュージアム、富山県美術館にも巡回するが、分析対象としては副田が会場構成まで含め全てを担当した愛知県美術館での展覧会を扱う。

訪問「ミロ展──日本を夢みて」

愛知県美術館での展覧会の様子。第2章=ブロックBの奥から、入口方向を見る。(撮影:副田一穂)

会場となる愛知県美術館は愛知芸術文化センターの10階に位置している。本展覧会は10階展示室8つのうち3つを利用する、愛知県美術館と地元メディアが主催する展覧会である。前述のとおり副田が展覧会の企画からキュレーション、本館での会場構成までを一貫して担当している。美術館学芸員が会場構成まで担当することは一般的であり、むしろ建築家に会場構成のみを託すケースが珍しいと言える(第二回分析冒頭の資料も参照のこと)。

「現代スペインを代表する巨匠ジュアン・ミロ(1893–1983)。絵画から彫刻、版画、タペストリー、陶器に至るまで、その幅広い創作活動の裏には日本文化への深い理解がありました。浮世絵や俳句を通じて日本に憧れた初期の代表作から、民藝や書、やきものに触れた戦後の対策まで、ミロと日本の90年の歩みを辿ります。」(展覧会特設サイトより)と紹介される本展覧会では、6章に分けて時系列に沿いながら、ミロの創作と日本文化の関係が紹介されている。なおミロのアトリエを紹介する展示室が設けられているが、これは補章として扱われている。

著者による会場視察時のスケッチ。仮設壁による展示室の分け方を示す。

ミロ展の会場は一辺11mの正方形のブロックA,Bからなる展示室1、C~Hの6ブロックからなる展示室2、他ブロックの約2/3の広さからなるブロックI=展示室3からなる。仮設壁による展示室内の区切りを本稿ではブロックと呼ぶ。なお展示室1、展示室2、展示室3の天井高はそれぞれ異なる。
本稿では、章立てとブロックの単位で会場構成を見ていく。6章+補章に対するブロックの振り分けは下記のとおりだ。

第1章 日本好きのミロ :ブロックA

第2章 画家ミロの歩み :ブロックB,C

第3章 描くことと書くこと:ブロックD

第4章 日本を夢みて :ブロックE

第5章 二度の来日 :ブロックF,G

第6章 ミロのなかの日本 :ブロックH

補章 ミロのアトリエから :ブロックI

展示物はミロ自身の作品を中心とし、彼が収集した日本の民芸品や関連作品、また研究資料が展示されている。第3章までは壁掛けの平面作品が中心となっており、資料展示も平置きないしは斜め置きの什器で壁際に設置されている。第4章以降、ブロックの中心に立体作品が設置されるようになり、仮設壁の分量が第3章以前より一枚分減って見通しが利くようになっている。

なお仮設壁は各辺の片側に寄せて設けられており、キャプションに沿って作品を追っていくと次のブロックへ導かれるように設定されている。

左奥から中央にかけて第5章=ブロックF.G、右奥が第6章=ブロックHの展示状況。(撮影:副田一穂)

なお光環境については、第6章=ブロックHを除いて、ベース照明も点灯した状態で各作品ごとに求められる条件を満たしている。キャンバス作品、紙作品によって照度設定は異なるが、室全体としては均一な光に満たされている印象が強く、ゆえに第6章の異質さが際立つつくりとなっている。

作品の展示高さの基準となるセンターラインは、天井高とのバランス、後半で作品が大きくなっても見やすいことを考慮して、第1章=ブロックA,BでFL+1450mm、ブロックC以降はFL+1500mmとなっている。センターラインの高さの変化は鑑賞者に意識されない程度であり、各ブロックのつくりも上述のようにある程度均質に作られているため、感覚的に言うなれば「淡々と」した、基本に忠実な展覧会の作り方だといえよう。このような会場構成について考えるためには、まず構成の主たる要素である作品について考えなければならない。

作品はどこからやってくるのか

本展覧会のみならず、学芸員自身の手による会場構成について理解するには、展覧会がどのようなプロセスでつくられているかをまず知る必要がある(ここでは会場構成に向けた議論とするため、共同主催の新聞社、テレビ局やスポンサーとの関係性、付随するミュージアムショップ、音声ガイドといったコンテンツについては置いておく)。

副田によると、本展覧会の企画から実現までのプロセスは、常に複数の作業が同時進行する状態だったという。

企画案の時点では、会場のキャパシティから導かれる作品点数のアタリに沿って、作品が選定される。この時点でおおよその章立てと、各章の中核をなす作品が仮定されている。本展の作品点数は、過去の展覧会経験や想定鑑賞時間のバランスから、壁長約340mに対しておおよそ100点が目安とされた。巡回にあたっては愛知県美術館と同規模の作品数を展示できることが条件となるため、自ずと連携可能な館は限られてくる。今回巡回するふたつの会場も、これまで何度も巡回展をともに開催した実績のある館ということだ。

巡回する共同開催館が決まった時点で、展覧会の準備は本格的に始動する。各作品は、それぞれの収蔵先との交渉により借用する。たとえば遠方のため輸送費との兼ね合いで借用を諦める場合もあれば、交渉の途上で思わぬ情報提供を受けて作品が追加されるケースもある。いずれにしても、交渉する当の作品を必要とする展覧会の狙いを所蔵先に提示しながら、同時にその作品に付随する別の作品や、並べて見せるべき資料などが明らかになっていく。本展覧会で展示されている作品・資料はこうして集められたものたちである。

こうして仮定される作品量の内実がおおむね明らかになった頃から、図録の作成と会場構成が並行して進行する。6つの章だて、そして補章という大きな構成に対して、どのように作品と出会っていくか。図録においては、一方向に情報をめくっていく本という媒体の中で、どのようにキュレーションと作品を経験していくかが検討される。「図録の中では作品には大きさの差が経験されないし、章立ては作品の物性ではなく内容によって決まっていく」と副田は語る。

では一方で、会場構成はどのように決まっていくのだろう。愛知県美術館では、ブロックで区分けされた印象が強い建築計画、仮設壁による区画方法の制約(基本は柱割に合わせて壁を建てる)を踏まえると、作品点数と章立ての関係から展示室の振り分けは自ずと決まってくる。また前述のとおり、照明計画は作品の物性じたいが規定する面が大きい。こうなってくると、室単位の構成は、キュレーションに準じて作品がリスティングされた時点で自動的に決まっているといえよう。

それでは、実際に作品をよく見ることと、その経験の積みあげにより展覧会の全体像を得ることの関係はどのように検討されているか。これは、図録の編集作業が同時並行で進んでいることで成立する。会場構成は、図録というページをめくる行為による経験のあり方を、空間を巡る行為に変換する作業であり、また図録編集は空間を巡る行為を本に落とし込む作業でもある。前段で概説したとおり、本展覧会では作品の多くは壁にかけられており、巡る順序もキャプションの位置によってガイドされている。

もちろん作品と作品の間隔設定はどの作品が関連したもの同士か、どれが自立したものかを示す重要な要素だが、人は壁だけを見続けているわけではない。鑑賞者の経験に向けて、並べる行為はどのような仕方で会場全体を構成する行為になっていくのだろうか。

作品を並べてみる

副田によると、本展の会場構成の大半は平面図上での作品のプロット作業が占め、模型やパースによる検討を行うことはなく、展開図も限定的に必要な箇所で最低限用いたのみだ。これは、ハウスキュレーターであれば繰り返し自館での展示経験を積むことで、平面図のみでも作品と空間の関係がある程度想像できるからだ。そして、キュレーションから展示作業までを自身で一貫して行うことで、実際に作品を現場で並べてみてから、全体の構成が破綻しない範囲内で入れ替えなどを自身の判断で行うこともできる。

本展では作品を時系列で見ていくことを前提として、作品と展示室の物性──たとえば作品の大小や、壁面のパネル割をまたがないよう作品を設置することと、物性とは無関係の作品ごとの重要性や作品同士の関係性とを整理・調整しており、その結果が図録と会場とで並び順の違いとなって現れている。

では実際に展示室内の状況を、図録との相違点に着目しながら章ごとに分析してみよう。
図中には図録に由来する作品番号と、想定された順路を矢印で記載する。順路に対して番号が入れ替わっているものは色を変えて表示している。

第1章 日本好きのミロ :ブロックA

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

ブロックAは、展示概要文を読んですぐ、作品ナンバーの振られていないモノクロの写真が鑑賞者を迎える。日本で撮影されたミロの写真は、展覧会の基調となるテーマの印象をつくる一枚だ。壁沿いのモノクロ写真に意識が向かう一方で、ブロックの広がる方向(入口からみると左手奥)にもつい目が向いてしまう。その先には白壁に対して青色で囲われたバックパネルがあり、そこに番号1,2の作品が展示されている(番号1,2の作品は撮影可能であり、以降のブロックでもメイン作品は撮影可能な設定である)。これらが展覧会の最初の印象をかたちづくっている。
しかし壁沿いの順路に従えば、まず出会うのは、番号3–9の資料展示である。これらはミロが作品にコラージュした浮世絵にまつわる資料であり、遠目に見える番号1,2の作品を再度じっくりと鑑賞するための前提知識を与えてくれる。この知識の獲得が、作品鑑賞の時間を長く、深いものに変えることが期待されているのだろう。

また、この入れ替えで最初の壁面の展示物量を抑えたことと、入口すぐが開けていることにより、混雑時に入口付近がボトルネックとなることを回避している。番号1,2をいかに観るかを中心に考えられているのが、ブロックAの会場構成のポイントだ。

第2章 画家ミロの歩み :ブロックB,C

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

ブロックBでもブロックAと同様に、メインとなる作品を遠目にと順路に沿っての二度見る配置となっているが、これは作品番号どおりである。入れ替えがおきているのは番号19の作品で、順路に対して15→19→16→…と続く。番号19が周囲の作品に比してやや大型の作品であることが理由の一つだ。また、番号16–21のための展示壁面が非常口で一部分断されており、これをまたいで順路を継続させるために、番号16–18、20–21という合計5点のリズムが必要だったとも考えられる。特に番号16–18はいずれも茶を基調色とした小品で、それを一つのまとまりとして見せる意図も感じられる。このように理由は複合的だが、結果的に番号26の作品へ観客を再度導く動きが生まれている。

なお番号26にはブロックAの番号1,2同様に色つきのバックパネルがつけられている。前段で触れたように主要作品から鑑賞者の意識が広がっていくように各章は構成されており、バックパネルつきの作品はキュレーションの核を明示している。

順序を入れ替えて番号26を見た後に目にすることになる番号22–25の資料は、ミロの作品が日本で初めて展示された展覧会の目録とその経緯を記した雑誌であり、経年した物質性を伴っている。ホワイトキューブの無時間性に対して、どのように時間を行き来して鑑賞経験を積みあげていくかに副田の関心があることが伺える。

続くブロックCは壁沿いに順路が続くオーソドックスな形式となっている。ブロックB同様に空間中央にソファが置かれているが、動線を疎外しないことが優先されており、二脚ずつ設置されている。

図録からの入れ替えは番号32–34で行われており、その理由は「サイズにややバラつきがあるため、大きな作品を中央に持ってきたかったから」ということだ。番号32と33は同じ年に制作され似通ったテーマを持つ作品であり、2点の順序はさほど重要ではない。他の操作とは異なり、ひとつの壁面の中で作品が静的に落ち着くことが企図されているのだ。

ブロックCの最後に展示された番号38の連作は、次のブロックD=第3章への連続性を強めてくれる。

第3章 描くことと書くこと:ブロックD

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

ブロックDでは番号42の連作が順路の最後に回されているほかは、入れ替えはおきていない。この展示室で特に慎重に行われているのは、一壁面ごとに対する作品の点数の整理だ。「第3章までは作品で引っ張っていく」と副田が語るように、第1,2章同様に、室を巡る引力は入口からまず目に入る奥の壁にかけられた主たる作品に由来する。ここでは番号41がその役割を担っている。
しかし、作品の扱いとしては番号40も同様に撮影可能なメイン作品である。番号40と番号41を同一壁面に並べると窮屈になってしまうこと、手前の番号38,39の壁面に空きができて連続性が失われてしまうことから、番号40は入口向かって左壁面へ掲示された。番号41の作品であれば、壁面に対して一枚でも十分に存在感を放つことが可能だという判断からだ。

壁面に対する作品の存在感は、作品の美術史的な意義とは別に、作品の物理的な大小にも由来している。天井高が高い大型の空間からなる愛知県美術館では、作品の物性に由来する印象はさらに強調されて見える。

なおこのブロックは唯一ソファが四脚置かれており、正方形に近い配置をされている。どの壁面に対してもじっくり眺めることが可能な配置であり、最もゆっくり過ごしてほしいブロックであることが分かる。

第4章 日本を夢みて :ブロックE

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

ブロックEからは、本展覧会の主題である日本との関わりについて、より具体的な資料の展示割合が増えていく。第3章までミロの作品鑑賞を身体的に積みあげて来た観客に向けて、今度はそこにいかに日本の要素が関わっているのかを理解してもらうフェーズとなる。

ブロック中央には本展では初となる立体作品(番号53)が展示されており、壁面沿いに資料を巡っていく運動を中心から支えてくれる。この流れを断ち切らないために、もう一つの大きな立体作品(番号54)は展示室の隅に展示されている。スムースな動線が確保されているということは、この展示室では鑑賞者の意識が途切れることなく経験されることが期待されているのだろう。

第5章 二度の来日 :ブロックF,G

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

先述の第4章=ブロックEから第5章にかけては日本に関する資料が構成の骨格を成す三つで一つの章だと副田は解説する。そのため、それまでのブロックに比べて、ブロック同士の間口が広く取られているのが特徴である。第5章について分析するためには、先だってブロックGへの言及から始めなければいけない。ブロックで初めて立体作品(番号53)が出て来たとき、視線の先にはブロックGの立体資料(番号98)が見えている。両者の関係性が先取りされることで、各章の連続が身体的にも予感されているのだ。

その上で足を踏み入れるブロックFは、各資料がまとめて配置されており、まとまりの単位を整理するために入れ替えが行われている。先述のブロックGの立体作品に加えて、展示室を連続して経験する支えになっているのは、番号の振られていない壁画のプリントだ。本展の中で唯一現物展示ではないこちらは、展覧会の調査の過程で発見されたものであり、ミロ研究において重要なものであった。この原寸大プリントは、ブロックF-Gの境界に掲示されており、壁面パネルの継ぎ目をまたいでいるが、プリントシートであるためこの配置が許されている(作品の場合は、挙動が異なるパネルにまたがる展示は地震等の際に作品を損傷する恐れがあるため、基本的にパネル割付に準じることになる)。この展示方法が、ブロックF-Gの連続を物としても意味としても支える要素になっている。

ブロックGでは、ブロックEと対になるように中央に置かれた作品の周囲で鑑賞が巡っていく。資料展示からの連続で、本展覧会のテーマが経験としても重なっていくのだ。

第6章 ミロのなかの日本 :ブロックH

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

最後のブロックHのみ、仮設壁の立て方が他のブロックと異なっている。それまでは片側に壁を寄せる形式だが、ブロックH=実質の最終章のみ入口が間口の中央に設定されている。紙作品が部屋の中央に平置きで展示されることから照度設定がシビアになることもあって、この区画のみ天井のベース照明を完全に落としており、それまでの連続的な経験から意図的に切断された空間が鑑賞者を待ちうける。

展示順が制作の時系列に準じるこの展覧会では、第6章には晩年の作品が展示されている。晩年のミロは広大なアトリエを得たことにより、制作サイズも拡大していったそうだ。それまでの大小さまざまなサイズの作品が並ぶ展示室の状況から一転して、同一スケールの大型作品が壁面に展示されている。

メインの番号105–109は、没後アトリエに残されていた作品のため、組み作品か、そもそも完成作なのか、並び順はこれで正しいのか、すべてにおいて確証はないそうだ。「作品を並べることで鑑賞者はそれを絶対的な順序と思ってしまうことがある」と語る副田は、そのことをキャプション解説で補足している。

キュレーションの観点から、とりわけモノクロームで映える作品を中心に出品を交渉したとのことで、ベース照明を落とした薄暗い空間に浮かび上がるこれらの作品によって、時系列に沿って進んできた展覧会の、終わりとしての印象を与えている。

これは、展示としては一旦ここで一区切りさせることによって、展覧会の構成上は浮いてしまう最後の補章を、鑑賞体験をフェードアウトさせる要素として見せることが可能になる。

補章 ミロのアトリエから :ブロックI

各ブロックのカタログと順路の関係を示す壁面へのレイアウト図。(図面提供:副田一穂)

愛知県美術館の企画展示室の構成上どうしても最後の部屋になるブロックIは、それまでの正方形に近いブロックとは異なり細長い通路のような空間で、天井高も低いため、この部屋に展示のクライマックスを持ってくるのは物理的に難しい。したがって本展では、時系列からはずれた補章の展示が納められている。この補章の扱いは巡回先によって異なっており、Bunkamura ザ・ミュージアムでは4章と5章の間に挿入されていた。巡回展での会場構成は、基本的にその館のファシリティに精通した学芸員が構成する。その自由度の高さを支えるのが、本展ではこの補章の存在と言えるだろう。
最後の空間でありながら、キュレーションが重視した経験の順序からは自由に切り放されているように印象づけられることからも、本展覧会の会場構成の巧みさが感じられる。

時間で空間を満たす

ここまで、展覧会の企画からのプロセスも含めて、「ミロ展」における会場構成とキュレーションの関係を分析してきた。経験において積みあがる作品鑑賞の順序を規定する図録の存在と、物性と伴う空間でそれを経験することの齟齬と調停の手つきが、作品の並べ方から展示室をまたいだ連続的な関係の作り方まで様々なレベルの操作から確認できた。

会場構成とは、面的に広がりある空間に、順路という形でタイムラインを線として引き、その時間を感知するための移動を作品を並べることによって促す行為だ。しかしここでいうタイムラインとは、強く拘束され脇見も許さない固定的な時間構造ではなく、想定された鑑賞順に先がけて見かけてしまうことや、以前の経験を引き継いで見ることも引き受けるものである。本展覧会の会場構成は、壁沿いを歩き続けるというシンプルな仕組みゆえに、そのタイムライン的な空間が持つ経験の広がりを明らかにしていると言えよう。
「構成 construction」のポイントは、このような時間と空間の関わり──線と面の取り扱いにあるのではないだろうか。

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次回より複数会場で作品が展示され、同時多発で出来事の発生している芸術祭を題材とする。ドイツのカッセル市で5年に一度開催される現代美術展「ドクメンタ15」(会期:2022年6月18日~9月25日)を訪問し、次々回の分析材料となる現地での経験をまず報告する。短期の滞在期間で行える調査には限りがあるが、より複雑な状況を構成する方法の発見にご期待頂きたい。

謝辞
本稿の執筆にあたり、愛知県美術館の副田一穂氏には、展覧会の解説や資料提供、ヒアリングをさせて頂きました。開催中の展覧会を実際に観ながら、企画からのプロセスも含めてお話頂くことができ、会場構成の分析が対象とすべき範囲を広げることができました。執筆原稿へのアドバイスも含め、多大なご協力を頂いたことへ感謝の意を表します。

補足
第2回の末尾で、今回は「パウル・クレー|おわらないアトリエ」(2011)と合わせて分析を行う予告をしましたが、分析を進める過程で本展単独での分析に変更いたしました。

桂川大+山川陸 連載「会場を構成する──経験的思考のプラクティス」
・その1 経験と構成
・その2 分析:「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」
・その3 分析:「ミロ展──日本を夢みて」

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桂川大+山川陸
建築討論

かつらがわ・だい(左)/STUDIO大主宰。1990年生まれ。2016年 名古屋工業大学大学院博士前期課程修了。2019年- 同大学院博士後期課程在籍。| やまかわ・りく(右)/一級建築士事務所山川陸設計代表。1990年生まれ。2013年 東京藝術大学美術学部建築科卒業。