批評|孤高の開放系・生きのびるための洗練

消滅集落のオーベルジュ|L’évo

伊藤維
建築討論
Dec 25, 2023

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合掌造りの集落 / 消滅集落のオーベルジュ/ 利賀国際芸術公園 / 車から撮影した酷道

世界遺産/レヴォ/芸術村/酷道

9月の暑い週末に富山県南砺市のオーベルジュ「レヴォ」を訪れる行程で、私たちは隣り合う4つの谷を経験した。岐阜県岐阜市からの陸路で、砺波平野は通らず、北上する東海北陸自動車道を降りるとひたすら山道であった。

1つめは五箇山ICを降りたところの庄川の筋。世界遺産の五箇山合掌集落群を横切る。菅沼集落に立ち寄ってみると、崖上の駐車場から谷の集落に降り立つためのエレベーターやトンネルなどが、観光地化のために土木的スケールで整備されている。

2つめはレヴォのある利賀川の筋。谷口シェフと、彼のもとに集い近隣に移住したチーム・レヴォが、日々4WDでオーベルジュに通い、全国から訪れる舌の肥えた客に超一流の食体験を提供している。

3つめは演劇の聖地、利賀国際芸術公園のある百瀬川の筋。鈴木忠志氏率いる早稲田小劇場(現SCOT)のために整備された建築群は磯崎新が設計に携わったことで有名で、その日はサマーシーズン後半で劇団員・観客が集まっていた。畑仕事をする劇団員と思しき面々に、品川ナンバーのベンツから声をかける業界人と思しき人、という光景を目の当たりにする。

4つめは、帰りに岐阜県飛騨市に抜けようとgoogleの案内に任せていたら通る羽目になった国道471・472号線の大長谷川の筋(富山市)。この道は全国屈指の「酷道」だと後で知るが、修理から復活したばかりの車(5ナンバー2WD)を酷使し、ガードレールのない、絶壁かつ舗装もままならない1車線道路をくねくねと延々と走る、というかなりの経験をした(道中で日が暮れなくて、そして対向車が来なくて、心から安堵した)。

考えてみると、とてつもない異世界が隣り合うエリアである。それぞれの筋にもともとあった集落も、豪雪地帯ゆえに冬は孤立し、それぞれ暮らしが自己完結できることが必然だったという(※1)。現代においては、それゆえに、まったく異なる様相のグローバリゼーションを3筋が違和感なく受け入れられる独立性が生まれたと言えるかもしれない。いっぽうで最後の1筋は、とても分かりやすく、資本・整備が行き届いていない(ただし峠まで車を走らせたのはこの筋だけなので、単純な比較はもちろんできないが)。

レヴォと電気/神社と水

集落の人々が建立した神社

レヴォという場を成立させているのは、そんな険しい地勢がむしろ可能にした、孤高とグローバリゼーションとが唐突に接続される文脈にあるように思う。

その場所には田之島という集落があった。谷口氏がここを見出したのは、田之島出身の高桑さんが南砺市役所におり、偶然の縁がつながった結果だという。たどり着くには、車1台がぎりぎり通れる道に分岐し、くだり、小さな橋を渡る。この橋が世界との唯一の(現代的な)物理的接点である。そこから少し進んで開けた場所に、分棟の屋根型ボリュームが割と突然に見えてくる。橋を渡るプロセスに比べるといささか拍子抜けするほど素っ気ない出会いでもあったが、建築は、凛として穏やかな佇まいである。

集落が消滅した理由は、アクセスの悪さ、環境の過酷さによる。都市部のようなインフラ整備が難しいなか、近代化に伴う生活様式や、利便性の尺度変化や地縁の希薄化などによって、子どもの世代に苦労はさせられない、という住民の思いも手伝って、昭和30年代から離村が多くなったという。

そのような立地にあってオーベルジュに必要な電気容量を引っ張ってこれたのは、すでに名を博していた「レヴォ」の移転という、ある種グローバルなインパクトあってのことであった。ただ、もうひとつ重要なインフラである水のほうは、実は集落のローカルな歴史の賜物である。離村した家族の子孫が年の一度に集まる祭り(集落の皆で建立した神社を祀る)が現在まで続いていたため、高桑さんほかが定期的に手入れをしてきたという経緯があり、それが山からの水筋をかろうじて繋ぎとめていたのだった。神社を建てたのが昭和28年。離村が多くなったのが昭和30~40年。ぎりぎりのタイミングである。

「前衛的地方料理」のような複層性

看板料理である「レヴォ鶏」

谷口氏はインタビューで、「消滅集落を蘇らせたかった」等とは一言も言わず、自分の料理を進化させる・料理に思いっきり打ち込める最適な環境としてここを選んだ、と語る(※2)。その意味で、集落への憧憬のようなものは必ずしもこの建築をつくる大前提にならない。

彼が追求するのは「前衛的地方料理」である。盛り付けられた料理・皿に過度と感じる装飾は無く、それでいて、尖ったワイルドさも小ぎれいさも同時に感じる。「おだやかに表出する野生と洗練の衝突」というか、レヴォの品々にはそんな感じの快楽があった。そんな「前衛的」「地方」料理を受け止める器としての建築・空間に期待されることは何か。いっぽうで洗練のベクトルを受け止め、もういっぽうで野性味を受け止め、表現すること。「消滅集落のオーベルジュ」には、そんな複層的な思考・試行が様々な次元で見られる。

正面駐車場からのレストラン棟の構え

先述の通り、建築は慎ましく佇んでいる。もとの集落構造を生かした配置・造成計画で、宿泊棟はかつての住居配置を踏襲しつつ、大きめのメイン棟は最小限の造成編集で(商業的にも求められる)客席から利賀川への眺望を獲得している。大量の雪の処理・除雪車立入りなどへの考慮も含め、場所の空間的資源をできるだけ引き継ぐことが、経済的に必然の回答にもなる(ただし規制地域外での崖地の適切な解釈など、現行法規に即した協議プロセスには感服すべき凄みがある。)シークエンスや裏方の見せ方・隠し方など、商業施設としてのみ考えればより演出的にできる配置・動線も想像されるかもしれない。が、ここでは文脈を引き継ぐことと実際的な問題解決とが地続きになっていることが力強く、そしてまた経験としても、集落のようだと感得できる群景の中で、料理人たちの食材づくりや、厳しい自然と対峙しながら料理を究める「生活」の様子も伺える豊かさになる、と私は最終的に感じた。

グレー系にまとめられたボリュームは、森との同化を拒みながらも邪魔することはなく静かに構えている。合掌集落と芸術村という「濃い」建築の筋に挟まれながら形態はかなり抑制されているが、機能的に必要な「雪割屋根」の意匠を2次構造部材ではなく1次部材で形成したり、要所への鉄骨材の採用や、擁壁造成と兼用したRC基壇部分に肉・ワインの冷蔵室含めた機械設備関係を抱え込ませていたりと、表現をノスタルジーではなく抽象・洗練に向かわせ、また与件を自然な形で成立させるエンジニアリングが確かにある。

もう少し微視的に外装のレベルを見ていくと、(高桑さんに写真を見せていただいた山奥の取水装置がもっとも象徴的であったが)サイディングやエキスパンドメタルなどの工業的製品・建材が、抽象的な表現のなかに適材適所の間合いで見え隠れする。利便性・施工性に即しポリカーボネート波板やVP管などをブリコラージュするような、石川初らの提唱した「FAB-G」みのある、あるいは石山修武が講義で示した、宇宙空間で故障しながらも手仕事による修復で地球に帰還したアポロ13号の出来事のようなイメージが重なる。もちろん恒久物として綺麗にまとまりつつ、荒々しい「前線」の環境への向き合い方として、そういっ た部分が私には好ましく感じられた(※3)。

工業的なマテリアルを適所に用いる

ここまで「抑制的」とたびたび形容しているが、全体から部分に至るまで、料理よりも空間や建築が前面に出ないよう、強いイメージや重厚さが注意深く避けられている。特にインテリアデザインは外部のディテールからあまり連続しておらず、いわゆる「自然」や「かつての集落」を感じる少し荒い素材は、いちど内装が仕上げられたあと、家具や建具、ポイントの壁などに主に用いられている。いちど抽象的な「皿」が用意された上に、あしらわれているような恰好である。野生の表出は穏やかに感じられ、料理や景色・風土を存分に楽しんでもらうための空間、という観点でこの穏やかさが適切かもしれない。その上で欲を言えば、それでも鋭く表出してしまう野生が、ディテール・仕上げの尺度でより「唐突」に経験される瞬間があると、さらに「野生」と「洗練」の複層性がスケールフリーに連続していったかもしれない、とは感じた。壁に掛けられた動物のはく製や骨、床に敷かれた毛皮などかなりワイルドな物ものが、アート作品や名作家具、作家の工芸品などと共存していた(つまりもう一つ細かいスケールでは衝突があった)ゆえに、なおさらそう感じたのかもしれない。

キッチン・レストランエリアの内観 / 床の毛皮

孤高の開放系・生きのびるための洗練

谷口氏は先と同じインタビューのなかで、以下のようにも語っている。

「僕も若い頃は料理人に必要なのは“自分の腕”だと思っていました。しかし、富山で多くのクリエイターとともに学び発信することで、料理は“進化”するのだと実感したんです。利賀村でも村の方々に助けてもらっています。僕はここで思いっきり料理をし、さらに進化します」

雑念的なノイズを断ち切り、料理を究める理想郷の体現として孤高に佇むオーベルジュ。それでいて、チームをつくり、客を広く招き、そして多くの発見・進化の可能性に開かれている開放性(L’evoはフランス語で「進化」を意味する)。料理だけでなく、彼らがこの建築・環境を使いこなすなかでの、あるいは設計者とともに掘り下げた「ノイズを断ち切る」ことと「開放」の両立は、先ほどの「野生」と「洗練」の共存に近い意志で推進されているように思われる。そしてそこでの取捨選択の判断は、必ずしもわかりやすい「自然物」「人工物」といった区別に依っているわけではなさそうである。

外構まわりで新たに植えた樹木は一本も無いという。しかし窓からの眺望や環境のあり方を考えたとき、人工植樹したと見られる針葉樹は多く伐採し、地域にもとから自生していた広葉樹は残す、という選択がなされたそうである。一方で、アプローチの敷石の脇で自然と生える草木(いわば「雑草」ともみなされそうな)はそこまで刈り込まれない。チームレヴォはそれを肯定している、という。

アプローチ脇の草 / 川越しにレストランから見える道路

いっぽう利賀川を望む窓の上方には、人間が切り開いた車道を支える土木構築物が垣間見えた。それを殊更に隠すという演出はしない。人間がこの地で生き延びるための構築だと思えば、むしろあれは、植樹した針葉樹ではなく、自生する広葉樹のほうに属するのかな、などと筆者は考えていた。

この建築、そしてこの建築を取り巻く世界の構築に込められた様々な判断・あらわれは、環境に人が建築をつくるという行為の次元で、サバイバル的でもあると感じられる。多くの要素がグローバリゼーションに応答するべく「洗練」されている。しかし持ち込まれた「洗練」の数々によって経済や電力が持ち込まれ、そして神社も、集落の跡も生きのびていく。ここには「生きのびるための洗練」とでも言えそうな建築的行為の可能性を見出せるのではないだろうか。それはこの孤高な地域の風景や、伝統、歴史を蹂躙しているのではなく、そうやって場所の文脈が続いていくこともあり得るし、また豊かなことなのではないか、と思わせる総体であった。

ハイデガーのいう「技術」がもつ、何か物事を単一の解釈(おそらく最も容易に説明可能な)で用立てすることによって、他にありえた可能性を埋もれさせてしまうことへの危険性(※4)には、自然物も人工物も関係なく、常に晒されている。料理もおそらく然りで、だから複数の解釈への開放や、自在な変化が大切になってくるのだと思う。参照や、引き継ぐ文脈を強く持ちながらも、総体としては既成のイメージに回収しきられることなく、抽象的な存在の「現代建築」として建築をつくることの意味はここにあると思うし、この場所全体が、これからのレヴォの進化とダイナミックに並走していく開放性を持つことにもつながる。技術や文脈への向き合い方において、ともすれば短絡してしまいそうな「正しさ」を超えた地平にある問いをあぶりだし、またそれに対し、建築家としての確かな洞察とエンジニアリングによって応えたプロジェクトであると思う。

※1 スイス林業と日本の森林 p.147(浜田久美子 2017, 築地書館)

※2 「L’évo レヴォ」富山県利賀村 一軒のレストランが地域を変える【前編】(Discover Japan記事)

https://discoverjapan-web.com/article/53890 (最終確認2023.12.18)

※3 思考としてのランドスケープ 地上学への誘い p.32(石川初 2018, LIXIL出版)

生きのびるための建築 p.8 (石山修武 2010, NTT出版)

※4 技術への問い (マルティン・ハイデッガー「技術への問い」より 関口浩 訳 2013, 平凡社)

「集-立」「開蔵」「伏蔵」「不伏蔵」(いずれもドイツ語からの翻訳)といった語を用いながら、「技術」の性質、本質、危険性、希望などについて書かれた文章。本文の記述には例えば以下の箇所が関連する。

p.47

・・・同様に不伏蔵性は、なるほど、それにしたがって自然が諸力の算出可能な作用関係として示され、しかもその関係の正当な確定を可能にするものである。が、しかしまさにこのことの結果としてつねに不伏蔵性は、正当なものばかりがはびこり、そのなかで真なるものが退去するという危険でもありうる。

p.49

・・・しかし〔二〕集-立が危険にするのは自分自身と存在するあらゆるものとにかかわっている人間だけではない。命運として集-立は用立てというあり方での開蔵へと指図する。もしこの用立てが支配するなら、それは開蔵の他の可能性をすべて駆逐する。・・・

p.59

・・・だから、われわれがこの立ち現われを熟慮し、追想しつつ見守ることに、すべてがかかっている。このことはそのようにして生じるのか?なによりもまず、技術的なものばかりを見つめるのではなく、技術においてその本質を発揮しつづけているものを洞察することである。技術を道具とみなすかぎり、われわれはそれを操ろうという意志に固執したままにとどまる。その場合、われわれは技術の本質のかたわらをさまようのである。・・・

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伊藤維
建築討論

建築家。Harvard GSD M.Arch.Ⅱ修了。ETH Zurich助手等を経て、2020年より岐阜を起点 に各地の建築設計監理、また建築・まちづくりの教育・研究・ 実践に携わる。名古屋造形大学准教授。 https://www.tamotsuito.com/