峯陽一著『2100年の世界地図:アフラシアの時代』

アフラシア都市研究への誘い(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
6 min readOct 2, 2019

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産業革命から20世紀に至るいわゆる近代は、ヨーロッパそしてアメリカの時代であったといってよい。だが、21世紀に入り、時代は大きく変動しつつある。22世紀に向けて、時代の中心が行き着く先。それが本書の指摘するアフラシアだ。

峯陽一著『2100年の世界地図:アフラシアの時代』

アフラシアとは、アフリカとアジアを一括りにする地理的概念である(アジアはトルコ以東のユーラシア大陸。ただし、本書はロシア全体をヨーロッパに含める)。しかし、日本が位置する東アジアからアフリカ南部までの距離はおよそ1万キロ。こんなにも広大な範囲を一つの地理的概念として本書が扱う理由は一体何なのか。

それは端的に人口である。21世紀の始まりにおいて世界人口は62.2億人。そのおよそ6割がアジアに住んだ。その意味では、いまはもうアジアの時代だともいえる。だが、2100年はそれとはやや状況を異にする。国連の中位推計によれば、2100年時点の世界人口は111.8億人。そのおよそ8割がアジアとアフリカに住むという。しかもその数は、アジアとアフリカで拮抗する。つまり、アフリカがこれからアジアを人口で猛追し、肩を並べ、2100年には世界人口のほとんどがこの領域全体に分布する、という状況が訪れる。そのありうべき未来を本書はアフラシアの時代と呼ぶ。アフラシアの人々の価値観や声に寄り添うことなくして、この地球の未来もあり得ないからだ。

だが、すぐさま補足すべきは、このアフラシアという空間を、筆者は一枚岩には捉えていないということである。例えば、文化の基層を成す気候風土に着目するならば、アフラシアは性質の大きく異なる領域が複合している。試みにグーグルアースでアラビア半島付近を中心に地球を眺めてみて欲しい。中国北部から北アフリカにかけて、イエローベルトと呼ばれる乾燥地帯が大きく横たわっている。しかしその東側には、南アジアから東南アジア、東アジアにわたる緑深い地域が広がり、反対の西側には、アフリカ中部に熱帯雨林、さらにその南にサバンナの緑が見える。このように、異なる自然環境を基盤として多様な文化を築いてきたのがアフラシアである。

また、社会経済についても、アフラシアの東と西には大きな落差がある。貿易では、工業化を達成した東アジアに向けて、アフリカから一次産品が輸出され、失業率はアフリカや中東で顕著に高い。さらに気候変動が農業生産に与える悪影響もアフリカに偏る。

このようなアフラシア内の差異は、分裂や搾取のきっかけになりうる。南北問題ではなく、南南問題の拡大である。そうなれば2100年の世界は今よりもずっと深刻になるだろう。それを十分に認識するからこそ、筆者はアフラシアという概念を用いて、この地域全体の秩序を創りあげるための対話を促そうとする。超大国がトップダウンでアフラシアを律するのではなく、各国が自律性を保ちながらも広い視野を持って互いに連帯しあうような社会。その実現を期待するとともに、そのヒントがアフラシアの歴史的経験にあると、筆者は考えている。

ひとつは、アフリカや東南アジアが小人口社会だったことだ。例えば、豊富な土地を持つアフリカでは、強大な王国が全土を支配するのではなく、複数の首長国や王国が共存する、分散的で流動的な小人口社会が形成されてきた。それは群島のイメージであり、状況の変化に、ときに相互につながりながら柔軟に適応する。そのような小人口社会の生活様式から現代の国民国家の編成モデルも見つかるかもしれない。

もうひとつは、20世紀半ばの独立である。アフラシアの国々はほとんどが植民地を経験し、20世紀半ばに独立した。植民地という搾取のシステムから闘争の末に脱却したのである。その経験は、自国のナショナリズムの高揚のためだけに使われたわけではなく、互いの連帯にも使われた。1955年にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議(通称・バンドン会議)はその一例である。文化的背景も地理的背景も異なる多様なアフラシアをひとつにまとめる力がその時生まれた。

以上のようなアフラシアの現実と可能性を、本書は、世界地図と銘打っているとおり、各種統計データを駆使しながら視覚的にわかりやすく説明する。新書でありながら、カラーページが豊富なのもありがたい。また、アフリカ地域研究を専門とする筆者らしく、私たちにはあまり馴染みのないアフリカの社会や歴史からデータの意味を肉付けしてくれる。もちろん手薄なところもある。例えば中央アジアへの言及は少ない。しかし、アフラシアの全体像を、統計による定量的な把握のみならず、定性的に捉えるには、複数の研究者を束ねる必要があるのだろう。

人口・社会・経済・環境などの側面から、アフラシアの重要性を喚起する本書に触れて、では翻って、アフラシアの都市や建築はどうなっていくのだろうか、と考えざるを得ない。世界人口の8割がこの地域に住むということは、都市化する世界の中で、そのほとんどはアフラシアの都市に住むということでもある。それらの都市は、ただひたすらジェネリックなのだろうか。

そう疑問を持つ一方で、近現代のアフラシアの都市や建築、とりわけアフリカについて、私自身ほとんど無知なのに気付かされる。ナイジェリアの旧首都ラゴスにおいて、計画概念の破綻の先に現れる秩序に、未来の都市モデルをコールハースが見たように、アフラシアの都市の歴史に、西洋を中心とする近代都市モデルを相対化するモデルが隠されている可能性は大いにある。建築家の原広司らは1970年代以降、人間と建築の原初的な関係を探ろうと、アフラシアの集落を巡った。反対に、2100年の世界がぼんやりと浮かんできた今、アフラシアの大都市を巡る旅路につく必要があるのかもしれない。本書を、その誘いとして読むこともできる。

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書誌
著者:峯陽一
書名:2100年の世界地図:アフラシアの時代
出版社:岩波書店
出版年月:2019年8月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか