建築、空間、ジェンダーを巡る言説をふりかえる──1970年代から現在まで

連載:改めて、ジェンダーから建築を考える(その1)

根来美和
建築討論
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19 min readJan 5, 2023

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ジェンダーは空間に内在するのであり、空間は決してジェンダーニュートラルな方法でデザインされることはない──エリザベス・ウィルソン★1

建築とその社会的背景を考えるにあたり、性役割や家族観を反映した居住空間から公衆トイレのデザインまで、ジェンダーは切っても切り離せない視点である。本連載では全6回にわたり、建築理論、建築史、都市計画と公共空間におけるジェンダーとセクシュアリティの言説を紐解き、ジェンダー規範からの逸脱を試みる思考や空間実践を紹介しながら、ジェンダーを切り口に空間のあり方を探る。

フェミニズムから、ジェンダーと空間の理論化へ

建築とジェンダーを巡る議論は、これまでどのように展開されてきたのだろうか。はじめに、議論を牽引してきた英語圏における言説を簡単に振り返ってみたい。

イギリスの建築史家ジェーン・レンデルは、建築分野においてフェミニズムの議論が始まったのは1970年代だが、空間とジェンダーの関係性が学術的に理論化されたのは1990年代だったと概説する★2。1970年代から80年代初頭にかけての建築フェミニズムの潮流は、性差が建築空間の生産と使用に与える影響の分析や、育児・家事労働の観点から住空間を考える試みを通して、都市と建築が如何に健常な男性を基準に男性によって計画されているか、それ以外の利用者を周縁化してきたかを批判するものであった★3。建築界におけるジェンダー不平等や女性建築家の少なさを問題視し、その転覆を目指そうとする潮流である。

他方で、レンデルによれば、この時期には資本主義の建築生産体制に異議を唱え、社会主義的な設計施工の方法論を探るフェミニスト建築設計集団も登場した★4。例えば、1981年にロンドンで結成されたフェミニスト建築設計組合Matrixである。Matrixは、建築と環境デザインにフェミニスト的アプローチを導入し、家父長制に基づいて生産される空間設計に異議を申し立てた。保健所や託児所、ウィメンズセンターの設計を行うほか、人種と性など多重に差別され得る人々が建築の仕事に携わることを奨励するための教育普及にも積極的に取り組んだのである。

Fig.1 Matrixによるリーフレット[出典: Arch Daily]

構築されるジェンダーとセクシュアリティの空間批評

1990年代に入ると、男女二元論的な異性愛規範を前提としたフェミニズムに対抗したクィア理論の展開が、建築ジェンダー論にも大きな転換期をもたらした。ジュディス・バトラーやイヴ・コソフスキー・セジウィックらによって理論化されたパフォーマティヴィティの概念が、ジェンダーが構築される主要な場所として空間を再考することを促したのだ。

「まなざされる女性」を想定した室内空間の設計とそのメディア露出の分析から、ル・コルビュジエとアドルフ・ロースの批評を展開したことで知られる建築史家ビアトリス・コロミーナ★5は、1992年には論考集『セクシュアリティと空間(Sexuality and Space)』を出版している。1990年にプリンストン大学で開催されたシンポジウムの出版物だが、その序文では「空間の政治性は常に性的(Sexual)なものである。たとえ空間がセクシュアリティを抹殺するメカニズムの中核を成しているとしても」★6と述べ、建築を「象徴のシステム」として捉える必要性を示した。また、1991年に同大学寮で学生の同性パートーナーの立ち入りが初めて認められたことに触れ、ジェンダーやセクシュアリティと不可分ではない権力装置としての建築──つまりあらゆる空間の政治学はジェンダー化され、性的化されたものであること──を改めて指摘している。論考集では、空間においてセクシュアリティがどのように作用しているかだけでなく、都市や建築空間が性的な目的のために(非)合法的に利用されている面についても触れられている。

コロミーナはさらに、1994年には、セジウィックらとともに「クィア・スペース」展をニューヨークで開催した。「マイノリティは、都市において空間を確保する権利をいかに確立することができるか? そのような空間は、どのように歴史や未来を与えられ、正当化されうるのか?」という問いかけに対し、公募の中から選ばれた建築家や美術家によるプロポーザル、マニフェスト、インスタレーションが発表された。参加者には、のちに Diller Scofidio + Renfro として知られるチャールズ・レンフロの名も見られる。会場では、親密な私的空間でクィアコミュニティを捉えた写真や寝室のインスタレーションの展示、あるいは公共空間でクィアアイデンティティを表明するポスターを掲げるプロジェクトが行われた。

当時、エイズ危機を背景に、マイノリティの声や身体の可視化が差し迫る課題であった。本展は、都市空間をクィアネスから読み解く意欲的な試みの初期例として位置づけられるだろう。このように、シンポジウムや出版物、オルタナティブスペースでの展覧会など異なる形式へと議論の場が延長されることで、建築とジェンダーの理論化と同時に、実験的な空間表現の模索やアクティヴィズムと連動した都市への介入を可能にしながら言説を生み出す熱気があったのだと想像できる。

Fig.2 「クィア・スペース」展(Storefront for Art and Architecture、ニューヨーク、1994年)[出典:Storefront for Art and Architecture Archive]

以降、アメリカでは建築理論、都市論、家政学、ジェンダー研究の交差した刊行物が続く★7。また並行して、ポスト構造主義の流れを受けて、規範化された建築言語や概念自体を脱構築する試み、あるいはマスキュリニティをキーワードに建築要素を読み解く言説が展開された★8。1970年代から約30年、アメリカとイギリスでは、建築家やデザイナー、都市計画家、理論家を中心に建築ジェンダー論が連綿と展開されてきたと言えるだろう。その流れは『ジェンダー/空間/建築:他領域にまたがる入門書(Gender Space Architecture: An Interdisciplinary Introduction)』(Routledge, 2000)で参照することができる。

日本における建築ジェンダー論の受容と展開

Fig.3 『10+1』№14 特集=現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築 (INAX出版、1998年)

以上のような建築ジェンダー論の系譜は、日本では1990年代末に紹介されている★9。この時期には、批評誌『10+1』などにおいて、性差とジェンダーの観点から空間を読み解く論考の邦訳や特集★10が積極的に組まれた。中心的な論者であった五十嵐太郎は、日本で男女雇用均等法が制定された1985年以降、建築をフェミニズムの視点から再考しようとする試みはあったものの、それらのほとんどが「男/女らしい」といったステレオタイプを強化する空間形容に留まり、二項対立的な性や制度自体への批判には及ばなかったと指摘した★11。また、当時の言説からは、生物学的な性差と社会的に構築されるジェンダーという概念の違いが混同されたままに議論がなされていた様子も見受けられる。

ただし、日本における建築ジェンダー論の受容と展開は一時的なものにとどまったと言ってよい。21世紀に入ってからは、五十嵐の『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』(彩流社、2010年)を除いて、建築とジェンダーにかんする体系的な議論はほとんど見られない。五十嵐自身の言説も、サイボーグフェミニズムやゲイ・スタディーズに触れながら「開かれた複数の性を考えることが重要」だと述べつつも、ジェンダーや女性建築家の歴史をあくまでも「建築家と他者」として取り上げている点に、この時期のジェンダー論の限界が垣間見える。

本質主義に陥らない批評と実践──フェミニスト的思考

ジェーン・レンデルが「(建築を実践するにあたり)性やジェンダーと同様に、人種や民族の違いも地理的な場所やその他の社会的関係の形態に左右される」★12と述べるように、空間の政治性は、ジェンダー、セクシュアリティ、人種、民族、階級、宗教、年齢、身体能力など社会属性の交差が生む多重の権力構造や社会的ヒエラルキーと無関係ではない。インターセクショナリティの考え方である。したがって、建築ジェンダー論は、帝国主義で植民地主義的な空間装置への批判、西洋中心で男性優位な思考と言語を前提としたモダニズムへの批判、さらに新自由主義的資本主義と結託し、効率性、機能性、合理性を推し進める空間計画への批判と結びついているのであり、ジェンダーやセクシュアリティの単軸だけでは紐解くことができないだろう。

だからこそ、インターセクショナリティを考慮するフェミニスト理論家や実践者は、アメリカの社会活動家であり、ブラックフェミニズムの代表的存在であるベル・フックスをしばしば参照してきた。フックスが1989年に書いたエッセイ「ラディカルで開放的な空間として周縁性を選び取る」★13は、「周縁の空間論」と呼ぶべきものであり、抵抗の場かつ可能性のある地点として周縁性を理解することの重要性を説く。白人優位、男性優位、異性愛優位という権力軸の交差にある中心点に対し、それらによって強いられた周縁に自身を位置付けるのではなく、抵抗の場として周縁を自ら選び取ることで、抑圧と他者化の構造を打破する可能性を生むことが出来るのだと語った。言い換えれば、周縁性の可能性とは、中心つまり規範を生む権力に向かうのではなく、周縁、辺境、境界で生まれた知と経験から声をあげることで、単なる権力の逆転ではない、別の形で社会構造の転換をうむ潜在力だと解釈できる。

フェミニズムを一つの思想や運動として捉えることはできない。その運動の始まりから現在まで、異なる立場や主張を掲げるフェミニズムが複数存在しているからだ。そこで筆者は、性差を不変的な概念として捉える「本質主義」的なフェミニズムや、「女性」という括りで差異を一元化する傾向とは異なる立場をとることを明確にするために、自身が拠り所とする思考を「フェミニスト的思考と実践」と呼ぶことにしている。権威的な主義(イズム)としてではなく、方法論としてのフェミニスト理論に基づく思考の表明である★14。

たしかに、制度的に抑圧され、歴史から抹消されてきた「女性建築家」の研究や再評価、建築史の書き直しは重要課題だろう。だが、そのようにして「女性の」建築従事者の地位向上や英雄化を目指すやり方では、特権階級と被抑圧者を生む既存のヒエラルキーは変わらない。フックスにしたがえば、周縁がさらなる周縁を生み出すだけである。また、「女性建築家」というカテゴリーそのものに危うさが潜むことにも留意すべきだ。なぜなら、男女二元論に基づき規範化された「女」というカテゴリーは、女という固定されたアイデンティティがあるかのようなジェンダー観を強固にし、ときに排除の構造を再生産する危険性を孕んでいるからである。つまり、誰が「女性建築家」という分類に含まれるのか/含まれないのかは、異性愛のシスジェンダーの身体を基準とした性規範によって決定づけられているということだ。また、ジェンダーから空間を分析・批評するにあたり、設計者、あるいは空間の利用者や施主のアイデンティティと直接的に関連づけることにも、慎重になるべきだろう。

したがって「フェミニスト的思考と実践」は、クィア理論やインターセクショナリティを汲みながら、ジェンダーやセクシュアリティにまつわるステレオタイプや偏見、構造的差別によって「周縁化、他者化、不可視化され、沈黙させられる存在」を生み出す社会構造や制度を批判的に捉え、そうではない知のあり方を考えるための思考形態だと考える。

更新され続けるジェンダー概念──身体政治から生政治的で建築的なものへ

建築とジェンダーを巡る言説は更新され続けている。クィア理論家ジャック・ハルバースタムは、2019年に発表した「ボディ・アンビルディング:切断、縫合、アナーキテクチャをめぐって」★15において、クィア/トランス*/フェミニストの議論の重点が過去30年の間に移行したことを指摘している。すなわち、男と女という二項対立的な身体政治から、生政治的で建築的なものへ、という移行である。

Fig.4 『Architectural Review 』の特集「Sex + Women in Architecture awards」(2019年)

ハルバースタムがこうした変化の例として挙げるのは、性と権力の空間力学を考察したポール・B・プレシアードによる『ポルノトピア:雑誌『プレイボーイ』の建築と生政治をめぐるエッセイ(Pornotopia: An Essay on Playboy’s Architecture and Biopolitics)』(Zone Books, 2014)である。プレシアードは、コロミーナのもとで同テーマの博士論文を執筆したのであるが、戦後、第二波フェミニズムの影響下で女性が家庭空間から逃げ出したように、男性もまた、家庭空間の外だけでなく内にポルノ空間を作り出そうと動き出したのだと提起した。ハルバースタムはこの議論を受けて、次のように結論づける。

その意味するところは、家父長制には単に異議を唱えるだけではいけないということだ。家父長制に異議を唱えるだけでなく、解き放たなければならない。(中略)この点を指摘するとき、プレシアードは、1979年に「主人の道具では、決して主人の家を破壊することはできない」と警鐘を鳴らしたことで知られるオードリー・ロードの格言を引用している。ロードとプレシアードの両者にとって、人種、性、ジェンダー、ひいては階級は、構築された空間のメタファーとして表象される。両者によれば、変化は解体によってのみもたらされる。家父長的な支配のシステムが建築的なものとして理解されるなら、クィア/トランス*/フェミニストの活動家の応答は、アナーキテクチャとして捉えうる、ということになる。
過去数十年の間に、ジェンダーの概念は、二元論から多元論へ、身体の体現化からアイデンティティの空間化へ、決定的なものから断片的なものへと、不可逆的な変化を遂げた。そして、新しいジェンダーが形成されるにつれ、古いジェンダーもまた破壊されてきた。かつて、家庭と母体、高層ビルや銃と男性、都市や船と女性性など、直感的なつながりを助長したジェンダー・イデオロギーは、今や徹底的に崩壊している。

ここでハルバースタムが引用する「アナーキテクチャ(Anarchitecture)」とは、1970年代にニューヨークで活動したゴードン・マッタ=クラークによる反資本主義的、反体制的な「反建築的」活動(廃墟となった建築を切断するなどして既存の都市空間に介入する表現)のことを指す。ハルバースタムは、マッタ=クラークのような「アナーキテクチャ」を規範へのカウンターとして再解釈し、建築・身体論の新たな地平を開いているわけだ。

一方で、健常な男性の経済的活動やヘテロセクシュアルな家族観を標準としてデザインされた公共空間を、如何にしてマイノリティの利用者にとって安全で開かれた空間にすることができるかという問いは、以前として今日的な課題である。地理・環境学、とりわけジェントリフィケーションとジェンダー研究を専門とするレスリー・カーンは、著書『フェミニスト・シティ』(東辻賢治郎訳、晶文社、2022年)において、ケア労働のシェアと相互支援を中心にフェミニスト的アプローチから考える公共デザインと施策の必要性を説く。その上で、カーンは、ジェンダーと安全な都市空間を考えるにあたり、次のように自戒する。「(白人の)私には、自分が安全を求めることが、有色人種のコミュニティに対する取り締まりの強化に繋がっていないかと自問する必要がある。街でベビーカーを使える場所を増やしたいという自分の要望は、どうずれば障がい者や高齢者の要望と連帯できるだろうかと考えなければならない。都市に女性のための空間を獲得したいという私の望みは、植民地主義的な言説や行為を生きながらえさせることにつながりはしないか」★16と。インターセクショナリティを考慮したこのアプローチは、先に触れたMatrixのようなコレクティブの設計のあり方とも通ずるように思われる。

ジェンダーをめぐるイデオロギーが多元的で複層空間的な概念へと変化・更新されるように、建築空間とその表象も変化し、更新され、時に破壊され、解体を繰り返す。建築ジェンダー論の発展と展望は、異性愛規範の男性性に支えられた近代建築のイデオロギーがインストールされた建築都市空間に対し、インターセクショナルな視点を持って周縁から考え、周縁の経験と実践を呼びかけることで、空間に内在するあらゆる権力のヒエラルキーをunbuild(解体)することなのだ。■

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★1:Wilson, Elizabeth. “Sexuality and Space edited by Beatriz Colomina,” Harvard Design Magazine 1 (1997)
★2:Rendell, Jane. “Only resist: a feminist approach to critical spatial practice,” The Architectural Review, Issue on Women in Architecture (2018).
★3:例に、アメリカの都市計画家、歴史家ドロレス・ハイデンによる『家事大革命──アメリカの住宅、近隣、都市におけるフェミニスト・デザインの歴史』(野口美智子他訳、勁草書房、1985年)など。Rendell, Jane. “Introduction: ‘Gender, Space, Architecture,” Rendell, Jane. Penner, Barbara & Borden, Iain. ed. Gender Space Architecture: An Interdisciplinary Introduction. Routledge (2000): 230.
★4:Ibid.
★5:ビアトリス・コロミーナ著、松畑強訳『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(鹿島出版会、1996年)
★6:Colomina, Beatriz. ed. Sexuality and Space, Princeton Architectural Press, 1992
★7:Agrest, Diana. ed. The Sex of Architecture, Harry N. Abrams, 1996. Coleman, Debra. ed. Architecture and Feminism, Princeton Architectural Press, 1997.など
★8:例えば、カミングアウトの場としてのクローゼットを考察したヘンリー・アーバック著、篠儀直子訳「クローゼット、衣服、暴露」(『10+1』 №14、INAX出版、1998年、120–129頁)やジョエル・サンダーズ編著『Stud: Architectures of Masculinity』(1996)
★9:五十嵐太郎「共同体建築のアルケオロジー(第7回)♂/♀」(『建築文化』Vol.52 №609 、彰国社、1997年)、五十嵐太郎「住総研図書室だより 住について考えるための基本国書9住まいの思想―性差から空間を読む」(『すまいろん』47号、住総研、1998年)など。後者に参考書籍リストが掲載されている。
★10:『10+1』 №14特集=現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築(INAX出版、1998年)など
★11:五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』彩流社、2010年、125頁
★12:Rendell, 231
★13:hooks, bell. “Choosing the Margin as a Space of Radical Openness,” Framework: The Journal of Cinema and Media, №36 (1989): 15–23.
★14:詳しくは、筆者と丸山美佳による共著「複層的な交差点の時空間として捉える──クレンショー「人種と性の交差点を脱周縁化する」(一九八九)再読 」(『現代思想』2022年5月号、青土社)を参照されたい。
★15:Hallberstam, Jack. “Body unbuilding: on cuts, stitching and anarchitecture.” Architectural Review Issue on Sex + Women in Architecture awards (2019). 原文は、 “Unbuilding Gender,” Places Journal (2018). https://doi.org/10.22269/181003
★16:カーン、2022年、29頁

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根来美和
建築討論

ねごろ・みわ/キュレーター、研究者。建築学(建築史専攻)修了後、空間デザインに従事したのち、現在ベルリン/ウィーンを拠点に活動。トランスカルチュラルな表象やパフォーマティヴィティ、デコロニアル理論と近代の再編成への関心を軸に、主に現代美術や舞台芸術に携わる。