揺れる境界線:香港と中国大陸の境界線では何が起こっているのか

連載:圧縮された都市をほどく──香港から見る都市空間と社会の連関(その3)

富永秀俊
建築討論
May 16, 2022

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くっきりとした境界線の微細な変化

友人に連れられて香港の山をハイキングしていたときのこと、日が暮れた後でようやく山頂についたとき、目の前には深圳の街並みが広がっていた。手前に見える香港の真っ暗な森や農地と、夜でも光がついたままのビル群が、境界線一つで切り替わっている様は異様に思えた。

香港から見る深圳 [Photo by Joseph Chan on Unsplash

香港と中国大陸(いわゆる本土)との境界線は、静的な一本の線ではなく、動的に揺れ動いてきた。それは、外交の結果として変動した側面が大きいが、それに加えて、川の洪水で揺れ動いたことや、境界線付近の土地で細かく管理が変わったこともあげられる。そして、そうした空間の変化には、常により広い範囲での社会・政治の状況が関わっている。

私が香港にいた前後でも境界線の変化があった。香港の駅の一部が中国大陸の管理におかれた一方、香港側に渡された土地もあった。そうした土地は、都市開発の重要な布石として扱われており、面積としては小さかったとしても、読み取れるものは多い。また、コロナ禍で境界線の行き来がいままでのように出来なくなると、境界線付近の役割が見直され、やや不安定な均衡状態を目撃できた。だから、このエッセイではそうした小さな土地の一つに焦点をあててみたい。

その前に、ざっくりと歴史を振り返ってみる。香港がイギリス領であったころ、中国との国境は大きく2回動いている。1841年に香港島がイギリス領となって以降、1860年に九龍半島、そして1898年からは新界というように 、イギリス領香港はその領土を北へと拡大した。九龍半島と新界については「租借」という形での、期限付きで得た土地であった。香港返還に際して実際に返還の義務があったものは九龍と新界のみであったが、外交上のやり取りを経て、1997年には香港全域が中国の領土になることになった。しかしそれでも境界線は消えることはなかった。2047年までは高度な自治が約束された状態、いわゆる「一国二制度」と呼ばれるシステムになったからである。

1898 年の境界線変更を示した地図。赤く塗られた範囲が変更前のイギリス領であり、南が香港島、北が九龍半島である。地図上に描かれた新たな境界線は、Deep Bay とMirsBayを直線状につないでいるが、後に深圳川をなぞる境界線に変更される。[出典: Map of Hong Kong Extension, 1898. In Treaty Series №16, ‘Convention between the United Kingdom and China’, London, 1898. PC: Wason Pamphlet Collection, Cornell University Library.]

こうした大きな流れの中で、見落とされがちな飛び地も歴史上ある。高密で三次元的なスラムとして名高い九龍城は、イギリス領時代にそこだけが中国の飛び地であった箇所である(上の地図では、九龍と書かれた文字の下に書かれた小さな四角が九龍城の位置であると推定される)。中国本土から距離的に離れていることから管理が困難であり、無法地帯となったわけである。香港返還前に行われた取り壊しに際しては、中国からイギリスへ主権を譲ることで行われた。都市史に残るであろう高密な空間も境界線の特殊な状況から生まれたと見ることができるのではないか。

また、より最近の飛び地の例として、2018年にできた高速鉄道の駅である香港西九龍駅が挙げられるだろう。ここは、駅改札とホームのあいだに税関がおかれ、駅の一部は中国大陸側の管理下におかれている★1。2019年の民主化運動の際にはこの管理域内で逮捕された香港人が深圳に輸送されたと推定される事例もあった。また、この香港西九龍駅の工事と並行して近接の大規模な文化芸術エリア(West Kowloon Cultural District)などの開発も広がっており、近隣の都市開発上も重要なポイントであった。こうした文脈は、文化芸術エリアに含まれるM+美術館など近年注目される建築作品をより深く理解するために重要であろう。

西九龍駅周辺の様子、左にM+美術館が、中央に小さく駅がみえる。[Photo by Cheung Yin on Unsplash

1㎢ の土地「ループ」

さて、私が注目した一切れの土地は、深圳と香港の境界線の川べりにある。ここは「Lok Ma Chau Loop」(以下「ループ」と略す)と呼ばれ、1990年代に洪水対策のために川の流路がかわり、三日月湖とともに残されてしまった土地である。深圳が管理することは川によって隔たれてしまったため、協議の結果、2017年に香港の土地になった。その使われ方に関しては中国大陸と香港の相互的な影響や関係が強く浮き出ており、開発の空間的特徴を見るだけでも読み取れるものは多い。

この土地は深圳と香港とのどちらから見るかで開発の意味合いが変わってくる。ここは、深圳側からみれば、深圳の中心街から近く、さらにコントロールポイントからも近いことから、開発には経済的なポテンシャルがある。一方で、香港サイドからみると、この土地の周りは、「香港辺境禁区域」の一部であり、人が基本的には立ち入ることができない、広大な自然保護区となっている。このエリアは伝統的な養殖業が行われており、そこが毎年夏になると渡り鳥が中継し補給をするという重要な拠点になっているのだ。ここに、サイエンスパーク(研究学園都市)をつくる計画が進んでいた。

深圳(上側)と香港(下側)の両都市からみたLok Ma Chau Loop(LMC Loop) と香港辺境禁区域(Frontier Closed Area) [出典: ★2]
写真上部が深圳、下部分が香港であり、横切っているのが深圳川である。「ループ」写真中央の三日月湖内になる。 [出典: Google Earth]
1987年における国境線(点線)と香港辺境禁区域(灰色線)[出典: New HK Maps
同範囲での現状の境界線(紫色) 、中央部分が「ループ」である。[出典: OpenStreetMap]

この土地について書くにあたって、私が2020年に香港大学で参加したスタジオと呼ばれるコースを下敷きにしようと思う。この場所について調査し、既存の提案に対して異なる提案をするというのが、私が参加した一学期間のスタジオであった。スタジオの流れはこの敷地付近に対して、グループに分かれて調査をし、代替となるような設計案を提案するというものであった★3。

スタジオでは実際に敷地付近の丘に登り、敷地の様子を見て回った。ここでも、深圳との異様な対比を目撃することになった。右の写真の中央が「ループ」である左側に移っているのがスタジオの教員であったNasrin Seraji。[撮影: 筆者]

まず、この土地の利用をめぐっては、先ほども書いたように香港サイドからするとその有用性について不明な点が多い。そもそもこの土地周辺は、自然保護区であり、周りに住む人は非常にすくない。香港中心市街地からはかなり遠い。この土地を利用するのであれば、深圳と密接に連携した機能が想像されるだろう。

実際、香港政府や深圳市が公開しているこの土地付近の計画を見れば、対岸の深圳と密に連携をとったサイエンスパークが計画されていることがわかる。計画では、香港の法の下で、生活・仕事をしたい研究者が、この「ループ」に住み、必要に応じて深圳側の施設を利用するという想定がされる。したがって、両岸を結ぶ新規の橋がつくられている。この計画にあたっては、専門家によって、一定の環境対策は講じられているようである。深圳のタワー群は、その背の高さだけでなく反射するファサードにしばしば鳥がぶつかってしまうことから環境保全の観点から問題になっている。それに対してこのエリアでは外壁の素材にガイドラインを設けるほか、高さ制限も設けるとしている。

開発計画のイメージ図 [出典: South China Morning Post
対岸の深圳サイドの土地に建設予定のZaha Hadid Architectsの計画案のイメージ図。なお、下に伸びている橋が、「ループ」 へとつながる予定の新設の橋であり、この計画案の特徴である放射状の交差点/広場へと続いている。[出典: Arch Daily

しかし、こうした必要な面積と一定程度の性能を設ける考え方で、この動的な境界エリアに有用な建物が建つのかは疑問であった。実際のところ、国安法の制定から香港と深圳の法システムの差は薄れ、コロナ禍を背景として深圳・香港間の行き来も以前よりも制限された結果、この計画の前提自体が揺らいでいた。

そこで、私たちの提案では、必要とされる床面積と一定程度の性能から計画するのではなく、より歴史的・社会的な文脈を取り込むことを提案した。その歴史的な文脈とは、かつての境界線の位置であり、それは三日月湖になってしまったエリアを強調するような建物の配置につながった。また、社会的な文脈に呼応して、深圳と香港をゆるやかにつなぐような線状の建物を想定した。三日月湖の上に想定された建物は、その高さや川との関係に一定のルールを作ったうえで、プログラムにあわせた多様な断面形状を持ち、連続的に空間が変化するような構成とした。こうした歴史性や社会性によって、短期的に割り出された機能ではなく、都市スケールでも意味の持つ空間を構成でき、一定の射程を持つだろうと考えたのである。

かつての川の流路、すなわちかつての境界線をなぞるように、ひと連なりの建物が浮かぶという提案。左手側が香港サイド [作成:筆者(★3)]
異なるプログラムが3kmの長さを数珠上に連なる。両端を⾼速道路 に接続することで、孤⽴した敷地のアクセスを向上させ、全体を連なる2.8km の公共廊下のほかに、⽔上バスを動線としている。[作成:筆者(★3)]
短⼿断⾯にはバリエーションがあるが、共通するルール設定を明確にしている⾏った。渡り⿃を含む環境への配慮から川上10m から20m までの範囲を建物の範囲とした他、公共廊下や、⽔上ボートの乗降所、太陽光と視覚上のつながりのための開⼝などをルールとして設定している。[作成:筆者(★3)]

香港大学で行われた講評会には、実際にこのエリアの開発計画策定に参加した人も招待され、フィードバッグをもらうことができた。また、この課題から発展して、より広域の境界線を調査した同級生もいた。彼の調査においては、実際に境界線付近を歩き回ることによって、深圳と香港との両サイドの生活を支えるエリアとしての境界線エリアを浮かび上がらせ、その境界線エリアを境界線の「太さ」と捉えていた。

SHENG Tai による香港大学での制作 Into the Thickness of the Borderでは、境界線付近の施設がどのように深圳と香港の両都市に使われたかを長大なドローイングで示していた。[作成:SHENG Tai]

「ループ」の現在

しかし、数カ月かけて調査と提案をした私たちも、今現在の使われ方は想像できていなかった。実はこの土地は2022年4月現在で、大規模な隔離施設を持つ病院が建設中である。香港は2022年の春にかなり深刻なコロナ感染拡大を経験しており、病床の不足が問題視されていた。そこで香港政府が仮設病院の土地を選定し、「ループ」を含む3つの候補地のなかから「ループ」を選んだわけである。

その建設には、ほかの2つの候補地では考えられないような建設方法が用いられている。まず、特別な法が整備され、中国大陸から仮設の橋が渡され、大陸側の建設会社によって建設工事が進んだ。香港のメディアによれば、武漢における巨大な仮設病院を施工した会社によって、武漢のものとかなり似た平面形状をもつ隔離施設兼病院が作られているようだ。対コロナ政策において、中国大陸と香港では異なる点も多いため、こうした類似施設が適切なのかは疑問が残る。

香港の非営利メディアによる、建設中の病院の建物を分析したレポート

この「支援」は中国大陸を拠点とするメディアや政治家に頻繁に紹介されているようであるが、香港の英字メディアではあまり大きく報道されていないようで、まだその詳細を私は把握できていない。それでも、この急速な変貌からあらためて、中国大陸と香港の関係性のなかでこの「ループ」が利用されるということは確認できるのではないか。

結び

ここまで紹介した境界線の動的な性質は、世界のほかの国境や行政的な境界線にも共通する事柄かもしれない。しかし、香港における独特さとしては、境界線の付近が両側の大都市での生活 — つまり深圳と香港 — に密接に関係していることや、その両方向の強いコントラスト — 例えば法制度や環境— があることから、境界線の微細な変化であっても、政治・歴史や社会問題が複雑に絡んでくるといえる。そこでは、抽象的な話として終わってしまいそうな政治や歴史や社会問題に関する事柄が、空間に表出している。その一端をこのエッセイで紹介できたのではないか。

この連載では、香港の都市空間を垂直・水平・時間の3つの方向に着目した図を織り交ぜながら、複雑な都市空間をわかりやすく読み取るという手法を試みている。連載第3回目の今回は、水平方向ということで、地図をベースとして境界線の問題を読み解いた。次回は、境界線を越えるような性質、「越境」をテーマとして、香港の中心街とフィリピンのあるエリアとの密接な関係を題材にする。(続く)

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★1“Hong Kong Cedes Part of Rail Station to China in Secretive Ceremony.” The Guardian. Guardian News and Media, September 4, 2018. https://www.theguardian.com/world/2018/sep/04/hong-kong-cedes-part-of-west-kowloon-rail-station-to-china-in-secretive-ceremony.
★2 Li, Yun. Cross-boundary Governing Network in the Hong Kong-Pearl River Delta Region: Case Study on the Development of Adjoining Areas between Hong Kong and Shenzhen.
★3 このスタジオの指導教員は Nasrin Seraji , Tao Zhu の二人であり、グループは、Alison Wong, Shubo Wei, Ping Lau, Nesia Cheung, Echo Lo であった(敬称略)

富永秀俊 連載「圧縮された都市をほどく──香港から見る都市空間と社会の連関」
・その1 垂直と隔離:ホテルの一室から都市構造まで
・その2 垂直な公共空間:空中歩廊は市民の活動をささえたのか
・その3 揺れる境界線:香港と中国大陸の境界線では何が起こっているのか

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富永秀俊
建築討論

1996年生まれ。専門: 建築意匠設計。西澤徹夫建築事務所所属。香港大学建築学部修士課程修了、 英国建築協会付属建築学校(AAスクール)学期プログラム修了、東京藝術大学美術学部建築科卒業