日本建築学会編『建築フィールドワークの系譜:先駆的研究室の方法論を探る

16の研究室から辿る建築フィールドワーク、その思考の手引きとして(評者:砂川晴彦)

砂川晴彦
建築討論
5 min readApr 30, 2019

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本書は先駆的な16の研究室による建築フィールドワークの軌跡を辿ることで、その有効性を確かめることをコンセプトとする。フィールドワークは名人芸であって、言葉では伝えられない。個人の感性で方法そのものが変化する。そのような点でフィールドワークは、現実と対話する優れた方法論であり、本書はそうしたフィールドワークというブラックボックスを開けることを試みるものだ。

内容の概略を紹介しよう。序章では、実践的な課題や演習を通じて、知識やスキルを身につけさせようという発想が強まっている反面、フィールドワークという言葉が安易に用いられている現況の問題点を指摘する。対してフィールドワークとは、自己の異文化理解という、文化相対主義に根ざすものであって、フィールドでつねに自分自身の建築的知やスキルを検証し、新たな発見を志す行為という、その本質的な価値を示す。続いて、中心となる教員の師弟関係から、フィールドワークの系譜図を描く。

そして本編では2つのコラムを含めた計16の研究室を取り上げる。そこでは建築フィールドワークを創造的発展に寄与する方法論と位置付け、専門家がフィールドワークから得られた知見を活かして、如何に創造へ到達したかという道筋の様々な事例を紹介する。そうした様々な創造的成果の特徴から、研究室のフィールドワークを大きく5つに分ける。「Ⅰ居住空間の原理を探る」、「Ⅱ集落世界をあぶり出す」、「Ⅲ都市に生きる人々の暮らしを捉える」、「Ⅳ都市に堆積した時間を紐解く」、「Ⅴ居住文化から建築を読み解く」の5つである。それら研究室の専門分野は、建築設計、計画、構法、歴史、居住文化などと広範囲に及ぶ。

各研究室の紹介では、4つの項目を用意する。まず、「フィールドワークのなりたちと調査方法」、「フィールドノート」とその「フィールドワークのスケッチ、図版」、最後に「フィールドワークの成果」として、フィールドワークを始めた契機や目的、方法、フィールドで考えていたこと、その後アウトプットなど、同一の項目を設けていることから、16の研究室を並べると、それぞれに目的があって、それぞれの方法論の異なることが浮き彫りになる。そうした一貫した構成によって、本書は先駆的な建築フィールドワークの実践と成果の共有化を図る。

フィールドワークの意義や方法を丁寧に紹介する本書は、建築を学ぶ学生にとってきわめて有用なものだろう。しかし、本書が研究室えらびの為だけに読まれるとしたら、もったいないと思われる。本書はインタビューなどを通して、研究室ごとの実践が書き下ろされた建築フィールドワーク的思考の手引きとなっている。各研究室の見出しには、キーワードがあるので、読者は関心のある内容を見つけられる。

なによりも本書はフィールドノートが豊富に掲載されていて、さらに丁寧な解説があることが貴重といえる。まとめられた成果を見ることがあっても、フィールドノートをのぞく機会は、外の人間にはなかなか得られないものである。集落の全体を手早くスケッチするもの、人と建築の風景を切り取るもの、過去の状態を記録するもの、町並みの立面を実測するもの、窓のパターンを採集するもの、仕口のディテールを実測するものなど、それらのフィールドノートをみると研究者の関心が明らかになり、興味深い。本書を手に取る学生は、フィールドノートを眺めることで、プロフェショナルなあるいはアカデミックな建築の見方や方法を学ぶことができるだろう。一方で、フィールドワークが一筋縄ではいかないという難しさも伝えている。

そして本書の特質は、建築フィールドワークが、どのように設計や計画などの創造へと活かされているかを、一連のプロセスとして解説している点にある。そうした本書はフィールドワークを通じた建築学の実践を思考できる読み物といえる。

ところでなぜ建築フィールドワークが大切なのか。2019年3月、出版に合わせてシンポジウムが開催された。登壇した一人である原広司氏が、フィールドワークの教育上の効果を指摘したことが、評者の印象に残っている。

評者自身は、研究室のフィールドワークが建築や都市を理解するうえでの貴重な経験となった。学部4年(2012年)時に東京理科大学の伊藤裕久氏(都市史)にさそわれて、韓国に残る日本統治時代に建てられた民家や町並みを対象とする実測調査に参加した。本書の序章で説く、フィールドワークにおける現実の対話を成果にするのとは異なって、過去へ遡り当該期の町並み景観の復原を目的とした歴史研究のフィールドワークだが、その出会いが隣国の慣習や文化を知りたいという自身のその後の研究の動機付けとなっている。他方で、研究成果のアウトプットが今後の課題となった。そうした時、本書を通じて様々な創造へいたる過程を学べる。また、フィールドワークそのものの記録を残し、伝達することの重要性に気が付いた。

もちろん本書は個人の実践のためにも読める手引きだが、研究室の建築フィールドワークが重要であるのは、それが「協働」であるからだと考えてみたい。協働作業であるから多くの情報を作業者がその場で共有できるうえ、自己の異文化理解が深まる。本書は建築フィールドワークの共有化を図ることで、共同の意義やその教育的な効果を投げかけている。研究室のフィールドワークに関心のある学生は、飛び込んでみたら、思いもよらない経験が得られるに違いない。

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書誌
編者:日本建築学会
書名:建築フィールドワークの系譜:先駆的研究室の方法論を探る
出版社:昭和堂
出版年月:2018年12月

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砂川晴彦
建築討論

すながわ・はるひこ/1991年埼玉県生まれ。建築史。博士(工学)。文化財工学研究所(歴史的建造物修復設計)専任研究員。主な著書に博士論文『植民地期台湾・朝鮮の公設市場の建設過程と空間変容に関する研究』(東京理科大学2019年)