映画における人工知能と未来都市

[201807特集:AIと都市 ── 人工知能は都市をどう変えるのか?]

五十嵐太郎
建築討論
11 min readJul 1, 2018

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2054年のワシントンD.Cを舞台にしたトム・クルーズ主演のSF映画「マイノリティ・リポート」(2002年)[映像1]は、磁気で浮遊する自動操縦のクルマ、ポッド状のマグ・レブが登場する。興味深いのは、水平・垂直にもはりめぐらされた高速道路を走った後、高層のマンションに到着すると上昇し、そのまま部屋にドッキングしていたことである。

映像1:「マイノリティ・リポート」(2002年)オフィシャル・トレイラー
映像2:マイケル・ウェブのレクチャー(テキサスA&M大学、2014)。ドライブ・イン・ハウジングの具体的説明は45:52–52:03頃。

このシーンはそれなりに刺激的だが、実はすでに1960年代にアーキグラムのマイケル・ウェブが提案していたドライブ・イン・ハウジング(1966年)[映像2]とよく似ている。これは自動車と住宅が合体する建築だった。当時は水陸両用のホバークラフトが未来的な乗り物だったため、アーキグラムの未来都市をよく観察すると、同じ原理で少し浮いて移動する自動車や家具(ホバーチェア!)などが登場している。もちろん、彼らの時代の限界としては、人工知能による運転というヴィジョンはなく、あくまでも運転手が操縦するイメージだった。

映像3:「メトロポリス」(1927年)オフィシャル・トレイラー
映像4:「ブレードランナー」(1982年)オフィシャル・トレイラー
映像5:「フィフス・エレメント」(1997年)オフィシャル・トレイラー

が、逆に言えば、物理的な空間の想像力という点では、SF映画においてそれほど画期的な未来都市像があるわけではない。自動車が空中を移動している都市は、フリッツ・ラングの古典的な作品「メトロポリス」(1927年)[映像3]、リドリー・スコットの「ブレードランナー」(1982年)[映像4]、「フィフス・エレメント」(1997年)[映像5]などで繰り返し、描かれたイメージである。むしろ、システムに注目すべき点がある。例えば、「マイノリティ・リポート」では、乗っている人が犯罪者だと判断されると、マグ・レブはその命令に従わず、強制的に犯罪予備局に連れていかれる。また虹彩認証のテクノロジーが発達し、地下鉄に乗ったり、街を歩くと、人間を特定し、広告の映像がその人向けに語りかける。つまり、街のポスターや看板(デジタル・サイネージと呼ぶべきかもしれない)がすべて人工知能をもつと、大都市を散策しても、顔をだしている限りは匿名ではいられない。

映像6:「ウォー・ゲーム」(1983年)オフィシャル・トレイラー
映像7:「サマーウォーズ」(2009年)劇場用予告
映像8:「her/世界でひとつの彼女」(2013年)予告編
映像9:「ブレードランナー2049」(2017年)オフィシャル・トレイラー
映像10:「ショートサーキット」(1986年)オリジナル・トレイラー
映像11:「WALL・E ウォーリー」(2008年)オフィシャル・トレイラー
映像12:「チャッピー」(2015年)オフィシャル・トレイラー
映像13:「2001年宇宙の旅」(1968年)オフィシャル・トレイラー
映像14:「ターミネーター」(1984年)オフィシャル・トレイラー
映像15:「エクス・マキナ」(2016年)オフィシャル・トレイラー
図1:「タワー」(FNM Films, 1993年)

人工知能を題材にした映画を分類すると、以下のようになるだろう。米ソの冷戦下の核戦争の危機を描く「ウォー・ゲーム」(1983年)[映像6]や、現実の社会をハックし、混乱させるスーパーフラットな仮想都市OZが登場した「サマーウォーズ」(2009年)[映像7]など、世界の破滅を警告するもの。 声で応答する人工知能型OSのサマンサに恋する「her/世界でひとつの彼女」(2013年)[映像8]や、ホログラムが映しだされる美少女AIのジョイが部屋で待っている「ブレードランナー2049」(2017年)[映像9]など、身体なき女性を表現するもの。ジェンダーとして男性が割り振られた作品としては、戦闘用ロボットが自意識をもつ「ショートサーキット」(1986年)[映像10]、この映画のロボットにそっくりな地球最後の清掃ロボットの孤独と冒険を描く「WALL・E ウォーリー」(2008年)[映像11]、パトレイバーに対するオマージュのようなデザインのロボットが学習していく「チャッピー」(2015年)[映像12]などが挙げられる。ちなみに、「WALL・E ウォーリー」では、廃棄された大都市が描かれており、高層ビルのあいだにゴミの山が林立しているが、このイメージもmvrdvのデータタウンで予見されている。そしてコンピュータのHALが暴走する「2001年宇宙の旅」(1968年)[映像13]、AIが人類に宣戦布告し、未来が廃墟化した「ターミネーター」[映像14]のシリーズ、女性型ロボット、エイヴァが登場する「エクス・マキナ」(2016年)[映像15]など、人間に刃を向けるものだ。ちなみに、「タワー」(1993年)[図1]は、人工知能が高層ビルを管理するという設定であり、IDカードが損傷したことで主人公を侵入者とみなし、意図的にエレベータやサウナを誤作動させることで、排除しようと試みる。すなわち、意志をもった建築が人を殺そうとするものだ。

映像16:「スターウォーズ」(1977年)オフィシャル・トレイラー
映像17:「ブラックパンサー」(2018年)オフィシャル・トレイラー

もっとも、これらの映画において特筆すべき未来都市のシーンがあるかと言えば、残念ながら、必ずしもそうではない。むしろ、ほとんどはリアルさを出すために、ヘンに変わったデザインを与えるよりも(しかも、すぐに古びてしまうリスクを回避すべく)、現代都市の延長線上にとどめたり、あえてアンティークなインテリアなどを活用している。そうした傾向は新しい作品のほうが、より強いように思われる。むろん、古いSF映画では、クリーンな未来都市が主流だったが、「スターウォーズ」[映像16]のシリーズや「ブレードランナー」を転換点として、アジア的なカオティックなイメージが登場してからは、それほど更新されていない。なお、AIという本稿の趣旨から外れるが、「ブラックパンサー」(2018年)[映像17]は、アフリカ的な未来都市を初めて提示したことは目新しかったものの、イメージの源泉がアジアからアフリカに変わったという程度の変化であり、やはり根本的なパラダイム・シフトではない。

図2:五十嵐太郎『映画的建築/建築的映画』(春秋社, 2009)
映像18:「攻殻機動隊(Ghost in the shell)」(1995年)オフィシャル・トレイラー
映像19:「イノセンス(Ghost in the shell 2)」(2004年)
映像20:「残酷な天使のテーゼ」MUSIC VIDEO(HDver., 2018)(「新世紀エヴァンゲリオン」オープニング曲)
図3:「迷宮物語」(角川書店, 1987)、りんたろう「ラビリンス・ラビリン取る」、川尻善昭「走る男」、大友克洋「工事中止命令」の全3話から構成されている。

日本の代表的なアニメーションの作品も一瞥しよう(拙著「映画的建築/建築的映画」春秋社、2009年を参照)[図2]。映画版の「攻殻機動隊」(1995年)[映像18]や「イノセンス」(2004年)[映像19]も、AI型の多脚戦車が登場したり、ネットの海に生まれたゴーストが電脳をハックするかたちで、人工知能の可能性が提示されていたが、いずれも香港などの風景をロケハンし、アジア的な近未来の都市が描かれていた。後者はとくに美術を担当した種田陽平が、「中華ゴシック」という造語をつくり、全体のデザインのモチーフを決めている。「新世紀エヴァンゲリオン」[映像20]の場合は、ある女性研究者の思考パターンをもとにしたMAGIシステムを搭載したスーパーコンピュータや、人間が操縦しなくてもエヴァンゲリオンを動かせるダミーシステムなどが登場している。が、第三新東京市は、地下にジオフロントが隠されていたり、使徒に対する迎撃システムを備えているとはいえ、むしろ地上に見える部分はほとんど日常の都市風景と同じものだったことにインパクトがあった。また大友克洋の「工事中止命令」(1987年)[図3]は、ジャングルの奥地にある現場で、組織化された自動建設ロボットの一群が暴走し、止めようとする人間を排除しながら、廃墟のような巨大建築をつくり続けるものだった。

映像21:「鉄腕アトム」(1963年)、手塚プロダクション
図4:1970年の大阪万博におけるパビリオン。左からタカラ・ビューティリオン、コダック館、リコー館。出典(Takato Marui, https://www.flickr.com/photos/32413914@N00/1200915984

ところで、鉄腕アトム[映像21]の誕生日は、2003年4月7日だった。もうわれわれは、手塚治虫が描いた未来社会に追いついてしまった。彼の漫画に描かれた都市には、未来派風デザインによる科学省のロボット工場、高層ビルの真中を通り抜ける高架のハイウェイ、空中を浮くクルマ、インターナショナル・スタイルの高層ビル群、バス型のヘリコプター、宇宙空港、半球の海底基地、偏差値教育を管理する巨大なマザーコンピュータ、ロボット選手権の円形闘技場。家全体が子育てを行う、丸みをおびたロボットハウスなどが登場する。ただし、木造の家屋などはない。総じて言えば、アトムの未来都市は、20世紀前半のにぎやかなモダン・デザインをつなぎあわせたものだ。そのイメージは、1970年の大阪万博で出現したパヴィリオン[図4]も想起させるだろう。

映像22:「A.I.」(2001 年)オフィシャル・トレイラー

ちなみに、当初、スタンリー・キューブリック監督は、アニメ版のアトムを見て、「2001年宇宙の旅」の美術を手塚に依頼しようとしたらしい。もともとアトムは、1966年生まれの天馬博士の事故死した息子の代理としてつくられたが、実際の人間のように成長せず、結局は捨てられた。これはスピルバーグ監督の映画「A.I.」(2001年)[映像22]の設定と酷似している(この作品の原案は、キューブリックだった)。が、アトムは親探しをすることなく、お茶の水博士のもとで幸せに暮らすのに対し、「A.I.」の少年型ロボットのディヴィッドは執拗なまでに母親の愛を求める。

映像23:「アイ、ロボット」(2004年)オフィシャル・トレイラー

2035年のシカゴを舞台とする「アイ、ロボット」(2004年)[映像23]では、労働するロボットたちが博士を殺し、人間に対する反乱を起こしていたように、西洋の物語では人工生命/知能の創造主に復讐するというフランケンシュタイン・コンプレックスのモチーフが散見される。ディヴィッドにしても、すでに死んでいるにもかかわらず、永遠に母を求めるが、アトムは家族に捨てられても、あっけらかんとしているのが興味深い。しかも不気味にリアルな顔ではない。かわいいキャラである。そうした人工知能型のロボットのイメージは日本人に大きな影響を与えたはずだ。

映像24:「マスダール・シティ・ウェルカム・ビデオ」マスダール, 2014
図5:マスダール・シティにおけるPRT(出典:Jan Seifert, https://www.flickr.com/photos/58978138@N00/6770579011/

こうしたSF映画の都市像は、どうしても既存のイメージを流用してしまう。したがって、まだ全体が完成したわけではないが、ノーマン・フォスターの事務所が設計し、アブダビの砂漠に出現した実験都市[映像24]などの方が、タッチパネルに行き先を入力すると、目的地まで自動運転を行う個人用高速輸送機関(PRT)[図5]を実際に導入し、普通の自動車を排除することをめざしており、新しい未来都市のイメージが出現しているのではないか。

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五十嵐太郎
建築討論

いがらし・たろう/1967年パリ生まれ。工学博士、東北大学大学院工学研究科教授。建築史・建築批評家。 第11回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示コミッショナーを務める。著書に『現代日本建築家列伝』(河出書房新社、2011年)、『日本建築入門』(筑摩書房、2016年)ほか。