「普通」を解体する:多様性社会に向けた建築界の課題

鮫島卓臣/ Takuomi Samejima
建築討論
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24 min readSep 14, 2022

連載:前衛としての社会、後衛としての建築──現代アメリカに見る建築の解体の行方(その5)

多様性はこれからの社会を考える上で欠かせないキーワードの一つだ。「誰一人取り残さない」を原則とするSDGsでは、ジェンダーと人や国の平等、貧困の根絶を目標に掲げ、そのアジェンダには多様性、包摂的な(=Inclusive)などの用語が頻出する。アメリカ国内では人種差別の撤廃を訴えるBlack Lives Matter運動、プライド月間に代表されるLGBTQ+の権利啓発、直近では女性の中絶の権利を揺るがすロー対ウェイド事件の判決転覆が注目を集めた。人種や性の不平等は間接的に社会・経済的な格差にも反映される問題であり、特にトランプ政権以後に分断社会の実態が露呈した米国では喫緊の課題である。

アメリカの建築界隈ではこのような多様性にまつわる問題はどのように議論されているのだろうか?私が三年間アメリカの大学院で建築を学ぶ中で見えてきたこれらの取り組みに共通する視点は「普通を解体する」ことだ。もっと厳密に言えば、普通という社会的な思い込みを解体する★1、ということである。極端な例として、1950年前後に戦後の住宅開発で「郊外の夢」として売り出されたレヴィット・タウンは、庭付き一戸建ての好条件を都市から分離することで、都市に働きに出る夫としての男性像と郊外住宅で家内労働に従事する妻・母としての女性像を、目指すべき「普通の」アメリカンドリームとして刷り込む巧妙な政策でもあった★2。

「郊外の夢」として売り出され、スプロールの代名詞ともなったレヴィット・タウン。Mr. Homeowner and Mrs. Consumerなどと風刺されるように、一戸建ての家主で働きに出る夫と、家内労働に従事し消費活動にのみ参加する主婦というステレオタイプを定着させる要因になった。(Wikimedia Commons, パブリック・ドメイン)
レヴィット・ホームの標準平面、The 1947 Cape Cod(筆者作成)

ここでの「普通」は、雇用機会と家内労働負担の不均等、賃金の格差などの男女間の不平等を生むと同時に、男/女による社会の構成をノーマルと位置付ける偏った思い込み、ヘテロ・ノーマティヴィティ(異性愛規範)を前提としており、近年特に問題視されている。クィア・スタディーズの先駆けである『ジェンダー・トラブル(1990)』においてジュディス・バトラー(Judith Butler)は、このような文化ヘゲモニーの中で機能する男女を前提とした二項対立構造が、あいまいで想像的なドメインであるジェンダーに制約を与えている★3と指摘する。加えてこのような郊外住宅は白人の家族以外は受け入れられず、社会的マジョリティによって作られた普通とされるものに内在する様々な不平等、そしてその不平等な状態を逆に普通として受け入れる・受け入れさせる社会構造への批判がますますその重要性を高めている。

Byte Magazine 12月号(1977)に掲載されたApple IIの広告。キッチンで家事に従事する女性と仕事をする男性というジェンダーロールが想定されている。(Wikimedia Commons, パブリック・ドメイン)

私たちが暮らす社会はこのように「不平等な普通」で溢れかえっており、それらは建築や都市構造を含めたあらゆるメディアによって常に補強され続けている。レスリー・カーン(Leslie Kern)は『フェミニスト・シティ(2021)』において都市の構造に潜むジェンダー・バイアスをシングルマザーとして自叙伝的に暴きながら、それらを根本的に変えていくには、特定のジェンダーロールや人種的バイアスを前提とした社会と、その反復と形式化である環境の双方を同時に変革することが重要であると指摘する。そしてひいてはそれらのデザインと計画に携わる職能そのものに潜むバイアスが無くなることの重要性が議論される★4。すなわち、この問題を考えるには私たち建築や都市デザインに関わる職業、さらにはその教育の在り方のレベルでの変化が必要不可欠なのである。

このような背景から、今回はブラック・スタディーズ、フェミニズム 、クィア・スタディーズなどの分野に関連した建築の言説や研究と、私自身が学生として取り組んだスタジオ課題やそこでの取り組みも含め、アメリカにおける建築の実践から教育の在り方までを広範に取り上げてみたい。

現代アメリカに見る建築の解体の行方、ロードマップ(筆者作成)

ブラック・スタディーズとジャンクスペース

私が在籍していたイェール大学はアメリカのコネチカット州、ニューヘイブンという場所にある。大学のキャンパスがそのまま街になったようないわゆる学術都市といった雰囲気で、中心部は国際色豊かな学生達で常に賑わいを見せている。近代からポストモダンにかけて「建築の実験場」でもあったこの場所には、ポール・ルドルフ、エーロ・サーリネン、ルイス・カーンやヴェンチューリなどが手がけた有名建築も数多く存在する。

学部生の寮に囲まれたオールドキャンパス中庭(筆者撮影)
街の中心部、ブロードウェイの交差点(筆者撮影)
街中に突如現れるイェール大学建築大学院校舎、ポール・ルドルフ設計(筆者撮影)

その一方で、大学のキャンパス圏内から一つ道を外れると街の雰囲気はガラッと変わり、アフリカ系アメリカ人のコミュニティを中心とした住宅街が広がっている。これらのエリアは対照的にローカルで独特な雰囲気を持っており、お世辞にも治安が良さそうな地域とは呼べない。

ニューヘイブンから北のディクスウェル(Dixwell)地区。街中心部に比べて閑散とした風景が広がる。(筆者撮影)

画像からも分かるように、ニューヘイブンは人種による経済的格差と分断社会を象徴するような街でもあるのだ。そして皮肉にも、20世紀の英雄たちがこの街で手がけた実験が象徴するように、建築はこのようなマイノリティのコミュニティを包摂する視点を持たずに分断の加速に加担してきたのである★5。

このような状況で近年注目を集めているのがブラック・スタディーズである。ブラック・スタディーズは、アフリカ系アメリカ人の歴史や体験、文化を研究する学問であり、それらの視点からマイノリティのコミュニティや都市でのリアルな生活に目を向け、建築や都市環境の在り方を再評価・批判する取り組みが活発である。

建築批評家のチャールズ・L・デイヴィス2世(Charles L. Davis II)は、1980年以降のグローバリズムの流れを汲んだ建築の理論や空間論が、根本的に特定のコミュニティの体験のみを反映し、それを「普通の状態(=Normative condition)」とするバイアスがかかっていることを主張する★6。そのひとつがレム・コールハースによる『ジャンクスペース(2001)』である。これはアメリカのショッピングモールなどの、均質で平凡な商業空間が、加速する資本主義とグローバリズムの流れの中でジャンクフードのように増殖する様を形容した概念である★7。コールハースがジャンクスペースを巨視的な視点からどこでも均一に再生産されるマーケティングの空間として抽象化したのに対し、チャールズ・L・デイヴィス2世はジャンクスペースが主にアメリカの黒人居住地区では生活の核として機能する豊かで具体的な空間であることを指摘する★8。ショッピングモールは近所の人たちの溜まり場であり、様々な取引だって行われる。その風景はまさしくニューヘイブンのキャンパスを一歩出た先に広がるリアリティなのである。

建築のバックグラウンドを持つアーティストのオラレカン・ジェイフォス(Olalekan Jeyifous)は、ブルックリンの都市空間とそこで繰り広げられる様々なコミュニティによる多様な生活文化の観察を基に、近未来的でスペキュラティブなブルックリンの風景を新たに作り出し、作品として発表する。

MoMAの企画展『Reconstructions: Architecture and Blackness in America(2021)』で展示された作品、『The Frozen Neighborhoods』では、加速する環境問題により移動の権利が有料化され、ブルックリンに取り残された貧困層が築き上げる未来のコミュニティが想像される。そこには現代的な“生きたジャンクスペース”での暮らしが滲み出たような未来が描かれる。(The Museum of Modern Art, Almost all technology has come through imagining | Ep 5 | REIMAGINING BLACKNESS & ARCHITECTURE, 2021)

彼の作品では、抽象的なジャンクスペースの概念からは見えてこない、多様なコミュニティの生活の場としてのリアリティを持ったジャンクスペースが滲み出たような未来が描かれる。それは未来への投影である以上に、現代の都市空間を見つめ直す批評性を持った作品なのである。

コールハースが定義したようなジャンクスペースは成長する資本とマーケットに追従するマジョリティの体験でしかなく、そのバイアスを根本的に抱えたまま建築の理論として一般化されることで、ジェントリフィケーションなどの問題が都市において顕在化したとも言える。ブラック・スタディーズは、このような旧来の建築と都市の議論にマイノリティや人種的なダイナミクスを考慮した、より包摂的で豊かな視点をもたらす重要なテーマだと言えるだろう。

家庭空間から見えるジェンダーロールと労働の不平等

パンデミック以降、私たちの仕事や生活の重心は家庭空間へと移行した。このような状況下でより一層差し迫った社会問題として露呈したのが、これら日常生活の維持管理に不可欠な「エッセンシャルワーク」に潜む様々な形での不平等である。例えば、コロナ禍によって世界的に学校や保育施設が閉鎖し医療機関が機能しなくなる中で、これらの負担を代わりに担ったのが不払い、あるいは低賃金の家内労働に従事する女性やケア労働者たちである。UN Womenの調査によると、不払いのケア・家内労働の経済的価値は、GDPの約10–39%にも上り、これは製造業や運輸業をも超える数値である。「家族」を、労働力を供給する再生産の場として「市場」から切り離すことで成立している私たちの経済社会★9において、これら家庭空間に関わる労働をいかに評価していくかは今後の大きな課題である。

これらは社会的な諸制度の問題であると同時に、私たちの家庭空間そのものに反映された問題でもある。冒頭で取り上げたレヴィット・タウンもその一例だろう。建築・都市研究家のドローレス・ヘイデン(Dolores Hayden)は、主著『Grand Domestic Revolution(1982)』で、コモンキッチンやホームオフィスなどを家庭空間に取り入れることで家内労働の負担軽減と共有を目指した20世紀初頭のマテリアルフェミニスト達の活動に焦点を当て、それらの現代における建築的な可能性を説く★10。

ランドリーとキッチンの構成を綿密に計画した『The American Woman’s Home (1869)』、(Grand Domestic Revolution, pp.59より)

このような問題を背景に、私も参加した建築家フリーダ・エスコベド(Frida Escobedo)によるイェール大のスタジオでは、家庭空間を「ケア」「メンテナンス」「食」の視点から分析し、そこに潜む様々なバイアスを、リサーチの一環としてそれぞれ3つのカートグラフィーとして可視化した。

ケアのグループは、アメリカを象徴する住宅群に男/女のジェンダーロールが内在すると仮定し、それらの空間との関わり合いを平面図の展開と合わせて記述することで、相互依存的な「ケアするーされる」家族内の関係性におけるジェンダーダイナミクスと、そこに潜む不均等な家内労働の分配を位相幾何学的に可視化する。

アメリカの住宅群に潜む男/女のジェンダーロールと空間の関係性を描くカートグラフィー(Chong Gu, Isa Akerfeldt-Howard, Diana Smilikovic, Yale School of Architecture)
シンドラー自邸(1922)のケーススタディ

メンテナンスのグループは、生活の維持管理における清潔観念に潜む人種差別と、これらの仕事に従事する労働者の透明化の歴史を「ふるまい」「抑制」「分類」の3つの観点から分析する。そしてそれらの物語の時間と空間を圧縮し、現代の洗面台からの一人称視点に織り込むことで、アレゴリカルな壁画として表現する。

洗面台からの一人称視点に、清潔観念にまつわる差別と労働者の透明化のプロセスを物語として織り込む(Audrey Tseng Fischer, Elise Limon, Gustav Nielsen, Katie Colford, Yale School of Architecture)
洗濯機の導入は労働の効率化であると同時に、クリーニング業に関わる労働者を透明化しながら人種的バイアスを中性化するプロセスでもある

食のグループは、道具の機械化と保存食品の流通に付随して中世以降縮小し続けるキッチン空間に着目した。本来家庭内で行われていた食に関わる労働が、これらの道具や保存食品などの製造を担う低賃金労働に代替されている点★11を分析し、キッチン空間の縮小に対する労働空間の拡張を、台所道具などの事物にまつわる製造・労働・運送の連関図として描く。

連関図の外縁に広がる大量生産・消費に関わる労働が、キッチン道具や保存食品という形で中心に圧縮される。キッチン空間は縮小していく代わりに、食に関わる労働の空間は拡大を続ける(Caroline Kraska, Yushan Jiang, Meghna Mudaliar, Taku Samejima, Yale School of Architecture)
調理に関わる種々の家内労働が、キッチン道具の変遷により消滅していく過程

スタジオではこれらのテーマを議論する上で、講評会の仕組みそのものも問い直された。円形の回転テーブルを作成し、講評者と学生がそれを囲み、机上のマテリアルや参考文献を共有することでフラットな議論の場が設けられた★12。

スタジオでの講評会の様子。円形の回転テーブルでマテリアルを共有しながら議論をする

このように私たちにとって身近な空間とそこに関わる事物を通して、そこに隠された種々のバイアスを含んだ社会構造とそれらを反映した空間と労働の仕組みを認知していくことは、社会と環境の両輪に関わる建築家とその教育の場面でも、今後より一層求められていくのではないだろうか。

LGBTQ+と建築:インクルーシヴな社会に向けて

多様性社会を考える上で、今後欠かせなくなるのがLGBTQ+に関する議論だろう。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーにクエスチョニング/クィア(Questioning/Queer)を加え、さらに他のセクシュアリティを考慮した場合のプラス(+)を加えたこの呼称は、多様な性の在り方を表現する。前述のジュディス・バトラーは、ジェンダーアイデンティティは生得的なものではなく、社会的慣習やイデオロギーの中での行為の反復によって構築されるものと捉え、これを「パフォーマティヴィティ(Performativity)」として概念化した★13。バトラーが示唆するように、現在では身体的性の他に、性自認、性表現、性的指向などを考慮した、決して男/女の二元論では単純化されない複雑であいまいな性の在り方とその認識が重要視されている。

ここまで見てきたように、二元論的な性の在り方をマジョリティとして作られてきた私たちの建築空間、都市環境、ひいては建築に関わる職能そのものは、多様なセクシュアリティを包摂する視点をこれまで持ってこなかったと言える★14。アメリカではこのような背景に対し、LGBTQ+コミュニティの拠点となる施設の創出や、パブリックトイレに関する研究、そして多様な性に開かれた建築家界の在り方を考え直す取り組みが活発である。以下、これらの事例の一部を紹介したい。

まずLGBTQ+コミュニティにとって記念碑的なプロジェクトとなったのが、ロサンゼルスのAnita May Rosenstein Campus(2019)だ。LGBTQ+の権利獲得運動が活発になる1969年★15にルーツを持つ組織、Los Angeles LGBT Centerの7つ目の拠点となる本プロジェクトは、現在世界最大のLGBTQ+コミュニティを対象とした複合支援施設である。

世界最大のLGBTQ+コミュニティを対象とした複合支援施設、Anita May Rosenstein Campus(AIA Los Angeles, “How Architecture and Design Serve the LGBTQIA+ Community”, 2022, キャンパスの竣工を記念してスタッフや設計者によるパネルディスカッションが開催された)

NYとLAに拠点を置く建築家ユニット、Leong LeongKillefer Flammang Architectsの設計によるこの施設は、主に青少年と高齢者を対象とした200室以上の居住施設に加え、食堂や就職支援、イベントスペースやシアターなどを併設した多角的なプログラム構成が特徴的である。LGBTQ+コミュニティへのヒアリングを基にした空間の仕組みに加え、性だけでなく人種や国籍、貧困や障がいなどの属性が交差することで差別や不利益が生じる「インターセクショナリティ」を意識したプログラムの複合性は、性的少数者に限らない様々なマイノリティの現実を多角的に捉える、インクルーシヴな支援施設の在り方を提示する。

Anita May Rosenstein Campusの屋上。屋外キッチンや緩い格納式屋根を設けるなど、居場所を作り出す工夫がなされている(筆者撮影)
1階のカフェスペース。居住者だけでなく、全ての人に開かれた空間構成とプログラムの配置が意識された。(筆者撮影)

公共空間において最も性とジェンダーの問題が顕在化するのがパブリックトイレだろう。近年は男女別のトイレに加えて多様な性に開かれたジェンダーフリートイレの導入が各所で進められているが、その多くが単一の個室となっており、広範な利用者とその人口に対応しきれないといった懸念がある。これらのオルタナティブとして、パブリックトイレをソーシャルスペースとして捉え直し、男女別+その他という解ではなく、1つの共用型ジェンダーフリートイレの可能性を追求するのが、建築家のジョエル・サンダース(Joel Sanders)とトランスジェンダー研究の第一人者であるスーザン・ストライカー(Susan Stryker)、法律家のテリー・コーガン(Terry Kogan)によるStalled!というプロジェクトである。

Stalled!ではプロトタイプなどの提案や、法改正、トイレにまつわるエッセイなど、共用型ジェンダーフリー トイレを実現するための様々なリソースが共有されている(JoelSandersArch, Stalled! | The Video, 2018)

男女別トイレの間の壁を取り払うことでノンバイナリーな一室空間としながら多種類のトイレを配置し、その空間と背中合わせにラウンジを設けることで人々の滞留の場を作り、トイレ内での安全性も確保する提案だ。ジェンダーや障がいなどの枠を無くしたインクルーシヴなパブリックトイレの在り方を示唆する一方で、トイレの利用方法は人によって様々であり、それをどのように共有可能にし、抵抗感を無くす工夫を施していくかが今後の課題だろう。

コロンビア大学大学院で教鞭をとる建築家/オーガナイザーのA.L.フー(A.L. Hu)はデザインや空間における人種、階級、ジェンダーの公平性と、それらに携わる建築家の役割や職能そのものの在り方を問い直す活動を続けている。その一つとして、A.L.フーはQueeriesというオンラインプラットフォームで、LGBTQ+の建築家やデザイナーの個人的な経験や体験を収集し共有することで、デザインというプロフェッションの中での多様性や公平性の議論に、より包摂的で多角的な視点を取り入れる。AIA(アメリカ建築家協会)は、建築家やデザイナー自身の職場環境や職能における公平性とインクルージョンの問題を考えるパネルディスカッション、Raising LGBTQ+ voices in Architectureを2019年に開催した。

インクルーシヴな社会を実現するためには、種々の社会制度と私たちが生きる環境の設計に、LGBTQ+の経験と体験を基にした、より多角的で豊かな視点を取り入れることが重要だろう。そのためにはまずそれらの設計に携わる私たち建築関係者やデザイナーが様々な声に耳を傾け、知見を共有していくことが、今後必要不可欠となるだろう。

第5回はアメリカ国内での様々な社会的マイノリティにまつわる議論と、多様性社会の実現に向けた取り組みを紹介した。ここで見えてくるのが、種々の社会規範(Social Norm)が根本的にバイアスを抱えたものであり、それらをマジョリティとして構築される社会的な「普通」という観念が様々な人々を排除し不平等を作ってきた、という歴史である。これらの「普通」を解体し、各個人に固有で多様な経験を無数の「普通」として受け入れることのできる、排除ではなく包摂をベースとした社会と環境の在り方が、21世紀において重要なテーマとなるだろう。

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★1 社会学者の森山至貴は著書『LGBTを読み解く クィア・スタディーズ入門(2017)』で社会に潜む様々な作られた普通認識が他者を傷つけることを「普通の暴力」と表現する。

★2 Hayden, Dolores. “Redesigning the American Dream: Gender, Housing, and Family Life”. W. W. Norton & Company, 2nd edition 2002

★3 Butler, Judith. “Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity”. Routledge, 1990

★4 Kern, Leslie. “Feminist City: Claiming Space in a Man-made World”. Verso, 2021

★5 一方でポール・ルドルフの後任としてイェール大学建築大学院の学長を務めたチャールズ・ムーアは、このような建築教育の社会状況との隔絶に危機感を持ち、学生がホームレスや貧困支援のための住宅を一年時に設計・施工をする「Building Project」を1967年に発案。この授業は現在も必修科目である。

★6 Charles L. Davis II, “Blackness in Practice: Toward an Architectural Phenomenology of Blackness”. Anyone Corporation, Log 42, Disorienting Phenomenology (Winter/Spring 2018), pp.43–45

★7 Koolhaas, Rem. “Junkspace”. The MIT Press, Obsolescence Vol.100. (Spring, 2002), pp.175–190

★8 本論考で批判されるもう一つの理論がケネス・フランプトンによるクリティカル・リージョナリズムである。建築の構法にリージョナルな文化的表現が内在することを論じるこの理論は、そもそも奴隷制や植民地主義による文化的切断という背景を考慮せず、人種的マイノリティのその後の文化形成をヨーロッパ流の構法的表現の議論に矮小化している点が指摘される。

★9上野千鶴子、『家父長制と資本制:マルクス主義フェミニズムの地平』、岩波現代文庫、2009

★10 Hayden, Dolores. “Grand Domestic Revolution: A History of Feminist Designs for American Homes, Neighborhoods and Cities”, MIT Press, 1982

★11 社会学者のステファン・レセニッヒ(Stephan Lessenich)は、これを資本主義社会の特性の一つである「(代償の)外部化」と定義する(斎藤幸平著、『人新世の資本論』、pp.30より)

★12 ここで批判の対象となっているのは、松村淳氏『建築家の解体(2022)』で議論される、「講評会という教育装置」である。講評会は、そもそも標準化しえない技術について恣意性を持って教員がコメントし、それをありがたく受け入れる学生の態度(支配的ハビトゥス)が形成されていることで成り立つと松村氏は指摘する。エスコベドスタジオでは、標準化しえない技術(ここで言えば家庭空間に対する知見)を教員がブラックボックス化せずにあえて露出し、共有する場を設けることで、テーマについてより深く議論することが可能になった。

★13 Butler, Judith. “Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity”. Routledge, 1990

★14 イギリスの建築家/アーティストのアダム・ナサニエル・ファーマン(Adam Nathaniel Furman)と建築史家のジョシュア・マーデル(Joshua Mardell)による近著『Queer Spaces(2022)』は、これまで建築の主題として扱われずに抹消されてきた性的少数者にまつわる空間とその物語の事例を取り上げ、LGBTQ+コミュニティにとっての建築史的な参照点を提案する

★15 LGBTQ+の権利獲得運動のきっかけとなるストーンウォールの反乱が起きたのがこの年の6月であり、以後これを記念して6月は世界的にプライド月間とされている。

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鮫島卓臣/ Takuomi Samejima
建築討論

イェール大学建築大学院修士3年生(Yale School of Architecture, M.Arch1,23')2019年度フルブライト奨学生(Fulbright Scholar 2019)