自然と人工から生物度と技術度へ

長谷川愛/From “natural vs artificial” to combination of “biological and technological” / Ai Hasegawa

長谷川 愛
建築討論
Oct 2, 2021

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自然とは

今回の自然と人工の対立や建築というテーマはやや専門外なのですが、最近の私の興味や知識の重なるところを書いてみようと思います。そもそも「自然」とはどのように定義されているのでしょうか。「自然」をウェブで検索すると、そもそも「Nature」に「自然」という訳をつけたのは蘭学や英語が日本に入ってきた江戸時代以降の最近のことで、日本では自然は「じねん」と読む仏教用語で「おのずからそうであること」という意味だったらしいことが出てきます。更に興味深いことに、昭和から平成で日本語での「自然」が人間を含むものから含まないものに変化したとあります。

手元にある昭和生まれの辞書では、「自然」は「人間を含め、山川・草木・動物など天地間の万物」となっているのに対して、平成生まれの辞書では「1.天体、山川草木、動物など人間社会をとりまき、人間となんらかの意味で対立するすべてのもの。2.広義では人間そのものを含むことがある」となっているのだ。かっての日本人の思考の中にはほとんどなかった「人間を自然と対立させて考える」という西欧的な自然観のほうが、今や「人間は自然の一部」という日本的自然観より優位になった。

[出典:村杉幸子著「「自然」は新しい言葉(やさしくわかる自然保護2)」(NACS-J事務局長日本自然保護協会)https://www.nacsj.or.jp/archive/2000/03/1087/

現在自然と対立するものとして「人工」や「人間」を捉える思考は西洋文化の影響が強いようですが、これには「自然科学」という分野がキリスト教の影響が強かった時代に勃興したことと関係があるようで、聖書に「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(出典:創世記 1:28 新共同訳)とある影響だと言われています。

ここでは頂いたテーマ「自然と人工」を考えるためにNatureの訳としての自然にフォーカスしてみますが、この自然に対する考え方にも更新がされつつあるようで近年いくつかの本が出版されています。

人新世と呼ばれる現在、人間の活動に伴うCO2排出量の上昇とそれに伴う環境の変化や、1950年代~1960年代の核実験などにより大気中を漂う”人工”放射性炭素(C14)の濃度が劇的に増加し世界に拡散した結果[出典:https://www.radiocarbon.com/jp/carbon-dating-bomb-carbon.htm]、人間がいた痕跡や活動影響がまったくない「手付かずの自然」はある程度深い地下にしか存在しなさそうです。

もっと身近なところでも日本において、私たちの見ている森林の37%が植林地、私たち人間の影響を受けて置き換えられた代償植生の二次林が35%、ということは田畑なども含めると国土の4分の3がもはや手付かずの自然ではない自然なのだといいます。[出典:林竜馬著「変動する森から見つめる”人新世”」現代思想2017年12月号 特集=人新世]

都市は生物に進化を促す新たな自然環境と捉える考え方も台頭してきています。メノ・スヒルトハウゼン著の『都市で進化する生物たち:”ダーウィン”が街にやってくる』では、都市部が増えるにつれ、都市部に適応進化した種も出現しはじめており、いくつかは遺伝的にも変化している例を示しています。また、都市部の庭がどのぐらいの多様性をもたらすのか、一体どのぐらいの種類の生物が生息しているのかをイギリス・シェフィールドの61の庭の生物種を調べた結果、植物1166種(外来種が70%)、無脊椎生物800種(個体数3万)が見つかりました。庭ごとに動植物相が完全に違い、街として総合すると生物多様性が非常に広かったというこの研究事例も興味深いです。確かにガーデニング大好きなイギリスの庭では海外から取り寄せられた草木が美しく、庭にはリスやキツネも来ますし、ヨーロッパのハブとして様々な国からの人や物流に乗って様々な植物や虫も流入していき生物多様性が充実していきます。

『都市で進化する生物たち:”ダーウィン”が街にやってくる』

フレッド・ピアス著『外来種は本当に悪者か? 新しい野生 THE NEW WILD』が示すところでも、私たちの介入や撹乱の影響を受け変化した環境に適応する種など、在来種は遺伝的資源として貴重で守るべきではあり、外来種が在来種を駆逐してしまうことも確かにあるのだけれども、外来種によるメリットも多くあるという話を展開しています。

『外来種は本当に悪者か? 新しい野生 THE NEW WILD』

こうした近年の議論を追うと、現在新たに再構成されている「新しい自然」も「自然」だと積極的に受け入れるべきなのではないか、という潮流が認められます。

自然と人工から生物度と技術度へ

自然観が刷新され自然に人間を含めるとき、自然と人工という対立による線引きを、人に作られた「人工」ではなく「技術(テクノロジー:人間が生きるためのあらゆる工夫)」と言い換えて、自然とテクノロジーという二つのパラメーターが並列すると考えてみるのはどうでしょうか。自然度の高さとは、生物の量と種類が多い事を指し、むしろ言い換えるならば「生物度」が高い〜低いと言った方が解りやすいのかもしれません。テクノロジーは「技術度」が高い〜低い、というパラメーターとして。技術度の高さも量と種類の多さを指します。この組み合わせで、考えると以下の4つの枠が考えられます。

以上の4つを検討すると、私たち人類が生きるのに低自然度は欲しないので、残りは「高生物度&高技術度」の未来と「高生物度&低技術度」の未来のように思えます。

「高生物度&低技術度」の未来

私たち人間は、生きていると生きるための工夫をしてしまう、どうにもテクノロジーを発展させてしまう生き物だと思います。このままの人口増大と地球環境の悪化についてテクノロジーを発展させないで自然度を回復させようとしたとして、その悪化のスピードに対して現在以下の技術度で解決できる可能性は低いのではないでしょうか。低技術度での場合、中世のような生活、例えばアーミッシュのような生活を全人類に課すことは全くの不可能ではないけれども、現実性が低いと思えます。特に女性である私は、生理痛や妊娠のコントロール技術がない世界には住みたくないと切実に思います。中世に戻るというのではなく、技術の取捨選択をした良いバランスでなら可能性としてはあると思います。

建築に住む生物の量と種類を増やしていく

建築の内側の生態系を考えてみるとロブ・ダン著の『家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている』という本がヒントになりそうです。ゴキブリ、ダニのみならず、菌類を含めると表皮や体内にもそれらは存在しており、この状態に加えて家に動物や植物を招き入れると更なる生物多様性の増大が期待できることでしょう。

「家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている」

建築の外側の生態系、例えば窓辺やベランダ、屋上でのガーデニングに注目すると、都市を垂直の森にする試みのStefano Boeri Architettiの活動は有名で、ミラノのタワーマンションに木や植物を植えるスペースを非常に多く配置しています。実際に私もミラノで見たのですが、遠目からでもその緑の豊かさは目を引いていました。[https://www.stefanoboeriarchitetti.net/en/urban-forestry/]

この流れで最近気になっているのはSony CSLが行なっているリサーチ「協生農法」です。

具体的には「無耕起、無施肥、無農薬、種と苗以外一切持ち込まないという制約条件の中で、植物の特性を活かして生態系を構築・制御し、生態学的最適化状態の有用植物を生産する露地作物栽培法」です。

[出典:協生農法実践マニュアル https://www.sonycsl.co.jp/tokyo/407/]

最初に聞いた時は農業の常識やコンセプトが覆された驚きで、実践するのにとまどいを覚えました。今までの近視的な農業のありかたではなく、一歩引いた生物同士のネットワークやバランスに注視しています。例えば上記のミラノのタワーマンションでは虫が問題になったと聞きましたが、もしこの研究が深まれば人間が暮らしやすい環境を作り出す生態系のデザイン、たとえば虫や鳥の生態、何を食べ食べられ、といった関係をも考慮に入れた植物の最適な組み合わせなどがそのうち導き出されるのかもしれません。

生きもので建築をつくる

建築において生物度を増大する試みにおいては、建築物自体の、マテリアルにおける生物度を上げていくアプローチも考えられます。JULIA WATSONによる本 『Lo_TEK: Design by Radical Indigenism』に生きている植物で作られている建築や建造物やいくつか取り上げられているようです。例えばインドのマウリノン村にあるゴムの木の根で約15〜30年をかけてつくられた橋はかなりの強度を誇り、一度に35人が渡ることもできるそうです。また南イラクのマダンの人々による生きた葦を足がかりに水上に家をつくる事例なども紹介されています。
Design by Radical Indigenism

『Lo_TEK: Design by Radical Indigenism』

最近では生きた木でつくる建築の工学的な研究もいくつか始まっているようです。シュツットガルト大学のIGMA(Institute of Architectural Theory and Design:ドイツ語ではInstitut für Grundlagen moderner Architektur und Entwerfen)のFerdinand LudwigらのBaubotanikプロジェクトは、生きた植物を建築物の構造に使用する建設方法で、建築家、エンジニア、生物学者による学際的な研究により、生きた構造物における建築的品質、建設的要件、生物学的特性を合成することを目指しています。[https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/ad.1383][https://futurearchitectureplatform.org/projects/537905c7-70ab-4bbb-a4a9-3ef833f1c078/]

このような流れだと日本では出村拓氏らの「植物構造オプト」プロジェクト内の「植物との力学的アナロジーに学ぶ巨大建築構造システム設計」という川口健一氏らの研究チームでは、まず手始めに成長速度の早い カマルドレンシス(リバーレッドガム)という品種のユーカリを用いて、植物が成長して障害物を呑み込んでいったり癒合していく作用を用いて、ガラスなどの材料と生きた木で椅子がつくれないか実験されているようです。[https://www.aij.or.jp/paper/detail.html?productId=644711]

Lo_TEK(ローテック)

上記の本『Lo_TEK: Design by Radical Indigenism』の面白いところは高生物度で低技術度な建築を扱っている面です。タイトルに低技術度を思わせるLo_TEK(ローテック)とあり今回の便宜上「低技術」に分類してしまいましたが、このLoはローカルの意味で、現代デザインの過ちを省みる今、先住民族と古代建築の伝統を見直そうと、ペルー、フィリピン、タンザニア、ケニア、イラン、イラク、インド、インドネシアなど20カ国の都市や建物、インフラについて、より持続可能な技術やデザインに取り組む方法を「Traditional Ecological Knowledge 伝統的生態学的知識」(TEK)、すなわち先住民社会で開発され育まれてきた技術やテクノロジーから得られた魅力的な事例を、400ページ以上にわたって紹介しています。ここで紹介されている知識や技術をローテクとみなすのは西洋的、工業的、植民地支配的なバイアスだと著者も指摘していますが、私も同感です。

「高生物度&高技術度」の未来

この未来は刺激的で倫理的な問題を多分に含みます。最新テクノロジー、例えば遺伝子編集などを駆使し、変化した(もしくはこれから過剰に変化する)地球環境に適応できるように生物群を改変して野に放っていくというアイデアもでてきます。 もしくは直接遺伝情報を編集して、椅子の形になる木なんてものも将来登場するかもしれません。William Myers著『バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか。』はこの周辺の想像力をビジュアル化し挑発的で問題提起的な表現に落とし込んだプロジェクト群を紹介しています。

『バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか。』

遺伝子組み換え生物を野に放つということは非常に難しい問題を抱えています、外来種問題のように一旦外に出てしまったらコントロールが非常に難しいということです。しかし現在CRISPR-Cas9という遺伝子編集技術の応用で、種を書き換える「ジーンドライブ」という技術があり、虫だと10世代程でひとつの種の遺伝情報の書きかえが、いわばその種の進化をハイジャックすることが可能だといいます。この技術はマラリアやデング熱などの虫を介した病気の根絶や外来種問題の解決に役に立つだろうと考えられています。技術的な問題点も徐々に克服されてきており、もしかしたら島など閉鎖された環境での実用化はそんなに遠い未来のことではないのかもしれません。

また最近では生きたマテリアルをデザインとしてつかうバイオデザイン、例えば菌を内包し自己修復の機能をもった壁 [https://concrete-mc.jp/self-healing/] といった方向性も見られるかと思います。こちらの場合はすでに存在する菌たちを使うので既存の生態系に影響が少ないので比較的現実的だといえるでしょう。

私の欲しい未来

私たちは菌と体内外で共生し、食生活でも他の生物たちの絡み合いを摂取分解し、住環境では外骨格といえるかもしれない建築物を体の外にある材料を集めて作って生きています。どこから私でどこから私でないのか。もちろんいくつかの種との絡み合いは私たちにも感染症などの不利益をもたらすこともあり、お互いに虐げ殺すこともあるのだけれど、絡み合う他の生物も私の一部だと認めて、育て増やしあっていくということなのかもしれません。

私の欲しい未来は、緑と花が溢れ、水も美しく、多くの動物たちが闊歩する都市に私たちも住んでいることです。様々な生物たちと共生するのに今はまだ最適なバランスや距離感を見いだせていませんが、ハイテクとLo-TEK(ローカルな伝統的生態学的知識)を織り交ぜながら試行錯誤した先に辿りつけるのではないかなと思います。

最後に、自分の為にも改めていくつかの問いを置いておきます。他の生物を尊重した建築はどのように可能なのでしょうか。他の生物と共生、共進化をする建築はどのように可能なのでしょうか。生きた植物を建築素材として使う建築は倫理的にどのように考えたらいいのでしょうか。

Human X Shark — Ai Hasegawa (2017)
https://aihasegawa.info/human-x-shark

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長谷川 愛
建築討論

現代美術家。テクノロジーと人が関わる問題にコンセプトを置いた作品を制作。 IAMAS、Royal College of Art、MIT Media Lab卒。自治医科大学と京都工芸繊維大学にて特任研究員。著書「20XX年の革命家になるには─スペキュラティヴ・デザインの授業 」http://aihasegawa.info