軽い建築。その潮流をつくってきた建築家たち(座談会:北澤伸浩×萬代基介×御手洗 龍+金田泰裕)

|066|202210|特集:建築の重さ

KT editorial board
建築討論

--

「建築の軽さ」は如何に展開したのか?

金田泰裕:以前より、建築家から柱や壁の細さや薄さを追求する構造設計を依頼されることが多く、「建築が軽くあること」に設計者がどういう意味を見出しているのか、ふと疑問に思うことがあります。それは、私自身の拠点がデンマークにあることと関係しているかもしれません。ヨーロッパでは、薄さや細さをもつ建築はフラジャイルでみすぼらしいというどちらかというとネガティブなイメージを抱かれることも少なくありません。

日本の「建築の軽さ」を追求する態度とその実現は、地震国であることを考えても不思議な流れだと思っています。なかでも、その潮流をつくってきた伊東豊雄さん、妹島和世さん、石上純也さんが「建築の重さ」をどのように位置づけてきたのか、各事務所ご出身の3名にお聞きしたいと思います。まず、それぞれの事務所に所属されていた頃、建築の重さ・軽さについての対話などはあったでしょうか。

御手洗 龍(2004〜13年に伊東豊雄建築設計事務所):伊東豊雄さんが、透明で軽い建築を追求していた時代はたしかにあり、例えば「せんだいメディアテーク(2000)」は当初、階層化した透明性を目指していたのだと思います。ただ僕が入所した頃には次の段階へと向かっていて、まさに動的で重力を感じさせる構造や形態を用いて建築を展開していこうという時代でした。当時、メディアテークの施工時に溶接で生じたバリをあえて削ぎ落とさない決定をした結果、立ち現れた建築は決して軽くはないが、迫力があってむしろ生き生きとしているのでは、という考えへと至ったそうです。

一方で、「軽さ」というより「薄さ」の方が正しい表現だと思いますが、そこにはこだわりがありました。当時は、自然界の生成原理を形態化していくため、アルゴリズムを設計に取り入れようと試行していました。その際、生成した形をピュアに表現するため、「薄さ」によって建築の抽象度を保とうという意識があったのだと思います。

北澤伸浩(2008〜19年にSANAA):僕は、大学院生時代の2006年からSANAAでバイトさせてもらっていて、その後入所したのですが、その頃は「金沢21世紀美術館(04)」など、幾何学的で明快な平面計画から、「豊田市生涯学習センター逢妻交流館(10)」のように、平面を立体化させ、曲線で境界を曖昧化するような設計にチャレンジしていた時期でした。

21世紀美術館の頃は、平面と構造がダイレクトに関係していて、その後、平面、断面が複雑化したとき、同じように考えるのだけれども、構造とのギャップが生じたと思います。立体的に空間的なつながりを目指す妹島さんのアイデアに対して、構造の大きな方針を佐々木さんがまとめあげるように進められていました。構造との対話のなかで、SANAAとしては柱などの各要素が「最小であること」は前提としてありましたね。構造的な最小=見えがかり、といえると思いますが、柱は150mm角か、200mm角か、壁厚はどうするか、もともとはひとつの大きな方針で全てまとめられたらいいのだろうというところから、複雑な構成を目指すゆえにどうしても局所的な違いというものが生まれてきて、その場所ごとに厚みや細さを変えたり、ディテールも増えたり、という感じだったと思います。その際にも、佐々木さんとの打ち合わせのなかで、構造やコストのバランスを総合的に見て、大きな方針についてはブレない芯のようなものをつくっていたような印象です。

抽象度を高めることも前提としてあったと思います。良い例かわからないですが、屋根に関していうと、「トレド美術館ガラスパビリオン(06)」は軒を出さずに、外壁ガラスと面で納めて屋根厚を覆うように幕板を貼っていました。しかし、その後は徐々に変化があり、軒が出たり、屋根裏の構造を表面に露出させたり、抽象度を変えたりするようになりました。小規模な建物ならば屋根厚や幕板の見え方はそれほど問題にならなくても、スケールが大きくなると同じやりかたではうまく納まらないという話があがったように覚えています。

「軽さ」と「抽象度」

金田:「抽象度」という言葉がおふたりから出ましたが、抽象的にするためには構造の存在を消していく以外にも、構成を明快にし、構造体をはっきりさせていく方法もあると思いますが、そのあたりはどのように考えますか。

北澤:SANAAでは、佐々木事務所との打ち合わせで全体の骨組みが決まるところがあったと思います。例えば、芝浦のオフィスでは、床を複数のレベルにパラパラと配しているため、打ち合わせ前の段階ではコアに絡まない床がたくさんありました。それを見た佐々木さんが、床を外周のフレームで支え、コアを耐震要素として扱わずに外周で耐震要素を確保する、ということでおおよその考え方が決まった。

構造としては強く存在感が見えているかと思います。ただ、仕上げや、構造についても多くの部分でボルトを使わずに溶接を選択するなど、抽象的にするための操作は行っていました。

妹島さんは構造と仕上げはレイヤーを分けて考えているというか、例えば「団子坂の家(14)」は木造ですが、ほとんどの接合部は剛接合で、構造のレイヤーがあり、その外側にカーテンウォールのように外壁とサッシが納まっています。木造ですが、イメージとしては鉄骨造とほとんど変わらないつくり方で、妹島さんらしいな、と思いました(笑)。

御手洗:伊東事務所の場合は、構造と空間を一致させようとする意識が強かったので、構造に取りつくガラスや仕上げに対しても、できるだけ抽象度を上げる方法をとろうとしていたかもしれません。先日、ちょうど伊東さんとお話する機会があり、興味があって、「抽象化とは何のために必要なのでしょう」とお聞きしてみたところ、そのひとつは「共感を生む」ためと仰っていました。人々と思いを共有するための手段として概念があり、それを実現するために建築の抽象化が必要ということです。

金田:石上さんは、軽さや薄さの表現について、また別のさじ加減を持っていたのではないかと思いますがいかがでしょうか。

萬代基介(2005〜11年に石上純也建築設計事務所):そうですね。石上さんはご存知の通り、薄さや細さをさらに推し進めていましたが、その設計の進め方は、妹島さんや伊東さんの話とは少し異なるように感じます。僕が入ったときは「KAIT工房(08)」の設計が進んでいた。通常は柱が何本必要か、それに対して柱をどれくらい細くできるか、という構築的な議論で設計を進めると思いますが、石上さんの場合は柱の細さを先に突きつめ、16mmという極薄の耐震壁のような柱ができあがった。その結果として、柱だらけの空間が立ち上がったという逆の手順で設計を組み立ていっているような印象がありました。この反転は、建築の抽象化というよりは、身体的な現象を建築化した結果です。石上さんの場合は、現象を突き詰めていったら、逆に構造が際立ってきわめて構築的になる、という逆転現象のおもしろさがあります。

その後の「KAIT広場(20)」は、完成までに10年ほどを要したので、原案設計は工房の設計直後でした。平面はやわらかく連続していて、SANAAの「ロレックス・ラーニング・センター(10)」にある種共通するところがある。でもふたりの違いは、僕は屋根から感じられると思っていますが、妹島さんたちの建築はある種ちゃんと重力に抗っていて、石上さんは重力を受け入れている。石上さんには、軽さよりは屋根を薄く浮かべるという身体的衝動がまずあり、屋根をたわませて吊り下げる構造を選んだのだと思っています。

石上さんが妹島事務所時代に担当していた「梅林の家(03)」では壁を薄く、「KAIT工房」では柱を薄く、「KAIT広場」では屋根を薄くした。時系列としてその流れの最後に設計した、ベネチアビエンナーレのインスタレーション「Architecture as air(10)」はほとんど見えない構造体でした。薄さ・軽さの表現は、そこで極限に達したといえるかもしれません。

金田:レストラン「maison owl(22)」に見られる洞窟のような表現は、その流れのなかででてきた。

萬代:そうですね。建築を薄く細くしていき、現象的に自然と近づいていくような手法が極限に達し、最終的にはほとんど目に見えないレベルまでいってしまった。その後の展開としては違う方法で自然と建築を近づけているように感じています。建築そのものに自然の要素を積極的に利用したり、建築のスケールをある種自然のスケールまで広げていくような展開をしていると思います。

歴史的な潮流にみる位置づけ

金田:それぞれのお話からは師弟関係の流れも捉えられますね。伊東さんはシェル構造をつかった「ぐりんぐりん(05)」や「瞑想の森 市営斎場(06)」など、水平の広がりにランドスケープ的要素として曲面を追加していった。当時、磯崎新さんも曲面で建築を設計していて、佐々木さんは逆解析などのシミュレーションを構造解析に用いて、彼らと一緒に曲面の時代を築いていった。それを見ていた、妹島さんは床面にも曲面を使い、さらに石上さんの作品では屋根が薄くなり、連続的に呼応し合っている。

これは歴史的な流れも汲んでいると思います。例えば、逆解析のアイデアはアントニ・ガウディが逆さ吊り模型を、ハインツ・イスラーが布にセメントをまとわせて逆さ吊りし解析を行っている。佐々木さん自身はそういった解析をコンピューターでできるように変換していきましたが、歴史の流れを無視することはできない、とあらためて感じます。各事務所では歴史的な作品をリファレンスすることはあったのでしょうか。

御手洗:どちらかというともっとプリミティブなものとして、洞窟や穴のイメージを空間化する話はよく出ていました。それから、重さに関する話に直結するかはわかりませんが、モダニズム建築を超えていこうという意識があり、その対象としてコルビュジエやミースの名前があがることはたまにありました。人工的で、自然から切り離された透明な建築を仮にミース的だと捉えるとしたら、それはモダニズム建築として乗り越えるべき対象です。とは言いながらも一方で、コルビュジエのインドでの建築のように、土地に根付いて立ち上がるものはいいねという話もあり、そういったものに惹かれていたところもあったように思います。

萬代:石上事務所では、設計時にほかの作品を参照するといったことはあまりなかったですね。もちろん、ミースやコルビュジエについての話はしますが。

北澤:具体的な建築ではないですが、妹島さんは旅先の建物や都市、環境などに絶えずインスピレーションを受けていたと思います。例えばインドなどが話題にでることがありましたが、まちなかに生と死が混沌とした状態というか、そういった世界観に共感していたような気がします。また、あくまで僕の解釈ですが、妹島さんは、いろいろな人が自由に使う「公園」のような空間をいつも考えているところがあって、ただ、その公園を歩いている人間は、ミースやコルビュジエの時代に描かれたようなモダンで独立したたくましい人間像なのではないか、と思っています。空間の前提としてそういった人間像があって、それが設計にも現れているような気がしますね。

マテリアルの選択肢

金田:ガウディはレンガ積みですが、一方で実際にできあがった建築は軽やかに感じます。ミースの場合、時代性もあると思いますが、鉄を用いてあくまで軽く、コルビュジエは時代や場所によって、マテリアルや重さの表現も異なります。各事務所では、どの段階でマテリアルを決定していますか。

北澤:SANAAはまずは模型でスタディし、抽象的な空間のイメージを検討していって、その後、どこかの段階で構造事務所との打ち合わせをしてマテリアルを考えることが多かったような気がします。規模にもよりますが、部材に対する強度が有利にはたらく鉄を多く選択していました。

御手洗:伊東事務所も同様です。形態によって構造マテリアルが決まることがほとんどですが、佐々木さんは構造設計時にコストバランスも考慮するため、「多摩美術大学図書館(07)」や「瞑想の森 市営斎場」のように、コンクリートに対して効果的に鉄を使うといったことも多かったですね。

金田:石上さんのベネチアのインスタレーションは、強度を保つことができるカーボンを用いて軽さを表現していました。

一方で、サーペンタインギャラリーのパヴィリオンは、重い石の屋根を支えているという事実と、それを支える細い柱の緊張感から、感覚的に軽さを感じるという面もあるのではないかと。建築の重さは、実際の重量だけではなく、建築全体に働く力を感覚的に捉えたうえで、総合的に判断されるものでもあります。

萬代:たしかに、細さを考慮する上で、素材は先に検討してから構造事務所と打ち合わせていたと思います。

重さに対する相対的な軽さや細さは、そこまで意識していないように感じました。それよりもスケールやプロポーションによる相対的な細さや薄さはすごく厳密に設計をしていたように思います。あと少し話がずれますが、石上さんは2階建て以上の建築をあまりつくりません。それは1階部分の柱が構造的に太くなることも要因のひとつだと思いますが、細くできたとしても、頭上にもうひとつ空間があること自体を好まないようなところがあったと思います。なのでピロティのような重い物が上に載っている形式は避けていたように思います。

金田:「抽象」や「透明」の言葉に対して、三者それぞれの定義や意味はわずかに異なっていますね。伊東さんは実際に細くあることや、コーリン・ロウの「虚と実の透明性」のなかで記述されているように、実際の細さ、薄さ、透明さより、空間が目指す先での透明性や抽象性があると思う。伊東さんの理論的な構築の部分から、妹島さんは感覚的でありながら、構造や構成を引き継ぐ。そして、石上さんは物理的に構造体を消す状態まで到達し「現象」に向かっていくという流れがあるように思います。

抽象化のその後──独立後の変化

金田:独立後の設計についてお聞きします。出身事務所からの影響や反動もあるかと思いますが、現在は建築の軽さや薄さに対してどのようなスタンスでいますか。

北澤:事務所の頃は鉄骨造ばかり担当しましたが、今は小規模な住宅やリノベーションの仕事が多いこともあり、独立後に初めて木造を扱いました。現場で対応できる範囲が鉄骨よりも多く、身軽に扱える感じがたいへんおもしろいです。

北澤伸浩「笹沼邸」(2019)©鈴木研一/ひとつの建物に専用住戸と賃貸2戸をつくる計画。2〜3階建て住宅やマンションが立ち並ぶ周囲の環境と住戸同士の関係性を考慮し、ヴォリュームを組み合わせている。

それから、反動的な面もあるかもしれませんが、SANAA事務所時代は建物規模が大きく、内外をつなげるために視覚的な透明性を意識してディテールを詰めていましたが、最近は規模が小さく、コストなどの兼ね合いもあり、アルミサッシなどの既製品で、安価で重量も軽く、可動性があるものを積極的に取り入れ、体感的にも動き回りやすいものにしたいと思うようになりました。塗装で全体を統一することもわりと避けていて、部材同士の接合部も見せている。そこまで抽象化することに注力していないというか、できないというか、空間を構成する情報量を建物の内外で近づけるような感覚で設計しています。

北澤伸浩「小さなマンションのための家具」(2019)©三嶋一路/小さなマンションに置く家具の計画。上下2枚のスラブを数カ所でつなげ、全体を大きな梁のように設計。スラブの間は棚のように使うことができる。場所によってスパンが異なる柱は強度計算で本数を調整。
北澤伸浩「梅ヶ丘のサロン」(2021)©三嶋一路/小田急線梅ヶ丘駅から徒歩1分に位置する、珈琲屋と美容室がひとつなった店舗の計画。

萬代:独立直後は、比較的細さや薄さは突き詰めていたかな、と今振り返ってみて感じます。ただ最近はそれが設計の主題ではなくなってきた。美意識として細さや薄さがディテールに出てくるのはありますが。石上事務所でやりきった気持ちもあるし、それから、CG技術の発達で最近は細さや薄さを突き詰めたモダンでフィクショナルな空間というものが現実世界ではあまり意味を持たなくなっているように感じています。むしろ即物的でリアルでドロドロしたところにある建築におもしろさを感じ始めています。

萬代基介「石巻の東屋」(2021)©mandai architects/宮城県石巻旧北上川の両岸に、津波対策で築かれた長さ約8kmの河川堤防の上の小さな東屋群の計画。川と街を区切る大きな堤防の小さな「窓」として設計。

御手洗:北澤さんと同じで、私も独立してはじめて木造を扱いました。木造がおもしろいと思ったのは地続きなところで、それが構造体にもなるし、家具にもなるし、使う人が容易に手を加えることもできる。それから木材は人が実際に持つことができて、建築から見れば軽いけれど、人から見れば少し重い。その身体的スケールで、重さや軽さが感じられるところにも興味があります。

御手洗 龍「Rib」(2020)©Kai Nakamura/集合住宅の一住戸の改修。窓を囲むように45mm角のツガ材をリブ状に並べ、13mm 厚の合板を回し、窓辺に居場所を紡ぎ出す計画。

今までは形の新しさとそれを実現するための構造体を考えてきましたが、最近は、もう少し普遍的な建築というか、床、柱、壁、梁、屋根、階段といった各エレメントが持っている役割を如何に新しく更新できるかということや、その構造体を如何に能動的に使い倒していけるかということに興味があります。例えば、モノとモノがぶつかり、ディテールが生まれるときに、今までは抽象度をどのようにつくるかを考えてきましたが、今は要素それぞれの個性を共存させようという意識が働いているように思います。

御手洗 龍「松原児童青少年交流センター」(2022)©御手洗龍建築設計事務所/埼玉県草加市の青少年施設・音楽室・テニスコートなど多世代交流の場としての複合施設の計画。傾きをもったヴォールトの配置により空間をつなぎ、人々の活動や交流を促す。

一方で、抽象的な空間がもつ開かれた感じや自由さが、人を引き付けていくことに惹かれる部分もあり、そういった意味で、「部分的な抽象化」を考えていたりもします。ピュアで抽象度の高い空間で全てをつくっていくと、どうしてもそこからこぼれ落ちてしまう価値観や人がいるのが気になっていました。そういう意味でも「具体」と「抽象」という両方が同時に存在することで何か豊かなものが空間として立ち上がっていかないものか、と漠然と考えています。

金田:自ら手を加えられるものと、受け入れなければいけない既存の躯体。リノベーションと新築を同等に手がける世代ならではの、建築作法があるように思います。例えば、壁と一言でいっても、構造壁、構造に効かない雑壁、建具的なもの、と細分化した部材に注意を払っていますよね。私自身、構造壁と雑壁の差異の明確化など、躯体にかかわらない部材も意識的に断面の指定をするようにしています。これは労力と時間を要しますが、建築の質に関わる非常に重要な行為だと思っています。

社会状況と建築の存在感

金田:ヨーロッパでは、建築家がリノベーションやコンバーションを手がける機会は以前から多かったのですが、日本ではようやく建築家が関わるものとして認識されるようになったかと思います。そのときに、躯体や既存のモノの強さが設計の拠り所になる。ここ5年くらいの個人的な所感ですが、構造設計時に躯体の存在感や太さを求められる傾向も出てきました。決定的な理由を見つけられている訳ではありませんが、時代性や社会背景も関係しているかと思っています。

北澤:そもそも現代だと、想定される荷重、外力に対して必要な構造のメンバーを計算で出しますが、そのときに仮定される外力の条件は、社会によってどのくらい建築に期待を持たれているかによって変化しますよね。それぞれの文化圏で建築をどのように位置づけるかで、変わってくるものだと思います。

金田:たしかに、ユーロコードでの耐震設計は、地震と強風と降雪が同時に来ても耐えられるように組み合わせて計算しますね。日本では地震と台風は同時に来ないことになっています。築年数が長くなるほど、自然に影響を受ける可能性は高くなるので、ヨーロッパの前提条件のほうがより強固な建築ができるという考えは正しいです。

御手洗:日本だと地震は慎重に扱う必要がありますが、熊本のときのように地震が連続して発生したり、地震と台風が同時に発生したりといった条件設定にすると、建築資材が物量的にも経済的にも膨れ上がり、合理性がとれないという見方もあったのかもしれません。東日本大震災後に、津波の防潮堤をいかに強固で巨大にするか何度も議論されていたことが思い出されます。こういった風土や自然による条件は、地域差がありますし、それぞれに対して考え方があるのかもしれませんよね。

金田:民家は、まさに地域差が表出しています。以前、東北地方のとある地域に入った途端、屋根が軽やかになった。地元の方に聞いたところ、そのスポットだけは積雪量が少ないらしい。また岐阜県のある地域で古民家を改修した際も、筋交いや壁が極端に少なく、接合部もゆるい。工務店いわく、昔から地震の経験のない珍しい地域だといわれました。積雪や地震への耐力は大きなエリアで均された設計条件により計算をしますが、基準が定められる前の民家のような建物は、その地域特有の経験値による最小限の構造体となり、それが履歴的に残存し、風景にも現れてくるのだと思います。

構造設計の立場としては、基準法を守りつつ、次にその地域で何を重視するのか、土地の昔からあるものの性能に近づけ、近現代の画一的方法とは異なる、やわらかさを取り入れた地域的表現には可能性があると思っています。

建築における「時間」の捉え方

金田:今の話の流れで、今後はますます環境配慮や建築の長寿命化、または再利用・解体など、取り外しや交換可能なことが前提となってくる。つまり、建築のあり方を考える上で「時間」の要素が入ってきます。それに対して、どのような設計を考えていますか。

御手洗:アップサイクルやマテリアル循環にも興味はありますが、むしろどれだけ長く使われるかに軸足を置いています。住宅やオフィスといった機能に合わせて建築をつくっていくと、ライフスタイルの変化もあるし、扱おうとしている時間が短いので、いずれは用途も含めて変更しなければいけない段階がくる。そこでまた次の機能に合わせてリノベーションをしても結局使いにくさが残ってしまう。機能に縛られず、その土地や環境にあった場を紡ぎ出して立ち上げていく方が大切かなと思っています。そうすると快適性や居心地というものがベースとなって自由度が高まり、そこから新たな使い方が出てくるかもしれない。

御手洗 龍「Grove」(2022)©御手洗龍建築設計事務所/所沢銀座通り商店街に面する、間口9.1m、奥行き38.4mという細長い敷地で、町を立体化したような建築(現在工事中)。土蔵造りの商家が軒を連ね、商いと住まいが緑を介して地続きにつながる関係を取り戻すことを試みた。

北澤:公共施設の設計では、数百年単位の長寿命化に配慮する必要も出てきていますが、数字的な話だけではなく、子どもの頃にみた建築空間がいつまでも記憶にとどまるように、心理的にもスパンをもつ場をつくりたいという気持ちは自分にもあります。

ヨーロッパでは、100年以上掛けてようやくひとつの教会が立ち上がったりと、歴史的に、建築行為というものに祝祭性があるのかなと思います。つくることは本来、時間もエネルギーも使うこと。教会の入口の巨大な扉に出くわすと、これを取り付けるだけでその日は街中お祭り騒ぎだったのかな、と想像してしまいます。

一方で、仮設的で即物的な納まりは、軽さにつながり、同時に再利用のしやすさにもつながるのかなとは思います。投資や事業を目的とするときに、クライアントの方がドライに時間を設定していたりしますよね。近代化の過程で、建築をつくることは短く軽くなった。成田空港から東京に向かって電車に乗ったときに見るまちの風景にどこかがっかりもしますが、まちが短い時間軸で考えられていくのだとしたら、軽やかな建築も必要だとは思います。

萬代:建築を設計する立場としては、その建築が長い時間生き延びることは目標としてありますが、最近はオリンピックや万博など、一瞬で壊れてしまう建築を考える機会があり、解体のしやすさや、解体後の行き先まで考えることが設計の範疇に入ってきているように感じます。ただ恒久的な建築に関していえば解体のしやすさというより、部材の成り立ちが美しく、自然な建ち方であるということが一番大切だと考えて設計しています。

建築の象徴性と重さの表現

萬代:それから、僕自身の経験では、あえて建築の部材を太くするような設計は試みたことがありません。一方で、リノベーションのときには既存の太い柱はさほど気にしておらず、既存の建築を環境の一部と捉えてそこに少し太い木が生えている、くらいの感覚で捉え、その木を増幅させたり、木が美しく林立しているように見せたりすることに設計のおもしろさを感じています。

萬代基介「椎葉邸」(2021)©yasuhiro takagi/京都で代々住み継がれてきた築100年ほどの住宅の改修。既存と新築の境界を横断するように、庭も建築も家具も等価に扱いながら、敷地全体に展開する環境の断片を再編集した。
萬代基介「岬の家」(2021) ©yasuhiro takagi/三浦半島の先端の岬に建つ住宅の計画。既存の木造軸組を増幅させて、木造の森のような環境から海に向かう建築をイメージ。

日本人は、昔から自然を意識して建築をつくっていると思っています。自然と共存関係にあるような日本的建ち方は、建築がしっかりと権威的に建つヨーロッパ的建ち方とは歴史や身体感覚が違うので、重さや軽さに対する考え方も違うのかもしれないと思いました。

北澤:僕も柱を必要以上に太くしたいという感覚は今のところはないですかね。

「ルーヴル・ランス」の頃、フランスに駐在していたのですが、パリではマンションは古いほど売値が高いのですよね。一方の日本では消費財として見られるため、築年数が上がると価値が下がります。ヨーロッパでは、時代を超え得る強さに価値を見出すという側面もあるかと思っています。

御手洗:僕自身も、構造計算上の正しい太さで立ち上げることが基本的にはいいと思っています。リノベーションの場合には、既存躯体の揺るぎない太さや歴史ということに価値を見つつも、それに頼りすぎずに何かを立ち上げて共存させていくことにおもしろさを感じたりもします。

萬代:一方で、過剰な構造による建築は日本の歴史にも見られますよね。法隆寺などの古建築を構造的に解析すると無駄や余白があり、それは今とは違う合理性が当時はあったからだと思います。それから古い日本の家がもつ暗さや、均質化された近代以前の非人間的な暗さも、考えられたらとおもしろいと思うけれど、まだ扱えないという感覚です。

御手洗:大黒柱や巨木のしめ縄など、存在が直接見えないような自然物からの重力場を感じて、それに寄り添う日本人的感覚はたしかにあります。ただ、それは太い構造部材に重さを感じるということだけではなく、どこか扱えない、アンコントロールで抽象的な存在も同時に感じ取っている気がします。信仰も含めて自然を意識する日本人としての気質がそうさせるのかもしれませんが、具体と抽象の共存、重さと軽さの共存が近代以前のようでもあり、現代的でもあるように感じます。それが次の建築へつながっていくとおもしろいですね。

金田:例えば、スペインのアンサンブル・スタジオなどは、自然の素材を太いまま象徴的に組み合わせて、空間をつくる。ヨーロッパのコンテクストでは、エレメントの存在感がポジティブに捉えられてきたこともありますが、彼らに影響を受けた若手建築家が現在、ヨーロッパ内外に広がっています。

日本では、国産木材の活用問題に目を向けている建築家が、丸太をそのまま設計に用いるといった事例はありますが、建築の軽さの表現が到達点に近づいているとも捉えられる日本のコンテクストでは、また異なる方法で建築の重さの潮流が生じるのではないかと、今後の展開に期待を抱いています。■

_
2022年9月22日、Zoomにて
文=黒岩千尋

_
プロフィール
北澤伸浩|Nobuhiro Kitazawa
1983年生まれ。2006年千葉大学工学部デザイン工学科卒業。08年慶應義塾大学大学院理工学研究科修了。08〜19年にSANAA。18年に北澤伸浩建築設計事務所設立。SANAAでの主な担当作品=「芝浦のオフィス(11)」「ルーヴル・ランス(13)」「日立市新庁舎(19)」ほか。独立後の主な作品=「笹沼邸(19)」「A Villa in Townscape(21)」「梅ヶ丘のサロン(21)」ほか。
web: http://oonk.jp/

萬代基介|Motosuke Mandai
1980年生まれ。2003年東京大学工学部建築学科卒業。05年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。05〜11年に石上純也建築設計事務所。12年に萬代基介建築設計事務所設立。横浜国立大学非常勤講師、東北大学非常勤講師。石上事務所での主な担当作品=「KAIT工房(08)」「KAIT広場(20)」「ベネチアビエンナーレ国際建築展(08・10)」ほか。独立後の主な作品=「石山公園の屋根(20)」「岬の家(21)」「椎葉邸(21)」ほか。
web: https://mndi.net/

御手洗 龍|Ryu Mitarai
1978年生まれ。2002年東京大学工学部建築学科卒業。04年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了。04〜13年に伊東豊雄建築設計事務所。13年に御手洗龍建築設計事務所設立。千葉工業大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師、法政大学非常勤講師。伊東事務所での主な担当作品=「UCバークレー美術館(11)」「VIVO CITY(06)」「南洋理工大学学生寮(14)」ほか。独立後の主な作品=「Rib(20)」「松原児童青少年交流センター/テニスコート(22)」「Grove(22)」ほか。
web: https://www.ryumitarai.jp/

--

--

KT editorial board
建築討論

建築討論委員会(けんちくとうろん・いいんかい)/『建築討論』誌の編者・著者として時々登場します。また本サイトにインポートされた過去記事(no.007〜014, 2016-2017)は便宜上本委員会が投稿した形をとり、実際の著者名は各記事のサブタイトル欄等に明記しました。