都市のロマンス化を乗り越えて ポートランドのDIYアーバニズム

矢部恒彦
建築討論
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16 min readFeb 18, 2019

連載 [ 都市論の潮流はどこへ “ローコスト・アーバニズム” ] 02/Series [ Where the urban theory goes? “Low-Cost Urbanism” ] 02/Tsunehiko Yabe “Overcoming Urban Romance. DIY Urbanism in Portland.”

国際空港からダウンタウンまでのスペクタクル

直行便なら成田から10時間たらず、仮眠の翌朝(ただし現地は昼)に降り立ったPDX(ポートランド国際空港)から市内までは快適だ。スーツケースを引きながらでも、簡単にターミナル・ビルから低床型【公共交通機関では交通弱者への配慮が最優先されるため】路面電車プラットホームまで行くことができる。行き先に迷わず【単一中心の中規模都市のため】2時間半乗降フリーきっぷを買い、よく意匠された全面広告の電車に乗り、時差ボケに少しふらつきながら市内へと向かう。やがて電車はコンクリート半地下の中をしばらく進む。よく晴れた日はわけても、白人の多い地方都市の車内風景は平和に見え、普段ならビビるはずの海外旅行中のぼくらも、そこで寝てしまう人も多いかもしれない。やがて車内が明るくなり、鉄骨橋の走行音が軽やかにひびく。気づいて外を見ると、ボックス・トラス【20世紀初頭、鋳鉄で架橋されたため】の中を走る電車。川沿いには橋がならび、対岸にはメイン・イベントとなる煉瓦色の世紀末建築があり、それに合わせた色調の建物とヨットまでもが取り合わせられている。ぼくらの気分は盛り上がり、さきほどまでの眠気を忘れる。

そこで窓を向くと鉄骨造の昇開橋部分が見える【ポート(港)ランド(街)の河川交通を妨げずに市の東部を開発するため】。橋を渡ると一方にはオレゴンのさまざまな樹や花の咲く川沿いの公園、一方には異国情緒あふれる煉瓦と鋳鉄のダウンタウン建築群をみながら、電車は大きく左右に曲がる【19世紀に開発されたダウンタウンの街路は、多くが直行するため】。

市民サイン:ポートランドの小さすぎる最高地点

パイオニア・コートハウス広場に着くまで

最後に、この電車は市民のサイン入り煉瓦【市民参加により、市民の寄付を募り、街路に開かれた公共空間を作った歴史のため】が敷き詰められたパイオニア・コートハウス広場に到着する。

ここまでの見所すべてにカッコつきの【言い訳】が準備されているところは、相当オシャレだ。それは、完璧にめかし込んで青山あたりを歩きストリートスナップ誌に撮影された挙げ句、「今朝あわてて出てきたもんでー」と言うようなテクニック? だ。ただし、その手はSNS疲れ時代には流行らない。どうりで当市には、二昔前のマス・メディア全盛期を忘れられないような人たちが、キャッチ・コピーどおりの「全米一住みたい街」を探しにきている。申し添えると、気ぜわしいアジア都市に生きるぼくらとは違い、おおらかなオレゴンふう当市民の皆さんは、ほんとうに「今朝あわてて」選んだような原色アウトドア服を着て、のんびりとコーヒー・ショップに集っていたりするのが現実で、それはほとんどギャップ萌え。ゆえに当市は、渋い趣味をもつ空間の専門家の方にも大好評だ。

電車を降り、まずはこの広場のサインを見てから市政と市民運動の歴史を学び、近くの観光スポットをいくつか見る頃、ぼくらは皆が「全米一住みたい街」を共有し、この街の素晴らしさを伝えねば、という気持ちになるみたいだ。専門家ならば、遠近法とオスマン、ナポレオン3世を思いおこしてパリを歩くように。

最果ての街まで発見したぼくらのロマンス化

日本で流通する当市のテクストは、ネットで現地紙まで読める時代なのに、ロマンス化★1が真っ盛りだ。都市のロマンス化とは、ぼくらが本当に生きる街の諸問題への解決案として、「まだ見ぬ海外」都市を代表的な表象とともに夢想し理想化することだ。それは凱旋門の絵ハガキにあるように、古くは19世紀のパリまで遡る。当初の意味作用は「(意味作用)視覚的に完璧な空間 = すばらしい社会システム」だった。ところが今やバルトの『神話作用』から半世紀、消費者が読みの多様性を身につけた時代のはずなのに、ロマンス化への情熱は続いている。そして、とうとうロマンスのお相手はヨーロッパ文明最果ての地までやってきてしまった。さらに当市は明瞭な表象の最高地点を持たないことが、むしろ、当市を最新のロマンス相手としている。たとえばナポレオン3世に匹敵する都市計画の大立者、ポートランド市民のサインはパイオニア・コートハウス広場の煉瓦に小さく入っているだけで、一見しただけで広場の煉瓦色はあたりの古典ビルと変わらない。これは、表象すべてがシャンゼリゼ大通りと凱旋門という最高地点へと収れんする帝都パリの対極だ。しかし当市の表象も、いったん散逸した後に、「(意味作用)全米一 = すばらしい社会システム」という、2世紀前から相変わらずの単一で薄い意味作用へとロマンチックに回収されてしまう。このために日本への紹介者は、それぞれが好きな当市の表象を切り取り、紹介したい文脈でPRする。それは観光ガイドには良いだろう。しかしぼくは、当市を街づくりの指針として理解するため、輝ける公共空間建築の神話ではなく、21世紀における表象+空間構築とPRの過程として紹介したい。ちなみにぼくが着目した「全米一」は、それほど楽しいことではない。

ポートランド市の(最初は意図せざる?)PR活動

ぼくらが感嘆する、空港からパイオニア・コートハウス広場までのスペクタクルには結構な仕込みがあったが、それは1980年、当市の東部市民たちの運動によってハイウェイのかわりに初路線が開業した郊外電車「MAX」開業のときには意図せざる結果だった。しかし2000年に開業し、当市のみ単独運営の市電と関連空間建設のほうで意図的なPRは明らかで、後者(関連の空間建設)のカッコのなかは【こうしてオシャレにしました】という問答無用の物語が作り込まれている。

市電は、まずダウンタウン近くの商業街路【路面電車時代からの本物の「モール」=商業街路が保全されている】をぬけ、リバーフロント再開発地区の街路【厳密な景観コードが指定されている】を走り、ポートランド州立大の中庭を斜行し【学生が轢かれそうなところがエキセントリック。でも運行密度も低くて優雅に運転するから基本大丈夫】、オレゴン健康科学大学【次世代の成長セクターである医療分野に大規模投資中】前をとおり、最後にティリカム人道橋【目を惹く形だが、ロンドンと同じく自動車は絶対に通さない橋】をわたる。市電とリバーフロントだけを見れば、当市の対極にあるようなラスベガスなどの商業開発用の電車とさしたる違いはない。ただし、ラスベガスはいくらでも作れる近代建築、こちらは再び生産できないから、価格高騰している古典建築という決定的な違いがあるが。

当市固有のジェントリフィケーション

ジェントリフィケーションと古典建築の表象+空間の商品化との関連はコインの表裏となる。ジェントリフィケーションを、結果の熾烈さではなく、原因の明瞭さで捉えれば、当市こそが「全米一」なのかもしれない。実は、ほかの西岸都市とは異なり、当市にはどの世代のハイテク産業も根付かなかった。そういえば最近までポートランドって聞いたことがなかったでしょ?

さらにいえば、ぼくらが賛美する70・80年代の当市民が、ハイウェイのかわりにMAXを選んだ公共交通政策をみると、その目標が市電建設にいたる00年代までに差し替わっていたことと、それを当市民が承認しつづけてきたことがわかる。それは、当市の輝ける目標ではなく、その影となる都市問題までもが政策的に選択されたことを示唆している。この選択は00年代後半に大当たりした。都市機能を損なうまで住宅価格が高騰したサンフランシスコ・ベイエリアからの脱出・住み替えが不動産業界の焦点となった「出ベイエリア記(エクソダス)」の時代、北カリフォルニアと気候・文化が似ている当市では、戦後好況期以来の建築・不動産業界を中心とした経済ブームとして実ることとなった。それは「クリエイティブ」の発見としてファッション雑誌風に語られ、実際にも、ダウンタウンから東部グリッド街路住宅地までの不動産価格が急上昇している。

もちろん、全米各都市ともに、都市空間のPRと資産価値の向上は、住宅所有が資産形成の要点となる賃金労働者=住宅所有者にとって健全かつ不可欠な目標である。そして市政レベルの政策判断としては、格差の統合(地方自治体には荷が重い)ではなくて、資産価値の向上(これは当市でも、開発制限と共に都市マスタープランに明示されている)を選ぶのが常だ。

現在では、市政と市民の一致した目標、実は差し替わっていた目標へと向かって、公共交通と関連空間整備のような大物のインフラ・都市計画事業のみではなく、ダウンタウンから東部住宅地までに散在する小さなまちづくりイベントやエコ・人権系オシャレ店舗なども活発に活動して、オシャレにSNSで拡散されていく。その際には、たとえばホームレスネス対策イベントなども常にオシャレ表象をまとうように仕込まれていて、それは大都市近郊にある画一的な金属製シェルターと、当市ホームレス村にある色・形とりどりの小シェルター群との対比からも明らかだ。移住に際して、将来までの資産価値を冷静に勘案する米国人だからこそ、スペクタクルの次にある当市の継続的なPR活動を評価し、この街の不動産を購入するのだろう。

都市問題に対する当市の乗り越えかた-1(誤解または正解の半分)

キリスト教系ボランティア:オシャレでも自己実現でもない

この文脈で検討すると、よく紹介される「ポートランドの参加型まちづくり」もまた、近年は当市の強力なPRツールとなっていると位置づけるべきだ。しかも、イベントがエコ精神に捧げられる時、当市にポスト・ヒッピー時代の夢を見る若者を惹きつけ、社会­=建築的弱者に捧げられる時、当市でも最強のボラ(ボランティア)資源であるキリスト教系団体を引き込むという裏の目標も併せ持つ。つまり、ぼくらがイベントPRを額面どおりに受け止めてしまうと、それは罠になる。

しかも当市の表象は、たやすく散逸する。そのため空間の前提となる社会・経済・政治などの条件がまったく異なるぼくたちには、真摯な紹介の試みも含みつつ、手っ取り早く受けの良い表象の方が先に輸入されているのが現状だ。そして今なぜか当市は、現代の法人大地主 vs 街角革命家のために紹介されるようになってしまった。19世紀を思い起こせば、この革命が夢想的なものに終わるのは必然なのに。

そのうえ日本でよく紹介される自称「オシャレまちづくり団体」メンバーは、ずいぶん前に1970年代のヒッピーとは代替わりしていて、いつからか(むしろ最初から?)現場でスコップを振り回してはいない。ラスタマン風の見た目に誤魔化されてはいけない。彼らは「愛好家」というよりは市の別働隊なうえ、ボラそのものではなくボラ労働管理者の団体なので、顧客の好みに応じた表象を提供するのが仕事だ。それゆえ、彼らは革命家風のぼろを着て東海岸便や太平洋便に乗るのに忙しい。だが、そろそろ当市内だけではなく英語圏でも、彼らの実態はバレてきているらしく、SNSで人手や募金などのボラ資源の寄付を呼びかけても反応は薄くなってきている。そこで「意識高い系」の日本人が次のターゲットとなったみたいだ。さらに、この愛好家団体の企画だと称する交差点ペイントも、じつは住民が丹精した美しい額縁のなかの平凡な絵にすぎない。おまけにペイントをするのも普段から前庭と歩道の手入れを欠かさない住民自身だ。

当市の乗り越え方-2(大切なほうの正解の半分)

ぼくは、ちょっと豊かな人たちの日常生活に全幅の信頼をおくカルスタなので、資本家、革命家どちらでもなく、月給を稼いだり、貯めたり借りたり運用したりする普通のひとびとの味方だ。皆は、それなりの金額を払って米国的には手狭な当市不動産を買い、庭の手入れをし、教会と投票には欠かさず参加する。このオレゴンらしく敬虔かつ進取の気性に富む市民たちは、東部地区にひろがる相互・相隣性によって構築されるグリッド街路に住み、時間とお金をかけて前庭のシャクナゲや裏庭の巨木などを手入れし、そこに美しく快適なまちなみを構築し、資産として引き継いでいる。いまも世紀末建築が残りつつも、だんだんと凡庸な下駄履き高級マンションの商店街区となりつつある大通り沿いを饅頭のカワにたとえれば、この地帯はアンコ、でも、それはなんとも甘く優しいものだ。そこでは、歩道も日本的には私有地の供出なのに、市民たちは嬉しげに灌木や街路樹、ときに野菜まで植え、舗装が痛めばDIYでモルタルを打ち、車イスのために修繕(リペア)してしまう。ここほど、ボラ団体名「シティ・リペア」が似合わない街はない。

当市内がまだ衰退期にあった1980年から現在まで、市政府が長年支援してきたのは、近隣区の普通の住民による日々のお手入れ。むろんその中にエコ精神にもとづく高速道路への反対運動、州間高速の代替案としてのMAX建設、公共広場の整備・保全運動などの大物も含まれるが、いま日本に紹介されているオシャレまちづくり活動は最後のトッピングにすぎない。ぼくらが本当に評価し参考にすべきなのは、日々のちいさな住民活動を支援するようなボラ活動だ。あまり絵にはならないけど、それはキリスト教系ボラが寡黙に下支えする「樹木のともだち」や「ミツバチに優しいポートランド」なのだろう。

…そういえば、ぼくらも日本で似たようなことやっている。誰にも頼まれないし、草木なんかなくても法的にはなんら問題がないのに、ぼくらはベランダにゴーヤを植え★2、庭の手入れをして★3、さらに、区立公園では官民協同で自分たちの花壇をつくる★4。自分の趣味を声高に主張することはせずとも、日米の園芸愛好家は暑い日も寒い日も屋外に出る。そして自分自身の楽しみのため、愛好家は草木に水やりをして、街のアンコを作っている。ただし日本に足りないのは、住民が自主管理する緑化帯つきの歩道と、日々の住民系よりもひとつ強制力のあがる労働・資金をもった宗教系ボラ活動。前者は部分的には実現しつつあるけれど、神道も仏教も街になにか貢献したことがあるのかな? それは、京都タワー・京都駅へと悲しくも立派に調和している東本願寺をみればわかる。

まちのアンコをどう作るか? 本当のヒント

街のアンコ地帯の歩道:住宅側と連続する草木、色の取り合わせは住宅所有者

パリと同じく当市も、立地・歴史ともに遠い場所にある。しかし、戦後住宅政策により戸建て住宅地が多い日本にとって、当市の方がたやすく後追いすることができる。むしろ、いままでパリをお手本として来たことこそ、空間の専門家が「(普通はありえないぐらい)美しい景観」を法人資本家のために定義してきたことを浮き彫りにするようだ。

19世紀パリは、数十人の資産家の調整によって最後にはナポレオン3世ただ一人の視覚に捧げられていた。これとは対照的に、当市東部の小区画住宅地は、街路両側に住む16人の市場化され交換可能な小所有者に捧げられている。もちろん複数の視線は交錯するので、街路は観光客が喜ぶような視覚的な均質さではなく、住民や歩行者にとって快適なヒューマン・スケールによる空間となる。それこそが、遠近法由来のアメニティ都市ではなく、ぼくらがパリ以降150年かけて到達した、身体感覚にもとづく要素的空間で構築される「手触りの良い街(アーバン・ファブリック)」なのだろう。こうしたアンコあふれる街をつくるためのきっかけは、ふつうの市民の住宅所有と街路空間づくりへの参加から始まる。

アンコ地帯の歩道:住宅からは普段みえない位置に草木

賞味期限切れの自称紹介者から市民専門家による紹介へ

最近になって、ぼくのような自称紹介者だけではなく、優秀な専門家でもあり当市民でもある英語・日本語話者にまで、お仕事の合間をぬって日本へと当市を紹介しに来ていただけるようになった。さらに当市のボラ団体OGも帰国したようで、これからは日本で次の活動を始めるようだ。遠からずぼくらは、この元気な若者の見識も知ることになるだろう。これからも優しいオレゴンのひとたちが来訪してくださり、日本とオレゴン州、ポートランド市の相互理解が深まれば幸甚である。

矢部恒彦(やべ・つねひこ)

法政大学社会学部准教授、2017年度オレゴン大学名誉准教授、ポートランドに家族とともに滞在し参与観察。『住んで協働してわかった「米国オレゴン州ポートランドのまちづくり」の仕掛けと、ぼくたちへのヒント』kindle版公開中(99円)

★1 この言葉は、2017年8月、当市にあるギャラリーの展示会にコメンテーターとしていらしていた東京藝術大学教授、毛利嘉孝先生との雑談にてはじめて伺いました。重要な視点をご示唆いただき深謝します。ありがとうございました。

★2 矢部恒彦「施主ブログに記述された新築の戸建住宅オーナーと庭との関わりについての研究」(2013)

★3 矢部恒彦「日常生活における緑のカーテン栽培体験に関する質的研究」(2015)

★4 矢部恒彦「都心部公園における花壇ボランティア小団体への参加者の活動体験」(2017)

連載 [ 都市論の潮流はどこへ “ローコスト・アーバニズム” ]

>イントロダクション 笠置秀紀
「ローコスト・アーバニズム その文脈と展望を巡って」

> 01 馬場正尊 インタビュー
「工作的都市へ」

>03 青木彬
「これからのアートと都市を語るために」

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矢部恒彦
建築討論

法政大学社会学部准教授、2017年度オレゴン大学名誉准教授、ポートランドに家族とともに滞在し参与観察。『住んで協働してわかった「米国オレゴン州ポートランドのまちづくり」の仕掛けと、ぼくたちへのヒント』kindle版公開中(99円)