100kmマラソンと人生に共通すること

一度失敗した100kmマラソンに再び挑みながら、そこで気づいたグリットの力

Takeshi Kakeda
kkd’s-remarks
22 min readOct 1, 2016

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走り始めてから4年目の今年は、ウルトラマラソン(=フルマラソン以上の距離を走るマラソンの総称)の中でも、100kmマラソンへのチャレンジを始めた。

昨年、同じ四国で開催されている四万十ウルトラマラソンの60kmに挑戦して無事完走できたので、今年は100kmマラソンに挑戦しようと思い立ったのだ。

100kmを走りきるという経験は、自分の中でも、大きな変化に繋がりそうな気がしていた。なんといっても数字にインパクトがある。

「自分が100kmを完走できたら、どんな世界が見えてくるのだろう?」

そんなまだ見ぬ世界に行ってみたくなった。

実はウルトラマラソンは愛好者も多く、全国でいくつも開催されていることを知った。人気のレースは抽選でしか参加できないこともある。

ウルトラマラソンは、フルマラソンと比べて距離が長いという点が目に行くし、「フルマラソンよりも辛いのでは?」と考えがちだ。

昨年の四万十ウルトラで多くのウルトラマラソン好きの方にお会いして、その話を総合すると、フルマラソンよりもゆっくり自分のペースで長い時間を走れる景色を楽しむ途中のエイドの食事を楽しむ友人と会話しながら走って楽しむ、などなどの理由で愛好者が多いようだ。

どれもフルマラソンでもできそうなことだが、より長く時間をかけてできる、ということだろうか。

長い時間をかけて走るということは、日中ずっと走ることしか考えないということだ。ラン好きにとってこれほど幸せなことがあろうか?

最初のチャレンジは失敗

自分は、今年の6月に岩手の100kmウルトラマラソンにチャレンジしたが、結果は73kmであえなく足切りでリタイアとなった。

3月の徳島マラソンの後に腰痛で立てなくなって練習がしばらくできなかったこともあり、その不安を隠そうと普段やらないテーピングをした結果、30km時点でふくらはぎが攣り出し、膝もおかしくなって走れなくなってしまった。体力は十分なのに足が動かずに走れない悔しさを痛感した。

年内に100kmマラソンへの再チャレンジを計画して選んだのが、歴史街道丹後100kmウルトラマラソンだった。

エントリーの時はあまりちゃんと調べていなかったが、よくよくコースマップを確認すると後半の60km過ぎからの峠越えがかなりハードなことに気がついた。累積標高(上昇の合計値)は軽く1000mを超えている。

コース図(公式配布のコース図を元に懸田が作成)
コース図(公式配布のコース図を元に懸田が作成)

普段はトレイルランニングのレースにも出るので累積標高だけでは驚かないが、思っていたよりも厳しそうだ。後に控えている70kmクラスのトレイルランの大会の練習も兼ねてやるしかないと腹をくくった。

台風との追いかけっこ

大会の数日前になって、台風が発生し開催が危ぶまれていたが、台風のスピードが遅くなったため、なんとか開催にこぎつけた。

レースの開催地の京丹後市は、京都とは言いながらも日本海側に面しており、関西というよりもむしろ鳥取や福井に近い。そのため松山からの移動は思ったよりも大変だった。

松山からの移動は松山〜岡山〜姫路〜網野(現地)というルートが安くて短時間なので選んだのだが、当日の岡山行きのバスが事もあろうか20分以上も遅れてしまい、予定の姫路行きの新幹線に乗れなかった。

そのため、次の新幹線で姫路に移動したのだが、乗ろうと思っていた特急はなく、鈍行を何度か乗り換えてのゆったりローカル線旅となった。途中竹田城で有名な竹田駅を通り過ぎ、場所がなんとなくわかったのは収穫だったか。

松山から会場への道のり
松山から会場への道のり

前日受付は18:30までとなっており、駅から徒歩での移動時間を考えると、当日受付は間に合わないと諦めていた。目的地の網野駅に着くと、なんと最終の送迎バスが待っていてくれた。自分を含めて数人を受付会場のアミティ丹後へ連れて行ってもらい、ギリギリで前日受付を済ませることができた。

その後、宿に向かうために送迎バスに乗ろうとしたが、よく考えたら宿泊先には素泊まりで予約していたため、夕飯がないことに気づいた。そのため雨の中、歩いて食事できるところを探しながら宿へ向かうことにした。

食事を済ませ宿に到着すると20時過ぎになっていた。既に同室の5名のうち、2人は準備を終えて就寝していた。同室で起きている方、お風呂でご一緒した方に、翌日のコースの攻略について色々話を伺った。おもったよりもアップダウンが多いこと、70km地点付近の高原がかなり冷えるため寒さ対策・雨対策をしておくのが重要なようだ。

レース開始は早朝4時半なので、2時半には起床して準備して3時半には宿を出た。早朝にもかかわらず、宿からレース会場までオーナーが車で送ってくれるのにはとても助かった。ウルトラマラソンが地元に根付いているのを感じた瞬間だ。

雨の中でスタート!?

スタート前の会場付近
スタート前の会場付近

ちょうど会場にたどり着くと雨が降り出してきた。ある程度覚悟はしていたが、さすがにザーザー降りの中で走り始めるのは嫌だなぁ、と思っていたらだんだん小降りになってきて、しまいには雨はやんだ。これはラッキー!

100kmマラソンの参加者は大会アナウンスによると1000人を越え、60kmを含めた参加者の総数は2200人だそうだ。

そして真っ暗の中のレースのスタート。空を見上げると、雲の中に隠れる朧月夜だった。まるでおとぎ話の中の月のようでとても幻想的だった。

普段は早朝明るくなってから走るのがメインなので、夜明け前や暗い中走るのは苦手だ。ヘッドライトをつけている人もいたが、走りはじめてその必要性がよくわかった。暗くて足元がよく見えないのだ。まだスタート当初なので人も密集しているし、急ぐこともないのでペースを落として走ることにした。

ウルトラマラソンは、フルマラソンと比べてゆっくりのペースで終始走るので、比較的余裕がある。そのため、特に前半はコースの風景の写真を撮りながら走ることにしている。今回も絶景ポイントは立ち止まって写真を撮ろうと思ったが、さすがに夜明けまでは暗くて写真が撮れなかった。

最初のエイドステーションは人が混雑していて水を取るのも一苦労だった。人がバラけるまでは仕方ない。それほど暑くはないが一杯だけ水をもらい、そのまま先へ進む。

最初のエイドは真っ暗
最初のエイドは真っ暗

今回の目標は12時間前後の完走ペースのため、1kmあたりは7分10秒を基準としてペースを刻むことにした。このペースで完走できるかどうかは走ったことがないのでわからない。あくまでも距離だけで高低差を考慮していないペース計画なので、正直やってみないとわからない点が多い。

しばらく走っていると、徐々に夜が明けてきた。月が沈み朝日が昇る。夜明けのランはとても美しい空が見えるのが好きだ(起きれれば)。

夜が明けた後のランの様子
夜が明けた後のランの様子

スタート当初は、京丹後の海岸沿いを走る。コースの標高マップでは、大きな起伏ははないように見えたが、実は細かいアップダウンが繰り返されるコースだった。同室の方に聞いてはいたが、走ってみるとこれはかなり厳しいコースだと感じた。ここ数ヶ月は階段で練習を重ねていたので登りには苦手意識はないが、それがどこまで続けられるのかは正直自分でもわからない。いけるところまで行こう。

久美浜湾の景色を楽しむ

13km付近から、久美浜湾沿いのコースに変わる。これから久美浜湾を一周することになる。久美浜湾は一見すると湖のように見えるが、後で地元の人に聞く所によると汽水湖のような感じの湾だった。湖畔(湾畔?)の山のシルエットが美しく、何度も写真を撮ってしまった。

久美浜湾から望む山
久美浜湾から望む山

エイドに駆動される

ウルトラマラソンはエイドステーション(エイド)が多いのだが、特にこのレースはエイド駆動だと感じた。エイドは前半は3〜5kmの間隔で設定されており、エリートランナー以外は皆エイドに立ち寄り給水、給食をしている。エイドに近づくと「残り1km」の看板があるので、なんとかそこまで頑張ろうという気にさせられる。

今回は「コーラ、スポドリのような砂糖水は飲まない」という制約をつけることにした。理由はどうも砂糖を含む飲食物をとってしまうと、逆にエネルギーが糖分に依存してしまって調子が悪くなる気がするからだ。水ばかり飲んでも浸透圧バランスが崩れるので、梅干しを食べながら塩分もとるようにした。

エイドの風景
エイドの風景

持参した補給食

ウルトラマラソンでは給食が充実しているので補給食を持参する必要はないのだが、念のため以下の補給食を用意しておいた。

上記二つは、山・ラン関係でお世話になっているt-mountainのオーナーに勧められたため。エネルギー補給というよりは、ミネラル補給による足攣り防止と、アミノ酸補給が目的のお守りみたいなものだ。

携帯みそ汁の素は、現在実験しているスポーツ向け味噌活用の一貫として、みそ汁の素を水と一緒に飲むためだ。みそ汁はアミノ酸や塩分を含み自分のロング走の際には大事な補給源となっている。上記はいずれも30km毎に補給するように計画をしておいた。

前回のいわて銀河100kmマラソンで足が攣りだした30kmをなんとか無事に過ぎた。フルマラソンとくらべてゆっくりのペースなので普通に考えたら故障が起きる可能性は低いのだが、前回はテーピングの仕方が悪く早々に足がおかしくなったので、今回はそういったレース向けのサポーティングは一切行っていなかった。

町並みを楽しむ

歴史街道というだけあって、このコースは古い町並みの中を走る機会が多かった。一番印象に残っているのは、源義経の側室であった静御前生誕の地の看板だった。

義経好きの自分にとっては、思わずコースアウトして見に行きたくなる欲求にかられた(行かなかったけど)。

他にもレース中に細川ガラシャの看板も見えたりした。後で調べてみたが、どうも丹後には京丹後七姫伝説というものがあるらしい。これまで挙げた2人以外にも、乙姫、間人皇后、川上摩須郎女、小野小町、羽衣天女、などの由来があるらしい。調べるほど興味深いところだ。

町並みを走る
町並みを走る

ちょうど42.195kmの地点を通り過ぎると、手元の時計のタイムは約4時間50分だった。フルマラソンのペースよりは1時間以上もゆっくりで余裕もまだある。まだまだいけそうだ。エイドに時折出るうどんやパンやバラ寿司も美味しく頂きながら更に進む。

美味しかったうどん(2箇所にあった)
美味しかったうどん(2箇所にあった)
特製パン
特製パン
名物バラ寿司
名物バラ寿司

そして碇高原へ

初めての100kmチャレンジのときには、関門で足切りなどは考えてもおらず、時間も気にしていなかった。今回はちゃんと関門の制限時間を計算して、ペースを計画したこともあり、かなり前倒しのペースで走ることができていた。

歩く人続出の坂道
歩く人続出の坂道

そして、60km付近からこのコース最大の難所である碇峠(碇高原)越えに向かった。碇高原は標高約400メートルで台地上の地形に牧場やキャンプ場などがある。車で遊びに行くにはよさそうだが、走っていくにはいささかきつい道のりだ。

普段から坂道練習をしているので、大きくペースは落ちずに走り続けることができた。といってもそれほど余裕があるわけではない。やはり苦しい。

幸運なことにまだ足は攣り始めていないが、景色の写真を撮る余裕はなくなってきた。苦しい時は、先日の高知演習林でのトレイルランニングレースの時に編み出したやり方でひたすら乗り切った。

そのやり方とは次の通り。

  1. 前方のコース上に目標を決める(木でも標識でも石でもなんでもいい。視界に入る程度で、遠すぎるより近い方がいい。多分50mくらいがちょうどいい)
  2. 目標だけを見つめて、そこ目指してまでひたすら頑張って走る
  3. 1.に戻り、繰り返し。

苦しい時は、目の前のことに集中してやり抜くしかない。変に頭で考えるとやめる言い訳を脳みそは考えてばかりいるし、遠い先のゴールの事を思い描いても到底先に辿り着く気がしない。

結局できることは、ムダに考えるのをやめ、今ここ、目の前のことにのみ集中することと、その積み重ねしかない。

坂を登りきった後の絶景
坂を登りきった後の絶景

コースは登り中にもエイドがあるので、そこまで頑張れば休憩や補給もできる。ランナー達は、エイドに助けられて次のエイドにまで走る力をもらっているのだろうと強く感じた。

最難関を越えた後の難関

霧が立ち込める碇高原手前
霧が立ち込める碇高原手前

「10kmにも及ぶ坂道をすべて走って登りきった」と言いたいところだったが、ちょうど坂を登りきった辺りで、すこしだけ歩いてしまった。「歩いたら、走るよりも楽になるのだろうか?」ということが気になって仕方なかったからだ。

試しに数十メートル歩いてみたが、やっぱりそれほど楽にも思えなかったので再び走り始めた。結局、この数十メートルだけ今回のコース上で歩いたことになる。

71.8kmの碇高原のエイドで預けていた荷物を受取り、汗だくのTシャツを着替えた。実はこの着替えは精神的に非常にリフレッシュできた機会だった。

「Tシャツなんて結局汗で濡れるから着替えても意味ない」と考えていた自分に、着替えのアドバイスをくれた同室のAさんありがとう!!

碇高原で着替えを済ませて記念写真
碇高原で着替えを済ませて記念写真

着替えの間に入れておいたスポーツようかんをかじり、再びコース上へ。後は下り一辺倒なのだが、経験者のアドバイスで「下りは身体が冷える」との情報を仕入れていたので、着替えの中に入れておいた雨天用のゴミ袋をかぶり、走ることにした。

そうこうしているうちに、前回のウルトラで足切りになった73kmを越えた。ここから先の距離は、人生初の未知の領域となる。

土砂降りの中走る

碇高原から下りの最中で雨が遂に降り出してきた。下れば下るほど雨脚は強くなるばかり。雨が降る前にゴミ袋をかぶっていたため助かったが、それにしても雨は降り続ける。道路は、水たまりはおろか、川のようになってしまった。もはやこうなると、水たまりを避けるのも面倒になり、そのまま気にせずじゃぶじゃぶと前に進むことにした。

そんな雨天の中でも、エイドや警備・誘導で雨合羽を着ながらサポートしてくれる皆さんには感謝しかない。

ちょうど山を下りきったところで、腹の調子が悪くなり急遽ガソリンスタンドのトイレに直行させて頂いた。5分くらい時間をとられたが最悪の状況にならずに済んだ。トイレをお貸し頂いたオーナーに感謝!!

最後の10kmはエイドをスキップ

残り10kmになってから、これまですべてのエイドに立ち止まり給水・給食をしていたのをやめ、エイドに立ち寄らずに最後まで走ることにした。ここまで来たらリズムを崩さずに走りきるしかない。10km程度なら補給なしで走れる自信はある。

残りのコースもフラットかと思いきや、やはり小さなアップダウンが繰り返されるため、歩いているランナーも多く見かけた。その中でも歩かずに走り続ける。90kmを過ぎても走り続けられることに幸せを噛み締めながら。

初の100kmの無事完走!そして。。。

そして12時間ぶりにスタート地点のアミティ丹後にようやく戻ってきた。最後のゴールテープまでダッシュで向かい、両手を挙げてのフィニッシュ。タイムは12時間13分43秒。計画よりは若干ペースが落ちたが、アップダウンを考えたらほぼ計画通りのペースといってよいので、個人的には満足している。タイムよりも完走できたことのほうが嬉しい。

ここ最近の参加レースのゴール地点では、腕が痛くて上がらなかったり、とにかく苦しかったり、足が痛かったり、なかなか会心の笑顔を作ることができなかった。今回はちゃんと笑顔でゴールすることができた。レースに出て笑顔でゴールできることは本当に大事だと思う。

完走メダルをもらい、荷物を受取り、着替えを終え、ついでにストレッチも済ませて、完走証をもらってから、給食サービスに向かったが、一時期はあがっていた雨がまた降り出してきて、雨の中のレース後の食事となった。

完走証と完走メダル
完走証と完走メダル

その後は臨時バスが出ていた浅茂川温泉 静の宿へ移動して、じっくりとレースの汗を流し、身体をほぐして、湯上がりに食事をしてゆっくりした後に宿に戻った。(ウルトラマラソン参加者に配られていた無料券を忘れてしまったので自腹で温泉に入ったけど。。。)

宿方面に向かう臨時バスがなくなっていたので、温泉のバスの運転手さんにわざわざ宿まで送っていただいた。移動手段がなくて途方に暮れていたので本当に助かりました!

続々と帰路に着くランナーたち

宿に到着すると、続々とランナー達が帰路についていた。ウルトラマラソンを走った後で車の運転ができるのはタフだなぁと思うが、それぞれ事情があるのだろう。

もちろん、帰らず宿泊するランナー達もいて、汗だくのウェアを洗濯しながら、それぞれの激走をお互いにねぎらった。話した人たちは皆完走できたようで何よりだった。

自分は素泊まりで予約していたのだが、急遽翌朝の朝食をお願いしておいた。前日5人で寝ていた部屋は、間仕切りされ1人だけの部屋に変貌していた。なんとなく寂しさを感じながらレースで疲れた身体を横たえ、マッサージをして、その日は眠りについた。

激走のあかし

翌日、皆よりも少し早めに食堂に入り朝食を頂いた。普段は朝食は食べないのだが、レース後は身体が回復するまでは、食欲がある限りは色々食べようと思っていた。

後から続々とランナーらしき宿泊者が食堂に現れた。昨日のレースに出たランナーかどうかは、歩き方で一目瞭然だ。ランナー達は、みな足を引きずりながら現れる。少しの段もゆっくり登る。若い人も、お年を召された人も、皆平等に、足を引きずりながら現れる。

宿のおばちゃんも、毎年ランナーを迎えているらしく、ランナー達はおばちゃんとの会話を楽しんでいた。自分が駅まで歩いていこうとした時に、「車で帰る人いるから駅まで送ってもらい」と言ってくれたのもおばちゃんだった。

宿の名はパンプキンかぼちゃ。来年、京丹後に走りに来るときには、またおばちゃんに会いに行きます。

駅まで送ってくれた方は、ご夫婦で大阪から毎年ウルトラに参加しに来ている(走るのは旦那さん)そうだ。他にもウルトラマラソンをいくつも走っているそうで、ウルトラマラソンが好きな人は、本当にいろいろなレースを走っているのだなと実感した。

その方におすすめされたのは夜叉ヶ池の伝説マラニック。レースではないので順位はでないが、合計135kmになる龍伝説のある夜叉ヶ池までを往復するイベントだそう。龍神に会いに是非行ってみたい。

帰りは、台風の影響で電車が止まっていたりいろいろあったが、なんとか新大阪経由で当日中に松山に帰ってくることができた。

皆に走らせてもらった100km

私設エイドのヒーローたちと記念写真。この後ナシを頂いた。
私設エイドのヒーローたちと記念写真。この後ナシを頂いた。

これまでフルマラソンや、ハーフマラソンを何度も走ってきたが、今回のウルトラマラソンは、それらのレース以上に皆に走らせてもらったという気持ちでいっぱいだった。

レース運営の方々、ボランティアの皆さん、施設エイドの人々、応援してくれる地元の人びと、宿の人たち、宿でアドバイスをくれたランナー仲間、送迎バスの運転手の皆さん、レースに関わったすべての人達。

厳しいコースであればあるほど、サポートしてくれる人の有り難さを実感する。「自分の力で走っている」なんてエゴなど吹き飛んでしまう。

自分がレースを走っているのではない、レースを作り上げてくれた人たちに走らせてもらっているんだ。

100kmマラソンを走って考えたグリット

今年の目標の1つとして掲げた100km完走をなんとか達成することができた。

人によっては100kmという数字は途方もないようにみえるだろう。自分も5年ほど前に友人に100kmを走る話を聞いたときには、当時は100kmはおろか、フルマラソンや10kmすら走るイメージが湧いておらず、まったくピンと来なかった。

そんな自分でも、少しづつ続けていく中で、100kmという数字がどんどん具体的・実現的になっていくプロセスを体験してきた。

仕事も、勉強も、スポーツも、すべてにおいて、結局少しづつ積み重ねていくプロセスが一番大事で、その先に成果がある。これを突き詰めると「グリット」つまり、最近有名になってきた「やり抜く力」に行き着くのだろう。

100kmを走りながら、この数年、自分の周囲の人達がグリットによって様々な分野で活躍しているのに比べ、道に迷い・回り道をしている自分が成果を出せていない理由を思い、かみしめていた。

選択と集中」に加えて「グリット」によりやり抜くことこそが、望ましい結果を生み出すのに不可欠だと痛感する。

今年のもう一つの目標は、70km超のトレイルランニングレースを完走すること。累積標高は3000メートルをゆうに越えるが、今年中に2回チャンスがあるので、機会を生かしてなんとか完走したいところだ。来年は、今年完走できなかったいわて銀河100kmに再チャレンジして、無事100kmを完走したり、トレイルの100km超のレースを完走したい。

最後に、完走する前に考えていた

「自分が100kmを完走できたら、どんな世界が見えてくるのだろう?」

に対する答えは…

あまり変わらない。ただ、自分の成長を実感し、更に先へといけそう、向かいたい、という思いが新たに生まれてきた。まだまだ伸びしろはあると信じて先へと進もう。

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Takeshi Kakeda
kkd’s-remarks

I’m Thinker, Doer, Maker, iki-iki Generator and Runner in Ehime, Japan. My blog is https://tkskkd.com/