セーフティーゾーンを突き破る勇気を持つ〜第23回四万十ウルトラマラソン100km体験記

Takeshi Kakeda
kkd’s-remarks
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11 min readOct 20, 2017

一日中雨に打たれての100kmウルトラマラソンで、自分も含めて様々な人のドラマを見た・聞いた・体験した・共有した話

四万十ウルトラマラソンスタート

今回のレースで学んだこと

人が全能感を得られるのは、自分の思い通りに事が進んだ時だ。しかし、その枠の範囲、つまりセーフティーゾーンに収まっているままでは、本当の自分の枠を越えることは出来ない

自分の枠を越えるには「自分の思い通りに進むだろう」という予測を越えた領域へ飛び込むことだ。「行けるかも、でもダメかもしれない」このゾーンに飛び込むことで新たな世界が開ける。そこで失敗しても、その失敗から学んで次に再度挑めばいい。

5度目の100km挑戦

2017年10月15日に行われた、第23回 四万十ウルトラマラソンの100kmの部(以下四万十ウルトラ)に参加してきた。四万十ウルトラは2年前に60kmに参加して以来二度目。初のウルトラマラソンは、雄大な自然を満喫しながらあっさり完走でき、次の100kmの挑戦にはずみがついたことを思い出す。

これまで100kmマラソンは4回チャレンジした。初回のいわて銀河100kmチャレンジはあえなく70km地点で回収され、その後、京丹後、奥出雲ウルトラおろち、リベンジのいわて銀河と3回連続して完走はできたが、タイムは最初に完走した京丹後の記録を越えられずにいた。

練習不足で本番を迎える

9月の頭に50kmのトレランレースに参加した以降は、ロング走の練習ができていなかった。残り一週間を切ったところで、ようやく30km走をするという体たらくだ。最初のウルトラマラソン挑戦のときにはちゃんと60km走の練習をしたのに比べると全然距離が踏めていない。トレランのために登りは常に意識した練習はしているので、そこが多少の救いではあったのだが。。。

目標の度重なる変更

当初、今回の四万十ウルトラでは12時間切りを目標にしていた。しかし今年知り合ったラン友さんの昨年のタイムを聞いて、目標タイムを更に11時間30分切りにハードルを挙げて前夜祭に向かうことにした。

大勢の参加者が集まった前夜祭

そして、そこで会った別のラン友さんの目標タイムを聞いて驚愕した。なんとその方の目標はSub9.5(9時間30分以内)。その方が速いのは知ってはいるが、2時間も早い目標タイムだとは!!

また、宿で同室だった大阪から来たランナーのHさんは、初のウルトラ100kmのチャレンジで目標タイムはSub10だそうだ。高い目標に驚かされる。

自分のこれまでの100kmのベストは12時間13分弱。もちろん苦しみを乗り越えての完走で大変な達成感はあったのだが、この目標設定では実は低すぎるのではないだろうか?と思えてきた。

最初は目標設定がしづらい100kmマラソン

初めてのウルトラマラソンの挑戦の時には、どんなペースで走っていいかわからなかった。そこで、フルマラソンのタイムを参考にして「このくらいでいけるかな?」という目安を自分なりにもつ事が多いのだが、ウルトラマラソンは、フルマラソンに比べて時間が長く「これくらい」の幅がずっと広い。

例えば、フルマラソンを4時間で完走できる人(Sub4)が、100kmを完走しようとした場合、フルマラソンのペースでは単純計算だと100kmは9:30’くらいで完走できることになる。

しかし、そうはうまくいかないのは、Sub10(10時間以内)がタイムの区切りとなっていることから、そう簡単でないことはなんとなくわかる。そこで「完走」を目標にして、完走の制限時間である14時間を最大値とすると、9:30’〜14:00’の4時間30分の範囲のどこかに目標タイムを設定することになる。この時間幅はフルマラソンの目標タイムの幅に比べるとずっと広いため、どこに目標を置くべきかの判断が難しい。

目標のハードルは、あまりに高すぎても失敗の理由が掴みづらく、逆に低すぎてもより高みに行くためのきっかけを掴みにくい。何度も失敗を繰り返せる時間や金銭的余裕があれば別なのだが、やはり来たからにはまずは完走してメダルや完走証を貰いたい。しかし挑戦もなく記録が停滞するのも面白くない。この両者の間で、どこに目標を設定しようかを迷うことになるのだ。

当日まで判断保留

結局、当日の朝まで目標タイムは保留して、最終的には予定よりも30分以上も早い10時間50分(6’30”/km)を目標タイムとしてみた。3時に起床して、同室の皆と記念撮影をしてスタート会場に向かう。

同室の仲間たちと出発前の記念写真

手の平に20km毎のラップを書き込み、スタート会場の蕨岡中学校に移動する。まだ真っ暗の中、ぬかるみのグラウンドで荷物を預け、開会式後の5:30に小雨の中スタートした。

スタート直前の様子

序盤はいきなり堂ヶ森の峠、標高約600mを目指してひたすら登る。四万十ウルトラのコースは、いきなり大きな山が来るのが特徴だ。ペースを守って着実に進むことにする。

いきなり登りが始まるコース

タイム以外の今回の裏目標はエイド以外は歩かずに完走だ。初のウルトラだった丹後ウルトラでは、数十メートルだけ思わず歩いてしまった。それ以降2回のウルトラは、歩きと走りの交互を繰り返せざるを得なかった苦い思い出がある。そのため今回は、坂でも決して歩かずに走ることだけは守ろうと誓った。

峠は約20km地点で想像よりも長かったが、ようやく峠を越え、後はひたすら下る。5’30”/kmを目安にペースを上げて進んだのだが、一気に下れると思いきや、案外ダラダラとした下りが続いた。

40kmを過ぎてようやく下りが終わった。フルマラソンの距離の時点で大体4:20くらい、予定ではここからペースを6’30”/kmに戻す予定だったが、恐れていた脚の痛みもなく疲労感もなかったので、失速覚悟で行けるところまで行こうと方針を変えた。

雨の中ひたすら走る図

途中、広島からきたランナーHさんに声を掛けられた。彼も自分と同じように12時間台で100kmを完走したのだが、本を読むとどうも10時間台で完走するのが妥当という表現を見て、今回はSub10.5を目指しているのだとか。自分も同じようなレベルなので、互いの健闘を称え合い別れた。沈下橋を過ぎ、写真を撮ってもらい、レストステーションに向かう。

カメラマンの前でだけ笑顔を作る

55km付近から傾斜が急な丘越えも歩かずに越えた。しばらくすると、レストステーションであるカヌー館が見えてきた。2年前の60kmの時にもここでお世話になったのを思い出す。ドロップバッグには着替えを入れていたが、結局着替えはせずに、タオルで顔を拭くだけで先に向かった。

レストステーションでは休まなかった

コースの行程図では、この登りを越えると平坦な下り基調が続くように見えるが、実は細かいアップダウンがひたすら続く。雨のため景色も楽しめず、ひたすら川沿いを走り続ける。

70km付近の沈下橋にて

70km付近までは、走りに余裕があったのだが、だんだん余裕がなくなってきた。90km付近で、小用を足すためにトイレに駆け込んだが、どうもお腹が張っているので大も済ませてきた。ここで数分のロスだが仕方ない。再び走り出して前に進む。

残り10kmを越えたので、以降のエイドには立ち寄らずにノンストップでゴールに向かった。ペースがどんどん落ちてきたので、意識は尻&太ももに向けつつ、ストライドを広げてペースを上げる。

最後の坂を登りきって、後は一気に下ってゴールまでひたすら走る。ゴール横の時計を見ると10:45’55”だった。なんとか10:45台にゴールすべく最後はダッシュでゴール!

残念ながら、正式タイムは10:46’00”(一秒足りない!!)だが、BPを1時間30分近く、当初の目標タイムよりも45分も上回れたのは正直嬉しかった。そして、当初の目標どおり、文字通りの完走も達成できた。

完走証と完走メダル

ゴール後は、ぬかるみのグラウンドの中、ボランティアの学生がなんと裸足で駆け回りながら、疲れたランナーにメダルを渡し、タグを取り外し、靴紐を緩めてくれた。さすが23回の歴史&東のサロマ、西の四万十と言われるだけのことがある。今回もボランティアに皆さんに本当にお世話になった。感謝しかない。

ふりかえり

冒頭にも書いたとおり、セーフティーゾーンを越える勇気を持って飛び込んだことで、結果が出せたのはよい経験だった。次の100kmウルトラ(来年の奥出雲ウルトラおろち)の目標は、明確にSub 10.5と設定できることになった。

今回は、練習量、特に距離や時間が足りておらず自信がなかったが、登り中心の練習をすることで、地脚が付いてきたのかなという自信は少し持てた。とは言え、今回のように40km超のロング走をやっていないのはよくない。驕らず充分な練習を積むことにしたい。

今回発見した走法(意識を大殿筋&ハムストリングスに向け続ける)は、登り坂を始め効果があったと感じた。練習や他のレースでも試して、更なる検証を行いたい。

知り合いが増える楽しみ、そして家族への感謝

自分が2年前に四万十ウルトラ60kmに挑戦した頃よりも、四国のランナーの知り合いも増えたし、県内、県外の新しい出会いも生まれた。レース遠征は一人でいくのは気楽でもあるが、寂しいこともある。こうやって少しづつ新しい出会いと、自分への挑戦を重ねていけるのはとても幸せなことだ。

自己ベストを更新できたことはもちろん嬉しいが、一日中雨であっても、100kmマラソンという非日常の経験を大勢の人と共にすることができた、というのが一番の財産かもしれない。

今回も様々な人と出会ったが、無事に完走出来た人もいれば、様々な理由で完走できなかった人もいた。ある人は吐き気が襲ってきたり、脚が動かなくなったりして途中でリタイアせざるを得なくなった。ある人は時間ギリギリでなんとか初の完走を成し遂げた。ある人は明るいうちに颯爽と自己ベストを更新した…など。

ウルトラマラソンは、レース中に人それぞれのドラマがある。ウルトラマラソンは単に100km走るだけでなく、自分が主役のドラマを演じることなのだ。そのドラマは、ハッピーエンドもバッドエンドもある。そしてドラマの続編を作りにまた翌年ウルトラに戻ってくる。ウルトラマラソンに参加するということは、自分が主役を演じると同時に、他の人とドラマを共有することなのだ、と言うことを実感した。

そして何より、送り出してくれた家族あってこそのレースへの参加ということを忘れてはいけない。今回は、急遽次男の絵のコンクールの表彰式と重なってしまったり、10/15は結婚記念日でした。こんな日に走ってて本当にごめんなさい、そしてありがとう(お土産を買っていったことは言うまでもない)

次のチャレンジに向けて

次は10月末の奥四万十ウルトラトレイル70km、そして11月には今年最大の挑戦であるFunTrails100K Round 秩父&奥武蔵、12月にはIzu Trail Journeyと、70km超のロングトレイルレースが毎月控えている。研鑽を積み、なんとかすべて完走して、再来年のUTMFやUTMBの参加資格を手に入れ、来年は100マイルに初挑戦したい。

その勢いで、来年の愛媛マラソンはSub3.5できる…といいなぁ。

まだまだアラフィフの挑戦は続く…。

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Takeshi Kakeda
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I’m Thinker, Doer, Maker, iki-iki Generator and Runner in Ehime, Japan. My blog is https://tkskkd.com/