合計150kmの四国のみちを高知の宿毛から内子まで走ってみよう!(実施編)
南予の四国のみちを制覇したい!と思い泊りがけで走った記録と記憶
今回は、中々行く機会のなかった南予の四国のみちを、泊りがけて一気に走ってしまおうという計画をたてて、実際に走ってみた記録を記している。(計画編は以下のリンク参照)
書きたいことはとっても沢山あるのだが、ものすごく長文になってしまうので概要のみにした。詳細が気になる方は、コチラを参照してほしい。
1日目 宿毛〜南レク〜宇和島
スタート地点は、高知県の宿毛市。前泊して朝7:00過ぎにスタートした。四国のみちはへんろ道と被るので、よく峠越えをする。初日のルートでは、松尾峠(高知/愛媛の県境)、柏坂、松尾峠(宇和島)の3つの峠を越えることになった。
看板に励まされた松尾峠
へんろ道は、どんなに険しい山の中でも、人の匂いがするので、不安にかられる事はない。ちょっとした看板でも、大自然の中にいるときには、どんなに心強いか、というのを山に入るといつも感じている。
まず宿毛から始まる松尾峠を越えて愛媛県に入り、御荘町の僧都川や海岸沿いを走りながら、観自在寺に立ち寄り、南レク御荘公園でまずは1番のみちはゴール。次のスタート地点である柏崎へ向かうために、海沿いの国道をしばらく進み、国道から山側にそれて次の峠の柏坂へ向かった。
険しい登りの後の絶景ご褒美、柏坂
柏坂は思ったよりもきつく一気に400m以上を登った。登った人へのご褒美かのように上から望む由良半島は美しかった。峠道には様々な伝承の説明看板があり、目を楽しませてくれた。柏坂を抜けて国道56号に合流したところで、2番のルートはここで終了。ここからは、四国のみちはないので、宇和島までへんろ道を進んだ。
古道の雰囲気ばっちり、宇和島松尾峠
津島を進み、途中お遍路さんとの会話を楽しみながら、最後の峠である宇和島松尾峠へ向かった。計画上は旧国道を進もうと思っていたが、へんろ道がみつかったので、トンネルを使わずに峠を越えて宇和島へと向かった。峠道は昔の様相を残していて雰囲気があってとてもよかった。休憩所には車のシートも置いてあり、峠越えの休憩に使われているのだろうか。
峠を越えたら、ひたすら宇和島を目指した。結局夜になってしまい宇和島城は拝めなかったが、初日の65kmは無事完走できた。
夜は「ほずみ亭」で鯛めし御膳を頂いたが、その量は予想以上で食べ過ぎてしまった。
この日の移動は、以下の通り。
- 継続時間:10:31:52
- 距離: 65.30 km
- 累積標高: 1280 m
2日目 宇和島〜歯長峠〜法華津峠〜上宇和
2日目は、今回のラン旅のハイライト。なぜかというと、中間地点の歯長峠・法華津峠付近は豪雨災害で被害の大きかったエリアであり、未だ復旧されていない崩落現場がいくつもあると事前に情報を得ていたからだ。
車では通れなくても徒歩では通れると仮説を立てて向かってはみたが、実際行ってみないとわからない。また、歯長峠〜法華津峠〜野福峠は四国のみち「法華津峠展望回廊」として指定はされているが、へんろ道から外れているため、普段どのくらい人が通っているのか、実際にみちがどんな状況になっているのかが予測がつかなかった。
日本の田園風景がここに!三間
宿泊した宇和島から、まずは三間方面に向かう。立派な和霊神社(始めてみた!)の横を通り過ぎ、ゆるやかな上り道を進んでいくと、務田(むでん)に到着した。そこから三間の田園エリアを通過して、龍光寺、三間の水問題で話題になっていた中山池、仏木寺に立ち寄った。
仏木寺の立派な山門を通り中に入り、お接待をしていた地元の方にお話を伺った。やはり三間の水問題は大変だったようで、中山池の水は飲めずに、そのためにおしばらく接待も休んでいたとか。「他も大変だから、我慢しなくちゃね」というセリフに、このあたりの人々の気風を垣間見た気がする。早く水問題が解決することを願うばかりだ。
四国のみちを遮る崩落の数々
仏木寺への道の途中にがけ崩れがあり通常のへんろ道は迂回するようになっていた。自分はそのまま進んだが、確かに崩落はひどく、三間は人的被害はなくても大変だったことが忍ばれる。
歯長峠に向かう途中でも一部へんろ道が崩落によりなくなっていた。横から迂回は可能だったが、きっとへんろ道も変えざるを得ないだろうという規模であり、人が抗えない自然の力をまざまざと見せつけられた。
峠から峠へ、歯長峠〜法華津峠〜野福峠
歯長峠からへんろ道を外れて西に向かい、高森山経由で法華津峠を目指した。途中で3箇所ほど崩落によって道が塞がれていた。当然車は通れないし、徒歩でもかなり通過に苦労する箇所もあった。このあたりは迂回路はあり、交通の要所でもないため、舗装路も遊歩道もしばらく復旧はされないのだろう。
ちょうど法華津峠、高森山の南側の裾野には、豪雨災害で被害が大きかった吉田町が位置する。峠の状況を見るに「みかん山だから崩落が多かった」というよりも、この辺りの雨量が想像以上だったための崩落なのだろうと感じた。
高森山、そして法華津峠展望台からの法花津湾の眺めは噂に違わぬ絶景だった。今ではなかなか訪れる人も少なそうなエリアではあるが、ハイキングでもランニングでも是非訪れてほしい場所だと感じた。
法華津峠から野福峠に抜け、四国のみちの4番の終点に到着した。ここから来た道をすぐさま戻り、歯長峠に戻ってきた。
最大の崩落現場へ
ここから歯長トンネルを抜けて、再びへんろ道をゆくことになったのだが、この日最大の崩落現場が、歯長トンネルを越えたへんろ道のすぐ横だった。無数の木々がマッチ棒のようになぎ倒され、斜面がえぐられ、へんろ道を倒木が塞いでいた。ひと目みて「行けないかもしれない」と感じた。
倒木の間を抜けて、なんとか前に進めることができたが、荷物の多いお遍路さんでは越えるのは更に一苦労かもしれない。舗装路で迂回できるようなのでそちらを進めば先には行けるはず。お遍路では、あえて通る必要はないのかもしれない。(今回は四国のみちを通るので突き進んだが)
夜の卯之町〜上宇和へ
なんとか崩落を抜けて、あとはひたすら上宇和へと足を進めた。このあたりから左足裏がひどく痛みだし、走るスペースがガクッと落ちてしまった(9分/km)辺りはどんどん暗くなり、ヘッドライトを点灯して先に進んだ。おかげで卯之町の美しい街並み、開明学校、明石寺の写真はまともに撮れず残念。最後は、明石寺を下るへんろ道を、ライトで照らしながら下った。空を見上げると月が輝いていた。江戸時代のお遍路さんも同じようにこの美しい月を見ていたのだろうか?
なんとか、四国のみち5番のゴールである上宇和駅に到着し、そこから宿泊先の宇和パークまで移動した。足も多少痛むが、それよりも肩こりが酷い。日常的に荷物を背負って走るトレーニングをしていないせいだ。実際のウルトラトレイルレースでは、同様に荷物を背負って2日以上走るのでここが課題になるだろう。
この日の移動は、次の通りだった。
- 継続時間: 11:45:12
- 距離: 55.04 km
- 累積標高: 1547 m
3日目 上宇和〜鳥坂峠〜伊予大洲
宿毛から上宇和に送っていた荷物をばらし必要なものを取り出し、不要なものを再び荷造りして、自宅に送った。
痛む足で鳥坂峠を越える
準備に手間取って出発が遅れたが、今日の行程は上宇和から鳥坂峠を越えたら一気に大洲に降りてゆき、あとは平坦な道を進むだけなので短時間でゴールできると踏んでいた。
いざ出発してみると、走るたびに左足の母子球の下部が痛み、思うように走れない。どうも昨日よりも痛みが増しているようだ。ゆっくりと、まずは上宇和駅まで移動して、あらためて鳥坂峠を目指して走り始めた。
上宇和は三間ほどではないが、山に囲まれるのどかな田園風景だった。少し肌寒いのは標高が200mくらいあるせいだろうか?
足がどうにも痛いので、途中テーピングもしてみたがあまり変わらない。国道56号に出たり脇道に反れたりしながら、鳥坂峠の手前の休憩地に到着した。番所跡の建物がしっかり残っているのには驚いた。
鳥坂峠はそれほど厳しい上りではないが、足が痛むのでつま先をうまく使って小走りで登っていった。峠を越えた後は長い下りが続く。いつもならハイペースで駆け下りる所だが、痛くてそれができない。ゆっくりと慎重に小走りで降りていくが、途中で滑り、今回の行程で最初で最後コケてしまった。。。
峠道を降りきると、国道56号へ合流して更に下っていく。しかし、四国のみちの道標は斜面を降りて国道56号に出るルートを示していたが、へんろ道の道標は逆の舗装路を進むように示していた。今回の目的では「四国のみち」をゆくことを重視し斜面を選択して前に進むが、道がなくなっていてわからず、ただ斜面を下っていくだけだったが、なんとか国道に降りることができた。
峠を下って大洲へ
国道に出た後は、車がビュンビュン通り過ぎる横を、ひたすら駆け下りていきたい所だが、足の痛みで少しづつしか進めることができない。国道56号を降りきると、見慣れた北只のお城(型のホテル)が見えてきた。ここまでくれば、上宇和から始まった四国のみちの愛媛環6番のみちもおしまい。これまで二度来たことのある四国のみちの道標の前に行って記念写真を撮った。
この三日間で、南予の四国のみちのうち、1〜6番までは完走できた。残りは7番、8番だが、この2つのみちは、既に二度ほど走ったことがあり、この北只までのルートが完走できれば今回の目的はほぼ達成できていることになる。
ここまで、出発時間が1時間半遅れ、更に足の痛みでペースが落ちたため、予定時間を約3時間過ぎていた。この先を続行するか迷っていたが、そうはいっても帰るためには公共交通機関のある場所に行かないといけない。ひとまず伊予大洲駅近くまで走って、その後どうするかを決めることにした。
豪雨の爪痕と復興〜人のいない住宅地と賑わう河川敷
途中、住宅地を抜ける際に、すべての建物の中が空っぽなのに気がついた。もちろん人もいない。一人、作業をしている方に声をかけてみると、この辺りは豪雨の際に、どこの家も一階まで浸水したそうだ。アパートの一階の住人は逃げ場がなく、天井に穴を開けて天井裏に逃げ込んだとか。一見普通に見える住宅地がそのような災難が降り掛かっていたとは見ただけでは想像もつかない。
肱川沿いに出て、しばらく走るが、天気もよいので、河川敷でピクニックを楽しむ家族、公園で遊ぶ子どもたちを多く見かけた。水害で大変だった大洲にも笑顔が戻っているようだ。
一度伊予大洲駅に立ち寄り、トイレ休憩をとった。この時点で左足の痛みがとれておらず、予定よりも3時間遅れていた。このままゴールの内子に向かうと、内子駅到着が18:00を過ぎてしまい、自宅への帰りが遅くなってしまう。少し考えて、今回はしばらく肱川沿いを走ってから、伊予大洲駅に戻って行程を終了することに決めた。
この日の移動は次の通り。
- 継続時間: 05:27:18
- 距離: 26.55 km
- 累積標高: 320 m
南予四国のみちを走ってみて
この三日間で走った距離は146kmで、予定よりは10kmほど短かった。
- 距離: 146.89 km
- 継続時間: 27:44:22
- 累積標高: 3147 m
道に迷ったり、計画のルートから変わったり、途中でやめてしまったため、プラスマイナスで予定よりも10kmほど短くなってしまったらしい。
実際に走ってみてわかったのは、以下の通りだ。今後のトレーニングの参考にしたい。
- 宿泊しながらのランは足の疲労は思ったより少ない
- ただし足の末端が痛む可能性はある
- 肩の疲労が予想以上にひどかった
- 補給食にチーズはいいかも!?
また今回走った道は、大部分がへんろ道と重複し、昔からの峠道をいくつも通過してきた。
峠道はレジャーで通るためではなく、昔から交通路として使われてきた道だ。山中のトレイルを走るのとは違い、昔から何千何万という人々が拠点間の移動、そして遍路のため通ってきたことを想像しながら通るのは別の楽しさがあった。へんろ道は道標が多数あり、迷うことが殆ど無いのも魅力だ。
宿毛市、愛南町、宇和島市、西予市、大洲市(旧町名だともっと多い!)の違う地域・文化の市町の風景も非常に印象に残っている。昔ながらの峠道、峠からリアス式海岸の景色、田園地帯、遍路の寺社仏閣、古い町並み、などなど。
このエリアは車で通ったことはあるが、それだと単に通り過ぎてしまうだけだ。人の足で移動することで、立ち止まり、じっくり周囲を見渡すことができるのだ。走って移動することの魅力の一つはそこだと思う。
また、多くの崩落現場を目の当たりにして、宇和島市、西予市、大洲市の西日本豪雨のダメージが深刻なのも肌で感じた。今回目の当たりにした崩落場所の殆どは、生活とは関係ない場所だ。果たして復元されるのだろうか?それともこのまま新たな地形として受け入れられていくのだろうか?そんな事を考えながら前に進み続けた。これも実際に訪れたことで初めてわかったことだ。
幸いなことに13府県ふっこう周遊割が来年の1/31まで延長したので、これを使ってまた泊りがけのランを計画してみたい。次は大洲から内子、そして久万経由で松山に抜けるルートなどもよさそうだ。また吉田〜野村〜大洲をつないだ被災地を巡るルートも考えている。
そしていつか、通しで走り遍路をやってみたいなぁ〜。
後日談
このランレポートを書いている途中で、本屋で『古地図で楽しむ伊予』という本を入手した。
この本の四章が「伊予の遍路道を歩く」という内容で、まさに今回走った道や地域のことが書いてあり非常に面白かった。その中にこんな一文があった。
『四国辺路道指南(へんろみちしるべ)』によると、40番観自在寺(愛南町)から41番龍光寺(宇和島市)に向かう宇和島藩領の遍路路には、3つのルートがあったことが記されている。
「一すぢ なだ道 のり十三里。
一すぢ 中道大かんだう越 のり十三里。
一すぢ さゝ山越 のり十四里半。
三すぢとも二岩ぶち満願寺二至ル」とある。
自分が通った、柏坂を越える海岸沿いのルートは「灘道」といい、最も低い峠(それでも462mあるが)を越えるルートで多くの遍路に利用されていたそうだ。
一方、「中道」は588mの大岩道を越える最短ルートであるが、宇和島藩の遍路統制により江戸時代途中から通行を禁止されてしまい人が通らなくなり、3つ目の篠山(1065m)を越える「篠山道」は最も険しく、更には観自在寺から一度戻って篠山を越えるルートだ。なぜそこまでして篠山を通るかと言うと、番外札所である篠山権現に立ち寄る遍路が多かったためらしい。
「古地図で楽しむ伊予」には篠山道のルートの詳細な説明もあったので、篠山道ルートを計画してチャレンジしてみたいと思う。1000mを越える山越えはトレーニングにはもってこい。歴史学び、自然を楽しみながら、走れたらきっと楽しいに違いない。