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これは、概ね「良い話」として解釈され、24000件以上のリツイート、2万件以上のいいねがついた投稿です。
子ども食堂に携わる大人が、これを読んで「ちょっと待て」と思えるか思えないか。そこがとても重要なのではないかと思っています。

私はもともと、子ども食堂に懐疑的な立場から、子ども食堂に関わっています。
理由は一つ。子どもの私だったら"あんなところ"行けるわけない、と感じていたであろうからです。
ニコニコとした恵まれた大人に「寂しい子、貧しい子、可哀想な子」というレッテルを貼られ、その視線に耐えながら愛情のこもった飯をかっこまなければならない。
私は彼らの期待に沿うよう、可愛げのある子供を演じていたでしょう。
居場所を作ってあげる?子ども一人一人と向き合う?ほんまやめて。
理想の居場所なんて簡単だよ、あんたたちみたいな大人がいない場所だよ!とまあこんな感じです。

本心からでない感謝の強制によって卑屈になっていく気持ちや、「大人のために演じる」ことを知らない方には到底理解できない話でしょうし、「そんな子供はいない!」でいいんじゃないですかね。真摯に子ども食堂に取り組んでいる方ならば、ぶんぶん首を振って頷いていると思いますけど。

メンバーの1人のマコちゃんも「私も、基本的に家族連れが集うような雰囲気の場所は吐き気がするくらい嫌悪感でしたから、あったかい団欒系には近寄らないな。いっそ、事務的に食べ物渡してくれて、ただやってる側だけで盛り上がってくれて、自分には目もくれないくらいが居やすい。」と言ってくれて、私は、幼かった自分やマコちゃんがストレスなく食べるにはということだけを第一に考えました。

子ども食堂をつくろう!となった時に、場所を構えるにはハードルが高すぎたというのもあったんですけど、「貧困が、孤食が」というイメージの払拭と、大人のそういったまなざしが分散されるにぎやかな"祭り"として、誰からも愛される人気店「とよとみ珈琲」で子ども食堂を開催させてもらうことにしたのは、このように独特のペルソナ設定(いわゆる架空のターゲットユーザー)をしたからでした。

私たち5人のメンバーは、とにかく話し合いました。1人のメンバーが「2階をキッズスペースにしてお絵かきをしたり絵本のよみきかせをしたらどうだろう」と提案をしてくれました。それはとっても素敵な申し出でしたが、「そのかわいい雰囲気はある種の子どもを排除してしまう」「皆さんには素直なちびっこがペルソナとして設定されていると思うけど、私は誰もが抵抗なく食べられる場所、効率的で個性のない空間を求めている」「ほんわかって誰しも受け入れられる空間じゃない。排除されてる気分になる人が出てきそう」と反対します。

「子どもたちにとよとみ珈琲マスターの似顔絵を描いてもらったら?」にいたっては、ここでやっと上記のツイートと繋がるんですが、児童養護施設にいた方の「お礼の手紙」を日常的に書かされた負担や、本心からのありがとうではない強制的な感謝で心が卑屈になっていく経験、を引き合いにだし、「オーバーかもしれないけれど強制労働に準ずる行為になる。任意だとしても、その空気が苦手な子どもがいる」
「似顔絵を描かせたら、感謝の手紙を書かせたら、我々が喜ぶだろう、ほっこりするだろう、という安易な気持ちの裏に、ほほえましいで片づける裏に、子どもの負担が隠れている。そのような概念を持ち込ませたくないし、是とする空気を作りたくない。」
とまで言って反対しました。お祭りの企画、という楽しい準備の裏で、そうやって慎重に、大袈裟なくらいのデリカシーをもって臨みました。

「とよとみ珈琲」さんでの第一回子ども食堂は大成功に終わりました。
「祭りのようにして、誰もが気兼ねなく食べられるようにしたい。来てもらうことが協力になるんです。」
開催までそう伝え続けました。行列は絶えず、老若男女問わず人が来て、ごったがえす店内だけでなく、近所のお客さんが外にレジャーシートとテーブルの設置までしてくれて、300人近くのお客さんが食事をし、ハートマネー箱にたくさんの寄付をいただきました。

もちろん私たちは、「お客さんを見ない」「ジャッジしない」という気持ちを共有してはいたのだけれど、本当に忙しくてそれどころではなかったし、「子ども食堂」の中に含まれているネガティブイメージを一切感じることなく、ただの「祭り」として単純に楽しむことができました。

その後も勉強会を開催し、子ども食堂を開きたいという団体や飲食店の方の背中を押す活動をしていましたが、縁あって東新町子ども食堂を運営していくこととなり、そして9月をもって閉店をむかえました。"あんなところ"とまで思っていた子ども食堂でしたが、たくさんの気づきや喜び、幸せや楽しみがあった有益な時間でした。

「 大人の陥りがちな無邪気さをできるだけ排除し、子供たちの目線を汲んでいきたいです。」
半年前に私はそう言ったけれど、今もその気持ちは強く持っているし、他のメンバーだって同じです。

とある団体の方から、東新町子ども食堂の閉店に関して、ご自身の投稿を読んでほしいという連絡がありました。この方の投稿だけでなく、コメント欄でも

「子どもが見えない」「子どもが不在」「スタイルを真似しようとして居場所を作れなかった」「あまい認識でスタートした」「ズレっぷりは残念」

といった批判が並び、大量にシェアされています。私たちの活動を見てもいないのに、一方的な決めつけの"大人の陥りがちな無邪気さ"に溢れた大変不快なものでした。

メンバーの森さんが4000字近くに及ぶ返信をしました。きっと、上記のコメントをした人たちよりも何倍もずっと必死に、貧困とは、コミュニティとは、居場所とは、を考え続けて筋良く動けている人です。その返信を読ませてもらって、それくらいの「一方的な決めつけ」をするくらい、バチがあたらないよなって思ったし、気持ちがスッキリしました。
私はこの優秀で、仕事ができて、やさしくて、真面目で、大好きな「徳島に子ども食堂をつくる会」5人のメンバーで無理せず活動していきたいって思いました。本当に奇跡みたいな5人なんだなって、いろんな人と関わるたびに思うよ。

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