近代人と「medium」について

アメリカ大統領選挙の結果を顧みるまでもない。日本の選挙に携わる人々の行動から有権者たちは立候補者の政策や理念はほとんど見ていないことがわかる。そうでなければ何も言っていない人気芸能人が当選するわけがないのだ。

これはひとえに投票する側の問題である。
投票する側が成熟していないために引き起こされる重大な問題である。
ある意味民主主義の限界とも言えるかもしれない。
もちろん、こうした問題は普通選挙制が導入された時に散々議論しつくされたことであった。

例えば、極端なシチュエーションですが、あなたの家族が誘拐されたち過程します。
 その際、以下の三者の誰かに奪還を依頼しますか?
 
 1 アメリカ軍のデルタフォース
 2 近所の主婦
 3 お笑い芸人
 
 それだけ既存の政治に人々は期待を失っている証しなのだ、そんな反論が聞こえてきそうですが、はたして本当にそうなのだろうかと考えてみましょう。

意地悪な見方をしてみます。

既存の政治に対して絶望するくらい、アンテナを張っている人がどれだけいるでしょうか?
(僕は自分がそうだと言い切れる自信はありません)

既存の政治に絶望した、何に対して絶望したというのか?
どんな政策に対してそう感じたのか?

それに答え流ことができないのならば、既存の政治に絶望したというのは、借り物の言葉にすぎません。
どこかで誰かが言っていた言葉を、なんとなく使ったのでしょう。

それは、なんとなく政治家を選ぶのとなんら変わり無い精神性だと断言できます。

近代とは、もともとはヨーロッパから発生した概念である。

(ダグラス・マッカーサーによれば日本人は14歳のティーンエイジャーでしかないと言うことになるがヨーロッパ大陸から追放された民族に言われたかねーなーなんてことも思うのです。)

だたしその定義は時代や場所によって様々で、一概にこれと定義できるものではありません。

なので話を進めるために、近代とは成熟した大人たちか形成する社会と、ひとまず定めておきます。

しかしながら大人とはなんぞや?

まず私が考える大人ですがこれはとてもシンプルです。

- プロフェッショナルな仕事思ってること。
- その仕事で対価を得ていること。

たったこれだけです。

こんなことを言うと、それでは生活保護を受けている人はどうなんだなんで意見が飛んできそうですが、僕はあくまで一般的な話をしてるので、そこはご考慮ください。

しかしこうした疑問には取り組まねばならないと思います。すなわち近代以前例えば中世の時期でさえ仕事を持ってちゃんと働いてる人間は手はずです。そうした人たちは今大人では無いのでしょうか。

すこし話を遡ろう。

日本で最初の近代人は織田信長と言われている。
彼が長い槍を好んで使ったのは、短い槍より、長い槍で突いたほうが、先に届くと考えたからだ。にもかかわらず当時の信長は周りから理解されることはなかった。
彼が組織した長槍を見て、多くの人たちは星でも突くつもりなのかと嘲笑ったということであった。

こうした文脈を理解すれば信長が鉄砲にいち早く飛びついたのも当然の話だった。
どんなに長い槍の射程よりも鉄砲は遠くから弾が届く。

後付けで考えれば、ものすごく合理的な判断だ。

しかし当時の常識や価値観では、その結論に至らなかった。信長以外は。

信長から学べる近代人の定義とは、すなわち、自分で物事を考えることができる、ということに他ならない。

信長には信念があったはずだ。
自分で考え、自分で結論を下し、それが正しいことだと判断したから、決断を下した。
彼の決断と選択を当時の人々は理解することができなかったが、それは彼らが近代人ではなかったからだ。

もちろん信長が生きた時代からかなりの時間が経っている。
現代に生きる者が信長と同じであってはいけない。

信長は自分の頭でものを考え、決断した。その行動と結果から、彼の考えは理解できる。

僕たちは同じであってはいけない。

自分の考えを他人に伝達しなくては。
そうして何らかの形で理解してもらう必要がある。

だから結論はこうだ。

近代人の定義とは、プロフェッショナルであること。
人から仕事を与えられるばかりではなく、自分の頭で物事を思考し、決断を下せること。
そうして、最後に、そのことを他者に伝達することができ、理解と共感を生み出せること。

それって、なーんだ。
今自分がやっていることとすっごく関係してんじゃん。

なにがって?

「medium」