顔が見えるお金と、これからの話。

Minako Ushida
Konel
Published in
4 min readNov 21, 2018

自分の仕事がいくらお金を生み出したか、ということを把握したことはあるだろうか?

私の場合、今まで一度もなかった。

人によってはまさか?!と思うかもしれないが、実はけっこう把握していない(把握しづらい)職種は多いはず。教師などの公務員、バックオフィス担当、主婦、チームで営業している場合など、個人の貢献がお金として可視化されないケースは意外とある。

そんな私が初めて自分の仕事“オノマトペのおやつたち”で請求書を書いた。

http://onomatope-oyatsu.com

他のプロジェクトに比べれば微々たる額、しかし想定は上回るまずまずの請求額である。

じーん。

多くの人の協力があって請求書が書けるところまで至ったので、「これ全部自分の成果っ!」というものでは全くない。が、自分の働きが生み出したお金であることは間違いない。

顔の見えるお金、というか、わかりやすく生身の人間が介在する成果というのは、なんだか清々しいと思った。

特に生産者の方々とコミュニケーションを深めるにつれ、その人たちがどんな工夫や苦労をして、どんな気持ちでその商品を作っているか、環境や歴史、それぞれの考え方や家族の事情まで、探るまでもなく勉強するまでもなく、自然とインプットされてしまうのは、なんとも新鮮な経験である。

なぜ、製薬業で有名な富山で麦芽の水あめが栄えたか?なぜ、茨城が日本一のシェアである干し芋業界へ他県の参入が増えたか?今の子供たちの味覚がどう変わってきているのか?国産野菜は安全というのは本当か?生産会社の社長の野望は何か?そして趣味は何か?答えが気になる方はご連絡下さい(笑)

一年前は知る由もなかった世界に入り込んできたなぁとしみじみしつつ、単純に、なかなか楽しい。

世間でも脱工業製品の流れがじわじわ広がっている。それを察したスーパーが一生懸命“顔の見える野菜”を作っても、やっぱり八百屋さんや産直マルシェで「これどうやって食べると美味しいの?」とおばちゃんに聞いて買った野菜の“顔が見えてる度”には絶対かなわない。そしてそういうのいいよねって思う人が増えてるから、たとえば都心はマルシェが乱立している。

時代は明らかにリアルに振り戻っており、しかし元あった所に戻るのではなく、もっと有機的でクリエイティブなステージに着地しようとしてるのを、肌で感じる。

話が逸れたが、顔の見えるお金は清々しいと思うけれど、別にわかりやすい金銭的な対価は素晴らしい、などと言いたいわけではない。

大きな会社でステークホルダーの顔が見えづらかったり個人の成果が可視化されなかったりしても、良い会社はたくさんある。現に私の前職はそれに当てはまると思うし、確固たるビジョンを持って一生懸命やっている人が多かった。

たぶん、金銭的対価の出所がわかりやすいか否かにかかわらず、いかにそれに納得感があるかが大切なのだ。

そして、これからはいくら稼いでいるかと同じかそれ以上に、ポテンシャルや信頼度やキャラクターやネットワークみたいなものの相対的価値が高くなって行くだろうなと思う。まあそこらじゅうで言われていることだけど、価値社会がそろりそろりと近づいてきている。

同じだけ稼いでいても、会社と家を行き来して休みは寝てる人より、変わった趣味や面白い友だちや違う名刺を持ってる人とお仕事した方が楽しそうだもんな。

捉え方によってはめんどくさくて大変な時代だけど、今はポジティブな面だけ見ておこうかなと思う。

とりあえず私は、久しぶりに会った友人に「ちょっとあんた今度は何やってるの?!」と近況報告を楽しみにされるような、変な人になりたい。

まじめにそう思う今日この頃です。

※クラウドファンディングやってます。ぜひこちらもよろしくお願いします。

--

--