2019年・新年のいい話「道なき道を行った人」

おはなしかご
おはなしかご
Published in
10 min readDec 31, 2018

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獣道(けものみち)という道がある。整えられた立派な道ではなく、
獣達が身の危険を感じた時 藪や繁みの中を通りぬけてゆく人知れぬ道だ。いわゆる道なき道だ。崖を落ちるようにかけおりてゆくこともある。体中棘(いばら)がささり、木の枝で顔をはじかれ、太い根っこにつまずき
何度も転ぶだろう。橋の架かっていない川でも向う岸にゆく為に渡っていかなければならないだろう。だがそれでもその道をゆくしかない。
獣達は生きぬく為に、必死に命を賭けてこの道をゆく。

人も道なき道をゆくことがある。だが、人がこの道をゆく時は身の危険ではなく「心の危険」を感じた時である。目の前にある整えられた道をゆけば身の安全は守られるのだが・・・
この道ではない、どこかに心の命が、音をたてて生きてゆける道がある。必ずある。・・
だが、どこへゆけばよいのかわからず岐路に立ち、迷い苦しむ人は少なくはない。
人は誰もみな何度か人生の岐路に立たされることがある。・・私にもあった。
だが私にはそんな時、心の中に立ち上がってくる話がある。その話達が心を奮い立たせてくれ道なき道を進んでこれた。そして人としての道をどうにか踏み外さずにここまで生きてこれた。
・・・・その話を今年の「いい話の賀状」とさせてもらおう

2019年・新年のいい話「道なき道を行った人」おはなしかご

この話は宮川ひろさん(児童文学作家)の小さい時の話です。文中の(私→宮川ひろさん)

「こんな時、おこんあねえならどうするだろう」何か困ったことがある度に私はいつもそう思った。

おこんあねえは街道をへだてた向かい側の家のおばさんだった。
ある時、おこんあねえの親戚の家で赤ん坊が生まれたのだが、不運なことに生まれてまもなく母親が亡くなってしまった。母乳にかわるミルクなど手に入りにくい頃だったので、赤子はみるみるしぼんでいくように弱ってゆき、家の者はみな、このまま母親んとこにいってしまうんだろう・・と諦めていた。
けれども、おこんあねえは、その子が不憫でならなくて、ある日、とうとう背中におぶって連れてきてしまった。ところが自分の家の見える峠のあたりまでくると、足が止まってしまった。ちょうどその頃は春蚕(はるご・・・はるのかいこ)の世話で猫の手も借りたいほど忙しい季節だった。しかも去年の秋蚕(あきご)はすっかりコシャリ(だめになり)、続けて春蚕(はるご)がだめになったら身上がつぶれてしまう。
今年こそは、と皆祈るような思いで春蚕を必死に育てている大変な時期だったのだ。

そんな時に、自分の身内から手のかかる赤ん坊を連れてくるなんて、とんでもないことをしてしまった・・・と道ばたにへなへな・・としゃがみこみ、途方にくれた。・・それからどのくらい時がたったのか・・・背中の赤ん坊の泣き声でハッと我にかえった。その時、おこんあねえの腹が
据(す)わった。このままほっておけば赤ん坊の命はもたない。赤子の命の前に遠慮も気がねもあるもんか。おこんあねえは家の戸をガラリと開けると大きな声で「けえこ(蚕)の神さんつれてきたぞ~」と言った。神様がいるのならすがりつきたい思いでいる家の者達にとって「蚕の神様」が来たとなったら、なんとも縁起のいいことだ。追い返すはずはない。とっさに思いうかんだ事なのだろう。家の者達はおこんあねえのその勢いに飲み込まれ、みんなで蚕の神様(女の子)をかわいがって育てた。

おこんあねえは、村の赤子のとりあげおばでもあった。
私もおこんあねえの手で産湯を使わせてもらった。私は母が43歳の時の子で、長兄にはもう嫁さんがいた。だから、私は望まれて生まれた子ではなく余りっ子だった。おこんあねえはそのあたりのこともよく分かっていて、私がうぶ声を上げた時、その日が旧暦の一月二十五日で初天神の日だったので大きな声で「なんとまぁ、ええ子が生まれたことか!この子は天神様の申し子だ。りこうもんになるぜ!」と言ってくれたそうだ。
「蚕の神様」の女の子は、そのままおこんあねえの家で大きくなった。 私とその子が遊んでいると「けえこの神さまと、天神様の申し子が仲良くあすんでら、どっともいい子だな」とそう言って嬉しそうに私達を眺めていた。・・村には私達の他にもおこんあねえのおかげでいろいろな神様や
申し子がいた。弱い者をなんとか助けようと思った時、おこんあねえの心の奥の人としての情(じよう)があふれてくるのだろう。
「おこんあねえならどうすべ」・・・そう思う時、人としての情(じよう)が、ゆく道を指し示してくれる。

村に文治郎さんという小柄で物静かなじいさまがいた。ある年、文治郎さんの連れ合いが肺結核で亡くなった。まさか自分が残されるとは思ってもみなかった文治郎さんは目の前が真っ暗になった。だが、その後にすぐに間もあけずに、長男夫婦も亡くなった。同じ病だった。その頃結核はまだ
不治の病だったのだ。後で聞いた話だが、文治郎さんはすぐにでも後を追いたかったそうだ。
けれども文治郎さんの手には、幼い三人の孫が残されたのだ。孫達はわけがわからないまま毎日「母ちゃん、母ちゃん」と泣いていた。文治郎さんは、ただただ途方にくれるばかりで、その子らに飯を食わせて、風呂入れて、服を着せて・・・そしてその合間に畑にゆき、きつい野良仕事をこなしてどうにか一日一日を必死に過ごしていた。物静かな文治郎さんだ、子供らを叱る声など一度も聞いた者はいない。そのうち、「母ちゃん母ちゃん」と言っていた子等がいつのまにか「じいちゃん、じいちゃん」 と言うようになり、笑い声も聞こえてくるようになった。
村の者達もほっと胸をなで下ろしたその頃・・妙なことが起こりはじめた。
時々、真夜中、村の火の見櫓(ひのみやぐら)のあたりから、もの凄い声が聞こえてくるのだ。みんな恐ろしくて
確かめにゆくもんは誰もおらんかった。・・・

・・・・・それが文治郎さんの声だとわかったのは、ずいぶんと後になってのことだった。
子供らが村の学校に通うようになった頃、ある晩、寄り合いの酒の席で、村の者が文治郎さんに
「まぁ、一杯飲めや」と酒をつぎにきて「文さん、よくがんばったな」と言った時、文治郎さんが
ぽつりと言った。「あの頃は無我夢中だったが、何度も何度も、どうしてよいかわからなくなり体の力がへなへな・・・とぬけてゆくことがあった。ああ・・もしもこのままおらがふぬけになってしまったら、この子らは一体どうなるんだろう・と思うと体が凍るような思いだった。そんなある晩このままじゃおら、だめになっちまう。自分に号令をかけにゃならん。と思っただ。ほんで子供らが寝ついてから、ひのみやぐら火の見櫓とこさ行って、大声で言ったさ。

「しっかりしろ~文治郎、しっかりしろ~まんだ、おめえの仕事は終わってないぞ~ って必死に号令かけたさ。」

あの真夜中のもの凄い声が、物静かな文治郎さんの声だとわかった時、みんな驚いた。文さんは自分で自分に号令をかけながら、その道を行くしかない道を必死に走ったのだ。もうだめだ、と思った時、自分にかけた号令が、心の奥底から人の情(じよう)を立ち上がらせたのだろう。

この話は宮川ひろさんに聞いた話だ。だから私(筆者)は「おこんあねえ」にも「文次郎さん」にも会ったことはない。だが「いい話」を聞かせてもらうということは、なんとすごいことなのだろう。聞かせてもらったその日から「おこんあねえ」も「文次郎さん」も私の心の中に
しっかりと住みついてくれたのだ。そして何十年も年も取らず、どれほど今まで助けてくれたことか。人としての持っていなければいけない大事なものを差し出し続けてくれたことか・・
天神様の申し子の「宮川ひろさん」は素晴らしい児童文学作家になられた。

お話会で聞き手の子供たちに会うと「この子達は、なんの神様の申し子なんだろう」と思う。
そう思うと、たまらなく胸が高鳴ってくる。今、私は神様の申し子にお話を届けさせてもらっているんだ。「いい話を届けるんだぞ」と自分で自分に号令をかける。

三十数年前に「おはなしかご」と言う道を歩き始めた時、その道は橋の架かっていない川を向う岸に渡らねばならない道だった。だが、それでもその道をゆくしかなかった。
大人たちがみな、美しい母国語で「お話して」と見上げる子等に心躍る楽しい話を届けてくれる。それが当たり前になる。どの人もどの人も手袋人形を美しく届けられる!
どの人もどの人も、当たり前に子供たちの心に「いい話」を届けられる。そんな日が必ずこの道の先にある! それを本気で信じた。本気で願った。
「本気で願った者が全力で挑戦したとき、道は生まれる」のだ。

そして今、川には橋が架かっている。その橋を多くの人達が楽しそうに渡っている!その姿を見ると、体が奮える!
だが、その時ハッとした。私はいつかこの世にいなくなる。その日の為に新しい道を創らねばならない。自分がいなくなった後も皆がしっかりと歩ける道を・・それを願った。願って願って・・そしてインターネット校が生まれた!魔法の学校のインターネット校が実現した!
どの学びにも祈りのような美しい魔法がある。その魔法が児童文化のクオリティーを貴め、確かな芸術文化への道を実現してゆくのだ。ボランテイァであった世界がソーシャルワーカーとして社会で他の仕事と同様に、いや他の仕事以上にその美しい価値が認められ誇り高い仕事となってゆくのだ。・・その魔法は出会うと驚くだろう。実に簡単で!実に楽しく!
実に美しいのだ!その魔法に誰もが、いつでも、どこでも、永久に出会え続けられる道!それを実現しなければと願った!そして魔法の学校のオンラインシステムが実現したのだ!

必要な用具も軽やかに空を飛べる様に携帯化した。だが、まだ私の仕事は終わっていないと文次郎さんの声が聞こえてくる。号令をかけ続けよう!今年はどんな作品が「おはなしかご」から生まれるのだろうか!自分で自分にわくわくしている!「小型ジエット機」が空を飛ぶ時代が来た。科学の世界が生んだジエット機と人の心の情が生んだ「魔法の箒」に乗る「お話の魔法使い」が空ですれ違うだろう。ジエット機も多くの物を届けるだろうが、魔法使いは「いい話」を届ける。「いい話」はいい!
実にいい!生涯の心の財産だ。それを届けるのは誇り高い人間の仕事だ!

ジエットの数より魔法使いの数が多くならなければと願う。政治力だけではどうにもならない「人の根源的な平和」を実現するのは文化である。文化とは「人を幸せに向かわせてゆく広く大きな力」である。多くの素晴らしい魔法使いが空を飛んでくれることを心から願い、今年も必死に、道なき道を創り続けていこうと思う。獣道をひた走る「スタジオおはなしかご」楽しみにしていてほしい!

そしてあなたも 自分に自分で号令をかけて、魔法の箒に乗り空を飛んでみてほしい!

ホームページ・エッセイコーナー「獣道をゆく」ぜひ!参照してください。「いい話」に出会えます。

2019年1月 おはなしかご大竹麗子

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皆さんの心に魔法がかかるような詩やお話をお届けします。