人工知能と直観と論理
PONANZAの作者が、「今のAIは直観に相当する部分」という旨のことを言ったそうだ。これはそのとおりだと思う。ちょっとこのあたりを歴史的に振り返ってみよう。その際に、次のスライドを別のタブで開いて見てもらえればと思う。なお、私は現在そこには所属していない。当時の所属だ。
最初のところでは「転写」についての例を挙げている。例に挙げているようなフィクションであれば、「個人の人格の転写」である。だが、これは現状ではできない。
その後に、これまでの人工知能の歴史のような話になる。
人工知能は、当初、「記述」によって実現可能であろうと考えられ、またそのように試みられてきた。この方法の最盛期は、1980年代だろうと思う。ナレッジ・エンジニアとかナレッジ・エンジニアリングなども大きく話題になった時期でもある。ナレッジ・エンジニアリングにより、専門家からその知識を聞き出し、 if 〜 then 〜
方式で記述することにより、その知識をコンピュータに移植しようとした。この方法が成功したと言えるのかどうかは難しい。
この「記述による人工知能」も、知識そのものを if 〜 then 〜
方式で書くだけではなく、 if 〜 then 〜
を実行する土台を作り、その上で if 〜 then 〜
を動かすという方式もあった。エキスパート・システムというのはおおむねそのようなもので、プロダクション・システムとも呼ばれた。OPS83 などは、その代表例と言えるだろう。
同時に、 if 〜
の条件節にあたる部分が true
or false
ではいまいちということも言われ、ファジーなどが注目された時期でもあった。
1980年代半ば、IBMだったと思うが、HMMを用いた音声認識の論文が発表されてもいる。それ以前にもパーセプトロンがあったことはあったが、これは分析されつくされ、どこまでのことができるかがわかってしまっていた。そこに、HMMという統計モデルを用いるという手法は、驚きを持って迎え入れられた。正直な印象としては、HMMと言えど、どれほどの能力を持つかについては、少なくない人が当初は懐疑的であったように思う。
だが、試してみて、皆、驚いた。すくなくとも予想以上に強力だったからだ。HMMを用いたモデルや、HMMでなにをモデル化するかなど、いろいろ試すほどに、皆、驚いた。とは言え、問題がなかったわけでもない。というのも、HMMのモデルの学習に必要なコーパスが、それまで存在していなかったからだ。単純に言えば、統計モデルを妥当なものにするには学習用データが必要だが、それは量が多いほどいい (あくまで、単純に言えばではある)。そこで各国でコーパス作成が行なわれた。日本でも同じであり、その一つに私も参加していた。もちろん、この時点では全データにたいしてラベル付けを行なうなどという作業も必要であったが、これはすぐに少数のラベル付けされたデータからの学習、そしてラベルをつける必要がない教師なし学習へと手法は発展した。
また、この時期にニューラルネットワークの再燃があったことも無視できない。
では、HMMにしろなんにしろ、統計モデルはなんなのだろうか。これは、ある集団において共有されてるなにかを現していると考えるのが、手っ取り早いだろう。そう考えるなら、「集団において共有されているなにかを転写する」と考えてもいいだろう。
ここで、記述から転写への大きな変化があったと考えていいだろう。
もっとも、なにもないところに統計的に学習するというわけではなかった。統計モデルを載せる土台、あるいは統計モデルを駆動する土台はやはり必要だった。これは、先のOPS83とは違うとは言え、似たようなものとは言えるだろう。パターン認識において何を認識するかにもよるが、統計モデルがどのように連鎖するかを記述、あるいは連鎖も含めて学習するように記述する必要はあった。
では、この先はどうなるだろうか? スライドの終盤にあたる部分である。時間や地図の感覚にしても脳の機能として提供されていることが明らかになってきている。人間が論理的に考えていると思っていることのどれほどが、実際に論理的に考えられているのだろうか。
2014年の時点での私の想像は、人間はなにも考えていないというものであり、これは現在でも変わっていない。まぁ、すくなくとも人間が論理的思考と呼び、すくなくとも数百年信じてきた能力は、実は存在しないと考えている。あるいは、論理的に考えることができる人は、かなり限られていると言った方がいいのかもしれないが。
だが、「それでも私は考えている」と主張する人もいるだろう。この点については、いわゆるホムンクルスを再び登場させることにより解決できるだろう。ただし、そのホムンクルスは舞台を眺めているホムンクルスではない。脳がどう反応したか、そしてこれは統計モデルがどう動いたかと言ってもいいだろうが、それを観察するホムンクルスだ。脳や統計モデルのエコーを観察するホムンクルスだ。これにより、おそらくは数十m秒から数百m秒の遅れを持って、「私は考えている」と誤解する。
人間が論理的に考えることができるか否かは、今後の検証を必要とする問題だろう。現在、自前のコンピュータのOSのアップデートによって動作が不安定であることと、エディタの設定の全面改訂が必要な状況になっており作業は中断しているが、もうしばらくしたら作業を再開する予定だ。1年くらいは計算しっぱなしにする必要があるだろうが――あるいはそのくらいのデータに抑える必要があるだろうが。
追記:
ここで1年としているのは、次のものの経験からの推測と、実際的に考えられる上限からによるものです。次のものの場合、1回の実験に2週間程度かかっていました。
“場・時・人に着目した物語のシーン分割手法”, 小林 聡, 情報処理学会 自然言語処理研究会 研究報告 2007-NL-179, pp. 25–30, 2007年 5月.