経済学者はなぜあんなにもアレなのか?

PsychoHazard
kuzu/NULL
Published in
8 min readMar 11, 2017

キャッチーなタイトルにしましたが。誰/何が主体だと考えるかが、人の視野に与える影響について。

まだ急ぐ必要はありませんが、少しばかり会計の勉強を始めました。手っ取り早く、まずは複式簿記について。

そこで、しょっぱなから首をひねることになりました。というのも:

主体は誰/何なのか?

が、見えなかったからです。

家計簿だったら、一人暮らしなら自分自身が主体でしょうし、家族で暮らしていれば家族が主体でしょう。そこには入ってくるものがあり、出ていくものがあります。そして、入ってくるのは私/家族にであり、出ていくのは私/家族からです。

で、複式簿記のどこで首をひねったかというと、借方貸方という名称もそうですが、たとえば事業主である個人が立て替え払いをしたような場合、貸方の方に事業主借と書くらしいです。事業主と個人を分けるのは、もちろんわかります。問題は、簿記に事業主という言葉が出てくるという点です。

慣れている方にとっては「あたりまえ」のことかと思います。ですが、記載する項目として事業主という言葉が出てくるということは、事業主は簿記の主体ではないということを意味します。しかも、貸方であるのに事業主借です。貸しなのか借りなのか訳がわかりません。この箇所の説明を読んでいて、さっぱりですorz となりました。はっきりしたのは、貸方は入ってくることを意味した項目ではないということ。

そこで悩むこと小一時間…

簿記の主体は事業主ではないと気づきました(正しい解釈かどうかは、まだわかりませんが)。つまり…

簿記の主体は金

であろうと解釈しました。

さて、物事を考える際に、「誰/何が主体なのか?」は重要な問題です。

普段、人間はを主体として考えています。もちろん、グループとか企業とかを主体に考える場合もあります。

プログラミングの場合、どういう志向性を採用するかによって、プログラムそのものが主体であると考える場合もあれば、データが主体だと考える場合もあります。これは、プログラムを書く人、プログラミング言語、フレームワークに依存するかなと思いますが。たとえばmap系の関数はデータが主体というのに近いかもしれません。

map系関数の話が出たので。最近は関数型言語ではなくてもmap系関数やlambdaが実装されていたりしますが、それは置いておいて、関数型言語ではデータを処理するという感じで、データが主体と言えるかもしれません。対して、手続き型の言語では、このように処理するという感じで、プログラムが主体と言えるかもしれません。その直接の結果なのかはわかりませんが、関数型言語で書かれたプログラムと、手続き型言語で書かれたプログラムでは、問題の切り分け方からして違う場合があります。プログラムという例ではありますが、誰/何を主体と考えるかによって、そもそも問題をどう見るのかが違ってくるという例として考えてください。

では、タイトルに戻ります。

経済学者はなぜあんなにもアレなのか?

まぁ、実際にアレなのかどうかは議論のあるところだと思いますが。あと…

経済学の基本は簿記かもしれない

という、さして根拠のない仮定を置きます。この仮定を置くと、上に書いたような感じで…

経済(経済学)の主体は金である

という、次の仮定を置けるので。

そういう乱暴な仮定を置くと、経済学者は金を主体として、あるいは金のフローを主体として問題を見ていると考えられます。

昨今、地方の経済をどうやって活性化するかという話には事欠きません。ついでに、やはり昨今ビッグデータをどう活用するかという話にも事欠きません(いずれも、もう昨今と言うには古い話題かもしれませんが)。

そこで出てくるし、行なわれているのは、ポイント・カードなどによる個人の追跡です。もう最近ではスマホ決済とかで、ポイント・カードなどよりも詳細な個人の追跡も行なわれていますが。

そういうのが出てき始めそうな気配があった頃、あるいは出てき始めた頃の話です。ある経済学の先生が言いました…

地域限定のポイント・カードを作って、そのカードの番号を追跡し、活用しよう

でも、これ、どこで何が売れたかを記録するだけじゃあまり意味はありません。店舗側の品揃えだけの話としても、どういうのが売れるかという話なら店舗ごとの分析で済むわけです。すると、どういう行動を取った人は、どういう店鋪を回るか、また、ある店鋪ではどういう行動を取るかというデータを扱う必要が出てきます。ですが、それでもまだ店舗側がどういう対策を取るかという、いわば受動的な対応しか取れません。

では、より能動的にデータを活用しようとすると、「メールアドレスを登録してください」的なものになり、まぁ、現状のその結果はみなさんがおそらく体験しているとおりのものです。

情報屋の倫理観としては、まず、追跡の時点で「ちょっと待てよ」となります。経済学の先生は、「カードの番号とビッグデータ(?)だから、個人を追跡しているわけではないし、特定するわけでもない」と言っていましたが。いやいやどこかで紐付いているし、紐付いていればどうにかして個人の特定までいけるわけです。まぁ、突き止めようとする側の根性か技術の問題です。

店鋪で「カードをまだお持ちでなければ、こちらのカードをお持ちになってはいかがですか?」と、その場でカードを手渡すだけとするならば、かつカードの制作において番号はユニークになっていることが保証されているならば、紐付けはほとんどないでしょう。防犯カメラやレジでの性別や年齢程度であっても入力を考えなければですが。

ですが、それだけで済みますかね? その方法だと、一人が複数枚のカードを持つことも可能で、しかも店鋪ごとにランダムにカードを使うことも可能です。追跡して地域の経済の活性化に活かそうという面からは、そんなのはノイズになります。その目的ならば、一人一枚に抑えたいところです。だとすると、名前かなにか、まぁニックネームやらハンドルネームやらでもかまいませんが、最低限その程度の方法で一人一枚であることを少しでも担保したいところです。

さらには、メールアドレスの登録まで行けば、さらに強く紐付けられます。もちろん、捨てアドを使うという、すこし弱める方法は使えますが。それでも、「返信するとかリンクを踏んでね。でないとカードが無効になるよ」という方法も使えます。

情報屋としては、できるかできないかと同時に、やっていいかよくないかなんてことも考えます。その経済学の先生が言ったことは、言った時点でもできましたが、情報屋としては「やっていいことだろうか?」という問題も頭に浮かびます。

もちろん、データはよくも悪くもありません。そのデータをどう使うか。そして、悪意を持った人が、そのデータをどう使うか。そのあたりを考えないわけにはいきません。

情報屋の方が視野が広いというような話ではありません。言ってしまうとなんですが、ちょっとしたいたずらをした経験から、「あ〜、どうなんだろうなぁ」と思い当たることがちょいちょいあるという程度の話です。ただ、誰/何が主体であると考えるかによって、見え方が違う例かもしれません。金が主体であれば、金のフローをよくするという見方をするでしょうし、データが主体、あるいは人が主体であるとすれば、どういう使われ方をするかという見方をするでしょう。

まぁ、そういうデータであっても、集まると便利なことがあるかもしれません。この手の問題は、利便性と危険性のバランスという文脈で語られることもあります。では、そのバランスをどう取るのか? 正直に言えば、バランスなんて取れません。選択肢の準備と、妥協だけです。

スマホの測位機能をオンにしていれば、居場所に応じてうまいことデータを提示してくれるかもしれませんし、それは便利かもしれません。同時に、悪意のある人が世の中に存在すれば、移動経路からなにから丸裸になるかもしれません。ならば、測位機能をオンにするかオフにするかの選択肢が用意され、オンにせよオフにせよどう妥協するかという話です。

このような例に限らず、誰/何が主体かと、どういう視野を持つかは、いずれも複数持っていた方がいいだろうと思います。その意味では、いわゆる専門家の意見ほど当てにならないものはないのかもしれません。

--

--

PsychoHazard
kuzu/NULL

ショートショートのコレクションについて:ショートショートの作法を無視しています。あとシリーズものっぽいのは、すべて計画の上で書いています。ごめんなさい、「計画の上で」というのは嘘です。思いつきの順番です。