自閉症スペクトラム (ADHD, アスペルガー症候群のあたり)

当人についての話ではありません。啓発/啓蒙の側に回っている人への、一種の苦言です。

まず、「やることと場所の結びつけ」とか、「なにをすればいいか見えるようにする」というような啓発/啓蒙は、当人にとっても周囲にとっても有益だと思います。

対して、私の狭い経験の中でですが、上記の啓発/啓蒙をする場合にもくっついてくる解説があります。というのは、「過去のいわゆる偉人も自閉症スペクトラムに当てはまる」という解説です。精神医学のある分野 (分科会) では、過去のいわゆる偉人の自伝や伝記などを分析して、「この人は自閉症スペクトラムに当てはまる」ということを言うようです。いわゆる病跡学です。

病跡学そのものを否定はしません。ですが、啓発/啓蒙にあたっている人に聞く限り、すくなくとも自閉症スペクトラムに関する病跡学の研究については正直に言ってお話になりません。というのも、文献への当たり方がまったくなっていないからです。

ところで、この文献へのあたり方というのが問題になります。この手の場合、言うまでもなく、たんに「原典にあたる」、「参考文献にあたる」ということとは別のものが必要になります。単純に言って、文献学やその周辺に沿ったあたり方が必要になります。

というのも、修道院の古い記録に「ドラゴンが飛んでいた」という記録があったとします。これは、Eテレの「地球ドラマチック」の「ドラゴンは生きていた?」(だったと思います)に、紹介があったと思います。では、その当時にはドラゴンは実在したのでしょうか。まず間違いなく、存在していませんでした。つまり、記録にあることと、それは実際にどういうことなのかとは、別の問題だということです。「ドラゴンが飛んでいた」と書かれるなにかはあったのかもしれませんが、それはドラゴンが実在したということと同義ではありません。

精神医学の分科会(自閉症スペクトラム関連の病跡学でしょうか) で「誰々は自閉症スペクトラム」だったという研究報告がなされるようですが、話を聞く限り、文献へのあたり方がまったくなっていません。正直に言えば、「それでよくその分科会が成立するものだ」と呆れるほどです。

啓発/啓蒙にあたる方は、その研究結果を論拠として啓発/啓蒙の講演などを行ないます。結局、そもそもの論拠がおかしいのですから、すくなくとも講演などの導入はおかしなものになります。

そしてもう一つ。どういうわけか、「誰々は自閉症スペクトラムだった」と言うときに出てくる「誰々」は、だいたい過去の偉人と呼ばれる人だったりします。そうすると、単純な疑問がわきます。つまり、「そんなに多くの偉人がそうだったなら、配慮などはそもそも必要ないのではないか」というものです。

すべての講演が、上記の2つの問題を持っているわけではないだろうと思います。ですが、講演や書籍においても、ちょくちょく見るものだったりもします。啓発/啓蒙にあたる方は、そのようなやり方は、そもそも当人に対する対応のしかたそのものをあやしいものに見せる結果になるということを認識することが必要だろうと思います。


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