選民思想か?

PsychoHazard
kuzu/NULL
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5 min readOct 15, 2014

ショートショートの方に進化の渦の中でから、今のところ最新なのが69年めのものがあります。この中では、高知性人類(いや、人類に限らないけど)と普通の人類を扱っています。こういう分類をすると、選民思想に結びつけるような話があります。

この際、考慮に入れる事は、まず第一に能力は、例えば数直線の正の方向への一方向だけではないということです。喩えて言うなら、原点(x-y座標で0, 0)から360度、あらゆる方向に向いています。あるいは球の0, 0, 0から、球のあらゆる方向へ。あるいはもっと多くの軸を持つ空間での超球でも。これはそれぞれの方向がベクトルではありますが、その大きさは単位円、あるいは単位球、あるいは単位超球に等しいとして見ています。そのそれぞれのベクトルは、ちょいと比較できません。まぁ北と東でどっちが大きいかなんてのを比較しようとしても無理があるというだけの話です。

そうした場合、ベクトルの大きさという話が出てきます。これなら大きさは比較できます。あるいはベクトルを分解すれば、そのそれぞれについて他のベクトルと比較できます。では、個々のベクトルを比較できるかというと、そう単純な話でもない。向きが同じベクトルなら、その大きさだけで単純に比較できますが、現実にはそういうわけには行きません。まったく同じ向きを向いているベクトルというのはなかなかないだろうなと思いますし、そのベクトルが合成されたものであっても、規格化されたベクトル(あるいは方向)を元にするのでなければ、分解もそう単純ではありません。ではその規格化はどうするのか? 単純には難しい話です。

高知性というのが言葉としては単純ですが、実際にそれを弁別しようというのはかなり無理がある話です。ですので、現実的には何らかの特性、あるいは性質を持っていると考えてもらうのが妥当だと思います。

では、その(それが実際に何かはともかく)特性という面において、大きさとして比較が可能でしょうか? それは可能かもしれません。では結局それによっての選民なのでしょうか? そうかもしれません。ですが、それは選民なのでしょうか? 先に北と東と書きましたが、それでは比較はできません。そこに何かの「価値判断」が入れば、比較は可能でしょう。重要なのはここです。観測された、測定されたという時点では、それはどうやって選民に繋がるのでしょうか? 観測された事象は、ただの観測された事象です。そこに意味や価値を付与使用とした時に、この話は選民に繋がるかもしれません。

喩え話をしてみます。これには恣意的な意味が入っています。学校のテストで、いつも90点以上取っている人がいたとしましょう。その人は、92点や94点に意味をつけるでしょうか? おそらく意味をつけないでしょう。意味をつける理由がありません。ただその点数を取ったという事象を見るだけでしょう。それに意味をつけるのは、この場合で言えば点数が低い人でしょう。もちろん、点数が低くてもそういう事象と見るでしょう。ですが、これは喩え話ということで。

さて、これは持つ者と持たざる者という話に、おそらく一般化できるでしょう。では、「持つ者」と「持たざる者」はどこで区別できるのでしょうか? どこで区別するのかを見るためには、「何を」持っている/持っていないのかを設定しなければなりません。ここで、「何に」価値があると見做すかという価値判断が入ってきます。そして、どの程度持っているのかに基づく価値判断も。

価値判断が入らなければ、ベクトルの向きにせよ大きさにせよ「違う/異なる」という事象が存在するのみです。

進化の渦の中でから始まるものには、衝動を持っているか否かという基準を設定しています。今のところ、その衝動が何かについての限定はしていません。犯罪とみなされるものであろうと知識欲であろうと区別していません。まぁシリーズ的に高知性という設定をしていますので、知識欲の方向を向いてはいますが。

この衝動を説明するのは難しいです。説明が不要な人には、実際不要でしょう。説明が必要な人には、経験的に、どう説明しても伝わりません。でもまぁ例えるなら、食欲とかに近いのかもしれません。もっとも、私自身、長いこと一日一食の生活なので、あまり食欲もピンときませんが。それはともかく、作中で設定している衝動は、おそらくそれらのような欲求に近いのだろうと思います。それらの欲求がない状態というのを想像できるでしょうか?

ではその衝動によって選民にあたることを想定しているのか? 上にも書きましたが方向も違うし、それが見えるとも限らない。虚構の設定としては使えますが、現実的にはどうかなと思います。

現実にはどうなのかは分かりませんが、個人的な欲求について「これをやらずにいるのはイライラする」という感覚があると、そういう衝動があるのかもしれません。

現代社会だと、そういう衝動はたぶん邪魔です。教育によっても抑えこもうとしてるのかもしれません。ですが現在の教育を問題にするつもりはありません。その程度で潰れる衝動は、実際の所衝動ではなかったのでしょうから。

以前にも書きましたが、そういう衝動はもはや呪いです。この表現で理解できる人と理解できない人という違いという言い方でもいいのかもしれません。

-hm/wl/sk

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ショートショートのコレクションについて:ショートショートの作法を無視しています。あとシリーズものっぽいのは、すべて計画の上で書いています。ごめんなさい、「計画の上で」というのは嘘です。思いつきの順番です。