数学におけるよくある勘違いについて

数学は公式があって、その公式群を問題に適用する順番が決まっている、あるいは決まっている順番で適用するれば答えがでる。

というような感覚があると思いますが、とんでもない誤解です。

数学のやり方を見ると、問題があって、定理があって、公理があって、公式があって、決まった順番にそれらを適用しているようにも見えるでしょう。

ところがどっこい、「解法」という特殊なテクニックを除けば、それらを適用する順序は定まっていません(順番が推奨されている場合もないではない)。

考えている問題について、「今出てきた式には、これ使えるんじゃね」という定理、公理、公式などを適用するだけです。どれをどういう順番で適用するかは、数学の範疇ではなく、人間の判断の範疇の問題です。

何を言いたいかというと、数学の根本は論理ではないということです。「なんとなく行けそう」という感覚が、定理、公理、公式のプールから何かを選び出し、場合によっては新しく作る。

これはだいたい何にでも言えます。理屈ってのは後付です。「あー、なんかこれいけそうな気がする」というところから、ぼーっとしているとなんかよさ気なものが降ってくる。そうしたらその降ってきたものを確認してみる。

研究についてたまにある誤解はこんな感じかと:

これまでの定理、公理、公式、実験結果を組み合わせて何かを言う

えー、これだと原理的に「すでにわかっていること」しか出てきません。わかっていないことは、単にそれがまだ計算されていないだけという状況です。そういう理解であるのであれば、まぁ研究や科学というものがその人の理解の範疇を超えているということでしょう。

というわけで、研究をする場合には、規則とか慣例とか手順とかは、そもそも頭にあってはいけないものです(実験の手順てのは別扱い)。例えば超ひも理論。11次元(だっけ?)でないと理論が成立しないという問題がありましたが、「時空が4次元でなければないという証明も理由もどこにもない」という発想のブレークスルーから発展し、受け入れられるようになりました。

あるいは情報系の人はもしかしたらもっと極端かもしれません。世にある論理や知識を期待する必要すらなく、自分で組み上げてもいいのですから。

特に組織の規則に「うんうん」と頷いて納得いている研究者はとても人が出来た人か、規則とか言われても右の耳から左の耳に流している人です。なにせ、組織の規則なんてのは考慮に値しない、というか考慮の範疇に入れる価値もないことですから。

言い方は良くないかもしれませんが、研究をやっている人、あるいはやりたい人は、例えば「8時間労働」という縛りは無意味です。ワーク・ライフ・バランスという概念も無意味です(両者とも無意味ではない人もいるでしょうが)。

ワーク・ライフ・バランスというのは、生きていることと仕事というのを分ける考え方です。ですが研究者や研究をやりたい人にとっては、プライベートとされる時間そのものも研究をやっているわけです。分離しろという方が無理。

ワーク・ライフ・バランスという話であれば、いわゆるホワイトカラーエグゼンプションという話も出てきますが、また研究者とは全く別物。なぜならそういう人にとってはあくまで仕事は仕事。ホワイトカラーエグゼンプションの対象になる人の中にもライフの方を無視するかもしれませんが。

ですが、研究者の場合、言い方が難しいですが、研究は「遊び」です。おまけに紙やコンピュータの前でやるとも限らない。風呂に入っていても便所にいても、飯を食っていても、ずーとぼーっとしている。

「これをやるように」と、上司あるいは組織の上層部から言われたからやるというのは、極めて能力が低いでしょう。自分が何をするかを決めてもらわないといけないのですから。たぶん、蟻の方が賢いんじゃないでしょうか?