人間なみの人工知能が現れたら

1年弱前に、こんなのを書いてますが:

アンドリュー NDR-114 という小説があります。原題は”The Positronic Man”。これは、アシモフの聖者の行進に収録されている「二百周年を迎えた男」、原題”Bicentennial Man”を、ロバート・シルヴァーバーグが長編化したものです。これを再読したので少し。

山場の決着について、アンドリューがそういう結論を出したというのは、まぁ分かります。人間の6世代ほどの時間を稼働し、5世代の家族と友人を見送ってきたのですから。ただ、それで周りが納得するかなぁというのは、やはり気になります。

上に埋め込んでるstoryでも、「彼らは奴隷ではない」と書いてますが。何者かが充分に知性化した場合、それは人間が行なったものだからという理由で、彼らを隷属の状態に置いて構わないのかという疑問があります。

ただ、アンドリュー NDR-114に関係する話として、じゃぁ、極めて長期間稼働できる、人間なみの人工知能が実現したらどうなるんだという疑問もあります。これは、先日友人と話していた時にも顔を覗かせた話でもあり、上に埋め込んでるstoryのR. ダニール・オリヴォーの存在なんかにも関係します。

人間、あるいは人間によって知性化された存在をここではタンパク質的なものと呼ぶ事にします。

例えば、人間なみの人工知能が1,000年稼働できるとします。そうすると、タンパク質的なものは世代交代と教育が(たぶん)どうしても必要になります。人工知能の方は1,000年動き続けるのに対して、タンパク質的なものには、どうしてもコストがかかるということになると思います。その場合、どちらがいくらかでも有利になるでしょうか。単純な話として、人工知能の方がコストが低い分、有利あるいは優位になるのではないかと思えます。タンパク質的なものが、そこに抵触するほどに自らを作り変えるという可能性はないではないかもしれません。あるいは、人格をアップロードし、クローンにダウンロードするということが可能になるかもしれません。そのあたりは次の埋め込みとかに少し。埋め込みには書いていませんが、MITのメディア・ラボあたりでの「情報を食べる」的な研究がどうなるのかというのも関係しそうではありますが。

さて、「彼らは奴隷ではない」という言い方で、「ロボットは人間より格下」という考えがあるということも言っているつもりです。それに対して、人工知能にも稼働可能時間や世代交代などなどのコストを負担してもらわなければ釣り合わないという可能性もあり得ると思います。つまり、実際にか、実質的にかは分かりませんが、ロボットの方が人間よりも格上であることを認める必要があるかもしれない、あるいはそういう前提を用意する必要があるかもしれないということです。

ですが、ここで「彼らの稼働可能時間を、人間はどのような根拠によって制限できるのか?」という疑問が現れます。「人間はどのような根拠によって」というところは「彼らは奴隷ではない」と言う場合と同じ理由と言えると思います。

とは言え、アンドリュー NDR-114が追い詰められて、あるいは言い方によっては自発的に稼働可能時間を設定したというのは、R. ダニール・オリヴォーとの対比としても、アシモフは確かにすごいということに落ち着くのかもしれません(対比と書くと、オリヴォーがいつからファウンデーションシリーズに顔を出してたかを確認しないといけないなぁ)。


追記: 2014-Nov-26 T 13:55
「山場の決着」と上で書いていますが、作品の最後の1, 2ページを思い出すと、「そこは本当に山場だったのか?」と疑問もわきます。「山場の決着」がまったく反対の結果だったとしても、最後の1, 2ページはあまり変わらないと思います。たぶん、ちょっとした表現が変わるくらいではないかと思います。「山場」という認識が、間違っていたのだと思います。随分長い間勘違いしていたものです。

追記2: 2014-Nov-26 T 15:27
“The Bicentennial Man”の方を読むと、上の追記にちょっと自信がなくなりました。書かれている「山場の決着」をなしにして、最後のセクション(?)の冒頭か、あるいはそれに代わるものをどうやって持ってくるのか、私には想像もつきません。アシモフなら…