アートにおいて自律する仕組みをつくる意味とは? コ本や HONKBOOKS(北区王子)インタビュー

昨今では多くの自治体や企業がリサーチ&アートプロジェクトを主催や後援といった立場で開催し、集客数を伸ばしています。KYO−SHITSUも、ひとつのアートプロジェクトです。では、アートプロジェクトとは何か?立ち返ってみるために、連載「アートプロジェクトを捉える」を通して紐解いていきます。

今回のテーマは「アートプロジェクトを運営する人たちはどういう人たち?」。東京都北区王子に拠点を持つ、コ本や honkbooks(以下、コ本や)へのインタビュー。東京藝術大学大学院 映像研究科出身のメンバーで構成されたコ本やは、本屋のように見えるウィンドウのなかで、さまざまな企画を開催している場としても機能しています。プロジェクトを企画し、運営することはどういうことか?場所に根付くアートプロジェクトとは?運営するドキュメント・ディレクター 和田信太郎さん、アーティスト 青柳菜摘さん、ブック・ディレクター 清水玄さんの3名にお伺いしました。

本屋さん?ギャラリー?……コ本やってなに?

— 本日はよろしくお願いします。和田さんには、私(白井)がgeidai RAM でリサーチ型のアートプロジェクトのマネジメントや、ドキュメンテーションを学んだ際にお世話になった背景があり、今回お声がけさせていただきました。

ドキュメント・ディレクター 和田信太郎さん(以下、和田)
そうですね。今日は、KYO-SHITSUさんがフィールドにしているメディアアートに向けて、また本を切り口にしてメディアのお話もできればと思っています。

コ本やのことを簡単な概要からお話すると、メインは僕たち3人で活動をしていて、企画やプロジェクトによって様々な専門分野の方と一緒に活動を展開しています。コ本やとしては、展覧会、企画、書籍の制作、アーティストブックの販売など、古書も扱うブックショップとして見えやすい活動もしているのですが、thoasa(とおあさ)という母体での活動もあり、王子を拠点としているコ本やは、フラッグシップショップに近いところがあります。thoasaでは、自分たちで企画したプロジェクトの他にも、映像やデザイン制作、出版などのプロダクション業務もあり、他にも大学機関や企業、アーティストと仕事をすることも多く、コ本やとして見えにくい活動も確かにありますね。少人数でチームを組んで幅広い活動をするで、1つのプロジェクトの中でも求められる仕事が広がっていくことがよくあります。

かなり無理もしているのですが、なぜこのような活動形態にしたかというと、自分たちの活動を継続して運用していくには、経済的な安定が欠かせないからです。いわゆる助成金や補助金をもらうために営利活動を抑えていくのではなく、僕たちはそうした資金を想定せずに積極的な営利活動をすることを選択しました。補助金をもらってしまうと、切れた時点で活動が萎縮したり、そもそも運営ができなくなってしまうことがあります。また当然、活動の規模が短期期間になりやすく、長くても3年ぐらいですよね。こうしたお金の使い方には制限もかかり、デヴィッド・グレーバーの「官僚制のユートピア」 で言及しているように手続きだけがとても増える。アートプロジェクトにおいてお金をつくることの意味を改めて考えるためにも、この活動形態に選んだことで経験的にも学ぶことが多かったです。

また公共性とは何か、場を持つことの意味も立ち上げのときから考えています。特定のコミュニティや地域に根ざした活動は、どうしても場当たり的にならざるを得なく、アートが利用されてしまっていることに問題意識も持っていました。他者や異質さを扱うことを理念に掲げることもアートの分野では多くなっていますが、表層的ではなく真摯に向き合い、取り組むことの難しさもあります。コ本やでは、公共性をシンプルにまずは考えてみよう、と。自分たちが閃いたり、試してみたいこと、考えていることを示せる空間であること。また他の人にも同じようにその機会を開き、議論したり共有できる場になること。これが活動のベースでもあります。ハンナ・アーレントの「出現(アピアランス)の空間」 のようなものですが、東京ではそうしたシンプルなことでさえ、とてもコストがかかってしまいます。だからこそ公的な空間ではないところで、公共性を考える意味があると考え、アートやメディアを語る上でもそうしたオルタナティブは不可欠だと思っています。

はじめは映像祭の企画から、本屋の構想へ

— 最初は「まず場所を作ろう」というところから始まったのでしょうか?

和田 青柳から「映像祭」の企画が持ちかけられました。最初は実現させていくにはどうすればいいかと、1つのプロジェクトのように考えていました。会場探しや、企画を進めていくにも拠点は必要で、そうした中でこの場に出会いました。

— 今、コ本やが店舗となっているこの場所が起点となったのですね。

和田 いろいろな経緯がありましたが、ここで何かができるか、この場所をどう使うと面白いか、という視点に展開していきました。映像祭も可能性の1つとして考えるようになったのです。映像祭を含めて、何かを実施するためには資金がかかります。短期的、長期的どちらなのか、プロジェクトを考える上で時間の想定は重要です。経済活動も合わせて考えていく必要があるので、短期型のプロジェクトが多い「映像祭」というプロジェクトを解釈し直して、継続的にできることを探っていきました。そうしたプロセスを経て、本屋という枠組みがアイデアとして出てきました。

本はすごく原初的なメディアであり、流通にしても権利としても、誰も知っていて、誰もが手にしているものです。僕たちの専門でもあるアートの中でも映像という分野は、映画のような産業はありますが、デジタル技術の進展もあり、買う−売るということが難しい形式ということもあります。その問題意識もあって、メディアの流通を考える上でも、書籍の歴史や流通は、面白いと思いました。

本を売ることは誰でもでき、つくることも比較的誰でもできるような環境になってきたと思うのですが、本を買う、人から物を買い取る、というのは日本では簡単にはできません。そこでメンバーの清水が、古物商の免許を取って、本を買うことをできるようにしました。古書組合にも入り、古本の流通にも直接的に関われるようになったのです。新刊の書店では、売るだけですから免許は要りませんが、お客さんから買取をする場合には免許が要るんですね。買うことは結構難しく、それなりの準備が必要でした。

アートを売る、ということを考える

— 本を一つのメディアと捉えると、本が自分たちを中心にして人々の間を巡るような仕組みを作った印象を受けました。持続的な活動を考えられたのですね。

和田 現代アートにおいても、メディアアートはとくに作品が売りづらい形態です。個人でメディアアートの作品を買うことをあまり耳にしないように、マーケットとして確立していないという現状もあります。メディアアートの分野は、大学などの研究機関や商業的な業界に属さないと活動が難しいという指摘も多いですね。自分の表現活動を持続していく上で、アーティストにとって作品を売ることはすごく重要なことで、ギャラリーが扱えない形態やパッケージをどう扱うかは、もっと考えていきたいです。本屋で本を手に取るように、映像作品に触れる場が作れないか。また逆に、本を通してメディアを扱った表現の考え方や、見え方自体を変えられるのではないか、と。本というメディアも含めて、買う−売ることの在り方を考えていきたいです。

コ本やの中で行われている、様々なコトは?

— 自分たちの表現を本屋のなかになじませることで、アートの敷居を低く、親しみやすくしているような印象を受けました。どのように展示を企画しているのでしょうか?

和田 コ本やでの展示では、基本的には出展作家と青柳が企画を立てて、清水がそれを実現させるためのプランを組んでいきます。作家にも新しいことに挑戦してもらいたく、準備段階としては青柳が作家と共にどういうことをしたら面白いかを企画を練っています。

— どういう視点で展示作家を選んでいるのでしょうか?

アーティスト 青柳菜摘さん(以下、青柳)
自分がその人の作品を見たい、ということを基本にして、作家に声をかけています。この作家が展示して、発表するまでのプロセスを、私たちと一緒にやったらどうなるのだろうか、というのを一番に考えています。コ本やの特殊性と、地域性がどう影響を与えるのか、また作家にとってここで展示することが今後どう効果があるのかも意識します。見に来てくれる人や、普段来てくれるお客さんがどういう見方をするのか、ということも。あとは単純に「この人が展示することで、この本が売れるんだろうな」とも思いますね。でも最初は、やって欲しいという直感が多いです。 私が毎回探してきて決めているわけでなく、たまたまお店に来て話をしていくなかで知り合っていき、展示や企画につながることも少なくないです。

— アーティスト活動されている中で知り合う人だけではなく、コ本やを運営するなかでも出会いがあるのですね。

青柳 そうですね、去年(2017年)の企画もそうでした。コ本やを運営していることで、お互いに作品は知っているけれど、面識がなく話したことがなかった人でも、場所がすでにあることで一緒に企画して何かやってみようと話が広がることもあります。いまどんな企画をするといいのか、どんな機会をつくれるのか、コ本やに来た作家と時間をかけて話すことも多いです。

— この場所が起点となって、どう利用していくか、話が膨らんでいくんですね。場所が中心だからこそ、人の出会いが起こる場になるのでしょうか。

和田 ここが狭いっていう特徴もあるのかな、と思います。来た人との接点というか、物理的にも距離感がすごく近くなるというのが、良くも悪くもあります。この場所がもう少し広い空間だとイベントの規模も大きくなり、人との関わり方も限られた範囲になったり分散したりすると思います。ですが、この狭いスペースだと、20人くらいの規模でイベントで1、2時間ほど過ごすと、自然と友達のような感覚になっていることがあるんです。

— そういった物理的な要因もあるのですね。どういったイベントがメインですか?

青柳 トークイベントやレクチャー、ワークショップなどですね。

和田 一口にレクチャーといっても「講師」という感じではなく、現在も一年以上、継続しているgnck(画像研究者) との共同企画のシカクカイ も「勉強会」というスタイルです。主催者にとっても来る人にとっても、あまり一方向に教えることはせず、これまでに試みたことのないことに挑戦したり考えたりするようなことを設けています。いわゆる先生がいる教室的なことは、企画するときの念頭にはないですね。ここでは教えるというよりも、考えたり、学ぶ機会をつくることが必要だと思っています。

人が集まると何かが自然に起こります。なので目に見えるリターンは意識していません。ワークショップは効果が顕著ですが、目的や結果を求めすぎるものが世の中に多く、そこで起こっている機微や可能性を見えなくしてしまうこともあります。想定できるリターンは心地いいのかもしれませんが……。

— 場所があるから継続して物事が進んでいきますし、だからこそ自然発生的に育って行ける場所になっているのでしょうね。

和田 先ほどお話した、助成金の話にもつながりますが、今あまり対外的に説明責任がない状態で運営しています。普通、企業や教育機関では、活動の目的やその効果を説明しなければいけない場面が多いです。無理にでも言語化することは必要なときもありますが、僕たちがそれをやらずに許されているのは、自分たちでお金を回しているというところが大きいです。

— 持続的なシステムを作ってるからこそ、維持できるスタンスですね。

和田 そうですね。だからこそ、活動が続けられる仕組みを合わせて考えています。

— 本屋としてはどのように運営されているのでしょうか?

和田 本屋としての部分はブックディレクターの清水の仕事が大きいです。

ブック・ディレクター 清水玄さん(以下、清水)
主に店にいて本の仕分けをしたり、市場に行って売り買いをしています。

— 扱う本は、アートブックばかりではなく、様々な本を扱ってらっしゃる印象ですね。

清水 街の本屋としてもやっていきたいので、地元の人たちにも受け入れられるように考えています。アートの本だけだと、とっつきにくいでしょうし……。文庫や小説、あと料理や裁縫の本など、幅広くやっています。例えば、「着物の着付け本ありますか?」など。ニーズが様々なので、できるだけ柔軟に対応していきたいと思っています。

— どういった方が来られるのでしょうか?

清水 王子はファミリー層も多く、年配の方もいらっしゃいます。外国人や留学生も多い。そういう人たちがまんべんなく来ています。なので、「これありますか?」という問い合わせは本当に様々です。例えば、ご年配の常連さんにはネットで状態の良い本を探してあげることもありますし、大学からの依頼もあります。大学では何かを買うとき手続きが面倒なので、大量の本を仕入れるときには、窓口を一つにしたほうが効率が良いんですね。なのでリストアップされた本を仕入れてきて、まとめて納品する……ということも。

展示時には、普段来ない地元民以外の人が来るので、思わぬ本が売れることもありますね。でもやはり普段営業していて、メディアアートや現代美術の本はおいそれと売れるものではないと感じます。

和田 こういう本屋をかまえると、いかにアートの敷居が高いのかが、お客さんとの話の中でよくわかります。もちろん低くすればいいというわけではなく、コ本やでの展示がきっかけとなって、そのアーティストのことを知り、展示後もその活動を追っている人もいて、面白いですね。コンテンポラリーアートや、メディアアートに興味がなかった人がそういったチャンネルを広げる場にもなっていることは実感します。

展示やイベントの企画の成り立ちは?

— コ本やで展示をされる作家の方々はどういった方たちなのでしょうか?

青柳 例えば、アーティストの小林椋さんと、ドローイングから発展した映像を作っている長田雛子さん2人でのインスタレーションの展示 や、イラストレーションや映像の展示をしたことも。単体の作家だけの展示だけではなく、ときに初対面の作家同士でコラボレーションを提案する場合もあります。

— 展示形態は本当にさまざまですね。 作品も展示用に新作を用意するのでしょうか?

和田 コ本やでは、展示や発表をする際に使用料をもらうことはしていません。企画については一緒に考えるので、新作になることが多いです。何をいつやるのか、どういう見せ方にして、それをどう伝えるのか。かなりのミーティングを重ねることもあり、自ずとアーティストも何か新しいことにトライしています。

和田 また、コ本やは見ての通りホワイトキューブではなく、ノイズが多い空間です。どう見せるか、そこにアイデアがないと作品が展示していることさえ気づかないこともあります。そういった意味ではホワイトキューブはよく発明された空間だと改めて関心しますね。いわゆるそういった展示空間に比べて、事前準備はとても多く、そこでの経験が有効に働かないこともあります。

青柳 多いときは週に3、4回、ミーティングすることもありました。展示の1ヶ月前から企画について議論を交わしつつ、一緒にコンセプト文から考えたりするときもあります。例えば、伊東友子さんと時里充さん(「めくる映像 _ 特集」伊東友子と時里充 )のときは、実験した映像をこまめに送ってきてくれました。その都度映像についての感想や、こうしたほうが作品として良くなるのではないか、と意見を送って展示準備を進めていきました。

「めくる映像 _ 特集」伊東友子と時里 充

和田 青柳はアーティストということもあり、作品や活動をどう見せるか、展示する作家以上にいい作品をつくることに貪欲で、セルフプロデュースを作家に強く求めて企画を立ていきます。清水はアート専門のインストールの仕事や写真を専門にしていることもあり、またこの空間のコンディションを熟知しているので、アーティストが技術的に出来ないことを実現したり、最終的なリアライズや記録撮影については清水が中心になって進めていきます。僕はコ本やでの展示では、企画で青柳にアドバイスをしたり、フライヤーなどのデザインをしたり、トークイベントのモデレーターような関わり方をしています。3人ともにアーティストに対して、求めることが多く、ハードルを上げさせていることは否めません。

— コ本やでやるからこそ、できる表現もあるんですね。

それぞれ別軸を運営メンバーが持つ

— 先ほどお伺いした、thoasaというチームはどういったものでしょうか?

和田 自分たちの企画もあれば、クライアントワークのような依頼もあります。部分的な関わり方の仕事ではなく、企画全体に関わる仕事を得意としています。2017年は、展覧会企画、書籍出版、映像制作のディレクションや、教育機関や文化施設などでのプロジェクトの仕事も多かったですね。本を買う−売るはコ本やで、本をつくるパブリッシングはthoasaで活動しています。コ本やでの企画とそのチームワークに興味を持って依頼してくれるケースもありました。

「新しい洞窟」もうひとつの岐阜おおがきビエンナーレ2017
第7回岐阜おおがきビエンナーレの開催に先駆けて、サテライト企画として考えられたイベント。

和田 KYO-SHITSUさんにちなんでメディアアートの分野では、メディア表現の研究者でありアーティストの藤木淳さん のアーティストブックの出版もしています。

Jun Fujiki Works 2000–2017

— それぞれの役割は、コ本やを運営するときとかわりますか?

和田 仕事のケースごとに、流動的に進めています。もともときちんと役割分担を決めているわけではありませんが、3人ともにお互いに何が得意で、どういう仕事の進め方をするかをよく理解しています。どういう休み方が必要かも知っているので任せられる関係です。例えば、「最初の部分はこの人からスタートしたほうが面白くなる。今度はこっちの人に託して広げていき、次はここに渡すと違った展開する」というように、この役割は誰が努めるのが効果的か、逆に何が苦手かもわかっています。今は3人でやっているので、経済的にも回していかなければならないという危機感もあります。

— 青柳さんはアーティストとしても活動されていますが、作家活動とコ本や、それぞれどんな風に作用していますか?

青柳 thoasaでの出版の仕事もしているのですが、映像作品を書籍化した「孵化日記2011年5月」(販売サイト )という本があります。作品について違うメディアへの記録が可能かどうか考えていたこともあり、このときの書籍化では、ページの大きさが個々に異なるようにしてみました。スムーズなページ送りができない、という引っかかりを与えることで、映像のカットに似た効果をもたらすことができるのではないかと。映像作品をビジュアルとテキストに分解し、再構成する形で映像の書籍化を試してみました。作品ごとに適したアーティストブックを制作することは面白い経験で、今後も続けていきたいです。本屋ということで、自分の制作を拡げるリサーチ資料も多く、制作や作品のドキュメントとしても影響を受けます。

展示イベント、アート作品……どう残すのか

— 本に残すことで、それこそ歴史に残るのかな、と感じました。データは形ないものですし、再生する機械がなくなったら見ることができない、という問題もありますし。

和田 書籍というメディアは、国内外問わず、保存に関するノウハウがとても多く、比較的その情報を知ることもできます。誰もが経験的にも「本はこういう風に保存したほうがいいよね」という直感が働きやすいメディアですし。そういうのを文化といってもいいと思うのですが、それに比べると映像メディアは、まだまだ本のように安定したものではなく、扱いが難しいですね。

— 物質として残すことってとても強いんですね。

和田 フィルムアーカイヴとして保存するために、ハリウッドのメジャースタジオでは現在、撮影されたデジタルデータの映画を保存用フィルムへ変換することが行われています。フィルムのほうが長期保存においては有効だと評価があるようです。デジタルデータについては、メディアの技術進展が激しく、ファイルフォーマットも変化していき、再生環境も維持することは難しい。またその状況に応じたマイグレーション(環境やプラットフォームを移行・変換すること)のコストも膨大で、デジタルデータは保存用媒体としては向いているといえないのではないか、と。サーバーやストレージに入れて、バックアップをとり、更にバックアップ……と何重にもするとコストもすごくかかりますからね。デジタルデータを100年残す確証を得られていないことに比べて、フィルムはすでに100年は実証されていて、残す技術や知識の蓄積もあり、物質として残すことは再考されているようです。僕はgeidaiRAMを通してアーカイヴやドキュメンテーションについてリサーチしていたのですが、コ本やの立ち上げに少なからず影響していると思います。

これからのアーティストと、社会の関わり方を模索する

— コ本やの活動は、アーティストとしての活動以外にビジネスマン的な考え方もあるのが素晴らしいと感じました。シビアな目線で、自分たちの活動をいかに持続させるか、というのはアート活動に携わる人々にとっては大切ですよね。

和田 僕はここ数ヶ月、1970年開催の大阪万博についてのリサーチする仕事をしていました。日本でのメディアアートについて考えるとき、大阪万博をどう捉えるか、ひとつの重要なキーになります。万博は確かに国家プロジェクトであり、事業費も膨大でした。当時のことを建築家の磯崎新 さんにお聞きすると、アーティストが商品化されるような作品を意識していなく、企業もアーティストに対して大らかな関わりをしていたようです。官僚や企業もうまく騙されていたというのが正しいのかもしれませんが。例えば、メディアアートでいえば、山口勝弘 さん三井グループ館 のプロデュースし、環境芸術としてマルチスクリーンや大量のスピーカーを用いて、過剰な空間演出を試んでいますね。アーティストはこの機会を利用し、国家も企業もまた利用しましたが、すべてがそこで回収されないものがあったからこそ、今でも問題提起が潜んでいるように思います。

しかし現在では余白がなく、一方でアーティストが商品化されて、他方では逆に説明が要求される……とどちらも枠組みに合わせることが先行しているようです。アーティストが主導できる環境をどう作っていけるかは探っていかなくてはいけないですね。表現者は決して面倒な存在ではないはずです。

— 今はお騒がせとして扱われてしまう報道もありますよね。

和田 もう少し健全に戻すというか、表現することをシンプルに考えてみる。アーティストがどうサバイブできるか、いろんな職業から学ぶことも多いのですが、もっとその仕組みについて権利とともに考える機会が増えるといいですね。


2018年3月に発売された美術手帖(18年4・5月号)に、コ本やのインタビューが掲載されています。テーマは「ART COLLECTIVE アート・コレクティブが時代を拓く」。アートプロジェクトやイベントが企業広報や地方創生などの文化復興の手段の一つとして使われているなか、アーティスト自身が思い描く活動を継続的に進めていくためには、どのようなコミュニティを作り、社会の仕組みに参画していくのか? アートシーンにおける課題の一つとなっている、と改めて感じた特集でした。そうしたなかで、コ本やの、本屋/ギャラリー/パブリッシャーという複数の軸を持つ活動は際立った取り組みに感じます。

アーティストとギャラリーが一緒に企画展示を行い、パブリッシャーとしてそれを記録し世に広める準備をする。そして、本屋としてその流通に関わっていく……。すべての活動が有機的に結びついた、コ本や自体が媒体となる試みは、一つのアートプロジェクトの在り方を示してくれました。

取材・文:siranon
撮影:岩佐莉花


INFORMATION

コ本や HONKBOOKS

〒114–0002 東京都北区王子1丁目6−13 松岡ビル
月曜定休、祝日営業
公式サイト


INTERVIEWEE PROFILE

コ本や honkbooks
2016年より活動するメディア・プロダクション。映像や書籍の制作、展覧会やプロジェクトを企画し、活動拠点としてフラッグシップショップのコ本や(東京都北区王子)を運営する。青柳菜摘/だつお(アーティスト/1990年生まれ)、清水玄(ブック・ディレクター/1984年生まれ)、和田信太郎(ドキュメント・ディレクター/1984年生まれ)主宰。3人ともに東京藝術大学大学院映像研究科出身。最近の活動として、展覧会シリーズ「残存のインタラクション」企画(Kanzan Gallery, 2017)、「ワーグナー・プロジェクト」メディア・ディレクション(神奈川芸術劇場KAAT, 2017)、「新しい洞窟-もうひとつの岐阜おおがきビエンナーレ2017」ディレクション(2017)など。別名thoasa。

和田 信太郎
1984年宮城県生まれ。ドキュメント・ディレクター。表現行為としてのドキュメンテーションの在り方をめぐって、映像のみならず展覧会企画や書籍制作を手がける。最近の主な仕事として「磯崎新 12×5=60」ドキュメント撮影(ワタリウム美術館, 2014)、「藤木淳 PrimitiveOrder」企画構成(第8回恵比寿映像祭, 2016)、展覧会シリーズ「残存のインタラクション」企画(KanzanGallery, 2017–18)、「ワーグナー・プロジェクト」メディア・ディレクター(神奈川芸術劇場KAAT, 2017)に関わる。2012年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。現在、メディアプロジェクトを構想する映像ドキュメンタリスト育成事業 プロジェクト・ディレクター(通称、geidaiRAM/東京藝術大学映像研究科主催)、東京藝術大学特任講師。コ本やでは、「thoasa」(企画・映像制作・書籍出版)を主宰する。

青柳 菜摘
1990年東京都生まれ。アーティスト。ある虫や身近な人、植物、景観に至るまであらゆるものの成長過程を観察する上で、記録メディアや固有の媒体に捉われずにいかに表現することが可能か。リサーチやフィールドワークを重ねながら、作者である自身の見ているものがそのまま表れているように経験させる手段と、観者がその不可能性に気づくことを主題として取り組んでいる。2014年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。近年の活動に「冨士日記」(NADiff Gallery, 2016)、「孵化日記 2011,2014–2016」 (NTTインターコミュニケーション・センター [ICC], 2016)、「孵化日記 2014–2015」(第10回 恵比寿映像祭, 2018)など。また書籍に『孵化日記 2011年5月』(thoasa publishing, 2016)、小説『黒い土の時間』(2017)がある。「だつお」というアーティスト名でも活動。

清水 玄
1984年東京都生まれ。ブック・ディレクター。2015年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。修了後、アート・インストールの事務所でのアルバイトを経て、2016年にコ本や立ち上げにあたり古物商の免許を取得。コ本やでは、神保町の古書店での勤務経験を生かして仕入セクションを担当。映像・写真の撮影ディレクターも務め、展覧会エンジニアとしては「孵化日記 タイワン-青柳菜摘個展」(Kanzan Gallery, 2016)、「旗、越境者と無法地帯」(トーキョーワンダーサイト本郷, 2016)、「永い風景-飯岡幸子個展」(Kanzan Gallery, 2017)、「心霊写真/ニュージャージー-原田裕規個展」(Kanzan Gallery, 2018)を手がける。書籍商。

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